Annihilation
雪の降るある昼下がり、男は近所の仲間と町の見回りを行っていた、ここ二週間ほどは接触者が現れてはいなかったが、それでも見回りを怠る訳にはいかない、万が一にでも接触者に襲われてしまえば折角取り戻した平和が台無しだ。接触者が最初に町に現れてからもうすでに一年が経とうとしている、時が流れるのは早いものだ、初めこそは人類の破滅だとか裁きが下ったのだ等と悲観し混乱する連中も多かったし、希望などない真っ暗闇な世界だとも思った、しかし時が経つにつれて町も防衛対策が整い、人々も接触者に対して過剰な反応は示さなくなった、確かに恐怖の対象ではあるが、言うなれば餓えた野獣とあまり変わらない、襲われたらば終わりだが、予防対策は案外簡単なものだ。文明は後退したかもしれないが、町の皆の絆や仲間意識等は格段に向上した、そう考えるならば社会的秩序は昔よりも改善されたのではないだろうか。今の町には金という概念がない、不思議なものだ、あれ程皆がこぞって信用し利用してきた紙幣はただの紙屑なのだ、そんな物よりも直接行う物々交換でなくては信頼性がない、ほんの二三年前は金で全てが買える、金が無かったら生きていけない、等と思っていたが実際に一番必要な物は食料と水だ、それらを得る為ならば人々は助け合うし自然と秩序が生まれる。これもあと数年か数十年も経てばまた金銭が登場し活躍するのであろう、そしたらばまたそれを巡って醜い争いが生まれると思うとどちらの世の中が本当に平和なのかが分からなくなった。しかしそれは将来考えればいい事だ、大切な事は今この瞬間を精一杯生きる事だ。男は深々と降る雪を眺めながら感傷に浸っていた、彼だけではなく町の人々の心には余裕が出来てきていた。どんな混乱も辛い状況もいつかきっと過ぎ去るのだ、その様な希望を町の人々は気付き、困難ではあるが充実した日々を過ごしていた。
「今日は天気も悪いし接触者も家で寝てるんじゃないか、見張りもそこそこに切り上げて一杯飲みに来いよ。」
畑仕事をしていた仲間が男に笑顔で話しかけてきた、もちろん冗談半分で返答する。
「女房の機嫌が悪いからな、もうちょっと仕事を口実に時間を空けるよ、仕事終わっても機嫌が悪かったらお前を理由にまた逃げてくるさ。」
「そうか、後で来いよ、子供が生まれてからじゃ自由がきかなくなるからな。」
男は笑いながら手を振ると見回りを続けた、決して安定した社会ではないがそれでも子供が生まれるのは嬉しい、こんな世の中だからこそ家族が助け合って生きていくのだ、もちろん不安がないと言えば嘘になるがそれよりも喜びの方が遥かに強い、それが親心というものなのだろう。
町の門の前まで来ると男は頭に積もりだした雪を払い落とし、見張り台に上った、門と言えば聞こえはいいがサイトの防壁から比べたらただの高い柵にすぎない、それでも堀を作り、外壁を作り、野生動物や接触者達からは十分に守られている。それもこれも町の皆が協力しあった結果だ、たまには意見が合わずにぶつかり合う事もあったが何度も話し合う度に理解しあい、結果的にはよりいい結果が生み出せた。男は雲が覆う空を見上げながらふとこう思った『幸せとは試練を乗り越えてから訪れるのだ』と。
寒空の中、見張りを続けていた男は数台の軍用車がこちらに向かってきている事に気が付いた、世界平和維持局がここに来るのは珍しい、最後にここを訪れた時は数か月前になる、上水道の整備や物資を運んでくたのだ、町の者は皆彼らに感謝した、欲を言えばもっと頻繁に来てくれるとありがたいが、彼らも全体の平和を守る為に忙しいのだ、無理は言えない。男は見張り台から降りてくると門を開け彼らを歓迎した、もしかしたら雪が降って来たので毛布や暖房器具を提供してくれるのかも知れない、そうであるならば喜ばしい、何はともあれ子供が生まれたら色々物資も必要になるどんな援助でも大歓迎だ。男は笑顔で門の前に立っていた、そして、世界平和維持局の部隊は彼を撃ち、そのまま町を襲撃した...
その日がAnnihilationの始まりであった。各地で人の行いとは思えない程の残忍な蛮行が世界平和維持局の手で行われた、サイトではなく町に住んでいる者達でもほぼ例外なく維持局を信頼していたのが最悪の結果を招いた。その内容はまさに残虐非道そのものであった、兵達は逃げ惑う市民を遊び感覚で殺し、酒や食料を奪い、助けを求める者達同士で殺し合いをさせた、若い女達は全て捕えられ、家や畑は焼かれ、子供を人質にしてその両親にさらに非道な事を強要した、そしてそれを拒む者達は目の前で子供は殺され、泣きつく親を殴り殺した、これらは数週間に及ぶ冷酷非道な行為のほんの一部である。ある町は全て焼き滅ぼされた、しかし兵達は遊ぶ道具がなくなった事を不満に思い、次の町へ向かった、そして時折、世界平和維持局同士での戦闘があった、きっかけ等はほんの些細な理由から大隊同士の殺し合いに発展する事も珍しくはなかった。更にこの混乱で再び接触者が猛威を振るった、秩序があればこそ脅威ではなかった、しかしそれが無くなった状況では誰も接触者を止める事は出来ず、被害が更なる被害を生み、未だかつてない程壮絶な地獄が繰り広げられた。逃げ惑う者達は何を信じればいいか分からなくなっていた、しかも命からがら逃げ遂せた者達同士でも食料を奪いあう醜悪な争いが生まれた。
この狂気は治まる事を知らず一か月以上続いた、ある部隊は町を支配し住民を奴隷にした、ある部隊は完全に気が狂い仲間同士での殺し合いの果て消滅した、またある部隊は他の部隊を襲い武器を集め強大な賊軍となった。この蛮行で世界平和維持局は八十万いた兵が一挙に十万にまで激減した、そして何よりも、人々は世界平和維持局を敵と見る様になった。そして一時は数億人といた国民も数を減らし、数千万にまで減ってしまった、これはこの国だけではない、ここ数十年に起きた異常事象の連続により人類の総数は一億を切るまで減った、自然界では一定値に増えた種族はある時を境に減少するという、この一連の現象は人間が生み出した人為的な悲劇なのだろうか、もしくは自然界における淘汰の結果なのだろうか、いずれにせよ人間は自然界の一部である事は揺るぎない。重要な事は過去ではなく現在である、そして現在はよりよき未来の為に存在するべきなのだ、確実な事は生き物は前進を続けるという事ではないであろうか。
撃たれて意識が朦朧とする中、男は町を見ていた、すでに考える事も出来ない程の出血で助かる見込みはない、そんな男が見ていたのは残虐非道な行為であったか、いや、彼はそこまで思考が回らない程衰弱していた、社会、道徳、宗教、知識、思い出、経験、そんな人間性について考える事が出来ない彼の見ていた事象はなんら不思議な事ではなかった、ただの縄張り争いだ。男は人間の様に考える事は出来なかったが、動物の様に思う事は出来た、そして彼はただ彼の子供の事だけを思いながら息を引き取った…