その4: わずらわしい放課後
春彦の家まで付き添うという話のはずだったが、三人は何故か街中に居る。
三人の通う学校がある町の最寄駅から、この街までは数駅も離れているのにもかかわらず、だ。
わざわざ出張って来たのは、春彦の強硬な誘いがあったからに他ならない。
しかし、用事がある、と主張していた割に、先ほどから駅前の周囲をグルグル廻っているだけだった。
「おい、いい加減にしろ。さっきからうろついてるだけじゃねえか!」
ここまで来ることに最後まで反対していた空助は、みるみる不機嫌になっていく。
「い、いやその……そ、そう! ちょっと場所を度忘れして……」
春彦は何度もそう言っているが、明らかに怪しい。
先程から挙動不審者と間違われてもおかしくないほど、キョロキョロと周囲を見回している。
二人はそんな春彦に対し、じっとりとした疑いの目を向けていた。
春彦は友人達の思いを知ってか知らずか、小汚いビルの裏路地に入っていく。
かと思えば、表通りに出てウロウロし。そして、また裏道へ。
遂に空助は爆発した。
「俺はもう帰るぞ!?」
我慢が出来ず、というより何故自分が我慢しているのかが分からなくなった空助は、その場で踵を返す。
どうするべきか考えていた風なイヴァンも、結局は空助の後に続く。
「ま、待ってくれよ!」
春彦は両手を広げて進路を塞ぐようにして、二人を止めた。
その必死の形相は、ここで逃がしてなるものか、と言わんばかりである。目は血走ってさえいる。
だが、突然何かに気付いたように、両手を降ろした。
そして、空助達の後方をジッと捉えながら口角を上げる。
「ん……んん!? ああ、もういいや」
「ああ?」
春彦の言葉にはどこかホッとした様な響きがあり、気になった二人は春彦の視線の先を追った。
すると、十数人は居るだろうか。学生の集団がこちらに近づいてきている。
遠目にも分かるが、どうやら真っ当な学生ではないようだ。普通の学生なら角材などは持ち歩かないだろう。
集団はこちらに向かって何やら騒々しく叫んでいるが、何と言っているかは聞き取れなかった。
やがて空助達のところまで来ると、数に頼んでグルリと三人の周囲を取り囲んだ。
「こらテメェ!!」
「この前は随分舐めた真似してくれたなぁ、コラァ!!」
集団の意識は春彦に向けられている。
当の本人は小さく悲鳴を上げて、空助の背中にしがみ付いた。
すぐさま空助は鬱陶しそうに、それを引き剥がす。
そして、威勢良く啖呵を切ってくる不良連中を冷めた表情で見つめながら、春彦に尋ねた。
「おい、コイツラか?」
「そ、そうそう! 遠慮はいらねー! 空助君、やっちゃって! 二度と俺に絡もうと思わなくなるくらい徹底的にな!」
刺すような視線から逃れるように、今度はイヴァンの後ろに隠れていた春彦は、喜々として応えた。
不良達は罵声と共に強烈なガンを春彦に向ける。
一方、春彦の言葉を聞いたイヴァンは、静かに溜息を吐いた。空助も小さく舌打ちする。
何も言わないイヴァンとは違い、空助は直接的な行動に移った。
隠れていた春彦を引っ張り出し、胸倉を掴むと躊躇う事無く締め上げる。
「春彦てめぇ……俺らをコイツラをと引き合わせる為にウロついてやがったな?」
「な、何の事やら……」
「しらばっくれんな!」
明後日の方を向いて白を切る春彦だが、その目は完全に泳いでいる。
益々苛立ちが募っていく空助が更に締め上げようとしたところ、不意にドン、と背中に衝撃が走った。
空助は首を後ろに回す。
「シカトぶっこいてんじゃねえぞ、ボケどもがぁ!!」
どうやら目の前にいるこのロールパンのような髪型をした少年に蹴られたらしい。
空助は無言で、春彦を解放した。
そして、ゆっくりと不良達へと向き直った。
「つまり……あれか? お前等は俺に遊んで欲しいと、そういうことなんだな?」
「ああ!? 舐めてんのか!?」
「ぶっ殺すぞコラァ!!」
不良達の罵詈雑言を浴びて、空助は小さく笑った。
