マンション編5
●私は、北村 優子。郊外のマンションで、一人暮らしをしている看護師だ。
市内の総合病院に勤務している。仕事はきついが、やりがいもあるし、お給料も同年代の女性に比べて、いい方だと思う。
もうちょっとで、おばさんになる年だけど年齢より若く見られるし、スタイルにもそれなりに気をつけているつもり。
現在、彼氏はいない。
そろそろ、結婚を考える年齢だけど、その分慎重になっている。
仕事は順調と言っていいだろう。
あんなことが起こらなければ…
ゴブリンウイルス。突如、発生した現代の奇病だ。
全世界規模で流行が確認され、一気に世界を崩壊させた。
私も、医療従事者として、全力で立ち向かったつもりだが、人類はあまりに無力だった。私が勤務していた総合病院も、あまりの流行とその猛威に閉鎖を余儀なくされた。今後は、基幹施設に人員を集中し、治療法と予防法の確立に全力を尽くすそうだ。
私たちは自宅待機となり、治療法が発見された時に再度、活躍して欲しい、と言われた。
自宅待機から、4日後、全身に痛みが走った。
私は、自分が感染していることを確信した。あれだけのウイルスに自分一人が感染しないなどありえない。しかし、ひょっとしたらと、淡い希望があったのも事実だ。
とりあえず、私は痛みに耐えながら、部屋の掃除をした。そして、濡れタオルで、全身を拭く。お風呂に入りたかったが、すでに、ライフラインは止まっていた。
せめて、きれいな体で死のうと思ったのだ。
ゴブリン化すれば、自分の精神は失われる。それは、やはり、一種の死だと思う。
私は痛みに耐えながら、瞼を閉じた。
それから、数時間後、頭の脇、耳の辺りに激痛が走り、私は意識を失った。私が意識を回復したのは、それから、1日ぐらい経った頃だった。
私が目覚めた時一番最初に確認したのは、自分の顔だった。
ゴブリンになってしまったのだろうか?鏡で確認すると、少し疲れているが、いつもと変わらない顔があった。安堵のあまり、泣きそうになった。いや、本当は少し泣いた。
私は立ち上がって、寝室に置いてある姿見の前に立った。
女性としてはかなり背が高い。ちょっと、高めのヒールを履くと、180センチを越えてしまう。この身長は、コンプレックスのひとつだ。それから、冷たく見られる顔立ちも!けっこう、かわいいもの好きなのに似合わない。
少なくとも、身長が縮んだりはしていない。ほっとして、乱れた髪を整えると、違和感があった。確認してみると、耳が尖っている。あわてて、服を脱ぎ、全身を確認する。とりあえず、確認できた範囲にはそれ以上の変異はない。
落ち着いて、考えよう。とりあえず、命に別状はないようだ。驚いたが、頭痛などはしない。この変異はウイルスの影響だろうが、これ以上の変異が起こらないことを祈ろう。
数日が過ぎ、それ以上の変異は起こっていない。だが、聴覚が異様に上がっていることがわかった。
隣の部屋からは、物音がしないけど、その隣からは、物音がしていた。しかし、昨日から物音はしない。どうしたんだろう?その部屋の住人は、単身赴任中の男性だったはずだ。たまに、エレベーターで、一緒になる。挨拶程度の付き合いだが、いつも笑顔の男性だ。ちょっと太りすぎなので、職業柄少し健康面が気になる。
私の隣の部屋は静かだ。確か、市内の大学に通う女の子だ。それなりに勉強をして、それなりに遊んで、それなりに恋をしているようだ。正直、うらやましい。若さは有限な資源なので、大事に使ってほしい。無事だといいけど。
私の部屋から一番離れた部屋からは、ずっと、物音がする。住人は確か、OLさんだ。エレベーターで何度か軽く挨拶をしたことがあるけど、あまり、いい印象は受けなかった。これまで、何人も男の人が出入りしているようだ。少し住む世界が違うようなのであまり接触しないようにしている。多分、向こうもそう感じたのだろう。何となくこういった事は分かってしまう。
そして、上の階からも、かすかに音が聞こえる。怖いが、私には、何も出来ない。
出来るだけ寝室で過ごし、体力の消耗を抑える。
そんな日々の中、彼がやってきた。
そろそろ、室内の食料が無くなりそうな時だった。上の階から物音がする。すぐ上の部屋だ!一定のリズムで歩いている。救助だろうか?
それにしてはおかしい。通常なら、下の階から救助するのではないだろうか?
その足音は、ついにこの階にやってきた。チャイムが、久しぶりに鳴らされた。飛び上がるほど驚いた。でも、チャイムを鳴らすのなら、ゴブリンではないのだろうか?
いや、安心は出来ない。私は寝室に隠れたまま、やり過ごすことにした。
すると、足音の主は、なんとドアの鍵を壊して、室内に入ってきた。どうやって、鍵を壊したのだろう?このマンションの鍵は2つあるし、ドアチェーンもしていたのに!
怖い!私はベットの下に潜りこんだ。
足音は、室内を慎重に歩いている。しばらくすると、こちらに気づいたのか、寝室に近づいてくる。
だが、ドアの前で足跡が止まった。
どうしたんだろう?
私が、じっとしていると、ドアの向こうから、声が聞こえた。こちらを気遣っているのか、ゆっくりと話してくれている。
男性だ。理性もあるし乱暴はしないと言って、ドアの前で待っている。
どうすれば、いいんだろう?
しかし、食料も、もうほとんど無い。すると、こちらの考えを読んだように、食料を分けてもいいと言ってきた。食料で釣られたように思われるのは恥ずかしいが、背に腹は変えられない。
私は、ドアを開けることを決心した。賭けるしかない。
でも、私はずっと寝室にいたので、パジャマ代わりのジャージだ!あわてて、私は着替える。とりあえず、ジャージの下だけでも、ジーンズに変える。1分待つと言っていたのに、もう、3分はたっている。でも、まだ待ってくれている。どうやら、本当にこちらに押し入るつもりは無いようだ。
私は、姿見で髪だけ軽く整える。どスッピンなので化粧もしたいが、いくら何でも、それはやり過ぎだろう。
私は、震える手で寝室のドアをゆっくり、開ける。ドアから、少し離れたところに立っていたのは、すごく大きな男性だった。こちらの姿を見て、驚いている。
あっ!耳!隠していない!
それをごまかすように、私は、彼に名乗る。
「私、北村優子です」




