その4: 暴走のアンドロメダ
「ったく、酷い目にあったぜ」
どことなくやつれた顔で空助が呟く。
二人はあれから一度家に帰った。気絶した空助の巨体をイヴァンが何とか四苦八苦しながら担いで連れ帰ったのである。
一応途中で空助は意識を取り戻したが、ずっと下腹部を押さえていたので、まるで変態だった。空助達の家の付近は、人通りが少ないということが幸いしていた。
家に戻るとそれぞれ練習用のジャージに着替えて、再び家の前で落ち合った。本日の『訓練』の為である。
「アイツのああいう所が餓鬼だってんだ。ちきしょう」
「あはは……」
イヴァンは、乾いた笑いを浮かべる。
「……まあいい。気を取り直して行くぞ」
空助は根っこは暗い所のない男である。もう恨み等の感情は表情から消え去っていた。
「うん、そうだね」
イヴァンはそれを見て、嬉しそうに頷き返した。
二人が軽いジョックで走り始めようとした時、ミアの家の柵がガチャリと音を立てて開く。敷地の中から小さな人影が現れる。
二人が視線を向けた先には、とても愛らしい少女の姿があった。
「あら……。こんにちは。空助さん。イヴァンさん」
その少女は二人を見つけるなり、淑やかな笑顔を浮かべて挨拶した。まるで花の様な笑みである。
二人は足を止めて少女に向き直った。
「おう! 今日はこっちに来てたのか、リーヌ」
「こんにちは、リーヌちゃん」
その少女こそが、ミアの家の居候でもあるリーヌである。
褐色の肌に黒々としたウェーブのかかった髪が、肩の上で波打っている。どんな人でも和ましてしまうような優しい眼差しの奥で、丸く大きな深黒の瞳が光に反射して、神秘的な輝きを発しているように見える。
そんなどこかオリエンタルな雰囲気を持つのは、外見はまだ十二歳程度にしか見えない少女だった。
「今からトレーニングですか?」
小さな口から紡がれる声には、鈴の音のような優しい響きがあった。首を傾げる様はとても可愛らしい。
空助が「ああ」と頷くと、
「そうですか、頑張って下さいね」
リーヌはニッコリ微笑んだ。
「リーヌは、夕飯のお使いか?」
空助が問う。居候の身だから、と言う訳ではないのだろうが、リーヌはよくお使いをかって出ていた。
空助達にとっては、リーヌが買い物袋を担いで買出しから帰ってくる姿は見慣れている光景だった。
「いえ、お買い物ではあるのですが、お夕飯ではなく……あ、お二人とも」
リーヌは空助の問いに答えようとして、何かを急に思い出したように尋ねる。
「ミーちゃんが何処にいるか、ご存じないですか?」
『ミーちゃん』とは、リーヌがミアに対して付けた愛称である。猫みたいで可愛らしいから、と言うのが理由らしい。同じく可愛らしいリーヌが挙げる理由としては、どこか滑稽だったが。
「ミア? 俺は見てないが……」
空助は気絶していたので、ミアの姿は見ていない。当然そう答えた。
「ミアちゃんならさっき、エリちゃんに……」
一方、一応ミアの姿は捉えていたイヴァンだったが、"エリノアに無理やり連れて行かれた"と言うと、エリノアに悪いかもしれないなどと余計な心配をして、
「……エリちゃんと一緒に、どこかに走っていきましたよ?」
そう言い換えていた。
イヴァンは個性的な五人の幼馴染の中での、唯一の良心である。と同時に、そんな面々の中で育った為か、心配性の一面を否応無しに鍛えられていた。気苦労が耐えない少年なのだった。
「そうですか……。ふぅ……全く困った娘ですね」
イヴァンの説明を聞いて、リーヌは困惑した表情で笑った。
その様子を見咎めた空助が尋ねる。
「どうかしたのか?」
「いえ、実は今日この後、一緒にお買い物をする約束だったのですけれど……」
それを聞いて、空助は納得したように頷く。
「あーなるほどな。アイツのことだから絶対忘れてるな」
「ははは……」
イヴァンも苦々しく笑っているが、空助の言葉に否定は出来ないようだった。
「ええ、そうですねきっと」
ふふっ、とリーヌも微笑む。
ミアは三人にそういう風に捉えられている少女だった。
「『携帯』にかけてみたらどうです?」
「いえ、それがミーちゃんの携帯は……ここにありまして」
イヴァンの提案に、リーヌが苦笑しながら赤色の腕輪型の携帯を持ち上げた。
この時代の携帯の形状は、各人が望みの形で選ぶ事が出来る。
登録最大件数は一億件近くは可能で、通話は携帯から投射される相手のホログラム映像によっての会話となる。圏外と言う概念はなく、例え深海の中からであろうが異惑星間であろうが会話可能であった。
