その1: その少年、喧嘩無双
「おらああああああぁぁぁっ!!」
裂帛の気合と共に、逞しい腕からまるで唸りをあげるような拳が振るわれる。
その強烈な一撃をその身に受けて――――
「ぐはっ」
体中の酸素を放出するような呼気を漏らし男が――――いや、まだ少年だと言い換えた方が良いかもしれない。その少年が崩れ落ちる。
その周囲には今倒れたばかりの少年と、同じような背格好の少年達が同じようにして倒れていた。
どの少年も同じ灰色のブレザーを着ている。なかにはTシャツだけの少年もいたが、それは問題ではない。
同じ学校の生徒なのだろう。少年達の年代からすると、高校生だろうか。
ただ、お世辞にも優等生と言えるような身なりではない。
皆一様に制服をだらしなく着崩している上、露になった肩にタトゥーを入れている者さえいる。
加えて、全員社会に対し何かただならぬ主張があるような、そんな髪型をしている。
端的に言えば"不良"と纏められる彼等だったが、社会や環境に大いに不満があるような平素のしかめっ面ではなく、今は全員同じ表情を浮べていた。
残念ながら喜悦ではなく、苦悶の表情である。その表情と、殆どの少年が地面にうつ伏して倒れている様子から、少年達が一方的にやられているのが分かる。
そして、その状況をつくり出している男もまた同じ年頃の少年であった。
違う学校なのだろう。不良達とは制服が違い、こちらは学ランを着ている。袖を肘の上まで捲り上げ、前のボタンは全て外している。
こちらの少年も、決して真面目な高校生とは言えないようだ。
それを示すかのように、黒々とした髪をツンツンに逆立てており、太い眉は逆立ち、双眸は鷹のように鋭い。とても一般的な生徒が浮べるような眼差しとは言えない。
身長は一八五センチ以上はあるだろう。ただ細身ではなく、体格はこの場の誰より肉厚がある。だが決して太っている訳ではない。
少年を見ると、先ず"重厚"という言葉が思い浮かぶ――――そんな恵まれた体つきの少年だった。
「ちきしょう、つええ……」
地面に倒れている幾つもの悔しそうな顔から、憎々しげな呟きが漏れる。
「オラァ! 次はどうしたぁっ! もう終わりかぁ!?」
そんな彼らに追い討ちをかけるように、学ランの少年は怒声を浴びせる。
巨体の体から発せられる声量は耳を塞ぎたくなるほど大きい。
「な、なめんな! これでも喰らえやっ!!」
倒れていた不良達の中の一人が痛む体を押して立ち上がる。自分の目の前に落ちていた鉄パイプを拾い上げて、渾身の力を込めてそれを振るう。
対して学ランは、その巨体からは意外なほど素早く反応し、スウェーする事で不良の一撃をただの素振りに貶めた。
「上等だコラァァ!!」
学ランは得物を持ち出されて恐怖を浮べるどころか、逆に闘争心がかき立てられたように吼える。
それまでは不良達は律儀に全員素手で挑んでいたが、この状況ではもう取り繕う気も無いのだろう。
叫びに呼応するように、不良達は次々に起き上がりそれぞれ得物を手に取った。
そして、学ランに一斉に襲い掛かる。
「「「死ねやああああああああ!!」」」
今彼等が行っている"戦闘"と言うにはあまりに粗雑過ぎる、せいぜい"喧嘩"というのが相応しい争いは、こじんまりとした空き地の中で行われていた。
辺りに民家は見当たらず、人通りも少ない上に周囲は塀で覆われているため、人の目には付きにくいロケーションだろう。
喧嘩をするのには絶好の場所とも言える。
彼らはその狭い空き地の中央で、大立ち回りを繰り広げている。
口々に罵声を吐き散らしているが、傍からすると一体彼らが何を言っているかは分からないだろう。恐らく、本人達ですら分かっていないのに違いない。
「鉄パイプなんて……危ないなぁ」
そんな彼らの様子を、空き地の隅でぼんやりと眺めている存在があった。
呟きとは裏腹に、まるで危険に思っているような響きはない言葉を呟いたのは、これまた同じ頃の少年だった。
空き地の中央で無双している学ランの少年と同じく、学ランを着ている。どうやら彼側の人間らしい。
綺麗なさらさらの銀髪で、その顔は非常に整っている。美少年と言うに相応しい顔立ちである。
百七十には僅かに届かないかといった背丈だが、足はスラッと長く、仮に彼の副業がモデルであると嘯いたとしても疑う者はいないだろう。
ともかく、異性に非常に人気があるに違いない少年だった。
「うう……」
その美少年の隣で、低い呻きが上がる。
ただ、くぐもっていて尚、その愛らしさが滲み出るのを隠しきれていない。
「ん? どうしたのミアちゃん?」
ミアと呼ばれた少女は、美少年と同じく高校生である。学年は一つ下になる。
だが、とてもそうとは思えない程小柄であり、身長は百三十前半位か。もっと小さいかもしれない。
ふわっとした柔らかそうなショートの赤っぽい栗色の髪で、顔立ちはとても愛らしいが幼く、セーラー服を着ていなければ小学生と言っても十分通じるだろう。
そんな少女が、隣に立つ美少年を眠そうな瞳で見上げた。
「眠い……」
表情通り眠たかったらしい。呟くや否や美少年にもたれ掛かる様にして、ウトウトし始める。
「ちょっ、も、もう少しで終わるから、もうちょっとだけ我慢しよう? ね?」
ミアを慌てながら支え、まるで幼児に言い聞かせるように美少年が提案する。
「……すぅすぅ」
