舌打ち
舌打ち
チィッ!
『お部屋探し』という作品を書いたとき、僕はふと、ある話を思い出したがそれは、相変わらず、断片的な記憶でしかなかった。
人はどんなときに舌打ちをするのだろう。
「しまった!」と思ったときや「畜生、期待が外れた!」と思ったときか、いずれにしても不愉快なときに、ついうっかり、やってしまうのが、舌打ちである。これからお話しする内容は、僕がとある雑誌に掲載された、ほんの小さな投稿記事に書いてあったことをもとにしたもので、今となっては、その詳細なディティールは覚えていないし、どんな雑誌だったのか、どんな主旨の投稿だったのかもあまりよく覚えていない。たぶん、オカルト系の雑誌の恐怖体験募集とか、そういった類のものだろう。
話は、こうである。それは二人の姉妹のうち、妹が雑誌に投稿した記事である。
私には、3つ上の姉がいます。今日ご相談するお話は、その姉に関することなのですが……。
それは、私が高校受験を控えて、毎晩遅くまで受験勉強をしていたときのことでした。その時は、寝ぼけていたのだと、それほど気にしていなかったのですが、先日、ちょっとしたことで、あの夜のことを思い出し、ぞっとして……それで、どうしたらいいか、わからなくてこの手紙を書きました。
まずは、その夜のことをお話します。姉と私は小さいころからずっと同じ部屋だったのですが、私は、受験を控えて少し神経質になってしまい、事あるごとに姉と喧嘩をしていました。
死んでしまえばいいのに
いなくなればいいのに
そんなことを、考えてしまうこともしばしばありました。ところが、ある頃から急に姉が私に優しくなり、喧嘩をすることもほとんどなくなりました。不思議には思ったのですが、きっと姉が受験を控えた私に気を使ってくれたのだと、そう思っていました。
受験を一週間前に控えたある夜のことです。時計は夜中の2時を回っていました。数学の問題がうまく解けずに、少し横になるつもりが、そのままうとうととしてしまったようです。私と姉のいた部屋は、2段ベッドの横に勉強机が二つ並べてあり、姉は2段ベッドの上の段に寝ていました。受験勉強を始める前までは、逆だったのですが、実は喧嘩の発端は、このベッドの位置でした。私は受験の間だけでも下の段を、使わせてほしいと姉にお願いしたのですが、姉はそれを断固として拒否したのです。でも、受験直前に姉は、快く別途の位置を交換することを引き受けてくれました。
勉強に行き詰まると、私はベッドではなく、床にそのまま横になりました。大の字になって天井を見上げていると不思議と頭がすっきりとしたのです。時にはそのままうとうとしてしまうこともあったのですが、たいがいは、寒くて目が覚め、勉強を再開するか、ベッドに逃げ込むのですが……。
薄れ行く意識の中で、私の耳にどこからか誰かの話し声が聞こえてきました。
「おい、そっちは、どうだ」
「まだだ。もう少し、もう少しかかる」
「早くしろ! 今がチャンスだ」
「ほんとうにやるのか?」
「やるさ」
「でも、痛いぞ」
「ああ、痛いさ」
「それでもやるのか」
「ああ、やるとも」
「あの子がいけない」
「あの子が悪い」
「そうとも、やってしまえ!」
「そうだ。やってしまえ!」
「いったい、誰だろう? なにをやるとか、やらないとか言ってるんだろう?」
私は、すっかり寝ぼけてしまっているのだと思いました。起き上がろうとしても体が思うように動かない。夢の中とも、現実ともつかない中で、私はただ、ぼーっと、そのやり取りを聞いていました。声の主は四~五人のようですが、性別や年齢がわかるようなはっきりした声ではありません。ひそひそ話というわけでもなく、ただ、声そのものが小さい。そう、まるで小人が話をしているような感じでした。
「グチャグチャだな」
「あー、グチャグチャだとも」
「無残だな」
「あー、無残だ」
「仕方ないよ」
「そうだ、仕方がない」
「あの子が悪いんだ」
「そうとも、あの子がいけない」
「始めるか」
「始めよう」
「終わりだな」
「そうとも、終わりさ」
なんとなく、恐ろしくなりました。
グチャグチャって何が――。
無残って――。
始まるの――。
終わるの――。
ようやく私の意識が、少しずつ、はっきりしてきました。
これは、夢じゃない。
本当に聞こえている声なの?
