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獏の夢結び  作者: 夢咲 紅玲朱


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11/21

青春をささげます

また数日が過ぎた。

娘の舞いを見た夜から、少しばかり心が落ち着いてきた。書物を読む気になっている。

変わらず、狐牡丹は料理を運んできた。

「また出たな」

「出ましたよ。お召し上がりください」

新人は着実に腕が上がっていた。味もしっかりしている。食材の新鮮さもあいまって、箸が止まることはなかった。

獏は新人の執念に舌を巻き、賛辞をのべた。努力したものは褒めねば。

「今日の料理はうまかったと、伝えてくれ」

「ご自分でお伝えすればいかがです?」

「おい」

「私は忙しいのです。そのものは今、キクラゲを取りに行っているはずです。裏山にいかれては?」

狐牡丹は淡々というと、スパンッ! と勢いよく戸を締めた。

「無礼な奴め」

獏はムッとしたが、主人の勤めを二ヶ月もおろそかにしていたことに思い至り、その新人のもとへ行くことにした。

さくりと土をふむ。

「・・・まぶしい」

日差しに目を細め、紅葉(もみじ)が紅葉し始めたのを見て、ああ、もうこんな季節かと思い至る。


譲葉のいない世界で生きる覚悟は、とうに決まっていた。

どこかで、幸せに生きていればいいと。

・・・なのに。


彼女はもう、この世にはいない。


獏はやっぱり戻ろうかとも思ったが、主人として務めを果たしてからにしようと思った。

裏山へ向かう。

紅葉が茂る木々の中、その新人とやらはずいぶん奥にいるらしかった。

(山になれたものか? それにしてもあの獲物の数々は・・・)

キツネは狩りをする。しかし獅子や鹿などは仕留められない。

では、だれが?

興味を惹かれ、新人を探して、足跡をたどり・・・途中で途切れていたので上を見上げた。

「・・・・・・あれは!」

奴婢の娘が、うんしょ、と崖を登っていた。落ちたら命がない危険な場所で。

絶壁に一本だけ生えたケヤキ。その幹に生えたキクラゲをとろうとしている。

(何をしている!?)

そう叫ぼうとして、ハッとした。

「私の食事を作っていたのは、お前だったのか・・・?」

ふた月以上、獏は娘の顔を見たくなかった。避け続け、部屋に閉じこもり、一切構うこともなかった。

屋敷にいるから大丈夫だろうと、放置し続けていた。

なのに彼女は、二ヶ月もの間、自分のために苦心してくれていた。

一度も自分が作ったなどと言わなかった。不慣れな料理をつくって、自分で食材を取って。

健康を気遣ってくれていた。

心をくんで、そっとしてくれていたのだ。

平手打ちを食らったような気がした。

(私は何をやっていた。自分で連れてきておきながら。ここには誰も傷つけるものはいないと約束しておきながら)

