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獏の夢結び  作者: 夢咲 紅玲朱


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14/21

夢のはじまり

早朝から、夢夜は獏の私室に呼び出された。

いぶかしみながら戸を開けると、書斎の窓辺に獏は立っていた。

顔を背けたまま淡々と、

「見せたいものがある」

とだけ、言う。

「はあ」

「・・・いやなら、いい」

「い、行きますっ」

夢夜は慌てて玄関へ向かう。その肩を、獏は引き止めた。

「裸足で出歩くなと言ったはずだ」

そういえば、そうだった。――〈野生児〉の夢夜は苦笑いする。

「うぅ。ごめんなさい、まだ癖がぬけなくて」

「・・・それではいつか大怪我をするぞ」

獏は言いながら、机の引き出しを開けた。そこから豪華な木箱を取り出すと、夢夜の両手にぽんと手渡す。

「なんですか? これは」

夢夜は奇妙な虫でも飛び出してくるのかと、おそるおそる木箱を開ける。コトリと音をたてる蓋、箱の中におさめられていたのは、虫などではなかった。

「・・・しろい、毛皮・・・?」

モコモコとしていて、非常に愛らしい。布地には銀の糸で細かな花の刺繍がほどこされている。・・・なにかの装飾品だろうか? 天上界にくわしくない夢夜は(またた)く。

獏は仏頂面で言った。

「白兎の毛であしらった靴だ。夏場でも涼しいよう、通気性を良くしてある」

「・・・・・・・・・これを、わたしに?」

夢夜は目を丸くする。頬が、ほんのりと染まった。

キクラゲを取りに行った帰り、彼は『靴を買ってやる』とは言っていたけれど。まさか本当に・・・。覚えていてくれたなんて。

「獏さま。わたし、いまとっても幸せです」

夢夜は感極まり、靴をぎゅっと抱きしめ、頬ずりした。

「飾りではない。・・・履け」

獏はもごもごと言う。

真顔だが、髪から覗く耳は、ほのかに赤い。




獏と夢夜は庭へ向かう。

初対面の夜より、彼は歩幅を合わせて歩いてくれていた。その事実がたまらなくうれしい。

夢夜はそっと、その大きな手に指をからめようと手を伸ばし・・・ためらった。

(お嫌では、ないかな?)

あまりの嬉しさに、舞い上がっているのは自分だけだろうか。だとするならば、この行為はかえって彼の重荷になってしまうのでは?

夢夜がもごもごと口の中で不安をころがしていると、するりと大きな手につつまれた。

――手を、握ってくれている・・・!

夢夜は飛び上がりそうになった。

獏は変わらず、真顔だ。唇を引き結んでいる。しかし隠しきれない高揚は、赤く染まった耳、手のひらのじっくりとした汗で容易に悟れた。

(き、緊張がうつるわ)

繋がれた手から、互いの心臓の鼓動が伝わってしまうようで。ふたりとも目を合わせられないまま、長い廊下を通過し、庭へ繰り出した。



「見せたいものとは、なんですか?」

庭をぬけ、草の生い茂る草原へ連れ出された夢夜は、きょとんと首をかしげた。

「すぐにわかるさ」

獏ははにかむ。

(・・・はじめて笑ってくれた!)

至近距離でほほ笑まれ、夢夜は足が宙に浮いたような、雲の上に立っているような心地がした。

どこか影を感じる美しい相貌。そこから自分にだけ向けられる、無垢(むく)なほほえみは、この世のどの花より儚く、美しい。

彼には、もっともっと、笑顔が似合う人になってほしいと、願っている。

でも。


――ひとりじめしたい・・・なぁ。


(笑顔を見せるのは自分だけにしてほしい、・・・だなんて)

夢夜は自分にあきれた。いつからこんなに狭量になったのだろう?


