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獏の夢結び  作者: 夢咲 紅玲朱


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3/21

生贄



早朝。

娘は腰にウサギを数匹、吊るして山を降りた。仕掛けていた罠にかかっていたのだ。

奴婢は狩猟も請け負う。さすがに、(おおかみ)相手は厳しいが、獅子(しし)や鹿などなら弓を使って仕留められる。

娘は動物の体のつくりをすべて熟知していた。肉は料理に、毛皮は()いで処理したあと、防寒具や装飾に使用する。

狩ってきた獲物を、娘は躊躇(ちゅうちょ)せずさばいた。肉を断つ包丁から、返り血がとぶ。

頬を汚すそれを気に留めることなく、作業を続けた。この仕事は皆が嫌がる。それでも食料にありつける貴重な機会だ。

村人から食料をもらえずとも生き抜いてこられたのは、ひとえに娘が狩猟を請け負っていたからである。

(ひたい)の汗をぬぐったときだった。

――突然、大気を切り裂くような悲鳴がとどろいた。

「悲鳴・・・? あの声はもしや、お嬢様・・・!?」

先日、父親にむち打たせ楽しんでいた咲紀が、この世の終わりのような悲鳴を上げている。

嫌な予感がした。

今、この離れた場所にいる自分に、なんの関係もないはず。

しかし、妙な胸騒ぎが消えない。

(これは、そう・・・。お父さんが死んだときと同じ・・・)

あのときも、こんな気持ちの悪い、足元から幸せが崩れ去っていくような、嫌な感覚がしたのを覚えている。

忘れられないもの。

絶望が近づいてくる気配だ。

包丁を投げ捨て、娘はとびだした。




村の道を、裸足で駆ける。

騒ぎの中心――村長の屋敷の前に立った。


「お父さま! いやよ、生贄なんて、絶対いやっ!」

咲紀が、気が狂わんばかりに泣き叫んでいた。

(なにがあったの・・・?)

奴婢の娘は、視線を咲紀から、その屋敷へと向ける。そして息をのんだ。

「・・・・・・あれは!!」

屋根に、深々と白羽(しらは)の矢が刺さっていた。

蛇の花嫁に選ばれた印だ。

この村では、主祭神に大蛇(おろち)を祀っている。

蛇は龍神と同等とされ、恵みの雨をもたらしてくれるのだ。

大蛇は普段、巣穴で眠っている。しかし五年に一度、眠りから寝覚めると、空腹から生贄を求めるのだ。

生贄は蛇に嫁ぐ。

白の衣を着せられ、洞窟へ入ったら最後、二度と戻らない。

この風習は百年もの間、続いていた。

拒めば、村は洪水に襲われると伝承されている。

そして今回、村長の娘に白羽の矢が立った。大蛇が咲紀を気に入り、欲しているのだ。

「いやぁっ! ねえ、お父さま! なんとかしてよ!」

咲紀は髪を振り乱し、半狂乱(はんきょうらん)で父の裾にしがみつく。

「咲紀・・・」

「私を差し出したりしないでしょう!? そうよね?」

父親は、ぐったりと肩を落としていた。まさか想像もしていなかっただろう。手塩にかけた娘を、生贄に出すはめになるなんて。

親子を取り囲む村人は、ヒソヒソと、しかし聞こえるようにしゃべる。

「大蛇さまの神託(しんたく)は絶対だ。破ったらどんな災が降りかかるか!」

「この前は、村一番の美人だったよな? あれも家族が可愛そうだった・・・」

「咲紀さまはお美しい。大蛇さまがお気に召すのも当然だね」

「村長には悪いが・・・、村を救うためだ。致し方ねえ」

・・・・・・つめたい人たち。

奴婢は、心のなかで、ぽつりとつぶやいた。

普段から、咲紀を称賛するものは多い。

気立てがいいとか。美人だとか。

輪をかけて村長の娘だから、求婚者は引きも切らない。それが咲紀の取り(つくろ)ってきた仮面だとしても。

今はどうだ。

求婚してきた男どもは皆、誰も父親に懇願しようとしない。

己の身を危険にさらしてまで咲紀を愛する度胸が、なかったということだ。

死にたくない咲紀は、歯を食いしばり、天を(にら)み殺さんばかりに呪っていた。

だがそんな姿を見ても、奴婢の娘は心が晴れない。

嫌な予感は増すばかりだ。

「そうだわっ! お父さま、思いついたわ!」

とつぜん、それまで絶望に打ちひしがれていた咲紀が、手を叩いた。

「名案があるのか!?」

父親は食い入ってその肩を抱く。

咲紀は生気を取り戻し、美しい唇を歪めた。蛇のような笑みだ。いや、蛇よりも恐ろしいかもしれない。

女は、たっぷりと妖艶(ようえん)な笑みを浮かべると、父親に腕を絡ませた。

「――――・・・っ!」

あろうことか、その視線は、こちらへ向いている。

(わたし、を、見ているの・・・?)