獏が自責の念にかられている間も、彼女はキクラゲ取りに夢中で気づかない。背に背負ったかごにいっぱい詰め、満足げに笑う。

そして引き返そうとし、――・・・足を踏み外した。

「・・・あ」

みるみる落ちていくその小柄な体を地面に叩きつけられる前に、獏はふわりと宙を飛び、娘を両腕に受け止めると、そのまま軽々と着地した。

「ばく、さま?」

娘は目を丸くして見上げた。

「なぜ、こんな無茶を?」

獏は唇を噛む。

「私はずっとお前を放置していた。いや、忘れているときすらあったのだ。なのに、なぜ、私のためにここまでする?」

「・・・」

娘は、そっと獏の顔に手を添えた。

「・・・久しぶりに近くでみるお顔・・・・。お元気そうでよかった」

「っ」

そのとき、獏は初めて、ちゃんと娘の顔を見た。

生き生きとした顔は生命にみなぎり、思い出の中の美しい女性とは違い、汗の匂い、呼吸の音、息遣いなど、彼女のすべてが獏を現実に引き戻してゆく。

娘は悟ったようだ。

ほほえみ、

「私はお祖母様には似ていないでしょう?」

という。

体がびくりとこわばった。

娘は言う。

「あいにく、私は天女の血を引いていると言っても、四等分の一なのです。天上界の方々は、こんな泥まみれの汚い手はしていないでしょう」

娘はどっこいしょ、と獏の手から滑り降りると、かごを担ぎ直し、ひとり山を降りる。

取り残された獏は、苦笑した。

負けだ。

完璧に、彼女の勝ちだ。

ふと、娘の足に目がいった。

その足は擦りむいて血が滲んでいる。

獏は後を追うと、先回りし、娘の前で膝をついた。

「・・・乗れ」

おんぶしてやろうということか。

娘は「けっこうです」と首を振ったが、「・・・すまなかった」と獏はぽつりといった。

「もう、おまえと譲葉を重ねて見たりしない。誓う」

「・・・ふう」

娘は深く息をつくと、素直に身を委ねた。

軽すぎるそれを、獏はひとゆすりし、山を降りはじめた。

「私と譲葉の関係を知ったのはいつからだ?」

「最初から。くわしくは狐牡丹さんと仙人様にききました。・・・私を拾ったのは、おばあさまに似ていたから、なんですか?」

獏は気まずげに沈黙したが、もうすべてお見通しだろう。

だがひとつ、訂正したい。

「・・・すまなかった。でもそれは違うと、誓う」

(ちがうの? じゃあ、なんでわたしを・・・?)

娘は頬を赤らめる。

獏は吐露しはじめた。


「譲葉を幸せにすると誓ったあの日。私は掟を破り、ふたりの糸を結んだ。――その翌日、譲葉は倒れた。私は夢の糸で多くの神々や罪人を処刑してきた。その報いなのか・・・。すぐさま原因を悟った天帝に呼び出された」



開口一番、天帝は糸を切れと言った。

『本来つながるはずのなかった仲を、無理やりつなぐと死期が迫る。それを知らぬお前ではあるまい』・・・と。



獏は皮肉げに顔をゆがめる。

「私は目の前の恋に盲目していたのだ。自分たちは例外だと、高をくくっていた」



天帝から突きつけられた現実。

「私は譲葉の看病に明け暮れた。引き伸ばせば譲葉は死ぬ。糸を切れば助かる。単純明快な事実だ。単純すぎて・・・あっけなさ過ぎて。やるせなかった」


――君と一緒にいる時間を、どうしても引き伸ばしてしまう。


「彼女は、迷わなかった。糸を切ることは望まなかった」


『わたしはね、獏。あなたと一緒にいられるのなら、このまま命尽きてもかまわないの』

だから切らないで。

わたしを、ひとりにしないで!


「日を負うごとに衰弱していく譲葉を、見ていられなかった。私は心底苦しんだ。あの日、『愛している』と伝えるべきだったのか。言わずにいて正解だったのか」


譲葉が倒れてからの毎日は、生き地獄だった。

互いに離れ離れでは生きられない気がしてならなかった。獏は、譲葉がそばにいることがいつしか、自分の存在意義と感じていた。

譲葉も同じ。

獏がいない生活に戻ることなど、考えられなかった。

『獏・・・。わたし、こわいの。こわくてたまらないの・・・っ!』

何度、共に泣いたことだろう。しだいに涙は枯れ果て、譲葉は涙を流す気力さえ失い始めていた。


「そしてついに、譲葉は危篤になった」


獏は一旦、言葉を切った。

背に負う娘は、かたく口を閉ざしたまま、何も言わなかった。


「だから、私は、糸を切る道を選んだ。譲葉を生かす道を。共に歩むことをあきらめて。それも愛情のかたちだと、思った」


譲葉が姿を消したと聞いたのは、糸を切った翌日だった。


獏はいつまでも、譲葉の木の前で立ち尽くしていた。





「そなたが孫娘と知ったとき、私は半信半疑ながら譲葉の面影をさがし・・・同時におびえていた」

獏は空を見上げた。

「譲葉の面影を見るのが怖かったのだ、私は。・・・また、あの別れを思い出すのが嫌だったのだ。でも、何度でもそなたは私に気づかせようとしてくれたな。譲葉とは似ていないと。私はあの時ハッとした」

「あのとき、とは・・・?」

「そなたが月夜に舞っていた、あの夜だ」

娘は目を平べったくした。

(あのとき、べろべろに酔っ払っていたから)

それは似ていなくて当然だ。しかし、獏はまじめに続けた。

「そなたを譲葉の分身のように見ていた。・・・すまなかった」

娘は間抜けな理由が気取られないよう、つんと胸をそらした。

「まったくです。・・・私の気持ちも知らないで」

獏は、足を止めた。

とくん、とくんと、ほわりとぬくもりが駆け巡る。

それは、つまり・・・?

