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お前は誰だ

 書店からは寄り道をせずに真っ直ぐ帰ったのだが、それでも菊池の到着には間に合わなかったようだ。藤間が帰宅すると、玄関前で菊池が既に待っていた。藤間が帰ってきたのを視認した途端、にこやかに手を振る。やはりその様子は女性にしか見えなかった。


「やほー!」

「何でそんなにテンションが高いんだ」


 最初から露骨に警戒心を滲ませるのもどうかと思ったので何事もなかった風に答える。


「中に入って待っていてもらっても良かったんだが」

「いやー、私もそうしようかと思ったんだけど家に誰もいないみたいで入れなくて」

「……そうか、悪い」


 家に誰もいないばかりに菊池には風の強い中待たせてしまったらしい。申し訳ない。こんなことならどこかの店を指定するべきだったか。そんなことを今更考えてももう遅いのだが。

 これ以上外で待たせてしまうのもどうかと思うので、玄関まで早足で歩いていく。それから普段持ち歩いている鍵を取り出すと早々に開錠した。


「入れ」

「お邪魔します」


 両親が不在で家に招くとなればドキドキの展開に思えてくるかもしれないが菊池は男なのでそんなドキドキは一切ない。いや、男かもしれない、とすべきか。先程の出来事で確証が持てなくなった。この菊池には男らしさなど欠片もないのだ。疑うなという方が無理な話だ。

 菊池は藤間に続いて家へ上がり込むと丁寧に靴を揃えて玄関の端へ置く。こんなところも男らしくない、というのは世の男性に失礼だろうか。だが高校生くらいで靴をきちんと揃える男子高校生はあまりいないと思うのだ。偏見でしかないが。

 後から上がったくせに、菊池は藤間を追い抜くと階段を駆け上がっていく。そし藤間の部屋へ勢いよく入っていく。藤間はまだ階段を上っている途中なので見えないが、ベッドへダイブする音が聞こえた。はしゃぎすぎだ。


「自由過ぎないか」

「んー? ごめーん、距離があってよく聞こえないー!」


 部屋の中から聞こえてくる菊池の声は僅かだが大きくなったり小さくなったりする。ベッドで転がっているのだろう。今日はいつにも増してテンションが高い気がする。こんな上機嫌な時に重々しい話を切り出すのも気が引けるものがある。そんなことを思いながらようやく部屋へ辿りつくと、やはり菊池がベッドの上でごろごろと転がっていた。


「制服に皺がつくぞ」

「いいのー。大丈夫」


 いいのか。まあ、本人が大丈夫だと言うのならこれ以上は何も言うまい。制服がどうなろうと藤間の知ったことではない。

 今回もちらちらとトランクスが覗いているのだが、言っても仕方がないだろう。かなりげんなりしながらもスルーしておく。今やるべきことは小言を言うことではないのだ。目的を間違えてはいけない。


「……」

「きゃーい」


 さりげなく、さりげなくだ。重い話を始めることを悟られないように、さりげなく。出来るだけ重い口調になってしまわないように注意しながら、さりげなく話を変えた。さりげなさを考慮するあまり、むしろさりげなさが損なわれていたかもしれないが、口にした方である藤間にそんなことがわかるわけもない。


「……そういえば、昔刺繍をしたのを覚えているか?」


 何気なく話を振ったつもりだったが不自然だったのか、菊池の寝返りが止まった。怪しんでいるのだろうか。もしくは、記憶を辿っているのかもいれない。知らないのかもしれない。

 そんな疑心を藤間が抱き始めたところで菊池がようやく口を開いた。


「そうねえ、そんなこともあったわ。懐かしい」

「……」


 それだけの返答があるまでの間が怪しさを増幅させる。それは考える必要のあることなのか。記憶にない情報だから当たり障りのない返答を考えていたのではないのか。考えれば考えるほど、そうであるような気がしてくる。

 同時に、やはりこの菊池は本物なのではないかとも思う。菊池は確かに同意したのだ。そもそも菊池の名を語って利益があるとも到底思えない。相手が藤間であるなら尚更だ。目的が読めないのだ。だが、本屋の菊池はあのストラップを持っていた。あれは何よりの証拠だ。あれが彼の元にあるということは揺るぎようがない。それなら目の前にいる菊池こそが偽物なのだろうか。

 その疑心を露骨に態度に示すわけにもいかず、藤間は何事もなかったかのように話を続ける。藤間は菊池の発言に疑いなど持たなかった。良し、それでいい。そのつもりで続けよう。


「今日、書店へ行って来た」

「そんなこと言ってたわね。いい参考書は買えた?」


 恐らく他意などないだろう。菊池はそんなことを問う。だがその問いへ答えることはなく、藤間は話を続行した。やや一方的ではあるが、回り道をするつもりは毛頭なかった。無駄なやり取りをしても揺らぐだけだ。だから真っ直ぐに続けた。


「そこで菊池俊輔そっくりな男を見つけた」

「……………………へえ」


 たっぷりの沈黙の後に、それだけの相槌。菊池が何を思ったのかは知らない。


「私みたいに絶世の美女だったの?」

「いや、至って普通な格好の男だ。昔の菊池俊輔の面影が濃い気がした」

「……そう」


 さっきから菊池の言葉は何かと歯切れが悪い。藤間はそれについて何も言わなかったし、菊池はそれを隠す気がないようだった。不自然を自覚していて、気付いていて、それでも何も言わない。奇妙な図であることに間違いはなかった。