――この特別な笑顔は、わたしだけの、もの。


素敵、すぎて。

きれい、すぎて。

だれにも、みせたくない。

夢夜の隠れた独占欲の葛藤に獏は気づかない。

一歩前へ出て、白々とした大きな両袖をふわりと広げた。

「わっ!?」

夢夜は思わずあとずさった。

みるみる景色は緑の生い茂る草原も、木々も、ゆらりかき消えていった。代わりに、湧き水が吹き出すように芳しいヤマユリの花畑がふわり、一面に咲きほこった。緑一色だった地面は、純白の花びらが彩る麗しい世界へ変貌する。

夢夜は足を踏み出した。

息を呑む。

それほど、眼前の光景は美しかった。

花びらにも、青葉にも朝露がたっぷりとたくわえられ、雫のひとつひとつが鏡のように、空の青を映す。朝日にきらきらと反射する花々はまぶしいほどだ。

「夢夜」

ふいに、獏はこちらを向いた。

いつも冷たい色をたたえた白銀の瞳は、いま、とろけるようにあまく濡れている。視線が合えば、しっとり絡みついて、はなれない。

ゆっくりと、彼は手を伸ばし、夢夜の腰を引き寄せた。

「っ!」

なぜだかわからないが、こわくなった。夢夜はぎゅっと目をつぶった。

骨ばった大きな手は、男性らしくたくましい。それは髪をすき、耳朶を撫で、頬を滑る。

「っ」

そのたびに、びくりと肩が震えた。

獏は終始、無言だった。夢夜の予想に反して、手は後頭部へ添えられることなく、額の傷を撫でていた。それは、大蛇の住む岩場で神輿から落ちた際、強打した場所だ。

「あ・・・っ」

不意に傷口に指が触れ、痛みに思わず声を上げた。針で縫ってもらっても、敏感な場所だ。

おそるおそる、目を開けると、彼はせつなげな顔をしていた。

なんども。なんども彼の手は傷跡を行き来する。

「・・・のこってしまったな」

獏はぽつりという。夢夜はチクッと胸が痛んだ。

何と言おう。いや、言葉にしたくない。それは夢夜がもっとも気にしていることだったから。

額に残った醜い傷跡は、名前をもらっても消えない。消えてくれない。

焼印のごとく、鏡で見るたび気を重くさせる。

・・・と。

獏は身をかがめ、ふわり、唇を傷に寄せた。

「ひっ」

夢夜は、痛くもないのに声が漏れた。口づけられたあとは、じんじんとあまくうずく。

「ば、獏、さま・・・?」

おそるおそる、涙目で額をおさえながら問う。獏は体を離すと、ぽつりと言った。

「上書きだ」

夢夜は、目を見開いた。


――うわ、がき・・・?