嫌な脂汗がでた。

ゆっくり時間をかけて頬をすべり落ちる。

それは、まるで神託のように。

咲紀は娘を、まっすぐ指さした。

「あの奴婢は、私と歳も背格好も対して変わらないわ。彼女には悪いけど、私の身代わりになってもらうのはどうかしら?」

『死』が宣告された。

あぁ・・・。やっぱり。

体から五感が消失していく。

こうなる日が来るのを、心の何処かでわかっていた。それは先日、村長に(むち)で打たれたのだって。

咲紀は賢い娘なのだ。

ただ奴婢をいじめるためだけに、宴を台無しにしたわけじゃない。

人々の前で命を助けることで、村人へ慈悲深い印象をあたえるとともに、奴婢に貸しを作り、いざという時の捨て駒にするつもりだったのだ。

さっきのうろたえぶりから察するに、白羽の矢までは予測できなかったようだが、いつか有事の際にいつでも身代わりにできるよう、日頃から気を配っていたに違いない。

それがたまたま、今日だった。

(わたしは、いつの日か殺されるために、咲紀に生かされていた・・・・・・)

はは、と乾いた笑いが口から()れた。

自嘲(じちょう)とも違う。

無論、咲紀を称賛しているわけでもない。

己の運命を、こんな小娘におもちゃにされた。それが妙に笑えてしかたがない。

それに気づかず、村人たちは意見が真二つに割れていた。

「村長! いくら娘が可愛いからって、それはだめだ!」

「そうよ、天罰(てんばつ)が降り掛かってきたとき、あなたは責任を取れるのですか!?」

「みんな、身を裂く思いでこれまで生贄を捧げてきたんだ。自分だけ助かろうなんて、虫が良すぎる!」

反対の意見。

しかし、咲紀に思いを寄せる若い男たちは違う。

さっきまで他人のふりだったのが嘘のよう。急に咲紀を擁護(ようご)しはじめた。

「この奴婢は、咲紀に命を救ってもらった恩があるはずだ!」

「奴婢の一人や二人、死んだってかまわねぇだろ!?」


奴婢の命は、(ちり)よりかるい。


いつか言われた村長の言葉だ。

幼い頃から犬のように何度も〈(しつけ)〉されてきた。逆らわぬよう、〈言葉の首輪〉で(つな)がれて。

その手綱(たづな)を握るのは、決まって咲紀たち親子だった。

(わたしは、人間ですらないのか・・・?)

娘はひそかに(こぶし)を握る。

手が震えた。

悲しみのせいか。

それとも、噴き出すどす黒い殺意をこらえているのか。


そして若者の、最後の一言が決定的となった。

「この奴婢じゃないなら、この村から若い娘を生贄に出すことになるぞ! それでもいいのか!?」

――――・・・・・・・・・!!

反対派が、静まり返った。

みな、目をそらし、沈黙する。

我が家の娘を生贄に出すなどまっぴらごめんだ。顔にはそう書いてあった。

村人の視線は、当たり前のように奴婢の娘へ集まる。

すさまじい重圧だ。

(わたしをかばってくれる人は、いない)

母がこの場にいたら。護ってくれただろう。

しかし、母は病だ。

(こばめば、お母さんが殺される)

村人の顔はそう物語っている。

――無情だ。

娘は、静かに天をあおいだ。

雲ひとつない青い空。

外の世界は八百万(やおよろず)の命のきらめきに満ちていた。

ささやきあう木々の葉。小鳥のさえずり。風に乗る花の香り・・・・・・。

すべてがまばゆいくらいに美しい。

美しすぎて。――だから(こく)なのだ。

(これが、わたしの見る最後の世界)

もう愛でることはできないであろう、故郷の景色。

最後に見た空は、おそろしいくらい綺麗だった。

娘は、強要される前に自ら地へ膝をつく。

ゆっくり、ゆっくりと時間をかけて平身低頭した。

これは最後の抵抗。

虫けら同然の奴婢の、最後のあがきだ。

「ご命令に、従います」

いつもよりはっきりした声が出た。

こんな状況でも、頭を下げるしかなかった。

でもこの行動は、(はじ)ではない。

――虫けらには虫けらなりの誇りがある。大切な人の護り方がある。

(わたしは、あなた達の言いなりになるために頭を下げているわけじゃない。お母さんを(まも)るために、最後にその瞳に映るわたしの姿を、美しく気高くするためにこうするの)

娘はほほえんだ。

咲紀はたっぷりと余裕めいた顔でいたが、不可解な顔をしていた。

奴婢がもっと抵抗すると思っていたらしい。

理解できない様子だった。


娘は再度ほほえむと、立ち上がった。

強固に迫る男たちへ自らついていく。

「待ちなさい」

すれ違いざま、咲紀は娘を呼び止めた。

娘にしか聞こえない声で問う。

「なんで笑っていられるの? あなたは昔からそうだった。私がどれだけ痛めつけても、あなたは次の日には笑っていたわ。今だって、死ぬ運命なのに。どうして?」

咲紀は視線で人払いすると、「ふん」と鼻でせせら笑った。

「どうせ、心のなかではわたしに勝った気でいるのでしょう? なにかたくらんでいるのね? 無駄よ。村人総出で蛇の巣穴まで送るのですもの。逃げられやしないわ」

娘はため息をついた。

「咲紀・・・」

と、はじめて名指しで呼ぶ。

娘と咲紀は従姉妹(いとこ)だった。

お嬢さまと呼ばれないことに咲紀は(かた)(まゆ)がはねたが、今はとがめない。

娘は続けた。

「咲紀。あなたは〈ほんとうの意味で〉誰にも愛されないわ。今までも。この先も」

「どういうこと?」

怪訝(けげん)な顔をする咲紀へ、娘はおだやかな視線を向ける。

「あなたが唯一理解できないものは〈愛〉よ」

大勢の人間の(しかばね)で築き上げられた、血塗られた階段をひとりでのぼる咲紀。

血の匂いのする場所には、おのずと不幸が集まってくる。

人を利用することしか知らないお嬢さま。

愛を知らない、かわいそうなお嬢さま。

「・・・さようなら」

もうこれ以上、話すことはない。

娘はすこし離れたところで待つ男たちのもとへ向かう。

その足取りは、死出の旅路へ向かうとは思えぬほどかろやかだった。




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