身を焦がす
織女たちが織った白い花嫁衣装を身にまとい、首に勾玉の首飾りをさげる。
薬指を黒曜石でかるく切り、その血で唇に紅をさす。
血化粧を施した後、奴婢の娘は顔に布を被せられた。
顔を見せない生贄など、異例のことだ。
日焼けした肌に不相応な白い衣は、どう見ても贅沢三昧の村長の娘には見えない。苦しまぎれの策だ。
(こんな変装すぐにばれる。――そのとき、わたしはどうなるの?)
神の怒りを買えば、喰われることなく八つ裂きにされるかもしれない。
完全に無駄死にだ。
(でもお母さんは救える)
村のために死ぬ奴婢だ。
もしかしたら、母親は少しくらい同情してもらえるかもしれない。今より待遇が良くなる可能性だってある。
身支度を終えると、村の男達は釘を刺してきた。
「いいか。くれぐれも、逃げ出すなよ?――・・・おまえが逃げれば、母親の命はないからな!」
髪をぐいっとひっぱられる。娘は奥歯を噛んで耐えた。
「はい。逃げません・・・っ」
引っ張られた地肌が痛い。
きっと、血が滲んでいる。
男たちは娘の返事に満足すると、娘を白い布を張り巡らせた神輿に放り込む。
どやどやと談笑しながら出ていった。
ぽつんと取り残され、娘は静かに膝を抱えた。
静かな夜。
時おり響く虫の声は虚しさを掻き立てる。
ふと、あの異国の袍を身にまとった無愛想な男の顔が頭をよぎった。
「獏さまは、今夜も来ているかしら」
出会って二日。あの泉に彼は今日も来ているだろうか。
わたしを、待ってくれているだろうか。
(そうだったらいいな、なんて・・・)
娘たちの色恋の噂で聞いた。
〈夢結び〉という迷信。
恋する相手とは、夢と夢で結ばれているそうだ。相性が良ければ生涯離れることはない。赤い糸とも似た話である。
獏と出逢ったのは先日のことだし、夢に見たことはない。
でも。
――もういちど、逢いたい。
狼から護ってくれたあの腕に、もういちど抱かれたい。
もういちど、助けに来てほしいなんて。
(ばかね、わたし)
はは、とかわいた笑みが浮かんだ。
死にたくなかった。
毎日こころのどこかで死ぬことばかりを考えていた。どうやったら楽に逝けるかなんて。毎日、毎日。繰り返して。
でも今は、こうも胸が張り裂けそうなほど〈生〉を欲している。
彼の背中を追いかけている。
獏はあの泉で今日も待ってくれているだろうか。
わたしが来ないことに、すこしはがっかりしているだろうか。
わたしと過ごす時間を、楽しいと思ってくれていた・・・?
蛍のように短すぎる逢瀬。
明日にはもう、わたしはこの世にはいない。
――来年にはもう、わたしは彼の記憶にいない。
娘は横になった。猫のように身を縮ませ、ふるえる。
ぽろりと涙がこぼれた。
神輿の床にちいさな水たまりがいくつもできた。
彼は助けに来ない。期待できない。
単純な事実は、どの虐待よりも辛くて。痛い。
それからしばらくして。
大勢の村人の足音が、娘のこころを踏みつけるように響いてきた。
蛇との婚礼の儀式の、始まりだ。
「・・・くっ」
神輿がぐいっと担ぎ上げられた。その浮遊感と絶望を、唇を噛んで耐える。
無言の娘は、うつろな目を村へ投げた。
病の母。
初恋の人。
人生の宝物たちから、無理やり引き剥がされてゆく。
さよならは言えない。
言いたくない。
――わたしはまだ、生きていたい。
こころは残酷なほど正直で。
現実は残酷なほど変わらない。
神輿は止まることなく、娘をさらっていった。
大蛇が巣食う洞穴は、村の横の山にある。
絶壁なうえ、岩場が険しく、神輿を担ぐ村の男たちの素足は血まみれになっていた。
大蛇はどこから見張っているか、わからない。
