1:洗礼
夢だったのかもしれない。
記憶のどこか、深く遠い場所に忘れられない光景がある。
誰か、優しい女の人が私の名を呼んでいる。顔はわからない。ただ、その人の長い髪がとてもきれいで、ショックにも似た気持ちを抱いたことを憶えている。
父の祭壇に白い花を手向ける人々の背中を見つめながら、私はそんな光景のことを思い出していた。淡々としていて、どこか機械的な人々の動きは、なんだか少し感動的で美しかった。
母のすすり泣く声が、時々隣りから聞こえた。
父が亡くなった瞬間から、それまで気を張り詰めていた母は急に老け込み、魂が抜けたような感じになった。あまりものも言わず、食事も摂らない。
私には不思議と、悲しいという気持ちは強く湧き起こってこなかった。父を失うという悲しみは、このときにはもうすでに私の中を通過していってしまっていたのだ。
私は来るべき事実の前にただ立っている、という感じがしていた。「覚悟」ができていたのだ。
あの記憶がいつ頃のことだったのか、またはいつ頃見た夢なのかわからない。思い出そうとしても、記憶の深層へ手が届かない。
それでも何となくわかるのは、もしかしたら私はそのとき、子供だったのかもしれないという感覚だけだった。
父の発病は、当然のことのように思えた。気付いたときには、もうどうすることもできない状態にまでなっていた。
亡くなる1ヶ月ほど前だろうか。父は突然、キリスト教の洗礼を受けたいと言い出した。母は何故か猛烈に反対した。
父に逆らったことなどない母の、初めての反抗だった。
洗礼を受けたい理由を、父ははっきりとは口にしなかった。猛烈に反対する理由を、母もはっきりと言わなかった。父は、「穏やかな気持ちでこの人生に別れを告げたい。」とだけ言った。私はどちらでもよかった。父がそうしたいと思うのなら、他のどんなことも好きなようにしたらいいと思っていた。そして父は、ロッカーの中にある鞄を取って欲しいと言った。父がその鞄の底から真新しい聖書を取り出したとき、母は泣き崩れた。あんなに泣いた母を見たことはなかった。
それは、夫が死の淵にいるという悲しみとは異質の涙のように思えてならなかった。何故そんなに泣くのか、私には全くわからなかった。それよりも私は、父がすでに聖書を持っていたということに驚いていた。
父は、点滴の刺さった細い腕で、母の頭を力なく撫でた。そして、「これが最後のわがままだ。」と言った。その父の言葉について、その晩母は言った。
「あれは最後のわがままではなくて、最後の仕打ちだわ。」と。
このとき、かつて二人の間に私の知らない、何か黒くどろどろした重要な出来事があったに違いないと思った。
洗礼の際、父は自宅から少し離れた街にある教会を指定した。
そう、今葬儀が執り行われているこの教会。そして私は、洗礼を受けたい旨を書いた父の手紙を、この教会の神父様に渡した。
父が何故この教会で洗礼を受けたかったのかわからない。父とどんな縁があったのか、もしくは何も縁などなかったのか、その理由を聞きそびれたことを、私は少し後悔している。
そして数日後、洗礼式は病室で執り行われた。私と主治医の先生が立ち会った。母は、出席しなかった。四月の暖かい陽射しが、窓から病室いっぱいに差し込んできた。その光は神父様の祈りの言葉を包み込み、ベッドの上で上半身を起こして座っている父の身体も包み込み、なんだか祝福しているようにさえ見えた。このとき私は、本当に父は死んでしまうのだと思った。
父の死というものが、洗礼を受けている父を見たときに初めてリアルに迫ってきた。
その日の午後、私は病院の屋上で思い切り泣いた。散っていく色褪せた桜の花びらが、足元で風に舞った。こんな高い屋上まで舞い上がってくるのかと、ものすごく感慨深く感じた。そのときの私のどんな気持ちも全て父の死に繋がっていて、見るもの全てが美しく悲しく映り、どんなことも記憶に留めておきたい、そう思った。
献花の列は終わりに近付いていた。黒の帽子にチュール・ベールをつけて、長い髪をおろして顔をほとんど隠している女性が、祭壇の前へ進んだ。彼女は立ち止まり、白い花に縁取られた父の遺影をじっと見つめていた。それはほんの数秒のことだが、私にはとても長く感じられた。ベールに隠れて顔はほとんど見えないが、きれいな人であることはわかった。そして彼女は花を手向けると、私たちのほうへ深々と一礼をした。
そのとき、頭の奥でジジジ、と何かが動くような気がした。
ああ、あの長い髪。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。もしもあの記憶の彼方の光景が現実のものだとしても、確証は何もなかった。ただ、この女性と会うのは、初めてではないかもしれないという気はした。女性の一礼に私も軽く頭を下げようとすると、身じろぎもせずのその人を凝視している母の姿があった。