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獏の夢結び  作者: 夢咲 紅玲朱


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8/21

五十年の時を超えて


娘の横たわる寝台の隣に席を設け、一同に茶が行き渡ると、和葉は重い口を開いた。

「わたくしの母、譲葉は、天女でございました。気まぐれだったのか、もともとそのつもりだったのか・・・。現世に降りたのです」



譲葉は現世――蛍が飛び交う泉へ降り立った。

羽衣を脱ぎ、近くの枝にかける。

天女にとって、羽衣は命と同等の価値がある。それなのに風にあそばせ、強風が吹いてもなおざりにしていた。

譲葉は草むらに座り込み、うなだれる。

銀の髪に隠れ、顔は見えなかったが、涙のしずくがぽたりぽたりとこぼれ落ちていた。

ただ事ではない。深い悲しみの渦にのまれているようだった。


――それを、一人の人間の男が覗き見ていた。

和葉の父だ。



「羽衣かっさらって、無理やり嫁にしたんじゃねぇだろうな?」

お子ちゃま仙人がぐさりと突っ込んだ。遠慮はないが、これでも友人の危惧を取り除いてやろうと思ってのことだ。

和葉は苦笑し、首を振った。

「父はそんな野蛮ではありませんよ。ただ、伝説にある天女とはずいぶん様子が違っていたものですから、そっと声をかけたそうです」

男は『なぜ泣いているのか』と問うた。

「母はそのまま父と会話するうち、次第に泣き止み、夜もふけたのでその夜は村に泊まったと」

「――」

獏はぎゅっと拳を握った。和葉には悪いが、正直、吐き気がする話だ。

友人はそれを悟ったらしい。「のろけは飛ばしてくれ」とうながす。

和葉はちょっと考え、「では」と先に続ける。

「やがて、二人は相思相愛になり、わたくしが生まれました。父も母も、とても可愛がってくれたことを覚えております。よく親子三人、湖のほとりを散歩したものです」

そうか、と獏は曖昧(あいまい)にうなずいた。

和葉は、急に声色を変えた。

「ところが、わたくしが四つのとき。〈白羽の矢〉が、我が家に立ったのです」

仙人と獏は顔を見合わせる。

「白羽の矢ってのは、生贄のことだよな? もしかしてその神さんは、清水村の、あのデカい蛇のことか?」

和葉は目を丸くした。

「大蛇様をご存知なのですか!?」

「あたぼうよ。俺は仙人だぜ、舐めてもらっちゃ困る」

仙人は小さい胸をそらし、蔦の巻き付いた杖でこつん、と床をつく。これでも知識はあるのだ。一応。

いっぽう、獏は裂けそうなほど痛む心をひた隠しにして、尋ねた。

「譲葉は、・・・生贄に選ばれたのか」

震える声。

死の足音がする。

五十年たった今になって、もうとっくに決まった結末を、想い人の最後を。

耳を塞ぎたい事実から、でも目をそらすことすらできなくて。


一日も彼女を忘れたことなどなかった。

誰よりもずっと、愛していたから。


「生贄に行くと、自分から言いました」

獏はとうとう、席を立った。窓辺へ向かい、星空を見上げるふりをして。こぼれ落ちる涙を、誰にもみせない。

和葉は続ける。彼女も、声が震えていた。

四歳だったとはいえ、記憶は残っているものだ。特に、悲しい記憶は。

「村を守りたい。わたくしと父を守りたいから、生贄なんて自分で最後にしたいと」

(馬鹿な女め!)

獏はギリッと血がにじむほど唇を噛んだ。

彼女の匂いが、鮮明によみがえる。


――ああ、そういう女だった、譲葉は。


自らを犠牲にしてまで、愛する人を護る。そういう女だ。


故人は今、ここにいるような気がした。

譲葉の魂は甘く切ない花のかおりを漂わせながら、獏の背に寄り添っている。

獏の肩に両手を添えて。

(君は、馬鹿だ・・・。死んでまでなお、私を気遣うことはないのに)

