ゼニストの一日(下)
老人の小屋を出てからどれ位歩いただろうか、辺りは未だに暗闇に包まれてはいるがそろそろ日が昇る頃あいのはずだ。ゼニストは老人の言っていた町について確実ではないが、予想がついていた、恐らくはここ数年活動的な反政府グループの集落であろう。ゼニストは以前に似た様な集落の話を聞いた事があった、特に過激派という訳でもなく自由と平和と平等を掲げる団体である、人里離れた場所に集まり、政府機関の手を借りず、そこに住む者達で助け合いながら生活するというコミュニティーである。噂では電気もろくに通っていない、下水処理も整っていない、道路も整備されていない、という数世紀以前の生活水準らしいが、ここ数年続く騒ぎに嫌気をさした人々が同調し、コミュニーティーを拡大していったそうである、いわば政府が公認していない自治区である。複数の似たり寄ったりのグループがあったので、どれかまでは推測出来なかったが、その類のコミュニティーである事は間違いないであろう、問題はこんな時間に誰かが起きているかであった。
鳥の鳴き声が遠くに聞こえ始めた頃、ゼニストは煙の昇る小さな集落を州道から少し離れた川沿いに見つけた、彼は少女が転ばない様に手を貸しながら道なき山道を下り始めた。集落に近づくにつれて彼らの来た道が正規のルートでなかった事が分かった、もう少し州道を下っていれば開けた道があった様である。集落は野性動物の侵入を拒む為か簡易的な塀に囲まれており、彼らは迂回せざるをえなかった。塀の開けた場所に来ると二人の男が椅子に腰かけて談話していた、猟銃を脇に抱えている所から察するに見張りの様である。男たちはゼニストと少女に気付いていない様で会話を続けていた、どういう風に登場すれば驚かせずにすむかをゼニストは考えていたが、結論はどのみち驚かすであろうから深く考えない事にした。そして案の定、見張りの二人はゼニストと少女を
見て仰天した、見張りは銃を構えゼニストに停まるよう勧告した。彼は両腕を上げ戦意の無い事を表現していたが、時間が時間だけに見張りは慎重にならざるを得なかった。見張りがゼニストを尋問している間、少女は見張りの腰かけていた椅子に座りウサギの人形を抱きしめながら大人しく待っていた。ゼニストは老人に説明した内容をそっくりそのままこの二人に説明し、滞在の許可を求めたが、見張りだけでは判断出来ないという事で、集落の代表が起きるまで物置小屋で待っていてくれとの話になった。少女が居たから小屋での休憩が許されたのであろう、ゼニストは椅子にちょこんと座る少女の頭を撫でると見張りの案内してくれた小屋まで少女をおぶって行った。
小屋は乱雑としてはいたがそれなりに広く、誰かが使用していたのか簡易的なベッドもあった、少女をそこへ横にさせると、彼はドアの近くにあった椅子に腰かけ、実に長い一日であったと考えながら外を眺めた、ふと少女を見ると流石に疲れが溜まっていたのかウサギの人形を大切そうに抱きしめながら眠っていた、ゼニストは微笑みながら少女を眺めた後、自らも目をつぶり仮眠をとった。ゼニストは夢とは思えない程現実的な夢を見た、夢というよりはあの日の再演である、目線も動きもあの日のままだった、ただし今回の再演はいつもとは若干違っていた。
『積み上げられていた木箱が崩れて、隠れていた連中が撃ってきた、そうか、あの時最初の弾は左肩に当たっていたのか…ラズの背後にいた奴のが当たったのか…一番近場の奴に飛びかかる、よく覚えていなかったが顔にホクロのある奴だったのだな…喉を引きちぎる間にまた撃たれた、同じ男からの銃弾だ…次の男に向かう間に左足を撃たれていた…なんだ全部同じ男の銃弾だったのか…そういえばあの時は気付かなかったがラズは逃げも隠れもしないで同じ場所に立っていたのか…二人目の男に銃を乱射してたが、当たったのは二発だけだったんだな…最後の男…あ、あいつは幹部お抱えの殺し屋だった奴か、どうりで腕がいい訳だ…腹をかすめた銃弾が二発、少しでもずれていたら致命傷だったな…飛びかかって、殴り続けて…その間にラズはどこに居た?ほんのちょっと前に中心に立っていたって事はこの時俺の背後にいたのか?…その後、俺は敵の数を数える為に立ち上がって、振り返って…あ、ラズはまだ同じ所に立ってた…敵だけに集中してラズに気が回らなかった…でも、その後俺は撃たれて…ん?前のめりに崩れた…?』
