精神科医の視線
私はうつ病の精神障害者三級である。
当然と精神科に通って他愛ない話してから薬を処方してもらい。
薬局で薬を受け取り帰宅する。私はその時自分の持っているカバンに奇妙な重さがかんじられる気がした。
以前、闇サイトでうつ病の人が抗精神薬を高額で転売したため逮捕されて実刑判決を受けたというニュースを見た。いくら小遣い稼ぎにはなるとはいえあまりにもリスクが高過ぎ私はゴメンである。第一、闇サイトなどといったいう物騒なものにアクセスできない。?
以前、私は睡眠薬を含めて1日15錠の精神薬を服用していた。それでなんとか無理矢理うつ病を押さえ込もうとしてのである。ところが、精神が低空飛行のように低い位置で安定してくると今度は薬の副作用で体の方に問題点問題が出てくる。
立ち上がるのすらよろめきながらで、歩くときなど生まれたてのはじめて四足獣がたちあがるときのようでひどく危険であった。
私はそのころ本来なら、往復30分で済ませられる事ができる買い物を休み休みと時間をかけながら1時間ほど費やした?。
さすがにこの状態に危機感を覚えたて私は、次の診察日に精神科医と相談して睡眠薬意外の抗精神薬をへらしてもらった。世の中には必要以上に抗精神薬を摂取するOD をしたがる輩もいるというのに精神科医に相談して我ながらなんとも無邪気な物だと思う。
薬の量を減らすことによって以前のように行動できるようになったが、今度は精神の方が危なくなるというのだから難しいところではある
大体が私は精神薬は嫌いだ。薬を飲み微かな安心感得る度に何だか薬で自らの精神がコントロールされてしまうほどに単純な物なのだと屈辱感に苛まれる。
精神科医の言うところによれば、現在眠気を完全に催さない精神薬というのはないのだそうだ。
かつてリタリンという抗うつ剤があった。通称合法覚醒剤。この薬を欲しがった全国の自称うつ病患者たちはリタリンを簡単に多く処方してくれるクリニックへと群がった。結果として厚労省はリタリンは依存性が高く危険だとして極一部に見られる難病に対してのみ処方することとした。
何とも残念な話である。先の精神薬が嫌いだという言葉とは矛盾するが、合法覚醒剤という言葉が持つ甘美な響きに私は憧れを抱く。
その薬を飲んだら私のうつ状態で朦朧とした頭の中身も爽快な物にしてくれるのだろうか。
いずれにしろ、現在となってはどうすることもできないことだ。
あの、そのままのならば、堅苦しく人工的な見た目なのを優しいグリーンとベージュで覆うようしてその近づき難さを隠している。もしも、私が詩人であるならば、あの精神科の待合室の情景を麗々しく綴ることができるだろうが、あいにくと私は詩人ではなく、ただの美しい病の精神障害者三級である。
精神科に通うようになって、何年くらいたつのだろう。
その間、私はうつ状態がひどくなる度に死にたくなり、また何度もそれを実行しようと思った。
精神科医の診療を受けるときには暗い弱々しい声で私の現状を訴えたが、精神科医は顔色一つ変えないを
私はある時の診療の終わりにこれが最後だとの思いかドアの前に立った時に「今までありがとうござぃした」と、当時としては本気であったが、今となってはわさとらしく弱っているところを見せて何らかの同情を精神科医からひきだそうとしていたのかもしれない。端から見たら滑稽な言動だったであろう。
そして、何とか薬と酒の力を借りつつ次回の診察日へと向かう。精神科医にとっては私のような患者の相手をするのは日常茶飯事だったのだろう。前回の診察のときの言動には何も触れずに、診察で話をして薬を処方してもらう。
精神科医の診察といっても、一部のフィクションで描かれるような大袈裟なことはない。私がただ日常の他愛のない事を語り、それを語り終えると精神科医は薬の処方をどうするかと聞いてくる、ただこれだけだ。
私にとっての精神科医は、病んだ精神を何でも癒してくれる魔法使いのようではなく、“精神科医”という職業についているだけのただの人間にすぎない。
閑話休題
ある夜のこと、私はそのときはうつ状態もひどくなく比較的平静な気持ちで私は思ったテーブル上に置いたままになっていたビニールロープ━━あの古新聞や古雑誌などをしばる紐である━━を何気なくチラリと見た。そして、何気なく「このロープで首を吊るにはどれくらいの長さが必要だろう? また、どこに吊るせばいいだろう?」などと考えた後で、睡眠薬と精神薬を服用して眠った。
次の夜のこと私は実際にそのロープの先端部分を輪っか状態をつくり、天井からぶら下げた、まるでロープはそうされるのが同然かのように私の視界に映ってくる。その後私は安心したように、睡眠薬と精神薬を服用して眠った。
次の夜のこと、私はまた平静な気持ちで天井から吊るされたロープをながめていたが、しばらくしてそれが当然の行為であるかのように、ロープの端の輪っかの部分に首を通した。ロープが首に食い込む痛みで我に返り、私は天井からぶら下げられたロープほどいてゴミ箱へと捨てた。
次の精神科医との診察の日、私は何となく首を吊りそうになった顛末を「この間××未遂みたいなことをしましてね」と語った。多分その時の私は平静であったと思う。
すると、私の話を聞き終えた精神科医やや緊張したような面持ちになり、真剣な口調で「○○(←私の名前)それ××未遂“みたい”ではなくて、××未遂ですよ。今ベッドが空いているので入院しませんか」と入院をすすめてきた。今までどんなに哀れっぽい態度で診察を受けてもこのように入院をすすめられたのは初めてのことであった。
こうして私は精神科医のお墨付きの××未遂者となった。もしかたら××するというのは強い気力がもたらさす物ではなく、何となく行動に移してしまうものなのではないだろうか。
入院の件は断った。数ヶ月も酒も煙草もない生活など冗談ではない。