生贄
早朝。
娘は腰にウサギを数匹、吊るして山を降りた。仕掛けていた罠にかかっていたのだ。
奴婢は狩猟も請け負う。さすがに、狼相手は厳しいが、獅子や鹿などなら弓を使って仕留められる。
娘は動物の体のつくりをすべて熟知していた。肉は料理に、毛皮は剥いで処理したあと、防寒具や装飾に使用する。
狩ってきた獲物を、娘は躊躇せずさばいた。肉を断つ包丁から、返り血がとぶ。
頬を汚すそれを気に留めることなく、作業を続けた。この仕事は皆が嫌がる。それでも食料にありつける貴重な機会だ。
村人から食料をもらえずとも生き抜いてこられたのは、ひとえに娘が狩猟を請け負っていたからである。
額の汗をぬぐったときだった。
――突然、大気を切り裂くような悲鳴がとどろいた。
「悲鳴・・・? あの声はもしや、お嬢様・・・!?」
先日、父親にむち打たせ楽しんでいた咲紀が、この世の終わりのような悲鳴を上げている。
嫌な予感がした。
今、この離れた場所にいる自分に、なんの関係もないはず。
しかし、妙な胸騒ぎが消えない。
(これは、そう・・・。お父さんが死んだときと同じ・・・)
あのときも、こんな気持ちの悪い、足元から幸せが崩れ去っていくような、嫌な感覚がしたのを覚えている。
忘れられないもの。
絶望が近づいてくる気配だ。
包丁を投げ捨て、娘はとびだした。
村の道を、裸足で駆ける。
騒ぎの中心――村長の屋敷の前に立った。
「お父さま! いやよ、生贄なんて、絶対いやっ!」
咲紀が、気が狂わんばかりに泣き叫んでいた。
(なにがあったの・・・?)
奴婢の娘は、視線を咲紀から、その屋敷へと向ける。そして息をのんだ。
「・・・・・・あれは!!」
屋根に、深々と白羽の矢が刺さっていた。
蛇の花嫁に選ばれた印だ。
この村では、主祭神に大蛇を祀っている。
蛇は龍神と同等とされ、恵みの雨をもたらしてくれるのだ。
大蛇は普段、巣穴で眠っている。しかし五年に一度、眠りから寝覚めると、空腹から生贄を求めるのだ。
生贄は蛇に嫁ぐ。
白の衣を着せられ、洞窟へ入ったら最後、二度と戻らない。
この風習は百年もの間、続いていた。
拒めば、村は洪水に襲われると伝承されている。
そして今回、村長の娘に白羽の矢が立った。大蛇が咲紀を気に入り、欲しているのだ。
「いやぁっ! ねえ、お父さま! なんとかしてよ!」
咲紀は髪を振り乱し、半狂乱で父の裾にしがみつく。
「咲紀・・・」
「私を差し出したりしないでしょう!? そうよね?」
父親は、ぐったりと肩を落としていた。まさか想像もしていなかっただろう。手塩にかけた娘を、生贄に出すはめになるなんて。
親子を取り囲む村人は、ヒソヒソと、しかし聞こえるようにしゃべる。
「大蛇さまの神託は絶対だ。破ったらどんな災が降りかかるか!」
「この前は、村一番の美人だったよな? あれも家族が可愛そうだった・・・」
「咲紀さまはお美しい。大蛇さまがお気に召すのも当然だね」
「村長には悪いが・・・、村を救うためだ。致し方ねえ」
・・・・・・つめたい人たち。
奴婢は、心のなかで、ぽつりとつぶやいた。
普段から、咲紀を称賛するものは多い。
気立てがいいとか。美人だとか。
輪をかけて村長の娘だから、求婚者は引きも切らない。それが咲紀の取り繕ってきた仮面だとしても。
今はどうだ。
求婚してきた男どもは皆、誰も父親に懇願しようとしない。
己の身を危険にさらしてまで咲紀を愛する度胸が、なかったということだ。
死にたくない咲紀は、歯を食いしばり、天を睨み殺さんばかりに呪っていた。
だがそんな姿を見ても、奴婢の娘は心が晴れない。
嫌な予感は増すばかりだ。
「そうだわっ! お父さま、思いついたわ!」
とつぜん、それまで絶望に打ちひしがれていた咲紀が、手を叩いた。
「名案があるのか!?」
父親は食い入ってその肩を抱く。
咲紀は生気を取り戻し、美しい唇を歪めた。蛇のような笑みだ。いや、蛇よりも恐ろしいかもしれない。
女は、たっぷりと妖艶な笑みを浮かべると、父親に腕を絡ませた。
「――――・・・っ!」
あろうことか、その視線は、こちらへ向いている。
(わたし、を、見ているの・・・?)
