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「おいコラ出て来い! 女装野郎! 殺してやる!」

「私のお父さんはね、恋多き人って言うかよく結婚する人でね」

「おい、怒鳴り声にかなり掻き消されてるんだが大丈夫か」

「鍵壊すまではいかないでしょ。大丈夫大丈夫」


 立ち直ったらしい男が、ドアの向こうで拳を固めて怒鳴り続けている。もはやBGMのようになってしまっているが菊池が気にする様子はない。構わずに話し続けた。


「で、何回目かの最高でお義母さんにくっついて来たのが今ドアの向こうで怒鳴ってる子ね。同じ歳でね、名前も同じなの。偶然ね」

「顔もそっくりだな」

「そう、それも偶然。ほら世界には自分のそっくりさんが三人はいるって言うじゃない? 本当に嫌な偶然よね」


 内容こそうんざりしているようだが、菊池は楽しそうでうんざりしている様子はなかった。藤間にはそう見えるだけで、表面上では察することが出来ないほどに状況は悪化しているのかもしれない。


「だから真司があの子のことを「菊池」って呼んで反応した。菊池俊輔かって聞かれた時にYESって言っちゃったのはまあ、ノリでしょ。あの子、結構適当だし」

「ああ、そうか。家族だから名字も同じなのか」


 名前が同じ、歳も同じ、性別も同じ、顔もそっくり。そんな人間と兄弟になって二人はどうしたのだろうか。


「私とあの子はすごく嫌がったの。同じような人間と生活してると何て言うのかな……。自分のアイデンティティーがなくなっていくというか……」

「何となく言いたいことはわかる」


 双子なら平気なのかもしれない。だが血も繋がっていないのに自分とそっくりな他人と生活するのは耐えられなかったのだろう。想像するだけで鳥肌が止まらない。


「だから私は女の子になってみました」


 菊池はスカートの裾を掴むと少しだけ持ち上げて見せる。お嬢様のつもりだろうか。何故か得意げなのかが気になるところだが、気にしないことにしよう。


「キャラが被るくらいならいっそ新しい自分に生まれ変わってみようと思って」

「思い切りが良すぎだろう」


 その思い切りの良さにはいっそ感心すらするが見習いたいとは不思議と思わない。思い切った結果がおかしな方向に行ってしまっているのが何とも言えない。どうしてそうなった。


「で、あの子がストラップ持ってたって言ったでしょ? 私ね、最近ストラップなくしてたの。どこに行ったのかなーって。でも真司が言ったから、あの子が持ってるってわかった」


 それで、そのことを菊池に言った時に菊池は慌てていたのか。怒っていたようでもあったし、その時は妙に思ったが今となっては納得する。推理小説風に言うならば「謎は解けた」だ。大して推理もしていないが。


「ストラップの在処がわかったから取り戻そうと思って。でも携帯につけてたからなかなかね。あの子いつも携帯持ち歩いてるんだもの」

「だから一週間姿を見せなかったのか?」

「そう。ずっと隙を窺ってたの。だからストーカーさんのことは二の次になってて……まあ、気付かない内にターゲットが変わっちゃってたからあんまり実害がなくて……」

「忘れてたってわけか」

「はっきり言うとそうなるわね」


 何故か誇らしげに返されてしまった。ストーカーの件については完全に巻き込まれてしまっているので納得がいかないのだが、それを言うと話の腰を折ることになってしまう。だから何も言わないでいた。すると菊池は話を続ける。


「あのストラップを取り戻さないと私が菊池俊輔だって証明出来ないと思ったから、頑張ってたのよ。蹴りで済むなら最初から真司に蹴りかましてあげてたのに……」

「それは勘弁してくれ」


 菊池の蹴りは何の世辞でもなく、痛そうだ。あんなものを進んで食らいたいとは思わない。

 菊池はどうやら藤間に信じてもらおうと努力していたらしい。それを思うと申し訳なくなってくる。元はと言えば疑った藤間が悪いのだ。


「まあ、それで待ってたんだけどあの子に隙がなくてね。じゃあもういいや、実力行使で行っちゃえって」

「無理矢理取り返したのか」

「そう。そしたら反撃されてもうぼろぼろ」

「それでその格好か」


 納得した。確かに考えてみれば喧嘩した後といった様子だった。本当に喧嘩してきたのか。


「そうそう。ってわけですよ。今日は思い切り兄弟喧嘩しちゃったから家族会議かなー。あーあ、面倒臭い」

「それは大変だな」


 他にどう声をかければいいかがわからない。菊池も慰めてほしいわけではないだろう。突き詰めれば家庭の事情だ。単なる友人の藤間に出来ることなんてない。


「だから親が帰って来る前に帰った方がいいかも。私が呼んだくせに、すぐに追い返してごめんね」

「いや、構わない」


 最初から長居するつもりはなかったのでそれは一向に構わない。寧ろ引き留められなかっただけ有り難いとすら思う。

 帰った方がいい。それはわかるし、是非ともそうさせてもらいたいのだがそれには障害があった。言うまでもなく、男だ。男がずっとドアの向こうで怒鳴っていて、出られそうにない。ドアを開けた途端に殴り込んで来そうだ。それがわかっていて、ドアを開ける気にはなれない。そんな藤間の考えを察したのか、菊池は苦笑しながら部屋の窓を指差した。


「窓から屋根を伝って出て、玄関に回って靴回収してから帰ってもらうっていう形になるんだけど……」

「まあ、そうなるな」


 他にいい方法は思いつきそうもない。


「ごめんね、手間かけて」

「……たまには屋根の上を移動するのも悪くない」


 申し訳なく思い続ける菊池にどう返せばいいのかわからず、フォローになっているか怪しいことを口にした。すると菊池は苦笑を返す。フォローは失敗したらしい。そもそもそういった行為は不向きなのだ。仕方ないということにしておこう。

 藤間は窓を開けると静かに足を乗り上げる。あまり派手に窓から出ると、男に気付かれて回り込まれる恐れがあった。男の狙いは菊池だろうが、その怒りが藤間へ飛び火しないとは言い切れない。だから出来るだけひっそりと出て行くべきだ。出来るだけ音を立てないように屋根へと降りた藤間へ、菊池は言う。


「あ、ストラップはまだ預かっててね。また取られたりしたら嫌だから。あの子と決着が着いたら取りに行くわ。それまで真司が預かってて」


 家族なのに、菊池は決着をつけるのだと言う。家族とは思えない不穏な言葉に思わず不安がよぎったのだが、やはり藤間が立ち入れることでもない。だからそれについては触れずに、室内から藤間を見送っている菊池を見た。


「本当に、疑って悪かった」


 申し訳ないと思う。どれくらい謝罪しても足りないなら暇がある度に言ってみたくなる。菊池からしてみれば鬱陶しいだけなのだろうが。所詮は自己満足だ。自己満足のために菊池を困らせている。


「いいよ、信じてくれたんだし」


 あまりその話題を繰り返す気がないのか、それだけ言うとゆっくりと窓を閉じ始めた。それから窓に触れていない方の手を左右に振る。


「じゃあね」


 まるで最期の別れであるかのように名残惜しそうに手を振りながら、菊池は部屋の窓を締め切った。


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