シスコンの鏡
4歳になって芹花は幼稚園に行くことになった。
幼稚園に居る間は、父からも母からも離れて安全に過ごせる。
それだけで嬉しかった。
毎朝、親と離れたくないと、泣く子の心理が理解できなかった。
芹花は園に着くと真っ先に、園庭の奥のマリア様の元に通う。
指を組んで毎日同じことを伝える。
『今日も生き延びてここに来ることができました。明日は無理かもしれません。お願いです。私に妹をください。それから、性格の歪が顔に出ませんように。』
母に離婚を勧めたが相手にされなかった以上、欠片の愛情もなく、エゴだけで子育てをする親から身を守るにはエゴの分散先が必要だと考えたからだ。
産まれる前から不幸になる事が約束されている自分の分身を求める醜悪な魂を目の前の聖母がどんな風に見下ろしているのか怖くはなかった。
他の方法で助けてくれるなら別にそれでも良かった。
4歳にしては賢いという自覚はあった。
でも4歳児の限界も知っていた。
子供がどうして生まれてくるのか知らなかった。
それでも必死に考えた答えがそれだったのだから責められても困る。
園に着くとすぐに帰ってしまうはずの母の声が近くでした。
先生の声もする。
「毎日熱心に何をお祈りしてるの?」
幸せな環境で育った人の顔で、シスターは芹花に問う。
「妹が欲しいってお願いしてたのです。」
かなりはしょった。
子供らしい、物の解らぬ笑顔で返す。
父親の『他人は誰も助けてくれない』という擦り込みは芹花も気付かぬうちに完璧に仕上がっていた。
「芹花ちゃん、お祈りとお願いは違うのよ?」
そう言われて、奇跡にすがることも許されないのかと、苦笑いをする。
「この子、お地蔵さんとか、神社とか神様っぽいもの手当たり次第にお願いしてるんですよ。」
原罪が、笑いながらシスターに言う。
生き残りたいと、殺されるのが怖いと思う心を嗤われているようでマリア様を振り返る。
『ごらんください。これが私の母です。私を苛むものの一人です。どうかこれから私をお守りください。』
芹花は、母の言う様に手当たり次第に祈りをささげた。
お地蔵様がこの世と閻魔さまを結ぶものと知ってからは、自分に対する両親の悪行を事細かに伝えることも忘れなかった。
……地獄に堕ちろだ。
『この際助けてくれるなら、悪魔でも良いのです。私の魂が必要なら今すぐ差し上げます。』
魂ごと消滅すれば少なくとも、もう二度と殴られずに済む。
祈りが狂気を帯びてきた頃、目を開くとお地蔵さんの頭に紅い花びらが載っていた。
眼を閉じる前、それはそこにあったか?
芹花は首を傾いでひやりとする。
芹花の父がその場にいれば芹花は殴り倒されていただろうから。
産まれたとき斜頸だったという理由で、首をかしげるという子供らしい仕草すら芹花は許されなかった。
「終わった?」
母を待たせていた事を思い出し、頷く。
「ねえ、弟じゃダメなの?」
男の子に生れなかった事を責められ続ける芹花にそれを問うのか?
もし、今の状況で弟が産まれたら、用済みの自分がどんな風に扱われるか、恐怖などと言うものではなかった。
4歳の芹花に解る事がどうして解らないのだろう?
初めから捨て駒の芹花が何を考えてるのか解りたいとも思わないのだろう。
「駄目!」
理解する気が無い人間に説明する気力はない。
それにうかつなことを言えば、そのまま父に筒抜けて、あの暴力装置の燃料となるに違いない。
親子の会話は、最低限に留めるべきだと悟るのに4年は充分な時間だった。
……。
「リチェ。僕のお姫様、起きて。」
目を開けると、ベッドにキラキラした盛装の王子様が居た。
……衣装もエメラルドの瞳も、金糸の髪も神々しく眩しい。
っていうか、お兄様だ。
……あれ?お兄様ちょっと元気ない?
「リチェ、今から父の名代でガイラルディアに行ってくる事になった。非公式だからすぐに帰ってくるけど、三日は会えない。」
胸が痛くなるような、悲痛な声も素敵ですわ、お兄様!
ぎゅっと抱きしめられて、抱きしめ返す。
しばらくそのままだったが、腕が緩んで身体が離れた。
「これを、ずっと着けていて。」
見せられたのは、金色の刺繍が施された、綺麗な緑色のリボンに朝食べた紅い飴の様なものが下げられたチョーカーのようだった。
それにしても、見れば見るほど、紅い石は、あの甘い塊にそっくりだ。
妹姫の考えが解ったのか、アルフェラートは苦笑いしてリオルーチェの細い首に結ぶ。
「これは、食べてはいけないよ。」
あ、やっぱり朝のあれと同じなのかと納得した。
「これは、血魔石と言うものだよ。」
そう言って、目の前で、自身の白い指先を噛み破って流れた血を結晶化させて見せる。
口の中にいれられると、朝と同じ甘い味がした。
「私の血で作った世界で一番強いお守りだよ。」
兄様の指の傷はいつの間にか塞がっている。
……世界最強(リオルーチェの中で)のお兄様の色と血で作られたチョーカー。
確かにこれ以上の守りはないと思う。
「じゃあ、私の血でも出来るかしら?」
ブローチを外して指先に突き刺すと、痛みに驚いた身体が跳ね上がる。
傷つければ、痛い。
でも、夢には痛みが無いから、うっかり痛いってことの意味忘れてた……。
お兄様が慌てて、指先に出来た血の球を口に含んだ。
指先を温かく濡れた舌で撫でる様に舐められて、くすぐったくて笑ってしまう。
「笑い事ではないよ、私の天使。簡単にその身体を傷つけてはいけないよ。」
解放された指には、もう傷も痛みもない。
自分の事は棚に上げて、珍しく怒った風に言う兄王子は、口から出した小さな紅い球を自分の左の耳たぶに押しつけた。
紅玉のピアスの完成だ。
おまゆう(お前が言うな)ですわ!お兄様!
「なるべく早く戻るから、良い子に待っているんだよ?」
リオルーチェの額にキスをした後、左耳の血魔石を大切そうにひと撫でして、そのまま消えた。
空間転移ですね!お兄様、流石です!
兄を絶賛するリオルーチェは、この時まだ、兄王子の強さとシスコンの真髄にまだ完全には気付いていなかった。