普段なら、奴婢のためにここまでしないが、形だけでも村長の娘らしく見せる必要があった。
咲紀の父親も神輿に付き添う。
時おり、布でわざとらしくめそめそと、流しもしない涙をふく真似をする。
「うぅ・・・っ。咲紀、すまないなぁ」
(演技などもはや不要です、旦那さま)
奴婢はそっと、心のなかでつぶやく。
顔に被せられた布の隙間から、天を仰いだ。
(天候が変わってきている・・・。時期に嵐になるわ)
もう、大蛇は感づいている。娘はそう思った。
予感は的中。
しとしとと小雨が降り出し、次第にごうごうと強風が吹き荒れ、雨を巻き込み強烈な嵐を呼び始めた。
「こ、これはなんとしたことか・・・!」
村長はおののき、一行は立ち往生する。もはや目を開けていられないほどの突風が吹き荒れていた。
村の男たちは、顔を雨からかばいながら、叫ぶ。
「村長! これじゃ、前に進めませんよ! 下手すりゃ、全員死んじまいますっ!」
「もしかして、咲紀さまじゃないと大蛇さまにバレたんじゃ・・・!」
男たちは、巣穴に近づくのを恐れ始めていた。怒り心頭の大蛇のもとへ行くなど、自ら喰われに行くようなものだ。
村長は「うぬぬ・・・」と歯噛みしていたが、追い打ちをかけるように、山の頂上へ、突如雷が落ちた。
地面が激しく揺さぶられる。
足元がぐらつく。
たまらず神輿は男たちの肩から滑り落ち、娘は硬い岩場へあっさり投げ出された。
はずみで頭を強打する。
「いっ・・・!」
額が裂けた。顔を隠していた白い布を、真っ赤な血がみるみる染めてゆく。
「おい! 貴様、神聖な服を汚しおって!」
村長はカッとなると、娘の襟に掴みかかった。
娘は返事をしなかった。
首はだらりとさがる。
体は岩場に投げ出されている。揺さぶっても頬を叩いても、ぴくりともしない。
「まさか!」
――死んだのか!?
嫌な予感が、男の脳裏をよぎった。
この奴婢は、従順だ。このように怒鳴り付ければ、必ず土下座する。そのように教育してきた。
それが、ピクリともせずまぶたを閉じている。
村の男達は、同じことを思ったのだろう。手を伸ばし、娘の鼻から息が漏れていないのを確認すると、ぎょっとして手を引っ込めた。
「む、村長・・・! こいつ、死んでいます!!」
嵐はおさまる気配がない。
雨に打たれ、凍える風を体中に浴びながら、村の一行を重い沈黙がのしかかるように包んでいた。
――蛇に差し出す前に生贄が死んでしまった。
どうする!?? どうしたらいい!?
皆、一様に獰猛な顔で、地面に転がる娘を見下ろしていた。
大蛇によって、死が近づいてくる気配を、その場にいる全員感じていた。
やがて、最初に沈黙を破ったのは村長だった。
「・・・・・・・・・ひとまず、村へ帰ろう。この嵐の中、山の頂上へ行くのは危険だ」
村長は、ほつれた角髪から雫をしたたらせ、青い顔をしていた。唇は真っ白、血の気がない。
村人の一人が、ちっと舌打ちした。
「なんだよ。結局、最初からあんたの娘を差し出せば、丸く収まったことじゃねぇのかよ!」
無駄足だったうえ、大蛇を怒らせた。これは完全に、村長の落ち度だ。
こうなった以上、村の無事は保証されない。
村長は何も言い返さなかった。
――・・・代わりに、懐から小刀を取り出した。
「なにを・・・! うっ!?」
刹那、村長は男の心臓を一突きにした。
即死だ。
絶叫するまもなく、男は地面に転がされた。
「・・・ふん」
その体を、村長はどんと蹴った。
哀れ、男は絶壁から転がり落ちると、深い谷底へ消えていった。
その場にいる全員、戦慄が走った。
「殺した・・・!」
「人を殺めるなんて・・・!」
ゾッとして、言葉も出ない。口を抑え、村人たちは震え上がった。