小屋の前に人の気配がしたのでゼニストは目が覚めた、あまりに現実と似通った感覚のある夢を見ていたせいで起きた瞬間も未だに夢の中にいる様な奇妙な感覚を覚えた、一瞬彼がどこにいるのかが分からないほど記憶の整理が乱れていた。しかしその様な夢見心地が長く続くはずもなく、ゼニストはすぐに冷静になり、少女の眠りを妨げない様に彼自身が小屋を出ていった。外にいたのは先ほどの護衛二名と五十代位の男性が立っていた、朝日が彼の肌を刺したが、少女の休息を邪魔したくはなかったので外で話す事にした。どうやらこの中年の男性がこの集落のまとめ役らしい、ジョージと名乗った男性は優しそうな温和な顔つきであった。ゼニストは護衛の二人に話した内容をそっくりそのまま彼に話した、すると彼は言った。
「ゼニストさんと仰いましたか、我々は来る者拒まず、去る者追わずが基本になっておりまして、い つもならこの様な事はないのですが、ここ数日この集落に逃げてくる者達が多くてどうした事か と、悩んでいる所なのです。ここではたまに町に行った者が持ってくる情報だけが世間との繋が りになっておりますので、一体何が起きてるのか理解出来ておりません。確かにここに逃げてくる 連中も皆ゼニストさんの仰る様な化け物の話をしたり、変な恰好の連中が町で暴動を引き起こし たりと、にわかには信じがたい事を口にしております。そして今朝方幼いお子さんを連れて逃げて 来たゼニストさんを見るところ、どうやらその化け物の話も本当だという気がしてきました。お子さ んと一緒に逃げ回りながらの生活も大変でしょうし、我々はあなた方がこの集落で生活する事に 異議は唱えません、しかし、この集落は周りと助け合って成り立っておりますので、ここに滞在中 はゼニストさんにも何かしら手伝って頂く事になりますが、よろしいでしょうか?」
もちろんゼニストは二つ返事で了承した、が一つだけ条件を出した、条件というよりは今後誤解を招かない為に若干の嘘を付かなくてはならなかった。
「私は娘と一緒に避難させていただけるのでしたらば、どんな作業でもいたします。ただ、一つだ け問題が、実は娘は先天的な皮膚の問題がありまして、日光に長時間当たる事が出来ないので す、特殊な皮膚の薬を処方してもらい日常生活は問題なかったのですが、この混乱で薬を紛失 してしまい、日が沈んでからでないと外に出られないのです。そこで娘の面倒を見る為にも夜間 に出来る仕事などがあれば嬉しいのですが。」
こう説明したゼニストを三人は疑わなかった、むしろ何故夜更け前に現れたかに合点がいった様子で顔には若干の安堵した様子さえ伺えた。
「それは問題ありません、むしろ警備や朝方の水汲み、家畜の餌やり等夜間や日の出前にやって 頂きたい事はたくさんあります。電気は必要不可欠な場所にのみ使っているので、暗闇での作 業になり決して安全であるとは言いかねますが…それでよろしければ」
ゼニストにとってその条件は最高であった、彼自身日の光に長時間当たっているとどうなってしまうか分からない以上、日光を避けて生活する事が最善である、なにより政府関係の手が伸びてこない、これは願ったり叶ったりの避難場所であった。
「それでは我らがセレニティーヴィレッジはゼニストさんとお嬢さんを歓迎いたします。早速で申し訳ないのですが、今日の昼前に集会を予定しておりまして、最近避難されて来た人達からの情報を集めたり、顔合わせ等をします、その集会でゼニストさんに担って頂く作業や住居の決定も行いたいので、お疲れかもしれませんが、ゼニストさんにも是非参加して頂きたいのです。」
