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千味スーパーの店長と副店長

 スーパーマーケット「千味スーパー」には、今日もたくさんの客が訪れる。

朝には早起きの老人たちが、昼には休憩をとる働き者たちが、夜には献立を考えながら主婦たちが、ここの自動ドアをくぐるのだ。


 朝九時、少しずつ太陽が街を温め始めるころ。

私――松弘美は、裏口から千味スーパー、略して千スーの事務所へと入る。

今日で一週間となる会計事務のパー卜も少しずつ慣れてきて、少しは落ち着いて仕事が出来るかと思っていた。が。


「おはようございます」


(ゲェ、広田さんが事務作業してるじゃないの……)


私は内心呟く。

事務所の一番奥にある事務机には、角ばった眼鏡を掛けた男が座っている。

この千味スーパーの店長の、広田さんだ。

彼を一目見ただけで、出勤のタイムカードを押す前から幾ばくの疲労が溜まる感覚がした。


「おはよう」


 広田店長は、眼鏡越しに私を一瞥する。


「松さん」

「何でしょう」

「昨日の分の打ち込みですが、一箇所間違いが有りました」

「本当ですか。申し訳ございません」

「今日はそこの訂正から始めてください」

「は、はい」


(た、確かに悪いのは私なんだけど……! まだ一週間だし、もっと、慰めとか手心とか……!)


広田さんは正論の男だ。

優秀な仕事人に違いはないのだが、歯に着せぬ物言いがしばしばパートやアルバイトたちをぐさぐさと刺してしまう。

たった今、広田さんの言葉が私の心にぐさりと刺さってしまったように。

私が刺された傷をかばう様によろよろとパソコンの電源を付けようとしたところ、勢いよく事務所の扉が開けられた。


「お疲れ様ですー」


中に入ってきたのは、細身で中背の男性だ。

にへらと笑う表情からは、人柄の良さを感じられる。

副店長の大宮さんだ。


「お疲れ様です」


私が返事をすると、大宮さんはにこりと会釈をしてから広田さんの方へと歩いていく。


「店長、午後の品出しの相談です。特売にした洗剤の売れ行きが良いので追加で少し開けようかと思いますが、どうです」

「いや。あの売れ方なら今日中は保つ。締めのときに補充だ」

「わっかりました」


そう言うと大宮さんは、慌ただしく事務所を飛び出していった。

大宮さんは、広田さんとは正反対の男だ。

柔和な態度からパートの信頼は厚いが、時々ポカをするので広田さんに注意されている場面も良く目にする。

しかし、それに堪えた様子もなく明るく仕事や指示出しを行う。

もし好青年と好々爺の中間を表す語彙があれば、『大宮』になるだろう。


広田さんと大宮さん。

二人の真反対な上司との職場は、厳しくも優しい。

私はこの新しい職場が嫌いではなかった。

広田さんの言い方だけは……なんとかしてほしいのだが。


 昼休みの時間になった。

私はキリの良いところで作業を中止し、鞄を持って外へと繰り出した。

目的地は、インドカレー屋『ジャナンダ』。


「来たねぇ弘美。おつかれ〜」


ジャナンダの前には、一人の女性が立っていた。


「おまたせ、淳子」


淳子は、私とはいわゆるママ友の関係である。

息子同士が仲が良く、その縁で母親同士も、といった経緯だ。

先に育児を終えた淳子が働いていた千味スーパーに、下の子を園に預けられるようになった私が続いた形である。

ちなみに、彼女はレジ打ち担当だ。


合流した私たちは、オレンジ色に塗られたジャナンダの入り口扉を開く。


「いらっしゃいまセ〜、お好きなお席どうゾ〜」


店員が陽気な挨拶で出迎える。

カレーの香り高い匂いが、キッチンのほうからふんわりと漂ってくる。

おなかがグゥ、と鳴りそうなのを堪えて、店員に会釈をしながら店内を歩く。

私たちは窓際の二人がけテーブルに腰掛けると、サーブされた水にそれぞれ口をつけた。


「いやはや、事務作業って疲れるわね」

「やっぱりデスクワークはしんどい?」

「いや、ソレだけじゃないのよ……。あの、広田さんがね」

「あぁ、広田さん」

「悪い人じゃないのは分かるんだけどねェ、当たりがキツくない……?」

「う〜ん、あの人、そういう人だから」

「私、広田さんのこと苦手かも……わからないところ、大宮さんに訊いちゃうもん」

「そういう人多いねぇ、まぁ分かるよ」

「淳子はそうじゃないって言うの?」

「あたしはね……むしろ広田さん結構好きよ」

「えー、なんでよ」

「そのうち分かるわよ」

「何よそれ」


淳子とは、いつもこんな風な他愛もない話題で談笑している。

お昼に入るお店はまちまちだが、今日は私の希望でジャナンダにしてもらった。

このお店のインドカレーとナンは絶品で、一週間に一度は食べたくなる。

辛味はもちろん、本場でしか味わえないような苦味や酸味のある複雑なインドカレーが近場で味わえるのはこのお店しかないのだ。

この後も子供たちの話やこの町に新しくできたブティックの話なんかをしながらお昼休憩を過ごし、千味スーパーの午後の業務へと戻ったのだった。


業務を再開してから、少し小腹が空いたなと感じる頃。

退勤時間が近づき、心なしかそわそわとした気分になる。


「お疲れ様ですー」


午前中と同じように、事務所の扉が開かれた。大宮さんだ。


「店長。今日の仕事終わり、どうっすか」


そうにこやかに話しかける大宮は、猪口を呷るフリをしている。

つまり、お酒を吞まないか、と広田さんを誘っていることになる。

……意外だ。

二人が一緒に呑みに行くような間柄だったことも、広田さんがお酒を嗜んでいるということも。

私は仕事に集中するふりをしながら、聞き耳を立てる。


「仕事中だぞ」

「お昼は忙しかったから仕方ないじゃないですか。で、行かないんですか」

「そうとは言ってないだろう」

「わっかりました!ではまた後ほど」


大宮さんは元気な声で返事をし、嵐のように事務所を出ていった。

一週間働いてこのようなことは初めてだったので、正直、かなり驚いている。


「ふふっ」


笑い、声……?

どこから……まさか。


「騒がしくしてすまない、松さん。注意はするんだが、大宮は一向に直そうとしないんだ」


広田さんが……笑った。


「全く……しょうがない奴だ」


そう言う広田さんは、うっすらと笑みを零していた。

その予想だにしなかった反応にあっけにとられ、しばらく何も言えないでいたが、謝意を伝えられたことに遅まきながら気づき、慌てて返事をする。


「いやいや、大丈夫ですよ」

「そうか。良かった。退勤までよろしく頼む」


そのすぐ後には、広田さんはいつもの鉄面皮に戻っていた。

いつも通りの静寂が事務室に流れるが、私は先ほどまでのやり取りに衝撃を受け、まともにタイピングが出来ないでいた。


なんだろう、この感情。

胸の内がざわざわするような、温かくなるような……。


だが、一つだけわかることがある。

広田さんは案外、怖い人じゃないのかもしれない、ということだ。


・千味スーパー

桜野台の台所を一身に背負う大型スーパー。

最近イートインスペースができ、ご老人たちの社交場として人気を博している。

大柄で強面の店長は一見すると厳しそうな人物に見えるが、時折見せる柔和な接客態度は桜野台の住人達にいつも新鮮な驚きと感動を提供している。

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