ただし、その目は獰猛な気配を発し始めている。
もはや春彦に嵌められた云々は、空助の中でどうでもよくなっていた。
それを見たイヴァンは、何かを諦めたように呟く。
「はぁ……やっぱりこうなるんだね……」
どうやら春彦に巻き込まれた時点で、こういう展開になることを予期していたようだ。
空助が乗り気になった事を察した春彦は、途端に胸を張って不良達を見据えた。
先程までの不安そうな様子はどこへやら、ここぞとばかりに彼らを煽る。
「この雑魚ども! ピーチク騒いでるんじゃねえぞぉ!」
春彦の安っぽい挑発だったが、効果は目に見えてあった。
煽り耐性の無い不良達は、たちどころに怒声を上げ始めた。
「何だとボケがぁ!!」
「構わねぇ! コイツら全員やっちまえ!」
その言葉で完全にスイッチが入った空助は、
「上等だ。出来んのなら、やッてみろやコラァァァァァ!!」
雄叫びと共に、不良達の輪に突っ込んでいった。
喧嘩の場数も違えば、体格も抜きん出ている。
空助にかかっては、不良達がまるで紙のように吹き飛んでいく。
「く……何だこいつ、つええぞ!?」
彼らもそれなりに修羅場をくぐっているのだろう。直ぐに目の前の相手の危険さに気付いたようだ。
春彦とイヴァンは捨て置いて、空助を全員で取り囲む。
といっても、既に半数はやられている。率先して向かっていく勇気がある者はいないのか、不良達はジリジリと対峙を続けるだけだった。
彼らは仕方なく、タイミングを図り一斉に殴りかかろうと決めた時。
空助をジッと睨みつけていた少年の一人が、何かに気付いたようにストップを掛けた。
「やべえ、こ、こいつ見生じゃねえか?」
その名前を聞くや否や、彼らは皆、空助から大きく後ずさった。
「こ、こいつがあの……?」
「こ、近藤達がこの前、三十人で仕掛けて返り討ちにあったとか」
「山口達は闇討ちしたけど、結局全員病院送りになったって話だ」
「そ、そういえば、俺は渋谷さんが一方的に全殺しにされたって聞いたぞ!?」
「し、渋谷さんが!? 渋谷さん"魔法"使えんだぞ!?」
「ああ、渋谷さんが幾ら謝っても許してくれねえで……可哀想に渋谷さん、外出たら見生に会うかもってことで家に引き篭もっちまってるらしい」
「最近見なかったのは、その所為か!」
皆次々と、空助の逸話を口にする。
すると出るわ出るわで、不良達は半ば夢中になって話し続ける。
どうやらこの辺の不良界では、空助はかなりの有名人らしかった。
「あいつ等の話、ホンとなのか?」
「ま、まぁ……半分……三分の二くらいは……」
少し離れた場所に移動し、完全に観戦モードだった春彦に尋ねられたイヴァンは、苦々しい表情で話の大凡を認めていた。
本人を目の前にして、あーでもない、こーでもない、と、当人の話題に盛り上がり始めた不良達。
勿論、本人たる空助は、面白い筈もない。
「グダグダクッチャべってねえで、かかってこいや雑魚どもが!!」
と、煽ってみるものの、自分達の話で恐ろしい空助像を脳裏に描いてしまった少年達は、誰一人として挑み掛かろうとはしない。
目に見えて空助の機嫌が悪くなり、それを見た不良達は更に尻込みする。
完全に空助にとっての悪循環だった。
このままでは埒が明かない。
とりあえず全員伸してまわるか、と空助は心の中で決めた。
だが、それを実行する前に、事態は動いた。
突然――――
「お、おい待て、あの女だ!」
不良の一人が、通りを歩いていた一人の少女を指差す。
全員の視線がそちらに向く。
「シオリちゃん!」
続いて叫んだのは春彦だった。
その声が聞えたのか、少女はこちらの様子を見て――――身を硬くしていた。
無理もない。彼女からすると、空助達を含めて明らかにそれと分かる不良の集団であるように見えよう。
余程胆力がない限りは、それが正しい反応だと言える。
「見生はとりあえずほっとけ、女の方が先だ!」
「全員で囲め! 逃がすんじゃねえぞ!」
「倒れてる奴ら全員叩き起こせ!」
