3:ゴリラ
次の週末、稜の指定した場所へ行った。もちろん、こんな約束にのるのはよくないことはわかっている。一度、少し話しただけの男とふたりきりで会うなんて。けれど、稜についていくつかのことがどうしても私の好奇心を煽り、私はどうしても行かずにいられなかった。「鬱病」と「紗弓」がキーワードだった。
好きな人や憧れの人と待合わせをしているようなドキドキは、もちろんなかった。稜はまだ9月の半ばだと言うのに、厚手のウールのセーターにコーデュロイのパンツという、明らかに変な格好で現れた。
「暑くないの?」
と聞くと、
「淋しい人間は寒がりなんだ。」
と、言葉どおり淋しい笑顔で答えた。そう言われてみると、私も寒がりだった。冬になるといつも手足が冷たくて、触れた人は驚いてしまう。でも、自分を淋しい人間だと思ったことはなかった。淋しいと思うことはたくさんあるけれど、淋しい人間ではないはず。
それとも私は実は淋しい人間なのだろうか。たとえばどんなに友達とはしゃぎまくっていても、突然すーっと波が引いていくように昂ぶっていた気持ちが冷める。そのギャップに時々参るけれど、やっぱりきっと誰もがこんな気持ちになるのだろうと思っていた。こんなふうに感じる人間を、淋しい人間と言うのだろうか。
「淋しくない人間なんていないんだよ。」
稜は言った。
「人はみんな淋しい、なんていやだわ。」
「淋しくない人間なんていない、って言ったのさ。」
「じゃあ、私も淋しい人間なわけ?」
「ああ、もちろん。」
ちょっとショックだった。他人から言われると、すごく重い言葉のように感じた。しかしその後ふっと、こんな議論が無意味のことのように思えた。
「バカみたい。」
「何が?」
「こんなこと話していたって、何にもならないわ。」
稜は、確かに、という顔をして
「バカみたいな事実が、結構重要なんだ。」
と言った。そして、
「人生はバカみたいな事実の積み重ねだ。」
と強く、でも悲しげにつぶやいた。どんなに背伸びをしても、いくら私の思考が早熟だとしても、稜のこんな難しくて意味不明のセリフは刺激的だった。
「これから動物園に行かないか?」
と稜が急に言った。
「何で?」
「ゴリラが見たいから。」
ああ、この人は病気なんだなあと思った。心のどこかが少しだけ壊れている。そんな感じがした。
断ってしまうと、稜がとても悲しむような気がしたので、「私も見たい。」と答えた。
稜は、そうだろう、という顔をして、背中を向けて歩き出した。
土曜日の午後の動物園は、家族連れで混んでいた。稜は行列のできているパンダ舎には目もくれず、どんどん歩いて行った。時折振り返って、遅れてついて行く私の姿を確認しながら。
私は立ち止まって、さっさと歩いて行く稜の背中を見た。妙な感じがした。悲しいような、途方に暮れるような。
この感じは私にとって初めてのものではなかったから。というよりも、今までに何度も味わったことのある感覚だった。
こんなふうに、私は小さい頃、何度か母に置き去りにされたことがあった。公園で遊んでいると、母の姿が見えないことに気付き、大泣きしながら探し回ったのを憶えている。母はぼんやりとしたままその場を離れ、途中で私が一緒だったことに気付いて今度はパニックになり、大騒ぎをして私を探していた。そのどんなときも、母は私を置き去りにするようなつもりはなかったはずだ。ただそういうときはいつも、自分のことだけで心がいっぱいになってしまって、私がいることをつい忘れてしまっていただけなのだろう。
母は不安神経症だった。
若い頃からそうだったのかどうかはわからないが、私が物心ついたときには、もうなっていた。だから私は、母にはなるべく心配をかけてはいけないと、幼い頃からずっとそう思ってきた。時々不安定になり、私はよく母方の祖父母の所へ預けられた。そんなときも、子供ながらにいつだって良い子にしていなければ、と思っていた。
ゴリラは、こちらに背を向けて座っていた。なにかをするようでもなく、ただじっと座っていた。
「ほら、人生について考えている。」
稜は柵にもたれかかりながら言った。
「何でそう思うの?」
「それしかないからさ。」
稜は私の質問に真面目に答える気はないようだった。
「人生の何を考えるの?」
「これからの人生をどう生きるかさ。」
稜の話すことは全て曖昧すぎて、私は少し苛立った。私は急に馬鹿馬鹿しくなり、
「もう帰るわ。」
と言ってその場を離れた。稜は追いかけてこなかった。それも何だか変な感じだった。一体彼は何の為に私を呼び出したのかさっぱりわからないまま、私は家に戻って残りの週末の時間を過ごした。