ぼうっと、真っ白になったあたま。棒立ちになった足を、よそ風がくすぐっていく。


もう、なにも言えない。


ぽろぽろと、瞳から涙がこぼれ落ちる。

口を抑え、こみ上げるおえつ。

『上書き』たった一言だ。でも、その言の葉は絶大な癒しをもたらした。

なかったことにはできない。

でももう、振り返らなくていい。

そう言われた気がして。

・・・泣いていると悟られたくない。

夢夜は身をかがめて顔を伏せ、浅い呼吸を繰り返す。


ゆえに、獏がなにをしていたのか、わからなかった。

夢夜が次に顔をあげたとき、目の前は真っ白になっていた。いや、真っ白になったのは頭の中ではなく、眼前で芳しい香りをはなつヤマユリの花束だ。

「・・・・・・・・やる」

獏は、気恥ずかしそうに顔をそらした。耳から頬までまで染まったその顔に、嘘も後ろめたさもなかった。

夢夜は、ついていかない頭の中で、ただ一つの理解をした。


――わたしは・・・、この人が愛しい。


すこし偉そうなつめたい相貌。でも中身はとてもあつく、やさしくて。


これは好きよりもっと、もっと大きい――・・・。


その思いに気づいた時、娘は頭から湯気が吹き出るかと思った。

恥ずかしくて目を合わせられない。こちらを不安げに見つめてくる彼には申し訳ないが、この思いに気づいたらもう、以前のように見つめ返すことなどできそうになかった。


ああ、わたしはこの人が愛しいのだ。


好きよりもっと、大好きよりもっと。それすら通り越して、魂の奥深くで結ばれたいと願う気持ち。生涯をかけて、片時も離れたくないこの思いは。


もう、恋以上だ。


「す、すみません・・・」

らしくなく夢夜は謝罪した。獏は(気を悪くしたのか)とぎょっとしたが、花束に顔を埋もれさせうつむく夢夜の頬も耳も赤く染まっているのに気づき、頬が緩む。


かわいらしい、と思った。

夢夜が、たまらなくかわいい。愛おしい。


だからついつい、意地悪をしてやりたくなった。

「花は嫌いか?」

「い、いいえっ」

「では、私は好きか?」

「い、いいえ・・・、あ」

わざとらしくしょんぼりした獏。夢夜はうろたえ、顔を見上げ――はめられたと気づいた。

「ようやく、私の顔を見たな」

獏はにやりと笑った。

「っ!」

夢夜はひゅっと息を呑んだ。

しどろもどろに、「もうっ、わたし帰りますっ」とふらつく足で屋敷へ逃げ帰ろうと踵を返す。・・・が、当然獏が許すはずもなく、腰に手を回され、後ろからぎゅっと抱きよせられる。

「ひっ」

間近で感じる吐息。夢夜は身を固くした。

意地悪な男だ。わざと耳に吹き込むように唇を寄せて、ささやく。

「毎晩、部屋を覗いていた割に、私の顔は見られないのか?」

夢夜はぎょっとした。

「え。き、気づいて・・・!?」

「毎晩庭から視線を感じていた。最初はくせ者かと思ったが・・・。這いつくばってこちらをうかがうそなたに気づいてから、私は己の身の振る舞い方に気を配らねばならなかった。・・・情けなく酒に溺れるわけにもいかず、日中はそなたの手料理のおかげで健康になるばかり。困り果てたよ。・・・でも、正直、恥ずかしい反面」


嬉しかった。


そう耳元でささやかれ、娘は腰が砕けそうになった。

獏は容赦なく、つぎつぎに言い当てていく。

「毎日布団を干してくれていたな。寝心地の良さで、すぐにわかった。女中たちは私の怒りに触れるのが怖くて、私室にはまず、近寄らない。狐牡丹も、あのような丁寧な掃除はしない。勝手に道具をさわると私がいやがるからだ。・・・だから、すぐにそなただとわかった」

(ぜんぶ知られていたなんて・・・!)

つきまとい同然のあれやこれやを、すべて彼はご存知だったのだ。恥ずかしいやら情けないやら、でも「喜んでいただけて幸せです!」と叫びそうになり、夢夜は両手で顔を覆い隠した。

獏の意地悪は続く。

「私には顔をみせてくれないのか?」

「い、いやっ。絶対、むりっ! 顔が、にっ、にやけているから・・・気持ち悪いから、だめ・・・!」

「私は気にしない。かわいらしいと思う」

「もうかんべんしてください・・・」

今にも消え入りそうな声で、熟れた柿のように真っ赤な顔を隠しながら、夢夜は懇願した。

もう無理。

限界。

かわいいなんて。

吐息は首筋をくすぐるし、いつもより何倍も艶めいた声はあらぬ事まで妄想させる。

もういっそ、モグラのように土にもぐってしまいたいと、夢夜は脱力した。

へとへとだ。恥ずかしさはとうに限界を超え、体力はぜんぶ背後の男に奪われた。

獏はというと、とても満足げにそれを眺めていた。

「もう、降参か?」

「わたし、気に障るようなこと、しました・・・?」

おそるおそる尋ねると、獏はようやく離れてくれた。

「仕返しだ」

「・・・何のですか?」

夢夜がたずねると、ついっと目をそらす。

「そなたに毎晩覗かれた、仕返しだ」

それって、もしや。

(獏様も、恥ずかしかったってこと・・・?)

思い至り、夢夜はまた顔から火が出そうだった。

気まずい沈黙。・・・でも心がぬくい。

やがて。

「・・・行こうか」

獏は手を差し出す。以前は袖をのばし、極力触れないようにしていた手だ。

今度は逃さないように、でも蝶を捕まえるようなやさしい手つきで、獏は夢夜の手を取った。


・・・それは、夢の始まりにすぎない。


まだ実感がない夢夜は、ずっとこの夢が続けばいいのにと思いながら、ゆるみきった唇を引きしめた。




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