留守電設定しとくといいよ!
食事が終わって、勉強を再開したところだと思う。食事は足りないだろうとは思っていたのだが案外足りたようで、おかわりに行くこともなく完食した。黙々と勉強を始めたところで、その勉強を邪魔する出来事が起こった。
「……ん?」
不意にベッドに転がっていた菊池の携帯が鳴り始めた。流行りの女性シンガーが歌う、ドラマの主題歌にもなっている曲がサビから延々と流れる。同時にバイブレーションもするものだから集中を阻害されてしまった。
「着信か」
こんなことなら持って行ってもらった方が良かったか。何にせよ持ち主でもない藤間が勝手に出るわけにもいかない。応答がないと来れば相手も諦めて電話をしてこなくなるだろう。そう決め込んだ藤間はまた勉強を再開した。だが思惑は外れた。
「♪♪♪」
延々と曲は流れ続ける。自動で留守電に切り替わる設定になっていないのか、延々と。
「……」
「♪♪♪」
苛立つ。曲は鳴り止むことはなく、最後まで流れ切ってしまった。ようやく止まるのかと思ったが曲はまたサビから流れ始めた。どうやら曲が終わったからといって終わるわけではないらしい。
「♪♪♪」
曲は続く。鳴り止む気配はない。普通ならそろそろ諦めてもいい頃だろうに、電話は鳴り続ける。
「♪♪♪」
「くっ……」
思わずベッドへ駆け寄ると、携帯を布団で包み込む。これで布団に邪魔をされて音は届きにくくなった。それでも絶え間なく続く音楽は藤間の勉強を阻害するには充分すぎる。
「…………」
苛立つ、苛立つ。無視してやろうかとも思ったがあっさりと限界が来た。元々そこまで我慢強い方でもないのだ。それに勉強の邪魔をされているとなれば苛立ちは簡単に最高値を更新する。最も愛している時間を邪魔されて苛立たない人間などいないだろう。
「このっ……」
マナーモードにしてやろう。布団から携帯を引っ張り出すと、開いてディスプレイ画面を見る。
「ん?」
ディスプレイには「ストーカーさん」と表示されていた。登録名だろう。そういったあだ名なのだろうか。菊池が言っていた、言い寄ってくるストーカーだという線もある。むしろそちらの可能性の方が高い。そうだとすれば着信拒否すればいい話だと思うのだが。
マナーモードにしてやろうと中央のボタンを押したところで、暗証番号を入力してください、の画面へ切り替わった。どうやら勝手に操作が出来ないようにロックがかかっているらしい。これではマナーモードにすることが出来ない。なんてことだ。
「♪♪♪」
そうこうしている間にも着信音は続く。曲に連動してバイブレーションも続き、益々苛立ちは募る。
「くっ……」
「♪♪♪」
もう、こうなったら最後の手段だ。出来るだけやりたくはなかったがこの際仕方がない。
藤間は携帯の通話ボタンへ手をかける。こうなったらもう、電話に出てしまおう。さっさと電話に出て、菊池が今は電話に出られない状態だということを伝える。そうすれば流石に時間を置いてかけ直してきてくれるだろう。幸いにして通話ボタンを押すだけならばロックは適応されないらしい。そうなればもうこの手しかないだろう。多少の罪悪感は覚えるが止むを得ない。
「はい、もしもし」
「お前、誰だ」
とりあえず事情説明から入ろうかとしたところで間髪入れずに問われた。菊池の電話に知らない男が出ればそう思うのはわからなくもないのだが、もう少し待ってほしい。藤間だって電話に出たくて出たわけじゃない。
「菊池の友人です。菊池は今ちょっと手が離せそうにないので時間を置いてからまた電話をしてきてもらえますか」
相手が年下なのか年上なのかイマイチわからないのでとりあえず敬語を使ってみる。いきなり誰だと言ってくることや声からして年下のような気もするのだが声だけで判断するのは良くない。声と年齢は合致しているとは必ずしも言えない。
風呂に入っていると正直に言うべきだっただろうか。いや、しかし入浴しているなどというのはプライベートなことでありよく知らない人間にほいほい言うのはいかがなものかと思う。菊池とこのストーカーさんとやらがどんな関係かわからない以上無難に済ませておいた方がいいだろう。
「……」
電話の向こうの相手はしばらく無言だった。電話を掛け直すかどうか考えているのだろうか。考えるも何も、菊池がここにいない以上掛け直してもらうしかないのだが。
「あの」
掛け直してほしい旨をもう一度伝えようとしたところで、ようやく向こうに動きがあった。だが言葉を発したわけではない。ストーカーさんは一言も発さないまま、一方的に通話を終了した。ぷつっ、という切断音だけが藤間の耳に届く。
「……何だったんだ」
掛け直すにしても一言くらいあってもいいだろうに。結局一言しか聞くことは出来なかった。声からして男性だろうが、誰に対してもああいった対応なのだろうか。目当ての菊池ではなく何の関係もない藤間が対応したのだから機嫌を損ねてしまうというのもわからなくもないが。それにしたって酷い気がする。
「…………まあ、いいか」
考えても仕方がない。もう過ぎたことだ。過ぎたことにぐだぐだ言うより今はやるべきことがある。
「勉強するか」
騒音もなくなったことだし、これで思う存分勉強をすることが出来る。菊池もしばらくは帰って来ないだろう。女の入浴は長いと言うし。いや、女ではないが女のように生活している以上、入浴は長いだろう。
「よし」
勉強をしよう。藤間は携帯と閉じるとベッドに置いてから机へ戻る。余計な時間を費やしてしまったがここからは勉強の時間だ。さあ、勉強しよう。