にちようび
――もしも愛情が質量を持っていたとしたら、きっとこんな感触なんだろう。
優しく柔らかな温もりに全身を包まれて、俺は夢見心地でそんな空想をした。
とはいえこの感触は、寒風吹きすさぶ道を疾駆し、非情な世間の荒波に揉まれた日々の末に、ようやく勝ち得たものなのだ。あながち大仰な表現とも言い切れない。
天使の羽衣よりも滑らかなその質感を堪能していると、自分が極楽浄土に旅立ったような錯覚に襲われてしまう。
心身ともに疲弊しきっていた俺は、胸に満ちた穏やかな感情に身を任せて、おもむろに瞼を下ろし――
「兄さん! いい加減起きなさい!」
耳障りな甲高い声が、前触れなく俺の安寧を奪い取った。
思わず口の端から舌打ちが漏れる。そして俺は毛布を頭まで引っかぶって続くテロ活動に備えた。
予想通り、間を置かずに敵の魔手が伸びた。
「起きないなら……こうしてやる!」
その鬱陶しい声音の主――妹の楓が、愛情でできた毛布を粗雑に掴むと、俺ごと思い切り引っ張った。
「うわ、やめろ!」
そんな暴挙はさすがに想定外だ。俺はベッドから転げ落ち、背中を床に打ちつけてしまう。
「ぐおぉ……」
「まったく手間かけさせて。これで目が覚めた?」
鈍痛に呻く俺に、しかし楓の口調には反省の色が露一粒ほどもなかった。むしろやれやれといった表情で俺を見下ろしている。勝手に人の部屋に闖入しておいて、なんて無礼なやつだ。
「もう……。せっかくの日曜日なのに、なんでお昼過ぎまで寝てるのよ」
阿呆みたいなことを。日曜日だからこそ、お天道さまが再度沈むまで、本能のままに眠り続ける予定だったというのに。
まさに天国から地獄に突き落とされたような気分……いや、まだ俺は諦めない。
「ていうか、早く立ちなよ」
「嫌だね」
こうなったら意地だ。もうこのままずっと寝転がっていてやる。
芋虫のように丸まって抵抗の意志を示す。小刻みに爪先でつつかれるという地味な嫌がらせを受けるが、ここは我慢しなくては。
「昼ご飯もできてるよ。兄さんの好きなホットケーキ。食べないと餓死しちゃうんだから」
「今は省エネモードだから食わなくて平気なんだよ」
「もうっ! 馬鹿じゃないの!?」
まるで取り合おうとしない態度に業を煮やしたか、柳眉を吊りあげた楓はヒステリックに捨て台詞を吐き、ゴリラみたいな足音を立てて部屋から出ていった。執念の勝利だ。
「ふう、やっと静かになったぜ……」
ようやく取り戻した平穏に息をつく。
さてベッドに戻ろうかと思ったが、もう一瞬でも起き上がるのが億劫だ。いっそこの格好のままで寝直してしまうか。
怠惰な決心をした俺は、冷たい床に頬をくっつけて瞳を閉じた。
……しかし、平和は長続きしないのが現代社会の常なのか。
部屋の扉が再び荒々しく開かれた。
げんなりして顔をそっちに向けると、もはや説明するまでもなく、仏頂面の楓が仁王立ちしていた。手にはなにか四角いものを抱えている。
安眠妨害が趣味らしいそいつは無言で俺の正面に歩み寄ると、だらしなく胡坐をかいて座った。ちなみにスウェット姿なので色気など微塵もない。
「……なんだよ」
もはや諦めの境地で問うと、その手にあったものが差し出される。
黒と緑の二色に分かれた、安っぽいプラスチックでできているそれは――オセロ盤だ。
妹の真意が読めず、上目遣いでその顔を眺める。すると楓はぷいと視線を逸らし、少し早口でこう言った。
「だから寝っ転がったままで大丈夫なのを持ってきてあげたの! 感謝してよね」
いや、まったく説明になっていないんだが……ああ。
不意にピンときた俺は、呆れて欠伸混じりに尋ねた。
「おまえ、もしかして暇なの?」
途端、楓の頬がみるみる紅潮していった。やはり図星か。
どうせ外で遊ぶ予定が急に潰れたとか、そんなくだらない理由だろう。もう十何年も一緒に暮らしているんだ、そのくらい簡単に見当がつく。
「あのさー、たかが暇潰しに他人を巻き込むなよ。せっかく気持ちよく寝てたのに」
「うううるさい! そっちの先行でいいから始めろ!」
逆上した楓にコマを投げつけられる。こんな理不尽なことがあるだろうか。実は妹のいる家庭では日常茶飯事である。
まあいい、ここは素直に従ってオセロに興じるとしよう。不満や文句は勝負の後でもできる。
――結局いつも、こうやって妹のワガママにつきあうから駄目なんだろうか。
まだ寝ぼけた頭でそんなことを思い、俺は苦笑して盤面の四隅を黒で埋めた。
読んでいただきありがとうございます!
日曜日の楽しみ方は人の数だけありますよね。私はだらだら派です。
みなさまもぜひ素敵な休日をお過ごしください。
え、土日出勤だって? ……グッドラック!