アキハバラのニコル
アキハバラのニコル
まあ、何年間か前に私はカワイソウな境遇に陥ったわけだ。それがどれくらいカワイソウかというと婦女子の紅涙を絞りとらんが為につくりだされた凡百の話に紛れて見分けがつかなくなり、いつしか誰にも忘れられてしまいしそうな。
そんな、よくある誰にでもあるていどの、カワイソウな話。
まあ、そんないかに私が可哀想かと周囲に訴えかけても、周囲の人間は嘲笑うか同情の眼で見下し、あるいは自己満足に満ちた屁のような言葉をかけてくる。
そんな自己愛によって肥溜めの匂い(幸いなことに私はかいだことない) のように変じた匂いなど真っ平ごめんである。
まあ、私にカワイソウなことがあったわけである。不思議なことに、そのカワイソウなことの後の一月ばかりの記憶がない記録によると精神科に通院していたそうな。
私は虚脱感にみまわれていた。さすがに飯くらいは食べただろうが、記憶にない。
私はある時我に返った、何か生きている感覚を取り戻そうと思ったのである。
部屋中には空のビール缶や、煙草の吸い殻が散乱していた。
生きている感覚と言われても私には趣味といえる趣味など読書とゲーム以外ない。それもかなり古い類いのゲームだ(今では全くやらないが)。読書の方はうつ病で頭がダメになっていたので論外だ。
最後に『 機動戦士ガンダムSEED DESTINY 連合vs.Z.A.F.T.II 』という3Dアクションゲームにハマっていたのを思いだし、その当時でも筐体が置いてあるところが稀だとは思いながら、検索してみると秋葉原の某ゲームセンターに置いてあるというので、早速行くことにした。
その道すがらあれだけビールを飲んだのに嘔吐しなかったのは、まったく不思議なことである。
当時としても『ガンダムvs』シリーズという各ガンダムシリーズの主役級のモビルースーツ(ロボット)が対戦するゲームがゲームセンターの主流になっていったのを苦々しく思っていたものだ。
私にとってゲームとはストーリー性のある物であるべきであり、一つのストーリーライン上のIFを楽しむならばまだ良いが、最初からストーリー性を無視したゲームなど虚しいだけだと思う。
たとえば1stガンダムとターンAガンダムがほぼ同じスペックなどストーリー性時系列を無視した愚挙だ。(なんかストライクフリーダムはチートを使えたらしいがここは無視)。
あれ? ここまで書いてきてなんだけど、ゲーセンに来てるゲーマーなんて、ゲームにストーリー性なんて求めてないのかな? 他の皆は対人戦が目的なのかな? ただ私の嗜好の問題で、私が一人ゲーム中の様々なキャラクターを操り一人でニヤニヤしていてただけなのかもしれない。
まあ、それは良い。
私はフワフワとした足取りで目的の秋葉原の某ゲームセンターに入った。
そこには懐かしい『ガンダムSEED ディステニー 連合vsZAFT』の筐体が置いてあった。
冗長な説明は避けるが、私がこの筐体で使っていたの“ガンダムセイバー”であった。赤いスピード特化の可変型というのが気に入っていた。
しかし、時私が選択したのはプロヴィデェンスガンダムという機体であった。
この機体はドラグーンシステムという早くいえば隠れながら遠隔追尾で勝手に攻撃をしてくれるという武器を持っている。私には先に書いたスピード勝負を得意とするセイバーガンダムのような一撃離脱を繰り返すような機体を選択する気力は私には残っていなかったのだ。
ただ空虚な部屋から抜け出し少しでも世間の賑やかな空気を吸いたかったのだ。
ここで、パチンコ、パチスロなどを選択しなかったのは実に私らしい。
昔、好きなアニメがパチンコになって初めてやってみたら2~3分で1000円が飲まれたのがショックでそれ以来馬鹿らしくてやっていない。パチスロの方は設定が甘いというゲーセンに置いてあるのを何度かやってみたが目押しというやつがどうしてもできないのでつまらなく思えて2、3回やったきりだ。
話がそれた。
虚脱状態と酔いの半ばで私は画面の中のプロヴィデェンスガンダムを操り続けた。
なにしろ先にも書いたように自動追尾で敵を攻撃してくれるので楽なものである。頭を使わなくていい。
そこに対戦者が現れた。対戦者が選択したキャラクターは“ニコル”『ガンダムSEED ディステニー 連合vsZAFT』では、パイロットと、好きに搭乗機を選ぶことができる。
この筐体をご存知の方なら当たり前の小ネタだが“シン・アスカ”が「フリーダムは俺が倒す」といいいながらガンダムフリーダムを選べたりする。
私の腕前は自分でいうと中の中、行っても中の上くらいのものだろう。対戦者は正直に言ってあまり上手くないと思われた。
始め、相手がどんな機体を選択したのか覚えていない。私は“ニコル”を何度も撃破した。不思議なことに対戦者は機体は代えても“ニコル”というキャラクターだけは代えなかった。
『ガンダム SEED』というアニメ内での“ニコル”は途中退場してしまう不遇なキャラクターであるが、対戦者はその無念を晴らそうかというように執拗に“ニコル”を選択して私に挑んできた。
10回ほど“ニコル”を撃破したころだろうか、徐々に私の姑息な攻撃パターンが読まれ始めてきて、対戦は拮抗したものとなっていった。
恐らく20回くらいの対戦で私は“ニコル”に撃破されてしまった。
それでも、私に悔しさはなかったこのプレイの間この“ニコル”だけは私に挑んできて、私を必要としているかのように錯覚させてくれたのだから。
私はリベンジしようと思ったのだが、残念ながら終電の時間が来てしまったので帰ることにした──当時の私には惰性とはいえそんな習慣を捨てきれずにいたのだ。
私は席を立つ際、対戦者をチラリと見たが、その姿を描写するのは避ける。
とりあえず、あの時私に少しでも生きる気力を与えてくれたのは“アキハバラのニコル”だ。
今なら、終電を無視してネカフェにでも泊まり、あの“アキハバラのニコル”と対戦を続けたのにと後悔している。
アキハバラのニコルに感謝を込めて。