訂正すら手遅れ
「お風呂入って来たら言うって。だからお風呂行ってらっしゃい」
有無を言わせずに菊池は手を振る。まあ、そこまで気になっているわけではないし、教えてくれるというのなら戻って来てからでもいいだろう。どうやら出て行ってほしいようなのでそれに応えよう。
「あ、ドライヤー使っていい?」
「好きにしろ」
ドライヤーでもアイロンでも好きにすればいい。好きにしてくれ。それだけ返すと藤間はようやく部屋を出ることが出来た。階段を下りていると早速ドライヤーを吹かす音が聞こえる。早いな。
「……ん?」
階段をほぼ下りたところで、下では父が待ち構えていた。腕を組んで仁王立ち。よくわからないが怒っているらしい。そもそも帰って来ていたのか。
「どういうことだ」
「何が」
何かを問いただすなら主旨がわかるように問うべきじゃないのか。思わず問い返したところで父は依然憮然とした態度のままでその問いに答えた。
「高校生なのに自宅に女を連れ込むとはどういうことかと聞いているんだ」
「…………」
父も誤解をしているらしい。菊池と顔を合わせたのだろうか。菊池はそんなことは言っていなかったが。それとも母経由で聞いたのか。後者の方が濃厚そうだ。菊池は遭遇したなら何か言いそうだ。ここは反論をしてみるべきだろうか。信じてもらえるかは怪しいが菊池が旧友で男だということを訴えてみればもしくはわかってもらえるかもしれない。なんて思ったりもしたのだが、上の階の自室からドライヤーの音が聞こえてきたことによって父の眉間の皺が寄った。ああ、これは信じてもらえそうにもない。誤解を解こうとするのは諦めた方がいいかもしれない。
「どういうことって……」
頼まれたからだ。それ以上に説明しようがないが、そもそも父は菊池が女だということで引っ掛かっている。菊池は女ではないのだからその問いに答えろと言われても無理な話なのだ。かと言って、何の釈明も無しに解放してもらえるとも思えない。父の横をすり抜けて風呂に向かったところで後を追ってくどくどと説教を続けるのだろう。それならいっそ全てを認めて真摯な姿勢で対応した方がまだ希望が見えてくる気がする。寧ろそれしかない気がする。苦肉の策だが仕方ない。
「困ってから泊めただけ。勿論何もしないし、大切にして清く付き合うから」
こう言えば父は満足するだろう。そう思う言葉を棒読みになってしまわないように注意しながら口にする。菊池が男であることを信じてもらえず、かつ説教を回避するためにはこうするしかない。かなりの苦肉の策だ。これでいざ菊池が男であるとバレた時、藤間の家庭での立場が危うくなる。だが今はこうするしかないのも事実だ。
藤間の読み通り、父はいくらか雰囲気を和らげた。菊池がいる以上、怒鳴り散らしたりということはしないとは思ってはいたが、こうもあっさり引かれると拍子抜けする。まあ、あっさり引いてくれた方がいいのだが。
「本当だな?」
藤間の言葉を、父は念押しする。念押しされるまでもなく、破ることの方が遙かにハードルが高いのだがそれは言わないでおこう。
「本当に」
だから早く入浴させてほしい。そんな藤間の本音など知るわけもなく、それでも納得してくれたのか頷いた。
「……それならお前を信じよう」
「うん」
父の心配は杞憂でしかないのだが、信じてもらえたのなら良かった。父は話が終わったからなのか、少し脇に逸れて道を開けてくれる。もう通ってもいいらしい。
「風呂、入って来る」
「ああ」
父の横を通って風呂へと向かう。一時はどうなることかと思いはしたがなんとかなったようだ。この調子なら菊池を泊めていても何の問題もないだろう。そんなことを考えて、藤間は脱衣所へ通じるドアを開けた。