誰?
誰かいるの?
私は、どうしようもない不安にかられ、その場から飛び起きました。その次の瞬間――。
ガシャーン!
恐ろしいことに、私が寝ていたその場所に、部屋の電灯が落ちてきたのです。驚いて声も出せずにいる私に、ベッドの上から姉が、大声で叫びました。
「大丈夫ー? 何、何があったの! チーちゃん。チーちゃん!」
姉は2段ベッドから飛び降りるような勢いで、私のところに駆け寄りました。床には割れた蛍光灯が飛散しています。親も何事かと飛び起きてきました。幸い、私にも姉にも怪我はありませんでした。私が何が起きたのかを考えられるようになったのは、翌日のことでした。あの声、あの時聞こえたあの声は一体誰だったのか、もし、あの声を聞いていなかったら、私は今頃……そう考えると受験勉強どころではありませんでした。
勉強に集中できずに、ふと姉の机の上を見てみると、そこには3~4センチほどの身の丈をしたアニメキャラクターの人形がおいてあります。それは当時人気があったガチャガチャのゴム製の人形だったのですが、おかしなことにその人形が、まるで何か、打ち合わせでもしているかのように円陣を組むような並び方をしているのです。
「あれぇー? これって、前からこんなふうになっていたかしら?」
しばらく、その人形を眺めていると私の頭の中に、ある考えが浮かんできました。もしかしたら、姉の人形が私に危険を知らせようとして……、それで、声が聞こえたり、したのかしら? それとも、あの人形たちが私に電灯を落とそうとしたのかしら?
私は迷うことなく、前者の解釈を取りました。そうするしかなかったのかもしれません。もし、後者だとしたら、私は……。私は、恐ろしくて夜も眠れません。でも、その一件以来、何一つ恐ろしいことは起きませんでした。あの人形も、受験が終わる頃には、姉がどこかに片付けてしまったようです。或いは、捨ててしまったのかもしれません。そう、思っていたのですが……。
私は、希望していた高校に進学でき、姉は高校を卒業して大学に進みました。姉は念願の一人暮らしをはじめ、私は一人で部屋を使えるようになりました。その歳の暮れに勉強机や二段ベッドを処分する事が決まり、姉も自分の荷物を整理しに、実家に帰って来ていました。懐かしいもの見つけては、無駄話をするものだから、なかなか片付けが進みません。父が「いい加減にしないと、日が暮れるぞー!」と様子を見に来たあとは、黙々と荷物の整理をしていました。ふと、姉の様子を見ていると姉の荷物の中から、あの時の人形が出てきました。「チィッ!」と舌打ちをしてから、ゴミ袋に捨てたのです。
その「チィッ!」という音。
姉は、めったに舌打ちをしたりはしないのですが、そういえば、あの夜、あの時。私は、その音を聞いたような気がして……。
ちがう! きっと姉は、私のことを呼ぼうとして。
「チーちゃん」って呼ぼうとして……でも、もしかしたら、姉があの人形たちを使ってわたしのことを……。
私は、前者の解釈を取りました。そうするしかありません。だって、今の姉はとても私に優しいんです。とても、とても……。
でも、私は今、もっと大きな問題を抱えています。
それは、そんな姉が今付き合っている彼氏のことを、私、好きになってしまったのです。
私は、いったい、どうすれば、いいのでしょうか。
どうかご相談に乗ってください。よろしくお願いします。
と、話はここまで。
僕は思い出せません。はたして、この話は、何の雑誌のどんなコーナーに投稿された相談だったのでしょうか?
恐ろしいことになっていなければいいのですが……。
チィッ!
おわり
男性から見て 姉妹の関係というのは実に不可解に思えることがあります。この作品のもとになったネタには、僕の記憶が間違っていなければ姉妹という設定はありませんでした。怖いのは呪術なんかよりも、それを使う人間だと、僕は思うのです。