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獏の夢結び  作者: 夢咲 紅玲朱


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12/21

命名


その日の夜、娘は風呂からあがると、獏の私室へ呼び出された。

夜中の呼び出し、ましてや寝所など行ったこともない。

怪訝な顔をしたが、狐牡丹は勝手に衣を用意していた。

娘は着替えさせられ、あれよあれよと連れてこられると、獏の寝所へ押し込まれた。

「ちょっ、開けてください! 何事ですか!」

「うるさいぞ。そなたこそ、そんなにめかしこんで何用だ?」

背後から声がして、娘は飛び上がった。獏は(しとね)から離れた場所にある小机で、優雅に茶を飲んでいた。火鉢で沸かした釜からは湯気が立ちのぼり、ほのかな甘い香りが心地よい空間をつくりだしている。

(あれ・・・? 聞いていた話とちがう・・・?)

娘はきょとんと尋ねた。


「獏さまがわたしをお召になったのではないのですか?」

「誤解をまねく言い方はやめろ。私は真夜中に女人を呼び出したりしない。・・・ましてや、寝所になど」

後半、意味深な声色でつむがれ、娘は肩がびくりとはねた。

獏は不機嫌そうに唇を真一文字にする。

「おおかた、狐牡丹がいらぬおせっかいを焼いたのだろう。あとで油揚げ(アーゲイ)抜きの刑に処すから、そなたはもう、帰りなさい」

(なぁんだ・・・)

娘はちょっと、がっかりした。ここまでの道すがら、ほんの少しだけ期待したのに。

「おやすみなさい、獏様」

頭から湯気を立てると、娘は戸へ手をかけた。今夜も野宿決定のようだ。

「待て」

獏はなにか思い出したように呼び止めた。

「お前に渡すものがあるのを、忘れていた」

「はい?」

「座ろうか」

獏は娘をうながし、席へ座らせた。

先程入れたお茶はすっかりぬるくなっている。獏は娘の分も茶を入れると、引き出しを開けて、丸めた紙を取り出した。紐を解き、するすると広げる。

紙に大きく大書された文字を覗き込み、娘は首を傾げた。

「なんと、書いてあるのですか?」

獏は娘に手渡すと、紙のひと文字ひと文字を指でなぞる。木簡が主流の時代。貴重な紙になにを書いたのか。

「これは〈夢〉。その下が〈夜〉」

「はあ」

意味がわからず、首をひねる娘へ、獏はほほ笑んだ。

「〈夢夜(ゆめよ)〉。・・・私が選んだ、そなたの名だ」

なま、え・・・?

娘は目を丸くした。

「わたしに、なまえ・・・を、あたえてくださるのですか?」

名前。それは家畜でも、自然物でもない、人であるあかし。


家畜にも劣る存在と言われた日々。

はらりと散る木の葉のように、軽い命だと。使い古しの道具のようにあつかわれてきた。

重い鎖で繋がれ、いつも主人に手綱をにぎられていた。(むち)で打ち据えられ、絶対服従をなんども体に教え込まれてきた。

自由の意味さえ知らなかった。カゴの鳥よりもっと、心まで束縛されて。


――その首輪が、いま、彼の手によって引きちぎられた。


「ゆめよ」


ゆめよ、ゆめよ、夢夜・・・・・・。


娘は・・・夢夜は、何度も、愛しい人からの最高の贈り物を繰り返す。


夢夜はうつむき、胸をおさえる。息が苦しかった。突然の自由、開放されたという実感は、簡単にはわかない。

それでも、魂が清められていくような気がした。

窓の外から運ばれてくる花のかおりが、鉄の拘束具で痛めつけられた体中を甘く包んでくれる。


(――これが、わたしが望んでいた、自由のにおい・・・?)


うつむき、とまどいに瞳が揺れている夢夜の様子に、獏は勘違いした。

「気に入らなければ」

返せ、と続けようとし――獏は、目を見張った。


ふわり、娘はわらったのだ。


それはあの時、ホタルの飛び交う泉で見たほほえみとも違う、本当に幸福そうな笑みだった。



「わたし、は、〈人〉になれたのですね」



紅葉(こうよう)をおもわせる、どこか儚く寂しげな美しさ。

同時に、赤々と実りはじめた幸福。


獏はその瞳に魅入った。

――・・・ああ、懐かしい香りがする。

もうずいぶん長い間忘れていた。あまい胸の高鳴り。

――これは・・・恋の香り。

獏は夢夜をまぶしそうな、とろけるような瞳で見つめた。彼女は、譲葉とも、ほかの誰とも違う。

心の鍵をこじ開け、光の道へ手を取り、導く月のような存在。


――そなたを・・・そなたのことを・・・私は・・・、


「私は・・・」



私はふたたび、恋をしてもいいのだろうか?



その問は、秋のそよ風に吹かれて、かき消えた。

(くれない)紅葉(こうよう)は、燃える恋のように。

かつての想い人の孫と、恋に傷心した幻獣。

氷上を歩くように慎重に進まねば、簡単に壊れてしまう、もろい関係。


あせることはない。一歩一歩、(くれない)絨毯(じゅうたん)を踏みしめてゆこう。


獏はそっと、その手に自分のそれを重ねる。それはまるで楓の葉が重なり合うように。


「名などなくとも、尊い人だった。そなたは」

「・・・・・・獏さま」



どの宝石にもまさる宝物だと、夢夜は紙をだきしめた。



〈夢糸の庭園〉では。

二本の夢の糸は月光のように輝いていた。

うすみどりの夢夜の糸と、獏の白糸だ。

しゅる・・・と二本の糸は絡み合う。よりあい、双糸となりつつあった。


獏はまだ知らない。

これはまだ、幸福のはじまりに過ぎないことを。





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