遺書の空白
私は鬱病の精神障害者三級なので、たびたび希死念慮に襲われる。
以前、自分がもうだめだと思ったとき遺書を書くことにした。
当然のようにアルコールで情緒不安定になっていた私は『遺書』とタイトルを書いた後「『遺書』です。“遺”と“遣”の字が間違えていないか心配です」などとふざけたことを書きなぐった。
ところが、その後が続かない。親類にも縁を切られ、友人もいない私には書き遺しておくべきことも、書き遺したい対象となる人物がいない。
わたしは『遺書』と書かれた紙に広がる空白を見て呆然としてしまった。
私のこれまでの人生は、この遺書の空白のような物なのだと自ら思い知らされた。
遺書の空白が私のこれまでの人生は全て無意味な物なのだと感じさせた。
その後、幸運?があって希死念慮をねじ伏せて眠ることに成功した。
大体が、私には文才がない。好きな物を書いてもいいと言われても、戸惑ってしまう。
私は趣味を探しているが、『小説家になろう』小説を投稿すれば楽しくなるかと思いきや、私の文章には小説的な面白味がたりない。
ただ、あらすじを書き連ねているだけである。
大体、一話3000字くらいが良いと言われている、なろう連載小説だが私にはその3000字を軽々と埋められるほどの文才はないのはあきらかだった。
私は小説を書く上である程度必要な形容詞や修飾語が使えない。
だから、私の小説は血の通わない、あらすじという骨だけで無理矢理構成されている。
原稿用紙が一枚400字として、その400字を埋めるのにも四苦八苦している有り様だ。
これでは読んで下さっている方も不愉快になるだろう。
正直に白状すると、この連載の初期ころは、なんとかして言葉を捻りだし、読む人をして不愉快な心持ちにさせる代物である。
次から次へと、文章が思い浮かぶ人が羨ましい。誰か私に文章の上手い膨らませ方を教えてくれないでしょうか。
私は幼少期から猜疑心が強かった。だから他人を信用して胸を打ち明けるなどということなどしてこなかった。コミュニケーション能力に問題があるのかもしれない。その結果がこの有り様である。
趣味について話を戻すと、映画鑑賞、読書、アニメ・漫画鑑賞くらいしか思い浮かぶ物がない。映画鑑賞は最近、ネットの影響か近所のレンタルショップが軒並み潰れてしまい、さらに見たい映画を見るためにどこのネットチャンネルと契約すれば良いのかわからない。読書の方は私が酒に酔っているときは文章が頭に入ってこない。
そういえば、今日は萎縮してしまう相手と電話で話をしなければいけなかったので、小心者の私は電話ごしならばバレないだろうと卑しい考えから酒を飲んでから電話をした。
後、趣味というとアニメ・漫画鑑賞くらいか、昔はこのようなジャンルを楽しんだものであるが、最近は何となく楽しむ気になれない。
そういえば、性的なことは鬱病になってから全くの論外である。
ダラダラと駄文を無理矢理書き連ねて一応1000字を越えたので、今回はここで無理矢理話を終わらせることにする。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。