かつての恋人
夢結びは、縁結びに等しい。
夢に想い人が出てくれば、それは相思相愛の印だという。夢は赤い糸のような形をつくると、糸玉のように相手の首や体に絡む。
獏は夢を司る幻獣。故に、夢の赤い糸はくっきりはっきり見ることができた。人々の営みの中、糸は一人の人間から不特定多数に絡みついている。まるで蜘蛛の糸だ。
実れば糸は寄り合い、一本の太い糸となるが、縁が切れると途中でちぎれる。
そんなすれ違う人々の人生を山ほど見てきた獏にも、無数の糸が絡みついていた。
獏に思いを寄せる女性は多い。
容姿端麗で人を寄せ付けない冷たい美貌だが、中身はとても穏やか、物腰も優しい。誤解を生みやすい表情のせいで冷たい人だと思われがちだが、その実、とても優しい男なのだ。
だが、獏に絡みつく糸はどれも一時的なものばかりだった。
容姿に惹かれただけ。彼自身と深く交わろうとする糸はなく、出逢って数日後には自然とほつれ、ちぎれてゆく。なんとももろい恋慕だ。
獏は絡んではちぎれてゆく糸をわずらわしく思うときもあった。
――あの女人に逢うまでは。
獏は夢の庭へ繰り出した。
・・・ふと、永久的に植え付けたユズリハの樹が目に止まり、獏はその場にたたずんだ。
ユズリハの樹は獏にとって、ただの観賞用の庭木ではない。
かつての恋人の天女――譲葉の記憶を呼び起こすものだった。
獏は天帝よりつくられた幻獣。
彼女は天帝の娘。
おのずと出会う確率は増える。
はじめて彼女を目にしたのは、蓮の花が咲き乱れる庭園の池だった。
譲葉は気ままに蝶とたわむれていた。風に遊ぶ羽衣、長い銀色の髪。翡翠のかんざしはシャラと揺れ、彼女の存在そのものがまるで蝶のようだった。
軽やかな脚で、飛び石の上をとぶ。その笑顔はなにものにも縛られず、カタブツと揶揄される自分とは違い、とても自由だった。
・・・眩しいほどに。
「譲葉さま! 危のうございます!」
おつきの侍女たちが止めるが、彼女はきかない。
「きゃあっ!?」
つるっと、足を滑らせ池に落ちた。
獏はため息を付いた。
(しょせん、おてんばな苦労知らずのお嬢さまか)
蓮は泥水に咲く。美しい着物も顔も泥だらけになりながら、底なし沼のような池で助けを求める。
「・・・つかまれ」
手がかかると思いながら、溺れる彼女へ手を差し出した。素通りは気が引けたからだ。
刹那、彼女は強い力でぐいっと引っ張った。
「!?」
獏は池へ引きずり込まれる。共にずぶ濡れになるはめになった。
「あの。ごめんなさい、今服をかわかしているわ」
譲葉の屋敷へ招かれ、彼女は申し訳無さそうに頭を下げた。
「いや・・・」
気まずい沈黙。出されたあつい茶を飲みながら、風呂上がりの獏は、助けるんじゃなかったとじっとり女をにらむ。
「あのね、悪気はなかったの。・・・ほんとうにごめんなさい! よかったら、なにか償いをさせてほしいのだけれど」
譲葉は両手で拝みながら、ちらりと獏の顔色をうかがった。その仕草は叱られた童のよう。・・・獏はかすかにトクン、と胸がうずいたが、もみ消した。
「あれは事故だ。気にしなくていい」
「でも・・・」
すると、言葉を遮るように、侍女が変わりの服を持ってきた。獏は着替えのため立ち上がる。
「あ、私が手伝うわ」
侍女を下がらせ、譲葉は服を手に取る。一人でできないわけではないが、それで彼女の気が済むのならいいだろう。
獏は近寄ってくる彼女の気配に、ついっと目をそらした。