もちろんゼニストがそれを断る訳もなく、話は問題なくまとまった。三人の村人は礼儀正しいゼニストに好感を持った様で和やかな笑みを浮かべながら去っていった。集会の時間になったら呼びに来るという事であったので、ゼニストは小屋に戻り、一息ついた。ふと少女を見るとスヤスヤと眠っている、外での会話で目を覚ましてしまうのではないかと少し不安であったが、彼女はそこまで過敏ではないらしい、むしろ自分があまりにも過敏すぎるのであろう、と自らを笑った。彼は床に横になりしばらくの間目を瞑った、眠ったのか起きていたのかも分からなかったが時間の経過を考えると眠っていたらしい、目を開けると日は昇り辺りが明るくなっていた。彼が起き上がると、すでに起きていた少女がリュックから干し肉を取り出しゼニストに差し出した、笑顔でそれを受け取るとゼニストは干し肉をかじりながら外の様子を伺った。村の様子は静かなもので大混乱している都市部と同じ時間に存在しているとは思えないほどほのぼのとしていた。しばらく外を見ていると人々が一つの小屋に集まっていく、どうやら集会の時間の様だ、すぐに誰かが彼らの居る小屋をノックしに来た。ゼニストは少女にシーツを被せ、日光から少しでも守ってやると彼女を抱きかかえ集会場に向かった。
集会場に着くと三十名程がその場にいた、外で作業をする人達がいる所を見ると全員集合ではないらしい、着ている服装で長年村にいる人々とここ数日中に逃げ延びて来た連中の見分けが容易についた、村で生活するという事は本当に自給自足らしい、服も手作りだ。逃げて来た連中はいわば中世にタイムスリップしてきた感じで浮いていた、そして顔つきも完全に違っていた、村人は朗らかな笑顔で明るい様子なのに対して避難組は顔を強張らせ不安に押しつぶされそうな悲壮感漂う顔つきであった。
ゼニストが周りを観察していると、村の長のジョージが話しはじめた
「さて、今日はいつもの集会とは規模も内容も違う。分かっている者も多いとは思うが、最近都市 部で何か異常事態が発生したらしく、この村に避難してくる方々が多くなった。それについて今後 の村の方針や、自己紹介、役割分担、居住区の決定等を行いたいと思う。まずは自己紹介か ら始めたい、私はこの村の一番のお節介焼きであるジョージだ。」
村人達は村の長の冗談に笑い声さえあげていた、しかし避難組はそんな余裕などない様子で顔は強張ったままであった。村人側の自己紹介が進んでいくとその温度差は次第に大きくなっていくのが目に見えて分かった、恐らく村人達は避難者達の気を紛らわそうと考え、あえて明るく振る舞っていたのであろう、しかしそれは全て空回りに終わり、村人の順番が終わると場は重苦しい沈黙に包まれた。そして数分の沈黙の後に一人の男が青白い顔で弱々しくこう言った
「あんた達はあの地獄を見てないからそんな態度でいられるんだ…」
その一言でさらに場は凍り付き、避難者の中から泣き出す者まで現れた。ここまで来ると村人側の飾っていた明るさも吹き飛び誰一人軽口をたたく者はいなくなった。痺れを切らした村人の一人が怒声に近い声でこう言った
「人が折角歓迎してやってるのにその態度はなんだ!人生誰にだって辛い事位あるんだ、それ をお前は不幸は自分にだけあるとでも…」
そこまで言ってその男は黙り込んだ、黙らせられたと言ったほうがいい、避難者の目を見た瞬間に絶対的な圧力が彼にのしかかった、彼は自らに過ちがあった事を瞬時に悟りうつむきながら席に着いた。避難組の者が下を向いたままこう口にした
「奴ら…人を襲うだけじゃない…喰うんだよ…相手を殺してからじゃなく、生きたまま喰うんだ…泣き 叫んで助けを求めても奴らは止めない…家族が目の前で泣きながら喰われてるのに何も出来ず に、怖くなって逃げ出した…どうしようもなかったんだ…怖かったんだよ…妻も息子も愛していた、 自分の命より家族の命のほうが重いって信じてた…でも俺は逃げ出したんだ…助けを求める女房 と子供を見捨てて俺は逃げ出したんだ!」
男は泣き崩れ、声にはならない音だけをもらしていた。男の話を聞いた避難者達は彷彿する恐怖に怯え、泣き出す者や震え出す者で溢れかえった。ここまで来ると村人達はどうする事も出来ずに無為に時は流れた。そんな中、ゼニストが手を挙げ発言の許可を求めた、もちろんこの様な殺伐とした沈黙を破ってくれるのならありがたい、ジョージは大きな声でゼニストを紹介した
