長い夜を渡る
長い夜を渡る
以前、東京のオフィス街でプログラマとして働いていた。東京の不夜城で仕事をしていたといえば格好良く聞こえるかもしれないが、その内情は正にIT土方といえるほど悲惨な物だった。
私たちの属する会社は、超大型プロジェクトを担当することになったのだが、零細企業であった弊社はその孫請けの孫請けのような形でその超大型プロジェクト噛ませてもらっていた。
このような教務形態のよくあるやつで、まるで渋滞が先頭部のささやかな波紋にも似た動きが水際で大きな波紋なるように。最後尾が割りを食わされるように、トップのわずかな動きに振り回されながら私たちも常に納期ギリギリで作業を続けていた。
朝9時までに出社(他社とも合同のオフィスで作業)。その後、12時から1時間ほど昼休み、17時になると1時間ほどの休憩となり皆各々食事をとりスポーツ新聞を買ってタイムカードを切る(タイムカードは24
時で更新されるためそれ以降は手書きとなり、翌日上司から判子もらわなければならない)。このスポーツ新聞は深夜26時頃に業務を止めて床に敷き、上着を脱ぎネクタイをはずしてその上に横になるためのマストアイテムであった。そして午前8時頃に役職付き?の人が「はーい。起きてー。タイムカード切ってー」という声で目を覚まされる。
「10時定時」という言葉が笑い話として囁かれていたのは、私たちがあまりに若く幼かったためであろう。ちなみに「10時定時」とは22時までは帰ることができず、そこからが残業だという意味である。土日出勤は当たり前だが、終電には帰らせてもらえるというご慈悲をいただけた。たまたま仕事を終電までに終えて家に帰っても油断は禁物である。一度寝付くとなかなか起きられない私は心地よいベッドではなく居間に薄い毛布を敷き、その上に布団をかぶり浅い眠りを貪った。
この話をすると「なんで、そんなひどい所で働いてたの?」と、よく聞かれるが、就職前からプログラマは残業代で稼ぐものだと聞いていたし、新卒だったので“働く”とはこういうものだろうと、自分を納得させていた。
ところが、20代そこそこの若造の基本給が月18万に対して残業代含め手取り約40万となり、年収が約500万となったことでその異常性を察して職を辞した。
まあ、残業代の金払いはいい会社だった。
冗長になったが、私がしたいのはそんな話ではない。
うつ病のよくあるやつで、いつもは心地よい闇が今は重々しい圧力をともなって前身に浴びせかかってくるように私を苛む。
無気力になった。
何もできない私はただひたすらに、この長い夜に耐えなければならない。
気を紛らわすために何かをしようにも集中力が著しく欠如しているためテレビも観れないし、本も漫画すら読めない、耳から聞こえてくる音は全てノイズとして変換されるため、ラジオなども聞くこと聞き流すができない。アルコール度数9%の缶チューハイすらも飲む気になれない。
頭の中身は相も変わらす私を様々な悪趣味なイメージがわき上がり私を責め苛む。
それでもトイレだけは絶対に行くことにしている、何でも重度のうつ病患者になるとトイレに行く気力もなく、垂れ流しなのだそうだ。うつ状態の時に垂れ流してしまえば、比較的精神の長子のいいときに、お手上げとなるという使命感にも似た思いからである。
もう何時間暗闇の中で万年床に身を横たえて、目をつぶっている。
頭の中で私を苛む声がする。苦痛であるが、身動きの取れない今の私に何ができるというのか。この僅かでも抗う術は精神系の薬を飲むことであるが、トイレにはいくにの不思議と睡眠薬や精神系の薬を口にする気力がない。
気力がないと同時に私の精神は薬に依存しなければならないほどに磨耗しているので、もしも薬を飲んで充分な効果が得られないのではないかとの恐怖にも似た疑念から、薬を飲むことを躊躇わせる。
食事も取っていない。部屋の中にはいくつかのカップ麺があるが、それにお湯を入れて食べるのも面倒だ。カップ焼きそばなど湯切りという手間がさら。コンビニにでも弁当か何かを買いに行くなど今の私の状態では論外だ。私はただひたすら横になってこの地獄のような状態に耐えるしかない。
何をしていても、不安になる。明日は精神科の診察日だというのに私は上手く眠れるだろうか、そして上手く歩いて行ける気力があるだろうか。
そのような事を思いながら私は気力を振り絞り睡眠薬と精神系の薬を飲むことにした。