村長は、静かに言う。
「他に、口答えするものはいるか?」
血が滴る小刀。返り血を浴び、生臭い匂いが染み付いた男は、残忍な笑みを浮かべ、村人へ迫る。
「――・・・っ」
誰一人、目を合わせるものはいなかった。
皆、視線をそらし、震える手で空になった神輿を担ぎ直す。
「戻るぞ」
村長の言葉に、すごすごと従う。
蟻の行列のようだ。従順に、己の身を守るため、無駄口さえたたかない。
村長はそれを見届けると、事をややこしくした娘――奴婢を見下ろし、「役立たずが」と捨てぜりふを吐いて去っていった。
雨はやまない。
豪雨は死者の憎しみを煽るように、麓の村へふりそそぐ。
白い衣を身にまとう女の遺体は、ぽつんと現場に残されていた。
もう誰も戻ってこない。
だれも娘をさがさない。
そのうち彼女の存在は人々の誰からも忘れ去られるのだろう。
――だがひとり。彼女を案ずる男がいた。
獏は清水村へ降りていた。
今夜も蛍の泉で待っていたが、待てども来なかったのだ。
我ながら滑稽だと思うが、どうにも気になって、村へ行ってみたのだった。
ほとんどの民家は留守だった。
村人総出で、なにか大事が起きているのか。
――『五年に一度、生贄を求めて・・・』
娘の言葉。
嫌な予感が頭をよぎる。
「お助けくださいっ!!」
と叫ぶ女の声がした。
獏ははっとして振り返った。
奴婢なのだろうか。あの娘と同じ汚れた服を着ている。
女は山へ向かってふらふらと、でも必死になって向かっていた。
「その娘はわたしの子なの! お嬢様じゃないのよ!!」
――わたしの子?
獏は瞬時に悟った。この女人はあの娘の母親か。
急ぎ事情を聞くと、獏の推理はあたっていた。
危惧したことが現実になってしまったことも。
獏は天界から従者を呼んだ。
母親をあずけ、みずから探しに出る。
もう少しはやく気づいていれば。
獏は歯噛みする。
今神輿はどこまで進んだのだろう。まだたどり着いていないことを切に願う。
――だが、希望は粉微塵に砕け散った。
「遅すぎた・・・」
獏は娘の遺体の前で立ちすくんだ。
白い布は血で染まっている。
冷たくなった頬は雨にうたれ、つるりと青白い。
投げ捨てられた血のついた小刀。
殺され、谷底へ落とされた男の血は、雨で薄められてはいるが、ただならぬ不気味な余韻を残していた。
事故がおきたのか。
殺害されたのか。
今は、普段のように冷静に判断することは難しかった。
獏は、白い袖が泥に汚れるのも構わず、膝をつく。
娘のきゃしゃな体を抱き起こした。
ちいさな手をにぎる。
「・・・つめたい」
青白い頬。
あのふわりとわらう顔とは、似ても似つかなかった。
獏はガッと拳で岩の地面を殴りつけた。拳から血が滲み、雨に溶かされてゆく。
「――私は・・・・・・・・・!」
もういちど、娘の笑顔が見たかった。
ただそれだけ。
それだけだったのに。
――自分とかかわった女性は、皆、不幸になってしまう。
どしゃぶりの雨は無情にふたりを打ち付ける。
獏はまるで自分のせいだと言うように、かたく娘を抱きしめる。
・・・ふと。
娘の鼻から、かすかに吐息が漏れた・・・・・・気がした。
「――そなた」
生きていたのか。
「生きようとしてくれているのか?」
まだ、助かる。
助けられる。
直感で察すると、男は突き動かされるように立ち上がった。
娘を抱き直し、力強く前を向く。
「案ずるな。そなたも、母親も。だれも死なせはしない」
己の豹変ぶりに一番驚いているのは自分だが、なりふり構わず、地を蹴る。
ふわりと宙に浮くと、男は天高く雲の隙間へ消えていった。
――・・・暗い洞穴の中から覗う、2つの黄色い目玉に気づかずに。