返って来たのは可愛らしい寝息だった。
必死に美少年は呼びかける。
「ああ! こんな所で寝ちゃ駄目だよ!? ミアちゃん!?」
「すぅー……」
だが、全くの無駄だったようだ。
ミアは器用にも立ったまま、美少年にもたれ掛った体勢で寝息を立て始めた。
「……あーあ。これは起きないなぁ……」
美少年は諦めたように呟いて――――ミアが寝やすいように姿勢を整え直しながら、前方で行われている喧嘩に視線を戻した。
得物を手にして威勢良く襲い掛かっていた不良達だったが、空き地の中は既に最初の光景に戻っていた。つまり、不良達の殆どは地面に倒れていた。顔や腹を押さえて「痛てぇ」とのた打ち回っている。
あれだけの人数が居て、徒手空拳の学ランの少年に敵わなかったらしい。
一応、一人はまだ何とか奮闘していたが――――
「オラァ! これで終わりだっ!!」
学ランの重たい拳の一撃を腹に受け、
「ぐほぁっ!」
呻き声と一緒に、手に持っていた鉄パイプを取り落とす。得物が地面に落ちてカランと音を立てるのと同時に、不良最後の一人はドサっと地面に倒れこんだ。
周囲で立っているのは学ランの少年だけとなる。それを悟った少年はふぅと吐息を漏らした。身体を覆っていた刺す様な気迫は消え失せ、残ったのは眉を顰めた"面白くない"と言いたげな表情だけだった。
倒れている不良達を一瞥し、もう向かって来そうにない事を確認すると、少年は頭をボリボリと掻きながら空き地の端にいた美少年達に近づいていった。
「イヴァン。終わったぞ」
「お疲れ様」
美少年――――イヴァンは、近づいてきた学ランに柔らかい表情を向けながら労う。
それに「ああ」と頷き返しながら、少年はイヴァンの隣に目をやった。
そこには、すやすやとだらしなく眠っているミアの姿がある。
「おわっ! 何でミアは寝てんだよ!?」
少年は驚きながら、ミアの小さな肩を掴んで揺さぶる。
「コラ、こんな所で眠るな! おいミア!」
全く反応しない。可愛らしい寝息を上げるだけである。
思わず二人の少年は困ったような、諦めたような視線を交わす。
ミアと行動を共にする上では、お馴染みの光景なのだ。なので、こんな時の対応も決まっていた。
「……ったく。仕方ねえな」
少年がぶつぶつ言いながら屈みこみ、イヴァンはミアを抱えてその背にそっと下ろした。
おんぶである。
すると眠っている筈なのに、まるで体に染み付いた行動とでもいうのか、ミアがその背にギュッとしがみ付いた。そして、どこか満ち足りた表情を浮べる。
その顔を苦笑しながら見つめると、
「じゃあ、帰ろうよ」
イヴァンが提案する。少年も頷き返し空き地の入り口に向かう。
「ま、待てコラ!!」
「あ?」という不機嫌そうな呟きと一緒に、呼び止められた学ランの少年が振り向く。
その視線の先では、不良達の一人が怯えを覗かせた顔で、地面に膝を付いた体勢で起き上がっていた。
必死に立とうとしているが、足に力が入らないらしい。立ち上がろうとしては足がふらつき、崩れ落ちる、を繰り返している。
ただそんな情けない下半身でありながら、必死に威嚇の形相だけは作り上げようとしている。ある種、見上げた根性であると言えるのかもしれない。
「今度はこうはいかねえからな! 覚えてやがれ!」
威勢は良い。
威勢は良いが、腰は引けている。
なので――――
「……今度と言わず、今からでいいぞ?」
再び双眸から物騒な光を放ち凄む学ランの少年を見て、倒れていた不良達共々、まるで寄り添うようにして竦みあがった。
だが実際、少年の背後からはミアの寝息が聞えてきている。どんなに勇んでいても、はっきり言って間抜けな図だった。威厳も何もなかったので、隣のイヴァンなどは苦笑していた。
が、不良達の視界は少年で埋め尽くされており、ミアの姿までは入っていなかったようだ。学ランの少年にとっては幸いだったろう。
「こ、今度と言ったら今度だ!! 今度はもっと大勢でやってやる!!」
声は震えており、言っている内容も全くみっともなかったが、不良は威勢良く啖呵を切った。
少年はそんな不良を鬱陶しげに眺める。
「――――ああ。分かった。何人でも連れて来い……」
少年にしては穏やか、とも言える口調だったが、台詞はそこで終わらない。
「ただし!」と付け加えた時の眼光は、まさに古の武人のそれであった。
更に気迫の篭った言葉を続ける。
「次はこんなに優しくねえぞ……?」
今でさえ全員立ち上がれないほどのされている。
これでも優しいとすると、本気で相手をされたなら――――『死』しかない。
その怒気を受けて、不良達の中には涙を流すものさえいた。
そんな中、啖呵を切った不良だけは言葉を返す。
「じょ、上等だ!!」
それでも、そう言うのが精一杯だったが。
「も、もう止めときましょうって……」
不良達の中からそんな声が上がる。他の不良達もしきりに頷いている。
敬語であることから判断すると、どうやら啖呵を切った不良は不良達の中でもリーダー格らしい。
それ以上彼らの主張は無いと思ったのか、学ランの少年はその場で踵を返した。
隣のイヴァンも不良達に気遣うような視線を向けた後、少年に続いた。
そうして空き地から少年達の姿が消える。
後に残ったのは、仲間の体を支えながら気遣う不良達と、そのリーダーの不良の悲痛な叫びだけだった。
「……覚えてろよ! けんじょおおおおおぉぉぉぉ!!」