一昔前までは、携帯には口座の情報、個人情報などありとあらゆる情報が収められていたが、今の携帯は元祖の状態に戻っている。つまり、携帯は通話、メールだけが可能である。
これは著しく発達した情報社会における、個人情報氾濫を防ぐ為であった。
携帯の形状において、今の若い女性のトレンドはピアス型、またはネックレス型の形状である。
ミアが態々腕輪型のものにしているのは、よく携帯を紛失するので両親に決められたというのが理由だった。そうすれば流石に紛失しないだろうと考えての事だったが、ミアはそもそも携帯を家に置き忘れることが多かった。
「ああ。また忘れちゃったんだね」
「全く仕様がない奴だな」
なので、それを良く知る幼馴染達としては、そんな反応である。
「急ぎの用事か? 急ぎなら俺達も探すの手伝うぞ……というか、ミアの様子を『念視』ればいいんじゃないか?」
「はい……ですが、『視る』のは緊急時以外なるべく避けたいので」
空助の言葉に、リーヌはそっと首を振った。
『念視』とは、ミアとリーヌが互いの間にだけ行える情報伝達魔法の事である。
ただ、頭の中で会話が出来る、と言う類のものではなく、それぞれが互いの視界を相手に知られる事なく盗み見る事が出来るというものだった。プライバシーの侵害甚だしい魔法なので、リーヌは多用は控えるようにしていた。
――――だが、ミアにはそんな殊勝な感情はなく、暇な時などによくリーヌの視界を盗み見ているのだったが……。
「まあ、私1人でも何とかなりますから大丈夫ですよ。ありがとうございます」
そう言って、リーヌは頭を下げた。
「なら訓練中に見かけたら、リーヌが探していたことを伝えておく」
「あ、はい。ではお願いしますね」
空助の言葉に頷いたリーヌに別れを告げて、二人は再び訓練を再開する事にした。
「よし。先ずは軽く流すぞ……とその前に。今日は勝も連れて行くか」
何だかんだ言って、勝利のことを気にしている。
空助がそう呟いた隣では、イヴァンがにっこりと微笑んでいた。
***
「なあ、兄ちゃん」
「なんだ?」
三人が並んで走っていると、唐突に勝利が口を開いた。
「今日はいつものコースを走るのか?」
「そうだ。ただし今日は二周するぞ」
その言葉に、勝利は顔を顰める。
「ええーーーー。めんどくせえなーー」
「うるせえ! 昨日の分もやるんだよ!」
昨日の分を取り返すのに、今日二倍にすれば良いというものではないのは空助も分かっていたに違いないが――――
まあそこは気分の問題なのだろう。
「うーー……。じゃあ一周をいつもの二倍走れば良いんじゃないのか?」
時折、勝利はこのようなよく意味の分からない提案をする。
「あ、ああ……。まあ、そうだが」
「勝ちゃん?」
長年の幼馴染でさえも、そのような思考には付いていけない時があった。この時もそうで、二人は疑問を浮かべる。
なお、ミアだけはそんな勝利の思考についていけるのだが、今はいない。
「そうか。じゃあ俺、二倍走ってくるよ!」
「は? お、おい勝!? 待ち……」
晴れやかに笑って言う勝利に、空助が止めようとするが――――
その前に、物凄いスピードで走り去ってしまった。瞬く間にその後姿が小さくなっていき、やがて見えなくなる。
「行っちまいやがった……。別コース考える方が面倒だろうに」
「勝ちゃんらしいね」
残された空助は呆れ、イヴァンは微笑んでいた。
「まあ、ちゃんと走るならいいか」
そう思い直した空助は、勝利の事は忘れ、自分の事に専念することにした。
***
空助達のジョギングコースは、一周凡そ三キロのコースだった。それを二周なので六キロになる。
勝利と別れてから、二人はその四分の三オーバーの行程を終えていたので、既に五キロ近く走っている計算である。
すれ違う顔見知りに声援を送られながら田園風景の中を抜けて、今は町の中央を流れる川の土手の上を走っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
徐々にスピードを上げていったので、今はダッシュに近い速度になっている。
なので勝利程ではないにしろ、体力には多少自信がある二人だったが、流石に息を乱していた。
「はぁ、はぁ、後少しだね」
隣を走るイヴァンの言葉に頷き返そうとして、空助の視界にあるものが飛び込んできた。