目に見えない、たおやかな手に、自分のそれを重ねる。

もう記憶の中でしか逢えないひと。

その手がどんな形をしていたか、記憶もおぼろげで。

でもその感触だけは、どれだけ時間が立っても忘れられないのだ。

獏は繰り返し、繰り返し自分に言い聞かせる。



譲葉は自分から向かった。それは彼女が自ら選択したこと。

人間と結ばれる道を選んだのも。築き上げた家庭を護りたいと大蛇に立ち向かったのも。

すべて、彼女の、選択。


(出会った頃からそうだった。君は、こうと決めたら頑固で譲らない)

獏はそっと、自らの肩に手を添えた。

ここに、譲葉の手がある。


――五十年の時を超えて、君は帰ってきた。

こんな形で、なんて。

生きて戻ってほしかった。



立ちすくみ、ずっと無言でいる獏。それを心配そうに寝台から見つめる娘がいた。

(獏さま・・・?)

彼は知らない。もう一人、自分を見つめる女がいるということを。


和葉は鼻をすすりながら続けた。

「大蛇さまは、母の読みより貪欲でした。天女を喰らってもなお、五年おきに生贄を求め続け、父は憔悴(しょうすい)し、毎日のように私を抱いて泣きくずれ・・・。こんなことなら、行かせるのではなかった。こんな村、滅んでもかまわなかったのにと」

和葉は次第に、声が縮んでいった。


おそらくここからなのだろう。村長の娘だった彼女が、奴婢の身分まで落とされたのは。

「父の様子を、見かねた他の村長たちのすすめで、新しい妻を(めと)ることにしたのです。跡継ぎもいませんでしたし、どうしても、男児をつくる必要がありました」

やがて、新しい妻との間に、男児が生まれた。

それが咲紀の父親、現在の村長である。

「父は、新しい奥方を愛せませんでした。冷遇したわけではなかったけれど・・・やがて父が亡くなると、わたくしは(うと)んじられ、次第に使用人のように扱われるようになり、ついに・・・」

「奴婢の身分まで落とされた、か・・・」

仙人が口を挟んだ。和葉は思い出すのもこわいらしい。ぶるりと肩を抱いていた。


――・・・これ以上は、聞くまい。

虐待を受けて育った和葉。それを間近で見ていた咲紀の父親は、母親を習って暴力を振るったのだろう。

姪にも、同様に。



和葉はそのまま、椅子をおりた。

「あ、おいっ」

仙人の静止も聞かず、彼女は額を床に擦り付けた。

「またあの村に変えれば、わたくしども親子は、確実に殺されます。どうか、犬馬の労もいといません。ここにおいてください。・・・せめて、娘だけでも」

獏はしばし、沈黙した。


「ほら、立ちな?」と仙人が促し、獏はようやく重い口を開く。

「私と譲葉は友人だった。ならば手を差し伸べて当然」

少し嘘をついた。友人以上の関係だったのは間違いない。

だが、譲葉の娘にも孫にも恋慕を抱かない決意が固まった今、強いて教えるべき事実でもないだろう。


獏は歩み寄り、和葉へ手を差し伸べる。この手に、譲葉の血が流れていることに、いまだ信じられない気持ちだった。

和葉はおずおずと顔色をうかがう。こちらの言葉に嘘がないか、疑心暗鬼なのだろう。奴婢に身分を落とされるまで、数々の裏切りにあってきたであろうことは察せられた。

獏は静かに言う。

「案ずるな。私は人間とは違う。一度した約束は、違えはしない」

幻獣は、天帝につかえるもの。嘘をつけば、罰があたえられる。

それを伝えると、ようやく和葉はほっとした表情になった。ふらりと体がゆらぎ、崩れ落ちるように気を失う。

「おかあさんっ」

娘は寝台から起き上がった。まだ体中あちこち痛いが、それどころではない。

仙人は脈をとる。

「気を張っていたのが安心しただけだ。数日眠れば元気になるだろうよ」

そう言うと、仙人は子供の体とは思えぬ剛腕で、和葉を横抱きにした。そのまま、隣の部屋へ連れてゆく。

あっけにとられながら、それを見送った娘は、ふと、獏の表情が気になった。

(なんだか、いまにも、枯れてしまう花のようなお顔だわ)

彼はふらふらと、外へ出ていってしまう。

娘はまぶたを伏せ、静かにそれを見送った。




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