娘は、その首にぎゅっとしがみつく。

「わたしは、獏さまに青春をささげるつもりです」

また心臓が跳ねた。先程とはまったく違う。どきどきと、背に乗る彼女も感じてしまうくらい。

「私はそなたに合わせる顔すらないのに・・・」

「話はまだ、終わっていませんよ?」

彼女は謝罪をさえぎり、続ける。

「この際だから、言わせていただきます。人は、幸せになるために生きているのです。だから、獏さまはもっと、幸せに貪欲になってください」

「・・・幸せに?」

考えたこともなかった。ずっと、不幸であることが、譲葉のためであるかのように、いつのまにか自分で自分を洗脳していた。

娘は言う。

「亡くなった方が願うのは、残されたものたちの健康と幸福です。だから獏様は、おいしいごはんをいっぱい食べて、いっぱい寝て、元気であらねばならないのです」

それで、食事を作っていたのか。

合点がいき、同時に視界が潤んできて、おんぶで良かったと心底思った。

ぽつりという。

「私は、心の何処かで、一部ののぞみを託していた。いや、違う。彼女が幸せでいることを、本気で望んでいたのだ、私は」

「はい。獏様は、ほんとうに素敵な方ですね」

娘はぽんぽんと、その頭を撫でる。はるか年下の女性に慰められるなど、情けないことこの上ないが、不思議と悪い気は起きなかった。


五十年の苦渋が救われたような。

前を向く勇気をあたえられているような。

肩にあるのは、おぼろげな手のひらの感触なんかじゃなくて。あたたかくて、ちょっと湿った手。


「愛する人の幸せを、別れた後も願えるなんて。ほんとうにお祖母様は幸せものです」

娘も、おんぶで良かったと思った。


(・・・言えない。言えるわけがない)

娘は瞼をふせる。その瞳は、にぶく霞んでいた。

(おばあさまに嫉妬しているなんて。いまも、そんな話を聞かされても、まだやきもちを焼いているなんて。あさましいわたしの心を、口にする訳にはいかない)

娘はいくども生死の狭間をくぐり抜けてきた。

かばってくれる人などいない世界で。いつだって、一人で。

自力で、生き延びてきた。


――やはり、愛されていた祖母がうらやましい。


娘は、獏の首にそっと寄り添った。

(獏さま。罪深いわたしを、嫌いにならないで)


せっかく元気を出し始めた彼に、このあさましい顔を、見られたくない。

葛藤に気づかない獏は、しばし感慨にふけった。

この娘だって、つらい思いをしてきただろうに。

鞭打たれ、虐待の限りを尽くされ、生きることすら投げ出したくなった日だってあっただろうに。

どうしてこうも、優しい言葉を言えるのか。

「・・・強い娘だな、そなたは」

すると、深く沈んだような声がした。

「強くなど、ありません。・・・ただ、生きたいなら、生きていきたいなら、そうするべきです」

獏は胸を突かれた。

(そうか・・・。この娘の強さの源は、生きることに貪欲なところだ)

――幸せに、貪欲になってください。

力強く背中を押されたような気がする。

生きているかすら、曖昧な存在の幻獣に生命の息吹を吹き込んでくれた。


(ああ、私はこれを求めていた)


薄情なところですら許してくれる人を。

欲望に忠実な生き方。それを後押ししてくれる人を。


すでにそばにいたのだ。ずっと探していた、待ち人は。

(私の待ち人は、この娘だったのか)

ほろほろと、自らをがんじがらめに縛っていた糸がほつれ、ちぎれた。

もう、自由だ。

やっと、過去の鎖がちぎれた。背におう彼女が、自由にしてくれた。

愛するだけではない。愛してくれる人。

愛も幸せも。奴婢であった彼女より、よほど――・・・。

(愛情に飢えていたのは、私の方だったのか)

もう孤独はない。

ぽっかり空いてしまった心の空洞。そこにかすかに薫は花のかおり。

彼女の髪のかおり。


日がさんさんと照る、のどかな下り坂を、軽い足取りで獏は降りる。



獏は屋敷に着くと、娘をおろし、侍女たちにお湯を持ってくるよう命じた。

「い、いいですよ」

娘は腰が引けたが、獏は逃さなかった。たらいに張ったお湯で、まるで姫君を扱うような、丁寧な仕草で裸足のままだった足を洗う。

「靴を買ってやる。もう裸足で歩くな。怪我をする」

娘は頬を赤らめる。されるがまま、じっとうつむいていた。


彼女を守りたい。そう思った。

彼女が歩く道、そこに転がる小石も、すべて私が取り払おう。

もう二度と、痛い思いも、寂しい思いもさせないように。




狐牡丹は得意げにそれを離れた場所から見ていた。

「すべて、計画道りですわ」


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