「……なんだ?」
空助の視線を追って、イヴァンも視線を向ける。
「お爺さんの魔装騎兵だ……。あれ? 何か様子が変だね?」
今二人が走っている土手の下で、昨日見たアンドロメダがじたばた暴れていた。
この辺りで魔装騎兵に乗っている人間は二人しかいない。アンドロメダにおいては一人だけだった。
なので直ぐにそれがパゲ老人である事は分かった。
「そうだな……。行ってみるか」
様子が気になった二人は、トレーニングを中断して土手下に駆け下りて行った。
『なんじゃ! こらっ! ちゃんと動かんか!』
動かそうとしている想いは伝わってくるが、アンドロメダは全く反応していない。更に、周囲には他に誰もいないのにもかかわらず、外部スピーカーがオンにされている。
遂にボケたか? などと憐憫の表情を滲ませながら、空助は声をかけた。
「おい爺さん!」
『ん? ああ、お前さん達か』
と言う呟きと共に、前面のハッチが開かれる。中から困惑の表情を貼り付けた老人が現れた。
「どうかされたんですか?」
「いや……。急に操作通りに動かなくなってのぉ……」
イヴァンの問いに、困惑の表情を一層強くしながら老人が嘆く。
「ええ!? 故障ですか?」
「腕の所為じゃねえのか?」
空助の暴言に、老人は声を荒げて否定する。
「うるさいわい! 違うわっ! 何か知らんが、急におかしくなったんじゃ」
しかめっ面の老人に呆れを隠そうともせずに、空助は追い討ちをかける。
「中古品なんて買うからだ」
「うぬぅぅ。不良品を掴ませおって……。今度会ったら一発ぶん殴ってやる」
虚空を睨みながら老人が物騒な発言をする。
自業自得だろ、と空助は思っていたがそれは口にしなかった。
そんな空助とは違い、イヴァンは本当に心配そうに老人に声をかける。
「危ないですから、一旦降りた方が良いですよ」
「そうしろ爺さん。後で修理屋に取りに来てもらえよ」
二人の発言に正しさを認めたのか、老人がガックリ項垂れる。
「とほほ……。そうするしかないかのぅ」
悄然とした面持ちで、二人の言葉に従おうとした老人だったが――――
その時、突然ハッチが閉まった。
「おい、ハッチを閉めてどうすんだ」
すぐさま空助が突っ込む。言葉には"ボケ老人が!"という響きがある。
『い、いや、ワシは……』
だが、返って来たのは老人の戸惑った声と……。
狂ったように暴れ出したアンドロメダが地面を踏み砕く音だった。
「お、お爺さん、どうしました!?」
『止まらんかコイツめ!! 止まれいっ!』
必死にアンドロメダを止めようとする老人の声だけが、外部スピーカーから聞えてくる。
数分間それは続いたが、突然ピタリと収まった。
「と、止まったか?」
空助が呟いた直後。
再び動き出したアンドロメダは、空助の目の前の地面を、アームを叩き付ける様にして殴った。
地面にビシっとひびが入る。
「のわあぁ!」
「アキ君!!」
空助の驚きと、空助を心配するイヴァンの悲鳴がほぼ同時に起こる。
空助は何とか無事だった。
焦った顔でひび割れた地面を見つめていた空助だったが、ハッと我に返るとアンドロメダに向き直って怒鳴り散らした。
「コラァ! 爺さん危ねえだろうが!」
『いや、スマン……。じゃが、ワシじゃないんじゃ。コイツが勝手に……』
老人も悪いと思っているのか、殊勝な声で空助に詫びる。
だが、一旦動きを止めていたアンドロメダが再び暴れ出し始めた。
そして頭上高く跳躍すると、破砕音を轟かせて地面を踏み砕く。
『あがっ!!』
土砂が空助達に降り注ぐ。それを払いながら、空助は再度怒声を浴びせる。
「おいコラ爺さん! シャレにならねえぞ!」
が、地面に降り立ったアンドロメダの様子がおかしい。
アームを広げて、空助の方に体の向きを変えたのだ。まるで空助に襲い掛かろうとしている、ようにも見える。
「……おい、ちょっと待てよ」
嫌な予感がしたのか、空助が緊張した声で唸る。
同時に、それまでは消えていたアンドロメダの『目』のライトが赤々と光った。
「マジか!?」
認めたくはなかったが、空助もここで危険を悟った。咄嗟にバックステップする。
一秒後、その元々居た空助の場所に、アンドロメダのアームが突き刺さった。
「ジジイ!! てめえ!!」
「アキ君!! そんな事言ってる場合じゃないよ! 逃げないと!」
瞳を怒らせながら怒鳴る空助に、イヴァンが必死にこの場からの撤退を提案する。その判断が正しい事が分かるほどには冷静だったのか、