傍から見ると普通の少女だったが、不良達は何故か彼女のことを知っているらしい。
空助への事を完全に忘れ、我先にと少女に向かっていく。
「あん? 何だ?」
意欲を削がれた形になった空助は、仕方なくその場で様子を眺める。
近寄ってきたイヴァンが空助の言葉を拾う。
「何か様子がおかしいね…………って、あれ? 春彦」
たった今まで隣に居た筈の春彦の姿が無い事に気付いて、周辺を見回す。までもなく、本人の声が辺りに響き渡った。
「待て待て待て待てぃ! お前達! かよわい女の子を寄って集って脅すなんて、男の風上にも置けないぜ!」
声のする場所を見ると、いつの間にか少女にすぐ傍に春彦の姿があった。
少女を背後に庇って、近づいてくる不良達を牽制するように意気軒昂に叫んでいる。
「シオリちゃん! 怯えなくても大丈夫。僕が君を護るから」
春彦は後ろを振り返ると、二枚目な笑顔で少女に微笑みかける。
しかし、やりなれていないのか半ば引き攣っており、見るも無残な笑顔となっている。
「え、あ、はい……」
返事に困った少女は、あいまいに頷いていた。
「何こそこそと話してんだ!」
「野郎に用はねえ! 今はその女にちょっと話があんだよ! 消えろボケ!」
狙いを少女に絞った不良達は、邪魔な春彦を引っ剥がそうとする。
が、春彦はその手を振り払った。
「そうはいかない。彼女に用があるなら先ず俺を通すんだな!」
臭い台詞を、家で練習していたとしか思えない程流暢に言い切る。
空助とイヴァンの二人は、聞いていて恥ずかしくなった。もしかしたら、少女もかもしれない。
しかし、興奮した不良達の意欲を削ぐまではいかなかったようだ。
不良達は春彦を無視して、少女に手を伸ばす。
「いいからちょっとこっち来いよ!」
「は、放して!」
「彼女から手を放せぇぇぇぇっ!!」
強引に彼女を連れて行こうとしていた、不良の一人へと春彦の右が唸りを上げる。
少女に意識が向いていたのか、不良はその拳をまともに頬に受けた。
「いて!」
ペチッと、まるで蚊を叩き潰した時のような音が鳴った。
効果はそれだけだった。
不良が寧ろ唖然としていた隙に、春彦は少女の腕を掴む。
「シオリちゃん! 今だ! こっちへ!」
「え、あ……」
「急ぐよ! 走って!」
「う、うん!」
そのまま二人はこの場から走り去っていく。
当然、不良達も直ぐに後を追おうとするが、彼らの前には空助が立ちはだかっていた。
「退けや! 今はてめぇの相手をしてる場合じゃねえんだ!」
「ち、不本意だが仕方ねえ」
怯えが見え隠れする不良達の声は聴こえていない様に、空助は独りごちる。
そして――――再び気力をたぎらせた双眸で、不良達を睨み付けた。
両手を組んで、骨をバキバキと鳴らしながら言い放つ。
「女を脅すような屑どもは、きっちり駆除しとかねえとな!」
その気迫を受けて、不良達はまるで大きな壁が眼前に広がっているような錯覚を起こしていた。
仁王立ちの空助の脇を避けて、少女を追う。そのビジョンは到底抱けそうになかった。
そんな事をしようものなら、確実に殺られる。認識というより本能で彼らはそう感じていた。
「うぐっ! し、仕方ねえ! ソッコーでぶちのめすぞ! 全員でかかれっ!!」
「上等だゴラァァァァッ!!」
不良達は意を決したように、一斉に空助に襲い掛かかった。
空助も恐れを微塵と見せず、それらを迎え撃つ。
怒号がビル街に木霊し、狂騒が始まった。
「あーあ。始まっちゃった……」
イヴァンは乱闘の輪から離れた場所で諦めの声を発した。
ただの雑魚だと思われているのか、不良達は誰一人として襲ってこない。
決してそれが残念なわけではないが、部外者にされているようで奇妙な寂しさは感じていた。
ともあれ、今いる場所は大通りの裏道なので人目は少ないものの、全く無い訳ではない。
やがて騒ぎの知らせを受けた警官が現れることだろう。
イヴァンはその際の逃げ道をそれとなく見定めながら、そう遠くないであろう乱闘の終わりを、独りボンヤリと待ち続けるのだった。