なんとなく、彼女は苦手だ。
世話焼きで、そのくせ融通がきかない。天真爛漫な笑顔もしぐさも、まぶしいくらいだ。
(日陰者の私とは、まるでちがうな)
夢に生きる、曖昧な存在の獏。
天帝の娘の天女。
言わずと知れた、陰と陽だ。相容れない。
「よいしょ」
譲葉は不慣れな様子で、おずおずと獏の腕へ袖を通す。帯をしめるとき、自然と抱きしめるようなかたちになって、互いの気まずさが倍増した。
沈黙に耐えきれず、獏のほうが折れて声をかけた。
「君は、いつもあのような場所で遊んでいるのか?」
「そうよ。私は機織りが嫌いなの。舞いは好きだけど。・・・お父様に閉じ込められるのも、お仕えするのも疲れたとき、ああしていっときの自由を満喫しているのよ」
譲葉はできた、と満足げに手を叩いた。・・・しかし襟はぐしゃぐしゃ、帯はだらりと締まりがたりない。
再びじっとりとにらむ獏の剣幕に押され、譲葉はうつむいた。
「・・・この調子では、嫁の貰い手はいないな」
獏は結局、自分で着付けしながら嫌味ったらしく言う。
すると譲葉はむくれた。
「余計なお世話よ。あなた、獏でしょう。噂は聞いてるわ。あなたに告白する娘はみな玉砕して泣いて帰るのに、求婚者は引きも切らないって。私よりはるかにだらしないんじゃなくて?」
「なに? 私がふしだらだと言うのか?」
獏はぷつんと怒りが湧いた。
「ええ、そうよ。泣かされた娘の中には、私の友達も入っているんですからね。あなたに薬を持って本懐を遂げてやるって泣きわめいていたわ。・・・フフ、せいぜい、戸締まりに気をつけるのね。失恋した女はなにするかわからないわよ」
譲葉は不敵に笑う。うぬぬ、と獏は怒るに怒れず、ついでにその友人の執念にぞっと悪寒が走った。
獏は神々からも恐れられる幻獣だ。天帝より運命を左右する絶対的な権限をあたえられている。天帝の命令によっては、死刑を執行することだってあるのだ。
獏を怒らせれば、神であれ命の保証はない。
譲葉は承知の上で噛みついてきている。その友人も、たいした度胸だ。
しぶしぶ、獏は言う。
「好きでもないのに付き合うほうが無礼だろう。それに私は、傷つけるような言い方はしていない」
「してるわよ。たったひとこと、『ほかを当たれ』なんて、タンパクにもほどがあるわ」
「・・・君、可愛くないと言われるだろう」
仕返しに嫌味を言ってやった。
譲葉はちょっと口をつぐんだ。
「・・・・・・言われないわよ。あなた以外にはね」
あ、これは傷つけた。――獏は失言したと眉を寄せた。
気丈に振る舞っているが、その瞳にはじわり涙がたまりつつある。
しかたなく、獏は言った。
「私を池に引きずり込んだ償いをしたいと言ったな。ならば今度、満月の夜に付き合え」
譲葉は涙が引っ込み、きょとんとした。
「それはいいけど・・・。なぜ夜なの?」
夜のお誘いか? いぶかしむ天女へ、幻獣は仕返しとせせら笑った。
「案ずるな。見せたいものがあるだけだ。おまえの体になぞ微塵も興味がないから安心しろ」
「なっ!?」
譲葉はかあっと顔を赤らめた。
「そんなこと期待してないわ! 馬鹿じゃないの、あなた!」
近場にあるものをつぎつぎと投げつけてくる。
「すました顔して、なんて腹黒で意地が悪いのかしら! みんなに言いふらしてやるわ、獏さまはけっして冷酷な執行人でもタンパクな人でもないって!」
湯呑の次に花瓶を手にとった譲葉の剣幕に、さすがの獏も退散した。
