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押し入れの娘-間宮響子-

作者: 江渡由太郎 原案:J・みきんど
掲載日:2026/02/06

 間宮響子は、玄関に足を踏み入れた瞬間から、この家が「待っていた」ことを悟った。


 父の葬儀を終え、遺産分与のために集まった実家。

 長女の雅子、次女の理恵、長男の俊哉、三女の美咲、そして末っ子の響子。

 誰一人として悲しみよりも、沈黙と苛立ちを抱えた顔をしている。


「……相変わらず、空気が重いわね」


 誰にともなく言った響子の言葉は、畳に吸われて消えた。


 問題の人形が見つかったのは、仏間横の押し入れだった。

 古い布団をどかした奥、まるで最初から“見つかる日”を待っていたかのように、白く澄んだガラスケースに収められていた。


 日本人形。


 黒髪は艶を失い、切り揃えられた前髪の奥から、硝子玉のような目がこちらを見返している。

 口元はわずかに笑っている――否、笑おうとして失敗した形だった。


 ケースの正面には、経年劣化のため黄ばんで端が今にも千切れそうな古いお札が一枚、無造作に貼られている。


「……こんなの、あった?」


 雅子が言った。

 全員が首を横に振った。


「私、子どもの頃からこの家にいるけど、見たことない」


「父さん、こんな趣味なかったはず」


「気味悪い……処分した方がいいんじゃない?」


 響子は何も言わなかった。

 否――言えなかった。


 人形から、低く、湿った圧が滲み出ている。

 怨念でも悪霊でもない。

 もっと原始的で、家族という血の塊に絡みつくもの。


「これ、触らないで」


 響子がそう言った瞬間だった。


「あ、悪い」


 俊哉が、ガラスケースを持ち上げた拍子に――ベリッと不快な音を立てて、お札の端を剥がしてしまった。

 一瞬、家全体が“息を吸った”。


「……今の……何?」


 誰も答えなかった。

 響子の喉の奥が、焼けるように痛んだ。




 その夜。

 親族全員が実家へと泊まった。


 仏壇の前で、二本の蝋燭が爆ぜるように燃え上がった。

 炎は異常な勢いで天井に伸び、次の瞬間、何事もなかったかのように消えた。

 芯だけが、黒く炭化して崩れ落ちる。


 ――合図だ。

 響子がそう気づいた瞬間、異変は突然やって来た。

 

 ガシャン。

 ガラスの砕ける音が、家中に響いた。


「う、うそでしょ……!」


 まるでからくり人形の様ように割れた古びたガラスの棺桶から這い出てきた。


 枯れ枝を折るように関節が鳴る。

 布と木が擦れる、乾いた音。

 そして人形の口が、ゆっくりと開く。


「……かえして」


 次女の理恵が、最初に悲鳴を上げた。

 人形が、瞬間移動したかのように彼女の足元に現れ、膝にしがみつく。

 皮膚の下を、冷たい指が這う。


「やだ! やだやだやだ!」


 次の瞬間、仏間の障子が破れ、二体目、三体目の日本人形が次々と現れた。

 押し入れ。

 天袋。

 仏壇の裏。

 ――最初から、一体ではなかった。


「父さんは……これを、封じてたの?」


 響子は震える声で呟いた。


 人形たちは、家族一人ひとりの名前を呼ぶ。

 それは父の声であり、母の声であり、この家に捨てられた“誰か”の声だった。


「財産を分けるんでしょう?」


「家を、血を、思い出を」


 長男の俊哉が白目を向いて倒れる。


 三女の美咲が、床を引きずられていく。


 響子は、最後に気づいた。


 この人形は呪いではない。


 相続だ。


 愛されなかったもの。

 見なかったことにされたもの。

 押し入れに閉じ込められ、忘れられた感情。

 それらが、形を持っただけ。




 翌朝。

 家は静まり返っていた。

 仏壇の前には、割れたはずの白く澄んだガラスケースが戻っている。


 その中には、一体の日本人形。

 前よりも、少しだけ――人間に近い顔で、笑っていた。

 ガラスには、新しいお札が貼られている。

 震える字で、こう書かれていた。


「次に剥がした者が、継ぐ」


 響子は、二度とこの実家には戻らなかった。

 だが今も、押し入れの奥から、誰かが自分の名前を呼ぶ声を聞く。


 それは、まだ終わっていない相続の音だった。



 ――(完)――

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