魔法少女
魔法少女
それは僕が小学3年生の時の話。二歳年下の弟と近所の公園で遊んでいるときのことだった。弟はキャッチボールがへたくそで、それでも根気よく、ボールの握り方、投げ方、とり方を教えてあげていた。でも、弟はなかなか思うとおりにやってくれない。弟の投げた球は、とても僕が届かないあさっての方向に飛び、僕はそのボールを追いかけて走った。公園のベンチ。ボールの転がった先に一人の少女がぽつんと座っていた。ボールは彼女の足元に転がった。
「ねぇ、ボール取ってくれる?」
少女は酷く驚いた表情をして、回りをきょろきょろと見渡し、小さく舌をだした。
「ボール、これね。はい、どうぞ」
「あ、ありがとう」
「この町の子?」
「うん、そうだけど、君は?」
「わたしは、ほかの町に住んでいるわ。ちょっと、遠いところよ」
「いま、一人なの?」
「うん、お父さんとお母さんが用事を済ませるからって。だからここで待っているの」
少女はまるでフランス人形のような透き通った白い肌をしていたが、髪の毛は少し重たく感じるくらいに黒々としていた。目はパッチリとしているが、瞳はどことなく日本人のそれとは違うような、色素の薄い色をしていた。着ているものは公園で遊ぶには不釣合いな格好である。町に出るような余所行きの格好。
「おにいちゃん、まだぁ?」
弟がボールを催促する。僕はボールを弟に投げた。
「ちょっとタイム。アキラ、一人で練習してて」
「えー、つまんない」
「いいから、そこのトイレの壁にボールを投げる練習しておけよ。ちゃんとまっすぐ投げられるようにな!」
「おにいちゃんといっしょがいい」
「10回ちゃんと投げられたら、一緒にやってあげる」
「10回?いいよ、わかった」
弟はいつも僕について歩いていた。僕は時々それを疎ましく思っていた。弟と一緒じゃなければ、もっと友達といろんなところで遊べるのに、どこにでもついて歩こうとする弟は必ず最後には足手まといになっていた。
「弟さん?いいの?」
「いいよ、あんなやつ」
「そうなの?」
「いないほうがせいせいするよ。君には兄弟はいないの?」
どういうわけか僕は、その少女に興味を引かれた。それを一目ぼれというには、あまりに僕も少女も幼かった。いや、彼女はもしかしたら、そんなこともないのかもしれないけど。ともかく僕は、弟のことよりも、その少女ともう少し話がしたかった。
「ねぇ、君はいくつ?今、何年生なの?」
「何年生?あぁ、学年ね。わたしの通ってる学校みたいなところは、たぶん、あなたのそれとは違うから、何年生とかないのよ」
「えー、本当に?そんな学校あるんだ。びっくり」
少女は少し笑いながら答えた。
「びっくりも何も。わたしこそ、びっくりよ。私が見えるなんて」
「え?なにが?」
「まぁ、いいわ。どうせ話しても信じてもらえないし」
「だから、何がだよ。信じるとか、信じないとか」
「ねぇ、あなた。宇宙人とか幽霊とか信じる?」
「見たことのないものは信じない」
「へぇ、そうなんだ」
「でも、本当はわかんない。オヤジはいつもそういって、僕が見ているテレビのチャンネルを変えちゃうんだ。本当はUFOとかネッシーとかもっとみたいのに」
「ネッシー?」
「知らないの?ネス湖にいる恐竜さ」
「恐竜?まさか」
「そうだろう?僕もそう思うんだ。そう思うんだけど、いたらすごいなぁって思わない?雪男とか地底人とか」
「じゃあ、魔女とかは?」
少女はとてもいたずらっぽい顔で僕に尋ねてきた。僕はそのあまりのかわいらしさに思わずたじろいでしまった。
「まっ魔女?ほうきに乗って空をとぶの?」
「そんな魔女はいないわよ。そうじゃなくて、魔法を使う女の人」
「魔法?人間をカエルに変えたり、かぼちゃを馬車に変えたりかい?そんなのはおとぎ話や漫画の世界の話だよ」
「そう、やっぱり信じられない?」
「だってさ、もし、魔法使いがこの世に存在したら、もっとすごいことが起きてるんじゃない?」
「もっとすごいことって?」
「うーん、よくわかんないけど、奇跡とか……」
「奇跡は、毎日どこかで必ず起きているわよ」
「あ、そりゃあ、そうだけど、でも、それって小さな事件とかでしょ?」
「魔法はね。誰も望んでないことはかなえられないのよ」
「誰も望んでいないこと?」
「そう、たとえば、世界が平和になりますようにとか、病気で苦しむ人がいなくなりますようにとか、そういうこと」
「えっ、なんで?どうしてそれがダメなの?」
「わかんない。それがわからないから、わたしダメなのね」