屋敷を出て、ほっとため息をつく。
「冷酷じゃない、か・・・。はじめて言われた」
ふと、そう言うと、彼は満足げに立ち去った。
満月の晩。待ち合わせの小川で獏は立っていた。
「遅かったな。来ないかと思った」
「来るわよ。服を汚したのは変わらないからね」
譲葉は警戒しながら言った。
「また変なこと言ったら、池に突き落とすけど」
どうやら恨みは根深いらしい。獏は苦笑して、その手を引っ張った。
「ちょっと!」
「みせたいものは天上界にはない。下界へ降りるぞ」
そのまま、現世――清水村の泉へと、二人は降りていった。
「そこに座れ」
獏は近場の岩に座らせる。あたりは人気もなく(いても人間だが)、譲葉の不安をかき立てた。
「ねえ、こんなところになにがあるの?」
「月が隠れればわかる」
譲葉は怪訝な顔をした。
「ただのの暇つぶしなら、帰るわよ」
「・・・天女が約束を違えるのか?」
獏は優雅に団扇で顔を仰いだ。夏の夜は蒸し暑い。じっくりと汗ばみ、厚着をしてきた譲葉はくらくらしてきた。
一時ほど、そうしていたが、譲葉は耐えかねて立ち上がる。
「もうっ、なにも起こらないじゃない。帰ってもいい?」
「まて。・・・やっと月が隠れた」
獏は団扇を閉じると、池を指す。真っ暗になったそこには、緑の光がほのかに灯り始めた。
――これは・・・。
「ホタルだわ」
譲葉は感嘆した。無数のホタルが、光の糸を引きながら、ポウッ・・・と灯っている。
「見るのは、はじめてか?」
獏が問うと、天女はうなずいた。
「夜は外出を禁じられているから。今日はあなたのおかげで見ることができたのね」
譲葉は何気なく言ったつもりだろうが、獏は不思議な居心地の良さを感じていた。基本的に女性とは反りが合わないことがほとんどだった。
譲葉の言動に遠慮がないからかもしれない。だから。
――たのしい、とほんの少しだけ思ってしまった。
譲葉はホタルを指に止めて見とれていた。何気なく髪をかきあげるその仕草に目が釘付けになり、あわてて視線を引き剥がす。
(私はなにも見ていない)
認めたくない感情が胸の中でくすぶり始めたのにうすうす気づいたが、無愛想を保つため唇を引き結んで気合を入れた。
「・・・何匹か、もってかえるか?」
譲葉は首を振った。
「ホタルは、二週間程度で死んでしまうんでしょ。そんな可愛そうなことはできないわ」
そっと、指先のホタルを笹の葉に戻す。
「誰かに愛されたくて身を焦がしているの。ほんとうにいじらしい子たちよね・・・」
彼女は言う。
――ねぇ、あなた。誰かと出会えるといいわね。
ホタルに言っているのに、その声はどこまでも優しくて。獏は目を丸くした。
「・・・また来年、ここにこようか?」
気がついたら、そんな事を口走っていた。
「待てっ! い、いまのは違うっ・・・!」
獏はぎょっとして口を抑え、訂正しようとしたが、手遅れだった。
譲葉はさっとたちあがると、「ほんとうっ?」と食いついてきた。
「っ」
その笑顔は、十五夜の月が雲の切れ間から覗いたような、目を奪われるものだった。
翌朝、自らの屋敷に戻った獏は、〈夢糸の庭園〉へと向かった。獏のみが出入りを許される場所である。
やがて譲葉の糸を確認した獏は、首をひねった。
自分に絡みついてくる糸は多い。なのに。
二人の糸は一向に、より合う気配がなかったのだ。
――・・・と、なれば結論はひとつ。
(友人としても、縁がないひとだということなのか?)
