2:稜
私の通っている高校の規定では、忌引きの欠席が認められるのは三日間だった。この三日間を母の傍で過ごし、私は学園の小さな寮に戻る。
この学園は父が選んだ。全寮制の学園と聞くと、厳しい校則に縛られているように思われがちだが、やることさえきちんとやっていればどうにでも羽目の外せる環境だった。やることとは、しっかり勉強をしてルールを守る、ということだった。
週末には家に帰ることが許されている。1週間のうち2日間。もっと細かく言えば1日半、私たち寮生は、大手を振って自由になれるのだ。
もちろん、いまどきの高校生なんだから、ほとんどの子は家になんか帰らない。中にはインターネットの出会い系サイトにはまっていて、毎週違う男の人と会っている子もいるし、援助交際をしている子もいる。けれどそのほとんどの子が、ただそれだけのことで自分の将来や人生をだめにしない、そういう意味では知能犯的な頭のいい子ばかりだった。そして誰もがこの週末を楽しむ為に、平日は模範的な女子高生だった。
かつて私には恋人がいた。それも、24歳も年上の。17歳の私の恋人にしたら、あまりにも不釣合いだと思われるだろう。父娘くらいの年齢の差はあるのだから、実際、ジェネレーションギャップはものすごく感じるし、おじさんだなぁと思うことはよくあった。肌には張りが無いし、タバコの匂いが身体に染み込んでいるような感じもする。身近にいるおじさんと言えば父だが、父はタバコを吸わなかったから、そんな匂いはしなかった。
恋人は、村上 稜司といった。私は稜と呼んでいた。なんて呼ぼうか散々迷ったが、本人が「稜でいいよ。」と言ったのでそう呼ぶことにした。
私と稜は、図書館の中で出会った。そのとき私は、父と一緒だった。私は、父が調べ物をしている間、図書館の窓際にある、一番日当たりのいい私のお気に入りの席で、本を読んだりぼーっとしたりしていた。別に本を読むことが特別好きだったわけではなく、父と一緒に居ることがとても好きだったし、父は大学で教授をしていて、世間では少し有名で、そんな父を私は誇らしく思っていた。私は少し、というかかなりのファザコンなのだ。私がぼーっとしていると、稜が「ここ、いいですか?」と私の前に座ろうとした。「人が来ますから。」と言うと、「じゃあ、いらっしゃるまで。」と言い、そのまま座った。別に危ない感じの人ではなかったし、他に空いている席を探すのも面倒なのだろうと思った私は、強くは拒否しなかった。私は私で、彼を無視して読みかけの本に目を落とした。
ふいに稜が、「飯田椿さん。」
と言って微笑んだ。
「どうして名前知っているんですか?」
と驚いて尋ねると、
「だってココに書いてあるから。ひばりが丘学園なんて、お嬢様なんだね。」
と、テーブルの上に置いてあった私の図書カードを指差した。私はなんだか気持ち悪い感じがして、早く父が戻ってくればいい、と思った。
「少しお話しませんか。」
稜は、頼み込むような顔をした。私は、
「席を移動してくれませんか。」
と言った。
「少しでいいんです。」
「じゃ、私が席を移ります。」
荷物を抱えて席を移ろうとすると、稜は私の腕を掴んで、
「しばらく誰とも話をしていないのです。ほんの少しでいいから、話し相手になってくれませんか?」
と言った。誰とも話さないなんて、都会ではいくらでもありそうな状況だった。けれど、そんなことをわざわざ人に言うこと自体がなんだか不思議に思えて、逆に私は興味を持った。
「しばらくって、どれくらい?」
「半月と少しかな。」
左手の薬指が光っていた。
「でも、奥さんがいるんでしょう?」
「旅行に出てるんだ。」
「ふうん。」
「仕方がない。僕は重度の鬱病だから。」
稜がまた奇妙なことを言った。
「僕の家にはね、ひとつだけ窓のない部屋があって、鬱になるとその部屋にずっとこもって、誰とも会わない。この2週間、ずっとその部屋にこもっていたんだ。」
こんな奇妙な出会いだった。本当なら、それで終わってしまうような出来事だったが、1週間後に女の人の名前で、寮に手紙が届いた。次の週末に会いたいという書いてあった。そんな誘い方をされたことよりも、差出人の名前が気になった。「村上 紗弓」。紗弓という名前は珍しい。けれどそれだけではなく、稜の言葉や行動と同じように、その名前は喉に突き刺さった魚の骨みたいに心に引っかかった。どうしてかは、わからなかった。




