悪評貴族の縁談
「エリーナ、お前の新しい婚約相手が決まった」
「……はい、お父様」
エリーナはもう期待していない。
どうせ、この父親が結ぶ縁談などロクでもないものだと分かっているからだ。
エリーナは婚約者から婚約破棄されたばかりだった。
エリーナに瑕疵はない。あろうことか婚約者がエリーナの妹と浮気した挙句に妹を妊娠させたのだ。
その醜聞を父親たちは隠し、エリーナだけが悪者かのようになって、まるで追い出されるように新たな婚約を告げられる。
「ラーズベル伯爵だ」
「……ラーズベル、伯爵」
最悪だ。エリーナは強張った表情でそう思う。
ラーズベル伯爵といえば、何人もの妻を娶った人物として有名な人物だ。それも悪い意味で。
曰く、ラーズベル伯爵は娶った妻を虐待するのが趣味だとか。
娶った妻が長く保たない。すぐに居なくなってしまうという。
だから、醜聞のある貴族令嬢や夫人などを厄介払いするために縁談を結ばせる相手として有名なのだ。
そういった『処分』のためであるからか、身内をラーズベル伯爵に嫁がせたところで見返りがあるワケではない。
娘を嫁がせる代わりに金銭を要求したところでラーズベル伯爵には断られるという。
かの伯爵曰く『女性には困っていない』ということらしい。
おそらくラーズベル伯爵に縁談を持ちかけられるような令嬢や夫人が、生家では『価値』が低いことを理解しているのだろう。
足下を見られるのは送り出す側というワケだ。
だからこそ金銭だけが目当てで、せっかく育てた娘をラーズベル伯爵に売るというのは難しい。
それでも尚、かの伯爵に嫁がせるのは事実上、死刑宣告に等しい。
「せいぜい長生き出来るように祈っていろ。迎えは既に来ているからな」
「え? 迎え……?」
「そうだ。ラーズベル伯爵の使者が来ている。馬車もな。持ち物など最低限でいいだろう? すぐに出ていけ」
「そ、そんな……」
心の準備どころか生活の準備さえ許されない。エリーナはそのことに絶望した。
おそらく、彼女を逃さないためにそうするのだろう。
そして、エリーナはほとんど何の準備を出来ずに生家を発つことになった。
一ヶ月後。
エリーナの生家に王宮から騎士団がやってきた。
「アウグスト伯爵! 並びに伯爵家の者、この屋敷で勤めていた者! 全員、伯爵令嬢エリーナ・アウグストの虐待に関与した者として拘束する!」
「な、何だと!? 何故!」
エリーナの父親、妹、使用人たちが逮捕されていく。
彼らは全員、エリーナが生家に居た頃に彼女を虐げていた者たちだった。
「くそっ、エリーナか!? あいつ、伯爵に監禁されて嬲られているんじゃないのか、逃げ出したのか!?」
「黙れ! エリーナ嬢について貴様らが知れることはもうない!」
「ぐぬぬぅ!!」
こうしてエリーナの生家、アウグスト伯爵家には調査の手が入り、様々な不正や虐待の事実が暴かれて没落の一途を辿ることになる。
妊娠していた妹の件も明るみとなり、姉から妹に乗り換えた婚約相手も立場を追われることになった。
◇◆◇
ラーズベル伯爵邸にて。
「キミの家族の顛末はこんなところだよ、エリーナ嬢」
「聞かせてくださってありがとうございます、ラーズベル伯爵」
エリーナは伯爵家の屋敷の中庭で、現ラーズベル伯爵である若い青年と優雅にお茶を飲んでいた。
家族が辿った顛末を聞いても特に思うことはない。
「……改めてですけど、驚きました」
「何がかな?」
「ラーズベル伯爵家のことです。まさか、この伯爵家そのものが……虐げられた人々の救済施設だったとは」
「はは、そうだろう。だいたい表の『ラーズベル伯爵』の悪評を聞いて尚、娘や夫人との婚姻を打診してくる家は問題が多いんだ」
ラーズベル伯爵家の悪評は、いわば『囮』だったのだ。
悪評を知ってなお、ラーズベル伯爵と結婚させようとするならば、そこには相応の理由がある。
もちろん、送られてくる女性が本当に問題がある場合もあるため、調査はするのだが。
エリーナのように虐げられた結果、婚姻を強制された者は迅速に保護するのがラーズベル伯爵家の目的だった。
「エリーナ嬢には、これから自由がある。酷い家族や使用人たちの居なくなった伯爵家に戻り、爵位を継ぐことも出来る。険しい道のりだろうけどね。君がこれからどうしたいのか。じっくり悩むといい。相談相手が欲しければ対応するからね」
「……はい、真剣に考えさせていただきます」
ラーズベル伯爵家は今日も貴族社会で噂されている。
嫁いできた妻を監禁し、虐待して外に出られなくして消してしまう、恐ろしい伯爵。
そんな噂を信じた者から、今日も新しい縁談が舞い込むのだった。