譲葉とは昨夜かぎりの縁。あれは蛍火のような、儚くもろい夢のような時間だったのだ。
獏は深く、息を吐いた。
これっきり、譲葉とはもう出会うこともないだろう。
だから。
隙間風がふくような心地がしたのは、きっと気のせい。
獏は庭園を出ると、夏のぬるい風に髪をあそばせるまま、しばし、たたずんでいた。
だが心とは正直なものだ。
あの晩いらい、獏は遠目から彼女を目で追いかけるようになってしまった。
譲葉は日中、舞いの稽古に勤しんでいる。
獏は木の枝に腰掛け、無関心を装いながら、それを目で追ってしまうのだ。
(私はなにをやっている・・・)
足元では、譲葉に下心を抱く男どもが鼻息荒く眺めていた。
普段なら、「くだらない」の一言ですます自分だったが、奴らの好奇の目に触れていると思うと、なぜか癇に障った。
木の上から音もなく飛び降りる。すると追っかけはぎょっと腰をぬかし、すごすごと退散していった。
・・・ふと、顔をあげると、譲葉と目が合った。
いつから気づいていたのか。彼女はこちらへ、にこりと笑い返した。
「う」
つい、目をそらしてしまった。・・・・・・重症だ。
(私はいつから、そんな暇人になった!)
獏はバカバカしい、とくだらない思考を切り捨てた。
糸もつながらない女人と接点を持って、なんの特がある。
しかし、心とは不思議なものだ。
禁じられれば、それだけ興味も増す。
獏は時間を見つけては、譲葉のもとへ通い詰めた。
やがて、譲葉にも、変化が見られ始めた。
獏が見当たらないと不安げに目をさまよわせ、見つけると蕾がほころぶように笑うのだ。
ふたりが惹かれ合うのに、時間はかからなかった。
獏は琴を奏で、譲葉はそれに合わせて踊る。天上界でふたりの仲は知らぬものがいないほど、似合いの二人だった。
共に過ごすようになってから、一年がたったころ。
二人は獏の屋敷――夢幻の庭に向かった。
「ユズリハの樹はね、だいだい、先祖の力を受け継いでゆく意味の樹なの」
彼女は言う。
「私の子供も、そのまた子どもたちにも、私や先祖の加護がありますように・・・とね」
「そうか」
獏ははにかんだ。
自然に笑えるようになったのは、まぎれもなく彼女のおかげだ。
譲葉の肩を引き寄せ、
「・・・ならばここに、ユズリハを植えよう」
選んだのは獏の私室からいつでも見られる場所。現世から取り寄せた苗を二人で植えた。
夢などではないと、証明するように。
この木が枯れない限り、彼女との縁は途切れないと。
――そう、信じたくて。
苗を植えながら、泥だらけの手がかさなった。
ぱちりと目が合い、ひゅっと呼吸がとまる。
「あ、あの・・・っ」
譲葉は、しどろもどろになりながら、ゆっくりと言った。
「獏。・・・わたし、を」
お嫁にもらってくれませんか?
そう言おうとした唇を、獏は自分のそれでふさいだ。
「・・・それから先は、私が言うべきだろう? だが、明日まで待っていてくれ。――正式に、君を娶らせてほしいんだ」
譲葉は目を見開く。それから、涙がほろりとこぼれた。
「ええ。・・・待っているわ」
――明日。きっと君に愛しているとつたえるから。
獏は誓う。
二人は、こつんと額を突き合わせ、ほほえんだ。
その晩。
獏は自らの糸と譲葉の夢の糸を結びつけた。
かたく。かたく。
けっしてほどけないように。
彼女と結ばれると信じたかった。
縁がないひとなんて、信じたくなかった。
自分は縁を司る幻獣。
――彼女との幸せを願うことに、どんな罪がある?
獏は結んだ糸を満足そうに、ほほえんで見上げた。
夏の満天の星空は美しかった。
夜の清涼な風が、糸をゆらした。
――譲葉が倒れたと知らせが入ったのは、翌日のことだった。




