お兄様は廃スペックなエリートですが若干難有りの6歳
こういう時は記憶の整理からって、前世で良く読んでいた小説になろうの転生ヒロイン達が言ってた。
……。
ベッドの上に身を起してぼんやりと記憶をたどる。
かわいらしい声の小鳥が窓の外でさえずっている爽やかな朝に似つかわしくない暗い表情で、記憶をたどり始めて、すぐに身体がこわばるのを覚えた。
あれっ?
……もう思い出さなくて良いんじゃないかな?
前世とか……。
不幸中の幸いと言えるのか、性的なものがほとんどなかったものの、暴虐の限りを尽くされた感のある前世の記憶。
前世の記憶本当に必要?
同じく3歳だった頃の、物心ついて最初の記憶が、何も悪い事してないのにまた殴られるという恐怖と、ダメもとで母親に助けを求めようとして拒否されるという……。
もうなんか聞いただけで泣きたくなるむごさだ。
ちなみに芹花の母親は、自分が安全ならおっけーの模様。
むしろ、芹花が死ねばリコンしよう位の考えしかない様子。
芹花が死ねば自身も犯罪者になるという考えが無いと、3歳の芹花に呆れられている様だった。
芹花は幼稚園に入る前から、新聞に書かれている文字くらいは読めていたが、単純な理由で殺人や傷害などのプリミティブな事件の記事を選んで読んでいた。
政治経済の記事は、文字が読めても意味が良く解らなかったからだ。
政治も経済も、子供が興味を持たなくていいと、父=暴力に言われれば、是が非でも理解したいとは思わなかった。
そんな芹花を彼女の父親は、出来そこないの失敗作、救いようのないバカ、あんぽんたん?、男に生まれれば良かったのに、死んだ方がましなバカ、うぬぼれが強いなどと息をするように自然に、豊富な語彙で罵り、詰りながら、小さな体を、殴ったり踏んだりしていた。
泣きだせば目的が果たされたとばかりに、父が楽しそうに笑うの覚え、芹花は泣くのがとても上手だった。
きっと、それが、生まれて初めて覚えた処世術だったのだろう。
芹花の父が言うほど芹花はバカではないと思った。
だが、この父親は度を超えたクズだった為、泣きやむタイミングを間違えれば、うるさいと再び暴れ、過ぎた暴力に浮腫んだ喉が笛の様に音を立てれば、わざとらしいと怒り狂った。
本当にいたたまれない記憶。
……もう充分だと思う。
これはリオルーチェの記憶では無い。
リオルーチェは幸せだ。
リオルーチェを守ってくれる腕は沢山ある。
思わずこぼれた涙は、悲しい物語を読んだ時と同じもの。
そもそも14歳で死んだ前世の記憶に一体どれだけ使えるものがあるというのだろう?
物語の出来るヒロイン達の大半は社会人転生者だった。
そんな事を考えていたら、重たそうなドアが少し開いて、侍女が慌てた。
リオルーチェは慌てない。
隙間から良く知った美貌の少年がこちらを見て微笑みかけてきたから。
「……おにいさま。」
妹とはいえ、淑女(ただし3歳)の寝室にしのびこんだら後でマナーの先生に怒られるでしょうに……。
「僕の天使が泣いていると聞いて、居てもたっても居られなかったんだ。」
リオルーチェの心の内を正確に読み取って答える兄は、この国の第一王子で、アルフェラートという、6歳の美少年だ。
タンポポを輝かせたような濁りのない金色の髪と柔らかな色のエメラルドの瞳、端正な面立ちにミルク色の肌で、歩く芸術と呼ばれているが、おまけに頭も良い。
欠点があるとすれば、若干シスコン気味な所だけだろう。
それにしても、リオルーチェが泣いたのはつい先ほどの出来事で、一体どうやってそれを知ったのか……。
ベッドの中心でぼんやりしていたら、手が届かないからか、靴を脱ぎ棄てて、ベッドに上ってくる。
「リチェ……。」
柔らかい声で呼ばれてしっぽがあったら振りたくなる。
リチェとアルトは、兄様との二人だけの秘密の名前だ。
他の人にそう呼ばれたら、「貴方にその呼び方は許してません」と、言わなくてはいけないよといつになく逆らえない感じの兄様が言ってた。
ちなみに両親は二人を、リオとアルと呼ぶ。
手を出すように言われ、手の平に紅くて綺麗な透明の雫状の飴の様なキラキラしたものを乗せられた。
何となくそのまま口元に運んで、ちょっとだけ舐めてみたら甘かったのでそのまま口に含むと、舌の上で甘さが溶けて消えた。
「……?」
なんだったのだろうと、兄を見上げると、驚いた顔で、口を開けるよう言われたので開いて見せるが、もうないよ?
食べてはいけないものだったのだろうか?
口を閉じ、不安になって見つめるも、リチェ可愛いと言われ、困惑する。
6歳にしては大人な兄がリチェに悪いものを持ってくるような悪戯をするはずはない。
ならば、きっと大丈夫なのだろう。
6歳といえば、兄は学校に行ったりするのだろうか?
この世界の教育機関がどうなっているのか気になった。
前世では義務教育卒業前に死んでる身だけど、今度こそ成人したい。
「お兄様は学校に行くの?」
雷に打たれた様な顔でリチェを見返す兄に何か誤解してると思ったけど、答えを待つ。
「……それで泣いてたのかい?」
そう来たか……。
違うけど、前世とか言って頭がおかしい子と思われるよりましだと思ったので、頷く。
「心配しなくても、リチェの傍を離れたりしないよ。」
頭を撫でられる。
深く意味を考えなければ、優しい声と言葉が、すごく心地よい。
「ここを離れなくて良い様に、家庭教師を付けて貰って居るからね。」
兄様は、今日もこれからお勉強なのかしら?
「今日は、ダンスからだね。その後は魔道具作りの時間を貰ってる。」
思っていた事が顔に出ていたのか、おいでと呼ばれ、ベッドから抱き降ろされる。
白くてひらひらした肌触りのよいドレスみたいな寝巻のまま、毛足の長い絨毯に降り立つと、恭しく手を取られ、腰に手を回される。
既に正装の、美貌の兄から、かなり見劣りする自分の姿に逃げ腰になった。
そもそも……。
「お兄様、私まだダンス知らないわ。」
大丈夫といって、リチェの小さなつま先を、靴を脱いだままのアルトのつま先に載せるように言われる。
そうしてダンスっぽい事をしていると、気を利かした侍女達が、ピアノとフルートで練習に向いた曲をゆっくりと演奏してくれた。
2曲ほどで息が上がったリチェを、アルトが抱きとめる。
体力が要るのね……。
後ろを向く様にいわれ、リチェの乱れた長い真っ直ぐな水色の髪を、さっとまとめようとした兄の動きが止まった。
「……どうしたの?」
不審に思い振り返ろうとしたが、首の後ろに噛みつかれてチクリと痛くて固まる。
「リチェ、首の後ろ、私以外に見せたらダメだよ。」
後ろから抱きしめられて、慌てた。
また、兄との断れない約束が増えたことに気がついて青ざめる。
この6歳児、私をどうしたいのだろう?