少女はとても悲しそうな、寂しそうな表情をした。力なくベンチに腰掛け、空を見上げた。その瞳にはまるで空の青さがそのまま映ったような美しさだった。僕は、しばらくそれに見蕩れてしまった。
「ねぇ?あなたの望みってなに?」
不意に少女が尋ねてきた。お金持ちになりたい。野球が上手くなりたい。そんなことが最初に頭をよぎった。
「ねぇ、お兄ちゃん。まだぁ。ねぇ、もう一人でやるのやだよ」
公園の入り口のそば、トイレの壁にボールを投げて遊んでいた弟がすぐ後ろまで来て、僕をせっついた。
「うるさいな!ちゃんと10回できたのかよ!」
「だって、だって、一人じゃできないもん!」
「できないなら、もう一緒にやってやらない!」
「お兄ちゃんのいじわる!ばかーっ!」
売り言葉に買い言葉。弟に罵声を浴びせるのをこらえられたのは、目の前にあの少女がいたおかげだ。だけど、弟が公園のトイレに向かって駆け出したあと、思わず口走ってしまった。
「あんなやつ……あいつなんか、いなきゃいいのに!」
「そう、そうなの」
その声は、少女の今までのそれとは少し声のトーンが違うように思えた。いや、少女が公園のベンチに座っているのに、なぜかその声は僕の耳元で囁くように聞こえた。そう、空間的な位置関係がずれているのだ。同時になにかとてつもなく嫌な感じが僕の肌を突き刺した。鳥肌が立っている。急にアキラが心配になった。
「アキラ……」
振り向くと、アキラがボールを公園のトイレの壁に向かって投げているところだった。あきらかに暴投とわかるフォームから放たれたボールは、トイレの壁に当たらずに公園を出て、道路に転がる。アキラはそれを無我夢中で追う。そこへ一台の乗用車が……
ボールのフライを取る感覚と同じだ。ボールの軌道、落下点の予測、自分の走るスピード。それらの要素からボールがキャッチできるか出来ないかが予想できるように、アキラが車に撥ね飛ばされる映像が僕の脳裏に浮かんだ。ダメだ、そっちに行ったらダメだ。車はアキラの行動を捉えていない。絶対にブレーキは間に合わない。
「アキラ!危ない!」
叫ぶしかなかった。が、結果は目に見えている。
「そうなんだ」
さっきと同じように少女の声が耳元で囁く。
「わかった気がするわ」
そう聞こえた気がする。そうじゃなかったかもしれない。僕はもういちど弟の名前を叫び、けたたましいブレーキ音と共にアキラは中を舞った。いや、何かにつかまれて空に吸い上げられたように見えた。いったい何が起きている?
「大丈夫よ。弟さん、仲良くしてあげてね」
振り向くと少女の影のようなものが、僕の目の前を通りすぎていった。少女は右手を前に伸ばし、何かをつかむような格好をしているように見えたが、まるで僕の体をすり抜けるようにどこかに消えてしまった。
弟は奇跡的にほんのかすり傷程度ですんだ。そのかすり傷も、車に当たったにしてはまるでおかしな傷であったが、誰もが弟の無事を奇跡だといい。それ以上追求はしなかった。
「あれは、いったい。何だったんだろうか?」
僕がその話を終えると、妻はくすくすと笑い、そしてこう続けた。
「ちゃんと覚えていたのね?でもえらいわね。あのときの約束、ちゃんと今まで守ってたのね」
「ミサ?いったい何のことだい?」
「あなた、ちゃんとわたしとの約束を守ったってことよ。このことを誰にも話してはダメよって」
「あ、そうだ。そうだった。あのあと僕は、あの少女の話を親にしようとしたら、またあの少女が……いや、少女じゃない。あれは、あれは、ミサ、君だったのか」
「そうよ、あの少女は覚醒する前のわたし。あなたがわたしに覚醒するきっかけを与えてくれた」
「覚醒?」
「そうよ。覚醒。わたし魔法学校で成績が悪くてね。いつも最後の試験に合格できなくって。でもあなたが教えてくれた。人間は本音と建前があって、本当の望みは本人すら気づいていないことがあるってことを」
「ぼ、僕はすっかり忘れていた。いや、怖くて、怖くて、それで記憶を封印してしまったのか。あのとき君は、僕にこういった……」
「もしも、このことを、誰かに話したら……コ・ロ・スって言ったかしら?」
「あ、ああ、そうだ、それで、僕は怖くなってあの少女のことを誰にも……誰にも言わないできたのに」
「今日、言ってしまったわね」
「ぼ、僕は、僕は君を……」
「愛している?それは本音?建前?」
そうか、僕にもわからなかったことがようやくわかったよ。あのとき少女が言っていた言葉を……
みんなが望んでいるわけじゃない。
平和になることも。
この世から病気がなくなることも。
だから、世界は変わらない。たとえ魔法がこの世に存在しても……
たとえ、君への愛が偽りでないとしても……
おわり