嫌な脂汗がでた。
ゆっくり時間をかけて頬をすべり落ちる。
それは、まるで神託のように。
咲紀は娘を、まっすぐ指さした。
「あの奴婢は、私と歳も背格好も対して変わらないわ。彼女には悪いけど、私の身代わりになってもらうのはどうかしら?」
『死』が宣告された。
あぁ・・・。やっぱり。
体から五感が消失していく。
こうなる日が来るのを、心の何処かでわかっていた。それは先日、村長に笞で打たれたのだって。
咲紀は賢い娘なのだ。
ただ奴婢をいじめるためだけに、宴を台無しにしたわけじゃない。
人々の前で命を助けることで、村人へ慈悲深い印象をあたえるとともに、奴婢に貸しを作り、いざという時の捨て駒にするつもりだったのだ。
さっきのうろたえぶりから察するに、白羽の矢までは予測できなかったようだが、いつか有事の際にいつでも身代わりにできるよう、日頃から気を配っていたに違いない。
それがたまたま、今日だった。
(わたしは、いつの日か殺されるために、咲紀に生かされていた・・・・・・)
はは、と乾いた笑いが口から漏れた。
自嘲とも違う。
無論、咲紀を称賛しているわけでもない。
己の運命を、こんな小娘におもちゃにされた。それが妙に笑えてしかたがない。
それに気づかず、村人たちは意見が真二つに割れていた。
「村長! いくら娘が可愛いからって、それはだめだ!」
「そうよ、天罰が降り掛かってきたとき、あなたは責任を取れるのですか!?」
「みんな、身を裂く思いでこれまで生贄を捧げてきたんだ。自分だけ助かろうなんて、虫が良すぎる!」
反対の意見。
しかし、咲紀に思いを寄せる若い男たちは違う。
さっきまで他人のふりだったのが嘘のよう。急に咲紀を擁護しはじめた。
「この奴婢は、咲紀に命を救ってもらった恩があるはずだ!」
「奴婢の一人や二人、死んだってかまわねぇだろ!?」
奴婢の命は、塵よりかるい。
いつか言われた村長の言葉だ。
幼い頃から犬のように何度も〈躾〉されてきた。逆らわぬよう、〈言葉の首輪〉で繋がれて。
その手綱を握るのは、決まって咲紀たち親子だった。
(わたしは、人間ですらないのか・・・?)
娘はひそかに拳を握る。
手が震えた。
悲しみのせいか。
それとも、噴き出すどす黒い殺意をこらえているのか。
そして若者の、最後の一言が決定的となった。
「この奴婢じゃないなら、この村から若い娘を生贄に出すことになるぞ! それでもいいのか!?」
――――・・・・・・・・・!!
反対派が、静まり返った。
みな、目をそらし、沈黙する。
我が家の娘を生贄に出すなどまっぴらごめんだ。顔にはそう書いてあった。
村人の視線は、当たり前のように奴婢の娘へ集まる。
すさまじい重圧だ。
(わたしをかばってくれる人は、いない)
母がこの場にいたら。護ってくれただろう。
しかし、母は病だ。
(こばめば、お母さんが殺される)
村人の顔はそう物語っている。
――無情だ。
娘は、静かに天をあおいだ。
雲ひとつない青い空。
外の世界は八百万の命のきらめきに満ちていた。
ささやきあう木々の葉。小鳥のさえずり。風に乗る花の香り・・・・・・。
すべてがまばゆいくらいに美しい。
美しすぎて。――だから酷なのだ。
(これが、わたしの見る最後の世界)
もう愛でることはできないであろう、故郷の景色。
最後に見た空は、おそろしいくらい綺麗だった。
娘は、強要される前に自ら地へ膝をつく。
ゆっくり、ゆっくりと時間をかけて平身低頭した。
これは最後の抵抗。
虫けら同然の奴婢の、最後のあがきだ。
「ご命令に、従います」
いつもよりはっきりした声が出た。
こんな状況でも、頭を下げるしかなかった。
でもこの行動は、恥ではない。
――虫けらには虫けらなりの誇りがある。大切な人の護り方がある。
(わたしは、あなた達の言いなりになるために頭を下げているわけじゃない。お母さんを護るために、最後にその瞳に映るわたしの姿を、美しく気高くするためにこうするの)
娘はほほえんだ。
咲紀はたっぷりと余裕めいた顔でいたが、不可解な顔をしていた。
奴婢がもっと抵抗すると思っていたらしい。
理解できない様子だった。
娘は再度ほほえむと、立ち上がった。
強固に迫る男たちへ自らついていく。
「待ちなさい」
すれ違いざま、咲紀は娘を呼び止めた。
娘にしか聞こえない声で問う。
「なんで笑っていられるの? あなたは昔からそうだった。私がどれだけ痛めつけても、あなたは次の日には笑っていたわ。今だって、死ぬ運命なのに。どうして?」
咲紀は視線で人払いすると、「ふん」と鼻でせせら笑った。
「どうせ、心のなかではわたしに勝った気でいるのでしょう? なにかたくらんでいるのね? 無駄よ。村人総出で蛇の巣穴まで送るのですもの。逃げられやしないわ」
娘はため息をついた。
「咲紀・・・」
と、はじめて名指しで呼ぶ。
娘と咲紀は従姉妹だった。
お嬢さまと呼ばれないことに咲紀は片眉がはねたが、今はとがめない。
娘は続けた。
「咲紀。あなたは〈ほんとうの意味で〉誰にも愛されないわ。今までも。この先も」
「どういうこと?」
怪訝な顔をする咲紀へ、娘はおだやかな視線を向ける。
「あなたが唯一理解できないものは〈愛〉よ」
大勢の人間の屍で築き上げられた、血塗られた階段をひとりでのぼる咲紀。
血の匂いのする場所には、おのずと不幸が集まってくる。
人を利用することしか知らないお嬢さま。
愛を知らない、かわいそうなお嬢さま。
「・・・さようなら」
もうこれ以上、話すことはない。
娘はすこし離れたところで待つ男たちのもとへ向かう。
その足取りは、死出の旅路へ向かうとは思えぬほどかろやかだった。