「おお!そう、こちらは今朝村に着いたゼニストさんと娘さんだ、何か質問でもございますかな?」
「私と娘も混乱した町から逃げ延びて来た者です、確かにあれは想像を絶する恐怖でした、あまり のショックで娘はあの日以来言葉を発しません。しかし、このまま恐怖に飲み込まれ、前進する 事を諦めてしまうのは過去の努力を水の泡にしてしまうという事です。人類は度重なる災害にも負 けず、立ち上がり、前進して来たではありませんか。私も家族を失い…」昔を思い出し、悲しみがこみ上げてきた。
「…娘と二人っきりになってしまいました。しかし、私はまだ生きている、そしてこの命のある限り娘 を守っていくつもりです。今、何が必要か、それは血でも涙でもなく、これから先に繋げる為に流 す汗ではないでしょうか。怒りや悲しみが作り出す物は破壊と後悔です、しかし努力と希望からは 可能性と喜びが生まれる、壊れてしまったのならば再建しましょう、後悔しているのなら同じ事を 繰り返さない様に自らを鍛え強い心を持ちましょう。人間は希望がある限り何度でも立ち上がると いう事を我々が示そうではありませんか!」
村人達はゼニストの前向きな考えに感心した、特に悲観的な避難者達の発言の後であったので、同じ避難組の彼からこの様な意見を聞けた事が嬉しくさえもあった。しかし、避難組の連中は未だにそこまで割り切れない様で皆口を噤んでいた。絶望感を抱いている者に励ましの言葉や希望を持たせる様な事を言っても無駄である、彼らの辿り着く答えは絶望の再来、それならば何故無駄な努力やぬか喜びをしなければならない、失ったままであるなら傷が広がる事もない、そんな負の螺旋でしか考えられない、これは弱さではない、絶望を感じるにはまず希望が必要だ、そして希望を抱くには強さが必要だ、強さを得るには試練が必要だ、そして絶望を乗り越えるのは試練なのだ。ゼニストは彼らの抱く絶望感を知っている、それは今回味わったわけではない、何十年も昔に味わった、一度や二度ではなく何度も何度も味わった、だからこそ彼には希望が見えた、だからこそ周りを励ました、だからこそ何度でも立ち上がった。
ゼニストは彼と少女の自己紹介を簡潔に終えると席に座った、数人の村人と目が合ったが、皆ゼニストの顔を見ると笑顔で会釈をした、村人でゼニストの受け入れを反対する者はいないであろう事は明確であった。避難組も無気力的ではあったが自己紹介を行った、そして居住区の割り当てと仕事の分担について話し合われた。肌の弱いメルの事を考慮してくれたらしくゼニストには地下に部屋がある小屋が割り当てられ、仕事は夜間の警備をメインにその他雑用が任された、他の者達の大半は部屋を共同で使う状況であったので、ゼニストはかなり優遇された様である。避難者達からの情報収集はもう少し気分が落ち着いてからにするべきだと話がまとまり、集会はお開きになった。各自新しく分担された小屋や部屋に戻り、作業は翌日からという事になったが、ゼニストは別段疲れてもいなかったのでその日の晩から行いたいとジョージに言うと、意欲的なゼニストに感心しその晩からの作業を認め、ついでに食料とお菓子を密かに手渡してくれた、そしてジョージは笑顔で
「お嬢さんも元気を出せばまた喋る日が来るでしょう」とゼニストを励ましてくれた。
日が沈むまでゼニストと少女は地下で休息していた、特にする事もなかったので彼女に字の読み書きを教えて時間を過ごした。日没後、ゼニストは少女と一緒に門の前に来ると引継ぎをする者から簡単に何をすればいいかを教えてもらい警備に付いた。少し遅れて他の警備担当の男が来たが、その日は特に何もないまま終わった。彼は警備をしている間に気が付いた、もしこの門の前に畑を作れば夜間畑を耕しながら警備も出来る、そしてゼニストは翌朝その事をジョージに話すと彼はより一層ゼニストを気に入った様で笑顔で必要な道具や機材などを用意してくれる事を約束してくれた。
ゼニストは一時の安息地を見つける事が出来た、しかし、この安息も永遠に続くわけではなかった、夏の暑さも涼み始めるそんな時期であった…