夜歩く
夜歩く
完全な夜型人間である私は基本的に日昼が睡眠に充てられる時間であるため、必然的に活動時間もそれにならって夜間ということになる。
最近日が落ちるのが早くなったのは私のような人間にとって大変結構なことである。
しかし、暗くなっても街中などを親などの付き添いなしで歩いている子供などを見ると老婆心ながらに心配してしまう。
ある時深夜の量販店に行くと、父親とおぼしき男性が幼児を抱きながら買い物をしていた。この場合は男性がシングルファーザーで深夜にしか買い物ができないので、幼児を一人にさせることもできずに買い物に来たとも思えるが、それにしても深夜の量販店に子供連れで来店する家族が意外と多いのには驚かされるし、恐怖を感じる。
私などは小学生の頃まで22時頃には寝ていたものである。子供がそんなに遅くまで起きていると日昼眠くなったり、集中力が途切れたり、情緒不安定になるのではないかなどと余計な思ってしまう。
ある夜のこと、街灯が夜の闇を削るようにして地面を照らしているのを頼りに私は深夜に量販店へと向かった。すると私のすぐ目の前に高校生くらいと思われる女子が二人通りかかった。彼女たちは不良とも思われなかったので私は思わず凝視してしまい腕時計を確認した。
腕時計の秒針は深夜1時頃を指している。私の視線に気がついた一人はいきなり走りだした。私のことを不審者だと思ったのだろう。
私から距離を取りそれに追いついたもう一人の女性は、「どうしたの?」などと尋ねていた。走り出した女性は牽制のつもりだろう私に聞こえよがしな大きな声で「あー、ママに電話したくなっちゃった」などと言いながら二人で夜の闇の中に消えて行った。
不審者や空き巣は光と音を嫌うというが、その伝でいくと彼女は選択を間違った。身の危険を感じたならば私が行こうとしている量販店に行くべきだったのだ。その上彼女たちの行く道にはどこから湧いたのか深夜にも関わらずたむろって大声で語りあっている若い男性たちがいること多い。成人男性の私でさえ夜にそこを通る時には警戒しながら歩いている。
自らを賢明と考えている人は度しがたい。昔読んだ
女衒に売られた女性の話を思い出す。何でも自分を賢いと自惚れている女性は扱いやすいのだそうだ。「自分は賢いから女衒から逃げられる」 と思っておとなしくしていたらしい、そこは女衒にもマニュアルがあるので逃がしはしない。逆に自分の頭が足りないと思っている女性の方がひたすらに暴れて手に余ることが多々あったらしい。
先に書いた私から逃げ出した女性も前者の類いなのだろう。
現在では女性に下手なことをするにはリスクが大きすぎるので、私は知らない女性に触れようとはしない。もちろんリスクがなければ女性に降れようかというとそんなことはない。むしろ私にとって女性は恐怖の対象である。ありもしないセクハラなどで訴えられたら抗う術がない。
また、別の夜のこと。私が深夜に量販店の行き帰り道で若い女性がスマホで話しながら歩いていた。このような暗い道でそのようにして歩いているなど、何とも無用心なことだと思ったものである。引ったくりの被害者の多くは歩きスマホをしている最中だと知らないのだろうか?
それ以前に夜の闇の中、スマホで注意が散漫になっているところへ私のような大柄な人間からいきなり後ろから襲われたらなす術がないと思われるがどういうつもりなのだろう?
私はいらぬ誤解を招かないように、彼女に自分の姿が見えるように道路越しに歩いた。もちろん彼女の方を見ないようにした。
私がわざと女性の視界に入っていることに思いも及ばぬようで、彼女は私の姿に気がつくと、スマホに向かって「さっきからメチャメチャ見られてるんだけど」と私を牽制する言葉を発した。彼女もまた自分だけは大丈夫、自分は賢いから機転を効かせて危機を脱しえると思っている類いの人間なのだろう。しかし、そんな頭脳の働きなど本物の暴力の前には一切の意味をなさないということが理解できないとは、よほど幸せな人生を歩んできたのであろう。全く羨ましいことだ。
私の視線が完全に自分に浴びせかけられていないと、察した女性は言い訳がましく「そんなことなかったわ」とスマホに向かって語りかけていた。
珍しく日昼に量販店に行く私の目に、かつては鮮やかに白く塗られていたと思われるブリキの板に、これもまた、かつては朱色で鮮やかに書かれていたのであろう錆だらけの数十年物と思われる「夜間。不審者注意!」と書かれた看板をいつものように横目に見ながら歩を進めた。