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獏の夢結び  作者: 夢咲 紅玲朱


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16/21

石ころじゃない


琴の演奏が始まる。両国の芸妓による舞が披露されたが、夢夜も獏もまったく目に入らなかった。

だれが割り当てたのか。よりにもよって、咲紀が隣の席だからだ。

両国の親睦を深めるに当たり、階級に関係なく席を割り当てられる。偶然にしては運がなさすぎた。

獏を挟んで座っているが、これでは生きた心地がしない。獏はずっと震える夢夜の手を握っていた。

やがて、天女たちの舞が終わる。

と、いきなり咲紀は立ち上がった。

「見事な舞いでしたわ。そこでひとつ、提案があります」

びくりと肩が強ばる。すかさず、獏は咲紀を睨んだ。

咲紀は気に留めず言う。

「譲葉さまは、舞いの名手だったとか。譲葉様のお孫さまに、ひとさし舞っていただいてはいかがでしょう?」

それは賛成だ、と皆が手を叩いた。夢夜は今度こそ真っ青になった。

咲紀はほくそ笑む。

「あら。できませんの? いたしかたありませんわね」

女は、ねっとりと流し目をおくった。

「・・・奴婢のぶんざいのあなたには、不相応だもの」

獏たちにしか聞こえないほど小さな声だった。

夢夜は息が止まった。


――奴婢のぶんざいで。


ぐらりとめまいがした。

自分の尊厳を、夢夜は生まれた時から持っていない。

石ころのような命。いてもいなくてもわからないほど、軽いそれは、右に左に蹴られ、転がっていく。

新たに刻まれた心の傷は、思いのほか痛かった。心の中で見えない血がどろりと流れ出すようだ。

・・・すると。

夢夜の手に、おおきな温かい手が重ねられた。

獏だ。

「咲紀、といったか」

彼は冷静な、感情を悟らせない声で言った。

「申し出、受けたいところだが、夢夜はいま足を痛めている」

夢夜はふっと思考の渦から抜け出した。

そうだ。彼は言ってくれた。


『夢夜。そなたの名は、〈夢夜〉。名前もない奴婢などではない。〈夢夜〉という、かけがえのない私の(ひと)だ』


(・・・わたしは、石ころじゃない)


すとんと、重苦しかった呼吸が体の外へ落ちるような気がした。

(私の名は、〈夢夜〉。石ころでも、奴婢でもない。夢夜なの)

彼があたえてくれた〈名前〉は絶大な効果を生んだ。

存在を認められたあかし。対等な人間である証明。

まだ、咲紀の顔をみる度胸はない。傷心したままだ。でも、ふたたび奴婢に戻るつもりはない。

一方。

(夢夜・・・?)

咲紀は怪訝な顔をし、それから憤怒で唇を噛んだ。

(この男、奴婢に名を与えたのか!!)

いますぐにでも殺してやりたい衝動が、沸騰する。血管はいきり立ち、はちきれんばかりだった。砕けそうなほどギリッと奥歯を噛み締めた。

奴婢に名前など与えれば、たちまち自分は人間だと思い上がってしまうではないか。

せっかく主人の〈犬〉になるよう、しつけてきたのに。すべて台無しだ。

ああ。このまま、夢夜をくびり殺したい。手のひらで息絶えていく姿を見たい。

だが、神々の前で狼藉を働けば神罰は避けられない。

咲紀は代わりに、切り札を持ち出した。

「道中、噂を耳にしました。獏さまは舞の名手だった亡き恋人・・・譲葉さまの舞に合わせて琴を弾いておられたそうですね? ならば、獏さまの琴を拝聴したく存じますわ」

会場はざわっと動揺が走った。

譲葉と獏の仲は、天帝の前では禁句である。

野次馬はささやきあう。

「獏さまのあのお顔を見たか。あの人間、殺されるぞ!」

「身の程もわきまえぬとは、なんとおろかな!」

「しかし、譲葉さまのお孫さまと、獏さまの琴。ひさしぶりにお目にかかりたいような・・・」

夢夜は青ざめる。

獏は感情を一切殺した無表情で、眼前の小娘を見上げていた。

瞳には静かな殺意が、燃えている。

拳は血が滲みそうなほど握りしめられている。

――やがて。

獏はすらりと立ち上がった。

夢夜ははっと見上げた。

(獏さま。どうするの?)

咲紀はというと、勝敗が決したと、すれ違う男を鼻で笑った。

(ぶざまな男ね。言い返すこともできないのかしら)

咲紀は獏の屋敷で幸せに暮らしている夢夜を許せなかった。同様に、彼女を寵愛する幻獣も。

夢夜のことは当然、この手で殺してやるつもりだ。だがその前に、夫を公然の場でズタズタに誇りを引き裂いて、二人の幸せをぶち壊してやりたい。

(奴婢に惚れるなんて馬鹿な男。綺麗なお顔なのにもったいない)

獏は気に留めず、静かに衣擦れの音をたてて琴の前に座る。

長い指で、弦に指をかけた。

――刹那。咲紀は思考が吹き飛んだ。

(なに・・・? この、美しい音色は・・・――!?)

