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漫画家志望、インドカレー屋に行く

街を歩いていると時折、鮮烈な出会いがある。


人。建物。道。そして……匂い。

今日の私の鼻腔を擽るのは、華々しい異国の香り。

いくつものスパイスが混ざった刺激的かつ蠱惑的なその匂いに誘われた私は、気づけば見知らぬカレー屋の前に立っていた。


インドカレー屋『ジャナンダ』。


看板には、ポップな書体でそう書いてある。

私はオレンジに塗られた、重たい木製の扉を開ける。

カランコロン、とドアベルが鳴る。


「いらっしゃいまセ〜。何名様ですカ〜」

「一人です」


私は人差し指を立てて人数を申し出る。

落ち着いた店内だ。

私の他に客はちらほらと数人ほど。

エキゾチックな置物や彩度の高い敷物なんかが棚や壁に飾られているが、ダークオークの木目を基調にした店内は目に優しい。

私は、店内がよく見渡せる奥まった席に座った。


「ご注文決まったら申し付けくだサーイ」


水を供してくれた店員さんに軽く会釈をし、テーブルの脇に立てかけてあったメニュー表を手に取り目を通す。

ふむ。オーソドックスなカレーに加え、インドカレー屋らしいバターチキンカレーやグリーンカレーといった特徴あるカレーも多い。

その中でも目を引くのは、『特製!ブラックジャナンダカレー』と太文字で強調されたカレー。

なるほど、写真に映るカレーはまさにブラックといったところ。

マットな黒色のルーに、根菜がちらほらと顔を覗かせている。

ゴクリと喉が鳴る。

甘いものは職場のおかげで食傷気味なため、身体が辛いものを求めているのだ。

元々辛いものが好きなタチなので、ちょっとした冒険心のようなものがいきり立つ。

軽く手を挙げて店員を呼び、『特製!ブラックジャナンダカレー』とナンを注文する。

水を一口含んで一息つき、脇に置いた手提げ鞄から描きかけのネームを取り出す。

次の漫画賞に出す作品だが、いまいちピンと来ていないのだ。

ネームを切り始めたはいいものの、イマイチ進みが悪く、こうして気付けばネームを眺めている。

何か、何かが足りないのだ。

ウンウンと頭を唸らせていると、横から人の近付く気配がした。


「おまタセしましタ〜。ブラックジャナンダカレーとナンになりまス。ごゆっくりどうゾ〜」

「ありがとうございます」


おおっ。

立ちのぼる湯気と一緒に、カプサイシンが攻撃的に迫ってくる。

実際に対面すると、その黒さが一層際立つような気がした。

一切の光を反射しないそのルーは、まるで月を浮かべる夜空のよう。

これは中々厳しい戦いになりそうだ。

私はスプーンを手に取る。


「いただきます」


まずは、そのまま。

一匙ぶんのルーを掬い、口元に運ぶ。


ふむ。ふむふむふむ。

まず感じるのは、シーフードの味だ。

香りだけではわからなかった、海鮮の味が舌の上で踊る。

美味しい。


おっと?

これは。

辛い。辛い。

辛〜い!

おおお、けっこう辛い〜!


俄然テンションが上がってきた。

一瞬にして、ちょっとした運動の直後のように身体が赤熱する。

少しばかり腕まくりをし、また一口。


美味しい〜!

けど辛い〜!


うんうん。

まさに欲しかった味ど真ん中といったところだ。

シーフードカレーだったところも、新しい店を開拓する時特有の『珍しいもの食べた感』を満たしたい気持ちを慰めてくれる。


いくらか食べ進めた後、ナンの存在を思い出す。

まずはカレーを付けず、()でいこう。


あっ、ふかふかだ〜。


あまり本格的なナンを食べる機会がなく、無印良品のナンでナンを知っていたつもりになっていたが……全く間違いであった。

本場のナン、すごい。


ふっかふか。


ナンというのは、パンがピザみたいな形に成形されたものだと思っていたが、これはもうそんな次元にない。

口に入れた瞬間、おそらく直火で炙られたであろう香ばしい小麦の香りが鼻を抜けるのだ。

この、野生味。

無印良品では味わえないだろう。

無印良品って野生の反対にあるから。


はっ。

気付くとナンそのままの状態で一枚食べ終わろうとしている。

こんな予定ではなかったのだが、まるで馳走を前にした子供のようにがっついてしまった。

カウンターの向こうの店員を見ると、にこやかな表情の彼と目が合った。

その目は雄弁に『おかわりも、あるヨ』と言っている気がした。

私は手を挙げて店員を呼ぶ。


「すいません、ナンを、もう一つ」


ええい。ままよ。

炭水化物など夕食でいくらでも調整可能だ。

自宅の冷凍ご飯より、ここのナンで炭水化物を摂るほうが幸福指数が高いのは自明だ。

残りのナンを食みながら新しいナンを待っていると、程なくしてふかふかのナンが届けられる。


さて。

私はこれから、このナンの本気を思い知ることになるだろう。

なぜなら、カレーと一緒に食べるのがナンの一般的な食べ方なのだから。

ふかふかのナンを手に取り、一口大に手でちぎる。

そして、カレー皿にそれを運び、真っ黒のルーに浸して……食う。


美味しい……。美味しい美味しいっ!


これはカレーとナンの掛け算、ではない。

じゃあなんだろう……累乗?

カレーとナンの累乗ってなんだろう。

まぁいいか。

とにかく美味しい。

素朴なナンと対比されるように、ブラックカレーのスパイスがより感じられる。

辛味はもちろんのこと、苦味、甘味、酸味……野菜と香辛料によって彩られた色とりどりの味覚が、ナンというまっさらのキャンパスの上で自由自在に自己を表現している。

あぁ。この極上の美術品を前にして、私の感性は無力。

ただその美しさ、バランス、完成度を味わい、舌鼓を打つだけ……。


おいしい、おいしい……。


―――――――――――――――――――――――――――


ごちそうさまでした。

満足満足。

心なしか体がぽかぽかしている。

いいランチだった……。


席から立ちあがり、レジ前に赴いて店員を呼ぶ。

そそくさと会計を済ませていると、レジ横に置いてあった写真立てに目が留まった。

そこには、店員が外国で撮影したであろう記念写真が何枚か飾ってある。

背景に注目すると、地平線まで続く草原や切り立った連峰など非常にバラエティに富んでいる。

よほど様々な国を旅したのだろうか。


「どうされましたカ?」


おっと。ついつい眺めすぎてしまった。


「少し、気になってしまって。こちらは旅行の時のお写真ですか?」

「旅行、チガウ。修行、デス」


修行かぁ。カレーの修行でこんなにたくさんの国を訪れるものなのだろうか。

旅行。修行。カレー……。


ハッ! 思いついた!

次の漫画賞に出す作品、カレーを極めるために様々なファンタジー的な国々を巡る物語はどうだろう。

ファンタジーとカレーを掛け合わせれば、ネタが潰えることはなさそうだ。

あとは……。


「お客サン?」

「あ、ごめんなさい。ごちそうさまでした!」


私は店員になるべく元気に感謝を伝える。

意気揚々と店の外に出ると、火照った体に外気が冷たく刺さる。


「よし、帰ってネタを考えるぞ~!」


カレー屋を背に、私は歩き出す。

また来よう。ブラックジャナンダカレーを食べに……。

・ジャナンダ

桜野台で唯一のインドカレー屋。

店の内装からは、店員の人生の波乱万丈さが伺える。

供されるカレーのクオリティはとても高く、じわじわと人気が出つつある。

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