「ちっ、くそおおおおおおおおおおお」
空助は再び走り出した。今度は全力だった。
その空助の背後で再び破砕音がする。
思わず立ち止まって振り返った空助は、ゾッとした声を漏らす。
「ばっ、あんなの喰らったら只じゃ済まないぞ……」
アンドロメダは両腕で地面を殴りつけたのか、アームの先が地面に埋まっている。その衝撃で地面は放射状に砕けていた。
「おい爺さん! 爺さん! 聞こえてんなら返事しろジジイ!!」
空助は必死に老人に呼びかけるが――――
『…………』
反応はない。
「おいっ!! ……まさかさっきのジャンプの衝撃で、気ぃ失ったのか?」
「…………そのようだね」
だが、アンドロメダが止まる気配はない。
「さっきのお爺さんの発言からすると、どうやら暴走しているみたいだよ」
「ちっ、仕方ねえ。爺さんが気絶しているのに何で動いてるのかは分からんが……。どの道動力源は、爺さんの魔力だろう」
「多分そうだと思うよ」
イヴァンが真剣な顔で頷く。
「なら爺さんの魔力が尽きるまで、逃げ回るしかねえか」
「うん。お爺さんの体が心配だけど、それしかないね」
そんな会話を交わしていると、アンドロメダが再び空助に向かって突進してきた。
「うおおおおおお、また来やがった~~~」
駆け出した空助の背後で、地面を砕く音が轟く。
「危ねえっ、ちきしょう!!」
地面を叩いた後多少体勢は崩れていたが、直ぐにそれを立て直すと、アンドロメダは突進を始める。
「周りに誰も居ないのが、せめてもの救いだな」
「そうだね……」
走りながらのそんな短い会話の間にも、アンドロメダは距離を寄せて空助に向かって拳を下ろす。
何とか直撃は避けたものの、巻き上がる土砂が礫となって空助の首筋に当たった。
「つっ!」
「アキ君!?」
「大丈夫だ、破片が当たっただけだ」
「良かった……」
走りながら、ホッと安心したイヴァンだったが、直ぐに何か悪い事に気付いたような悲痛な表情を浮かべた。
「……アキ君。どうやら……」
「ああ。アレは、俺を狙ってるみたいだな……」
空助もそれを悟っていたらしい。
だがイヴァンの不安そうな顔とは異なり、口元を歪め事態を面白がっているような笑みを浮かべている。
そして、何かを決心したように頷くと、
「俺がこのまま囮になるから、お前は少し離れて並走して、進行上に人がいたら、先行して避難させてくれ」
イヴァンに告げた。
「で、でも、アキ君」
恐らく反論しようとしたイヴァンの機先を制して、空助は更に続けた。
「携帯を、置いてきているから、助けは呼べねえし。怪我人を、出さねえためには、とりあえずその方法しか、ねえ。怪我人出しちまったら、シャレにならんだろ? ジジイ的によ」
自分は命の危険すらあるのに、それよりも老人の事を心配する空助を、イヴァンは眩しそうに見つめて頷いた。
「……うん、分かったよ」
その答えにニヤリと笑い返した空助だったが、その直ぐ後ろでアンドロメダのアームが突き刺さっていた。
「ぬおあああ!! だんだん、精度が上がってるような、気がするぞ!?」
「というより、僕達の体力が、減ってきている、って方かも」
二人の息はかなり乱れている。五キロを完走した後に、全力疾走ではそれも無理はない。
「このままじゃ、通行人の前に、アキ君がやられてしまう可能性の方が……」
最悪の事態を心配するイヴァンに、
「へっ、イヴァン。俺をあんまり、舐めるんじゃないぜ……」
空助が格好つける。
「と言いたい所だ、が!!」
『が』と同時に、アームが地面を叩いた。空助はそれを間一髪で躱す。
一応空助も自分の状況は認識していた。
「ふぅ……。確かに、その可能性は、高いな」
「くっ、どうしたら……」
暗雲立ち込める状況に、イヴァンの表情が歪む。
イヴァンは出来ることなら自分の方を狙ってくれれば良かったのに、などと考えていた。空助も打開策はなく言葉はない。
両者の呼吸音と、アンドロメダの機械音だけが、土手下に溢れる。
――――だが、そんな二人の前に、一筋の光明が差し込んだ。
否。現れた。
「はぁはぁ。…………お? アレは……」
「……あ!!」
百メートル程先に、土手下をてくてくと歩いている人物の姿を発見したのだ。
この状況を打開できる可能性のあるその存在に、二人は喜びを隠そうともせずその名前を叫んだ。
「ミア!!」「ミアちゃん!!」




