理解出来ない、と思われ
彼女は菊池だ。もうそれはいい。菊池と待ち合わせをしていたのだから、目的はとりあえず果たせたことになる。登場時の混乱のせいで再会の挨拶などは出来なかったが、それは菊池の責任ということにしておこう。少なくとも藤間に非はないはずだ。
「再会を喜びたいところだがその前に、ひとつだけ聞いてもいいか?」
「ん? いいよ、なんなりと」
これまで散々、物分かりのいい人間を装ってきたがそれでも気になるものは気になる。だからつい聞いてしまった。菊池の許可も得たのだから聞いても大丈夫だろう。
「どうしてその格好に?」
もしかすると聞いてはいけないことなのかもしれない。それでも気になるものは気になるのだ。菊池にしたって久々に会えばそういった質問をされることくらい予想出来ただろう。どうしても聞かれたくないのならせめて再会の時だけでも普通の格好で来ればいい話。いや、どう弁解してみたところで好奇心に満ちた無神経な疑問だということくらいは理解している。それを否認するつもりは決してない。菊池がどうしても言いたくないと口を閉ざすならそれ以上問うのはやめよう。誓ってもいい。
藤間がそんな思考に没頭していると、菊池が言いにくそうに口を開いた。あまり気の進む話ではないようで、切れが悪い。それでも答えない、というほどでもないようでゆったりと菊池は白状した。
「うーん……私の家ってさあ、ちょっと複雑だったじゃない?」
どこから説明したものか。それで悩んでいるのが手に取るようにわかった。
菊池の家庭が少々複雑なのは、年賀状だけのやり取りになってしまう前から知っていた。親が離婚し、父について行った。そして父はある女性と結婚し、その女性には連れ子がいたりして。実にありふれた、現代にありがちな、ちょっと複雑な家庭。詳しくは聞いていなかったが不協和音を発していたらしいことくらいは知っている。それは今にまで続く不和だったらしい。まあ、離れでもしない限りは不和が解消されることはないだろうと思ってはいた。そんなに簡単に、こじれたものが良くなるわけではないのだ。
「だから周りから色々言われてね」
両親は、あまり外聞を気にしない人達だったと聞いていた。DVやネグレストこそないものの、形だけの家族であることを隠さない。そんな両親だったらしい。だから何かと言われることも多かったのだろう。特に子どもは未発達な分、無神経な者が多い。菊池はこれまでどれくらい無神経な言葉を投げられてきたのだろうか。それを思うと胸が痛む。
菊池はそんな藤間に構わず続けた。菊池からしても、藤間に同情されたとして何とも思わないのだろう。むしろ困るのではないかと思う。同情なんて腐るほどされていて、何の意味も持たないことを知っている。
「何でだろうって思って。あ、変わってるから言われるんだなーとか思ったりして。馬鹿なりに私も考えたりしたのよ?」
彼女はどれくらい考えたのだろうか。藤間には想像もつかなかったから、すぐに考えるのをやめた。考えてもわからないことをいくら考えたところで無駄に時間を消費してしまうだけだ。それなら素直に菊池の言葉に耳を傾けた方が有意義だと思う。
「家が変わってて、何か言われる。じゃあ私がどうしようと結局何か言われるわけじゃない? ほら、元から変わってるわけだし」
同意を求めているわけでもないだろうに、時折同意を促すような音程で菊池は続ける。やはりどこか言葉を選んでいるようで、歯切れは悪い。言いたくないことを無理に言わせてしまったのだろうか。そう思いはするが、今更引っ込めるわけにもいかない。聞いてしまったからには最後まで聞くべきだろう。
菊池はくるくると前髪を指に巻き付ける。癖なのだろうか。わかりやすく、困っている時の動作だろう、これは。その髪は地毛なのだろうか。それも気になるところだが、今はそれを聞くべき時ではない。気になって仕方がないなら後で聞いてみればいいことだ。今は菊池の言葉を待つ。
「んんー、だからね、じゃあいっそ思い切り変わり者になってやろうかと思って」
何をしても変わり者だと言われてしまうのなら、本当に変わり者になってしまえばいい。極端すぎる話だが、菊池の中ではその結論に至るまでの何かがあったのだろう。そこまでは流石に藤間には知ることは出来ない。菊池から話さない以上、踏み入るべきでもない。それに、それだけでもなんとなくの事情はわかった。それで充分ということにしておこう。
「それでそれか」
「そうそう。驚いた?」
わかりきったことを菊池は問う。菊池を見て驚かない人間がいるとすれば、菊池の正体を知らない人間だけだ。わかりきったことを思わず聞いてしまうくらいに藤間のリアクションは大きすぎたのか小さすぎたのか。どちらでもいいが。
「呆れて物が言えない」
どんな事情があったところで、真実は変わらない。菊池俊輔と言う旧友は久々に再会すると女装青年になってしまっていた。それを一概に否定する気も、勿論肯定する気もないのだがそれだけは事実だ。その一点だけを見れば、どうしても呆れざるを得ない。常識の枠を外れるというのにはかなりの力を要するもので、それをあっさりしてしまっていた菊池に呆れる。どうしてその力を別方向に活かせないのか。まあ、菊池から言わせれば余計なお世話だろう。それでも思うのだ、言わないだけで。思うくらいは自由だ。そのどうしようもない感情が、藤間を呆れさせる。それがわかっているのかいないのか、菊池はただ苦笑するだけだった。
「はあ……」
呆れた。それ以外にコメントのしようがない。いや、あるにはあるのだが、纏まりがない上にかなり長文になってしまいそうだ。菊池にそれはつまらないだろう。久々の再会でいきなり長々とした駄目出しというのも野暮だ。不満があるならその時にでも言えばいい。これ以上のコメントは控えよう。菊池が女装青年になっていた件はこれで終わりにする。
話が一段落ついたところで、菊池は歯切れの悪さを消した。話しにくい事柄を伝え終わったからだろう。急に表情を明るくする。花でも咲き乱れていそうだ。男でもそんな表情が出来るとは驚きだ。こういう時に常識でがちがちになってしまっている藤間の価値観はマイナスに働いてしまうと思う。一概に悪いとも良いとも言えないけれど。