クロムウェル
「…よって我らが願う平和とは、我らが定めた秩序の上にのみ存在するのである!我らが守るものとは万人に等しい平和であり!それを害する者、もしくは軽んずる者は人類の繁栄を害し、命を軽んじる者と言っても決しって過言ではない!諸君らに問う!我らは何故戦うか!それは平和を守る為ではないか!平和こそが人間の求める至高の安らぎである!人々の幸福の為に戦うのであれば、我らの血も流れるであろう!しかし!千の幸福が得られるなれば、十の犠牲はやむを得ない!人類の平和の為に犠牲になるのであれば!それは!本望であるべきである!個人が望む幸福とは万人に等しく与えられる幸福の前では犠牲になるべきである!真に優れた者であれば自己犠牲が崇高で誇り高い、至上の美徳である事は理解出来て当然である!それが理解出来ない者に何かを訴える権利があるか!?否!全体への奉仕の精神がない者に幸福を語る権利などない!我らが有するは万物の理であり!我らが守るものは平等の幸福である!恐怖を感じている者よ!それを決して忘れるな!…」
「ヘルムートの声はどこにいても響き渡るな...」
クロムウェル閣下は目を瞑りながら心に直接伝わる様な不思議な演説に耳を傾けていた、それ以外にやるべき事があるはずだ、彼は自らにそう言い聞かせていたが、体に力が入らない、彼の部下達も同様な感覚を覚えているのであろうか、クロムウェルはそんなどうでもいい事を考えながら、同時に過去を思い出していた。
彼は初めてヘルムートと出会った時の事を一度も忘れた事がない、彼らは同時期に軍の特殊部隊に志願した、始めて顔を見合わせた時は選定訓練中の食堂であった、その時は特に気にした訳でも無かったが、目の前に座った男の食事の仕方が自分と同じスタイルであったので覚えていた位である、食べ方といっても決してテーブルマナー等の上品な事ではなく、どのような混ぜ方であるかであった。訓練中の部隊での食事は運が良くて五分位であったので、全ての食べ物を一つにごちゃ混ぜにして胃に流し込むのである、ほとんどの者達が全て混ぜている中で少数の者達はパンの一切れだけを混ぜずに残していたり、おかずの一部を残していたりしていた、しかしクロムウェルとヘルムートはパンの一切れに一番相性の良いおかずを少しだけのせておいて残りを全て胃に流し込んだ、そして極めて作業的で嫌気さえさす栄養補給の後に口直しでもするかの様に残しておいた食べ物で締めたのである、もちろん味など期待はしていない、しかし両名とも最低限の人間らしさを求めていたのかも知れない。そんな些細な事がきっかけで両者は顔を覚えたのである、その後、選定課程中に脱落者が続出する中、残っている連中は自然と他の仲間達との交流が増していった。始めて二人が言葉を交わしたのは二十キロの荷物を背負いながらの行軍中で、会話の切り出しは意外にもヘルムートであった、話の内容自体は単なる空話であったが、両者とも好印象を覚えた様で、それ以来は互いに励まし、助け合いながら訓練を続けていった。流石に訓練の佳境に入ると数百人いた志願者の数も三四十人程になり、残った志願者達の絆は深く強いものになっていった、訓練の内容に仲間意識と愛国心の増長が含まれているのであろう、特殊な訓練以外は仲間同士での会話は黙認されていた。ある日の訓練ではパラシュートで密林地帯に投げ出されると、道具と呼べる品等ない状態で現地からの脱出及び目的地への到着を要求された、二人は運よく密林で出くわし、互いの長所を活かし、短所を補いながらこの過酷な訓練を突破した、実際にもし二人でなかったらばトップでゴールする事は出来なかったであろう。実技成績においてはヘルムートは志願者の中でも抜きんでた存在であった、それに対しクロムウェルは幾つかのテストは合格ラインギリギリで突破していた、逆に知識面での成績はクロムウェルが最上位であり、ヘルムートは中の上位であった、精神論でも平和を尊ぶヘルムートと自由を尊重するクロムウェルは一見すると口論をしているかの様に見えたが、二人とも互いを尊敬しあっていた、両者は互いの至らない点を補う事の出来た最高の戦友であり親友になった。最終訓練に入るとその二人の友情が偽りでない事は目に見えて理解出来た。最終訓練はそれこそ人格崩壊が目的とも思える内容で、炎天下の昼間は銃を持ったまま夜になるまで見張りをし、夜間は上官の命令通り小さな金属のお椀で地面に穴を掘るのであった、その行為に何の意味があるのか?意味などない、実際一晩かけて掘っていた穴は目の前で埋められ土まみれの器に水を注がれる、それを五人程の仲間で分け合いながら飲む、その後三十分程の仮眠を許された後にまた炎天下での見張りをする。二日も経たない間に仲間の数名が倒れた、倒れても失格ではない、仲間達は倒れた者をしっかり補佐しながら作業を続けるのである。たまに変装した上官が彼らにひどく罵声を浴びせにくる、上手く立ち回れないと体罰を課せられた、しかしその時には痛みなどすでに感じないほど精神が痩せ細っているのである、そこで上官に反抗出来る程の気力も体力も残ってはいないが、万が一反抗的な態度を取った場合は更なる人格矯正が行われた。この試験で人格崩壊を逃れるたのはほんの数人である、いや、実際全員の元あった人格は崩壊していたかも知れない、クロムウェルとヘルムートはこの試練中に目で互いの意志疎通をする事を習得したと言っても過言ではない、食べ物は数日に一度、豚の脂肪だけを煮込んだ物など食料とは言えない物を与えられ、水も限られた泥水のみという想像を絶する環境で互いに体力を使わずに正気を保つ術は声ではなく眼であった。夜間に無意味な穴掘りをしている間、気が狂いそうになる時が度々あった、その時は互いに目を見るのである、その時に見えるのは相手の眼でも自分の姿でもなく人間性であった、もちろんそんな物は目に見える訳でも無いが感じる事は出来た、その”人間性”が確認出来ると不思議と気分が落ち着き再びその無意味な作業を継続する事が出来た。最終関門も突破したのは三十人程であったが、その中でかろうじて人格を保っていたのは十名ほどであろう、他の者達は命令を確実に実行する機械になっていた、それこそ丸一日暗闇の部屋で何もせず何も感じづ何も考えづにただ存在する事になんの疑問も持たない様な人間性の一片すらも失った者達である。それに比べればクロムウェルとヘルムートは人間味に溢れていたと言えよう。審査過程を見事に突破した二人はそれから同じ部隊の所属になり、幾多の死地を互いに助け合いながら切り抜けて来た。世界平和維持局が新設された時も共に抜擢され、時に背中を任せる戦友になり、時に互いのアンチテーゼになり、そして常に支え合う親友であった。この様な混乱した時代でも彼らの理想である平和と自由の両立を目指す為にお互いが光となり影となり存在していた、二人はチェスを好んでプレイした、盤上の白と黒の駒達と軍に属する自分達に似た所があったからかも知れない。
クロムウェルは目を瞑りながら静かに親友のスピーチに耳を傾けていた...