天界でも五本の指に入る琴を、見事に操るその姿。その顔。その指・・・。咲紀は憎しみも忘れ、脱力して見とれてしまった。

悲しみを含んだ楽曲は、きっとかつての恋人を思ってのことか。それとも、帰らぬ日々から決別し、邁進(まいしん)する男の心情か。

蛍のように切なく消えた恋。でもきっと、全力で互いに命を焦がした恋。

獏はするり、演奏しながら咲紀の隣で涙を流す娘――夢夜へ、ふわりと笑顔を向けた。

すると、曲調が変わった。

曲は同じでも、弾き手の心が変わったのを感じる。

獏は琴を通し、夢夜へ語っているのだ。


――『そなたと出会えて、私は心底幸せだ』・・・と。


夢夜は目を見開く。・・・やがて、ほろりとほほ笑んだ。

二人の間に、言葉など不要だ。

獏にこたえるように、夢夜はうなずく。何度も。何度も。


――『わかっています。わたしは、あなたの気持ちはわかっていますから』と。


咲紀は幸せそうにほほ笑み合う二人を交互に見つめる。

(なぜ・・・? なぜそんなに幸せそうなの?)

かつての恋人との思い出の曲のはず。

きっと夢夜は、嫉妬するだろうと思っていた。

きっと獏は、公衆の前で恥をかかされて夢夜にあわせる顔がなくなるだろうと。

なのに、なぜ?

咲紀には理解できなかった。

美貌も。

家柄も。

すべてを手にしてきた娘は、ゆいいつ、〈愛〉だけが理解できない。

・・・・・・でも。

咲紀は、自分に許しを請うのではなく夢夜へ向けて演奏を続ける獏へ、激しい劣情にかられた。

――獏が、ほしい。

愛情も。恋心も。すべて自分のものにしたい。

だって夢夜は〈奴婢〉なのだ。

奴婢のものは当然、〈主人〉である自分のものだろう?

咲紀はこの世のすべてを手中に収めるごとく、豪然と夢夜を見下ろした。

その恐ろしい企てに気づかず、夢夜は笑っている。

すると、天帝の声がした。

『獏。もうよい』

演奏が止んだ。獏は手を止め、ゆっくりと御簾へ視線を投げる。

『夢夜。次回の宴、期待しているぞ』

思わぬ救いの手だった。

獏は目を見開き、夢夜はあんぐりと口を開けていた。

曽祖父(ひいおじい)さまから、期待されてしまった・・・)

無論、演奏を中止するためのただの口実だろうが、期待されたことには変わりない。

なにより、名前を呼んでもらえたのが嬉しかった。

咲紀は静かに座る。

新たな目的へむけて、思考は動き出していた。

(どうすれば、獏が手に入るの?)

獏は席へ戻ってくる。拍手喝采に包まれた会場。神々の興が削がれるのは、回避できたものの、新たな火種がくすぶりはじめていた。



宴は終了。咲紀は馬車へ乗り込む二人を呼び止めた。

「さっきは見事な演奏だったわ。でも、主上がおっしゃるように次はない。そんなお荷物、さっさと捨ててしまいなさいな」

(おにもつ・・・)

夢夜はうなだれた。やはり、咲紀の顔を見られない。でも最後まで出席できたのだ。それで充分ではないか。

獏はたっぷりと自信を含んだ声色で言った。

「夢夜には〈才女の華〉がある。今にわかることだ」

思わぬ言葉。咲紀は怪訝な顔をする。

獏は低く、唸るように続けた。

「最後の警告だ。――もう二度と、夢夜の前にあらわれるな」

「なん、ですって・・・!?」

咲紀は目をむく。

獏は夢夜を抱き上げると、強引に馬車に乗せ、自らも乗り込む。もう話すことはないと、その背は語っている。

「――・・・」

馬車の窓から覗く獏の顔。突き放されたにもかかわらず、咲紀は見とれた。

(獏・・。なんて薄情で、冷徹なの)

噂で聞いていた珍獣とはちがう。

さらりとした黒髪。どこか影のある美しい相貌。つめたい瞳。――容姿は次元の違う美しさだった。

咲紀は計画を変更した。

もともと、今日は機会があれば獏も大蛇の毒で殺すつもりだった。

夢夜に同伴してくるのはわかっていたことだったから。

しかし、気が変わった。


獏を、夫にしたい。


咲紀は爪を噛む。

大蛇のもとを出ていった後は、彼に嫁ぐことに決めたのだ。





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