 菊池は馬鹿みたいな態度を崩さない。それが素なのか、それとも装っているものなのかすら、藤間にはわからなくなっていた。それほどまでに疑心に包まれ始めている。


「それで、だ」


 いよいよここから本題だ。急に喉が渇く。口の中が粘ついて、声が喉に絡まった。水分が欲しい。だが水分を摂ったところでこの症状が僅かばかり治まるだけだ。気休めにしかならない。それにわざわざ水分を摂りに行って話の腰を折るのもどうかと思う。だから藤間は渇いた喉のままに続けた。緊張が伝わってしまっているのか、耳を傾ける菊池の表情も心なしか硬い。


「その男が、あの刺繍のストラップを持っていた」


 ぎし。

 藤間が言い終わるか終わらないかのところで、菊池がベッドの上で身を起こした。その表情は驚愕に満ちていて、何故か瞬時に怒りの色へ塗り変えられた。菊池は腰を上げるとベッドからも立ち上がろうとしていたが、前へ体重をやったところで動きを止める。それまでは怒りに支配されていたようだったが、我に返ったらしい。はっ、とした表情になると再びベッドへ腰を下ろした。何なんだ。


「それがどうしたの?」


 つい先程まで百面相をしていたくせに、菊池は何事もなかったかのように続きを促した。藤間の言いたいことが他にあることがわかっているのだろう。それなら話は早い。内容まで察しているかはわからないが。


「それで、声をかけた」

「うんうん」


 動揺を隠そうとしているのか、菊池はこれまでより明るく相槌を打つ。


「だが俺のことは知らないと言った」

「そうなの。それは大変だったわね」


 どこまで感情が籠もっているのか。形ばかりの同情の言葉を無反応で受ける。


「でも菊池俊輔だ。そうでなければあのストラップを持っているわけがない」


 作ること自体は出来るだろう。だが、それを作って持ち歩くことに何の意味があるのか。菊池に似た男がそれを持ち歩いていたとするならば、それは菊池だと考えるのが自然だろう。彼が菊池でない可能性の方が余程低い。二つの可能性が浮上したとして、可能性が高いと思われる方を信じるのはおかしなことではない。そうだ、これは当然の疑惑だ。そう自身を肯定しないと揺らぎそうになる。

 菊池はそこまで聞くと、急ににんまりと笑みを作った。おかしくて笑った、というわけではないのかもしれない。笑っているのに、楽しそうには何故か見えなかった。


「あー、私、真司の言ってた大切な話の内容がわかっちゃった」


 わざとなのか、これまで出したこともないのような甘ったるい声で菊池は言う。それだけを聞けば嬉しそうとも取れるのだがその割にはオーラというか雰囲気というか、そんなものが決して喜んでいるとは思えなかった。歪なのだ。何がどう歪なのかは説明できないけれど。

 どうこのもやもやを言葉にしようかと考えているところで、菊池がそれよりも早くに口を開いた。


「なあ」

「やめてよ、聞きたくない」


 照れ笑いのような体をしつつも、菊池は明確な拒否を示した。それからやんわりと両手で耳を塞ぐ。聞きたくないというのは本当らしかった。そんなことをしても何も変わらないというのは菊池もわかっているだろうに。いくら拒否されようとも今更引き返すわけにはいかないのだ。


「お前は誰だ」


 菊池の拒否を無視して、問いを投げかけた。菊池からの反応はない。聞こえないふりだろうか。そんなことでは何も解決しないのに。

 それでも聞こえてはいるのか、菊池は急に表情を消す。まるでこれまでの表情全てが演技であったかのような錯覚さえ覚えた。否、本当にそうだったのかもしれないが。それを確認する術は藤間にはない。


「……まあ、それだけ証拠があればね。真司のことを責めるつもりはないよ。いや、本当にね」


 それだけ言うと菊池はおもむろにベッドから立ち上がった。それから出口に向けて歩き出す。どうやらこれ以上話をするつもりはないようだった。引き留めて話をするべきだろうかと迷ったが、無理矢理引き留めても話にはならないだろう。だから止めることはしなかった。すると菊池はドアノブへ手をかけたところで振り返った。


「今日は帰るね。何言っても信じてくれないと思うけど」

「……」


 信用がないらしい。まあ、疑っておいて信用も何もないと思うが。だから何も返せないでいると菊池は構わずに続けた。


「でもね、出来れば信じて。菊池俊輔は私だよ」


 菊池は続ける。


「今は無理だけど、証明するから。それまで待っててね」


 これまでの菊池と同じように、底の見えないくらい明るい笑顔で手を振ると菊池は出て行ってしまった。規則的に階段を降りる音がだんだんと遠のいて行って、それから玄関のドアが開く音が聞こえた。帰ったらしい。


「はあ……」


 結局、どっちなんだろう。菊池は否定した。だから信じるべきなのだろうか。男は藤間のことを知らないと言った。さっきの菊池は自分が菊池だと言った。それだけを見れば何を信じればいいのかなんてわかりきっているのに。


「はあ……」


 それでも結論は出そうにない。


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