下 『いざ、カレーライスを作ろう!』
それから、3日後。
のえみが住んでいる下宿に、手紙が来た。
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拝啓 桜ヶ崎のえみ様
美乃里屋の桐道君からの連絡をいただいた
料理人の篠田泰堂と申す
カレーライスの件でレシピが知りたいと聞いたので
明後日にそちらへお伺いするとしましょう
あなた様に出逢えることを
楽しみにして候
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こう書かれていた。
篠田泰堂氏と言えば、雑誌に料理を掲載している『超有名料理人』だ。
まさかここまで話が大きくなる、そう思わなかった。
「んまぁ、いい機会だと思えば……」
手紙をまじまじ見ながら、のえみはそう呟いた。
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その頃だが、達美のばっちゃんが体調を崩したって話を聞いた。
随分前から喘息を再発して咳き込んでいたし、心配している。
当然だが、店は臨時閉店。
働き場が一時的にないのえみは、チノさんの機転で下宿先の料理番を任されていた。
「なっ、カレーライスの話はどうなったん?」
同じ料理番を任されている、ミチルが聞く。
事の経緯を、話す。
「……ええ!篠田さんに教えて貰うんかぁ!ええなあ、ええなあ!」
そうミチルが言いながら、身体のあちこちを叩く。
「こら、ミチル。声小さくしな」
舌を少し出しながら、ミチルは「ごめん、ごめん」と言った。
「でもまぁ、教えを講じるまで達美のばっちゃんが元気になればえぇな」
「そうだね」
『二人ともー?夕飯の下準備は出来たかね』
二階から、チノさんの声がする。
「あ、はい!出来ましたァ」
ミチルが応える。
『ほんだら、退去した部屋の掃除を手伝ってぇな』
「「はぁーい」」
二人は手を洗って、台所を出た。
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それから、また3日後。
下宿先に、篠田さんが来た。
(なお、下宿の台所を間借りして、教わることになった)
「ほ、本日はよろしくお願いいたします」
割烹着に着替え終え、のえみがそう言った。
「そう堅くならずに、楽しく料理をしましょう」
強面だから、怖い人と勝手に思っていた。
……が、実際にはかなり親しみやすいお方だとのえみは思った。
ちなみに、今回使う食材は態々篠田さんが調達してきたらしい。
下宿の厨房にあるものを、と言ったのだがそれでも使ってほしいとの事だ。
「カレーライスをお店で出したい。そう思っているのであれば、何のこれしきですよ」
そう、彼が言っていた。
「それでは、始めましょうぞ」
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料理が始まった。
篠田さんが用意したレシピを参考にしながら、作っていく。
「……手際が良くて、驚いたよ。何処かで働いているのかね?」
最中、篠田さんが聞いてきた。
食事処で長らく働いていて、料理人を目指していると話した。
「なるほどな。そりゃあ手際が良いわけだな」
本家の人からそう言われて、素直に嬉しいな。
「……あ、でも。分からんことが、あります。肉の匂いがたまぁに残っている事があるんです。何か処理とか、せんといけないんでしょうか」
「それは、だな。生姜や酢がいいな」
「はあ、生姜や酢がいいと……」
煮込んでいる中、聞きたいことは聞いた。
篠田さんは、何でも応えてくれた。
―――そんな、こんなで。
カレーライスが出来上がった。
食堂に運ばれて、チノさんや、ミチル、下宿生の何人かでもてなした。
「「いただきます!」」
皆、一斉に食べ始めた。
のえみはどう反応するか、緊張しながら待っている。
「……お、おいしい」
一言目は、ミチルだ。
「ええセンスしとるんと、ちゃう?美味しいで」
チノさんも言う。
下宿生の皆も、笑顔で「おいしい」と言ってくれた。
「……あとは、食事処の奥さまに食べさせて貰いたいですな」
篠田さんがそう言った時、電報員の人が玄関先から呼び掛けた。
「はいはい、行きますよ」
チノさんが対応する。
「のえみちゃん、ちょっとええか」
戻ってきたチノさんは、顔色が曇りかけている。
「どしたんですか」
電報紙を、貰う。
そこには『キイエタツミ ジュウトクナリ』、そう書かれていた。
▪▪▪
のえみは、達美が入院している病院に急いで向かった。
看護師さんに事情を話し、病室へ案内して貰った。
「ばっちゃん!」
部屋に入ると、先生とベットに横たわっている達美が居る。
「……ああ、のえみさん」
先生がお辞儀をする。
「ばっちゃんが、き、重篤っちゅう話を聞いたんですが」
のえみが言うと、先生は達美に目を落とす。
「……手を施したのですが、持ってあと……日の出位でしょう」
そう、呟くように言った。
「そ、そんなあ……」
のえみが、言葉を失った。
自分自身、あんなこと言わなきゃ良かった……そう、後悔した。
「で、のえみさんに樹家さんから」
先生は懐から、手紙を取り出した。
「……それでは」
先生は、部屋を出た。
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のえみは、椅子に座り込んだ。
そして、渡された手紙を出して読み始めた。
▫▫▫
のえみへ
もう、歳じゃから、もう無理と悟っての
あのお店を、のえみに託そうと思うてな
新しい食事を出したい、そう言った時の顔な
昔の自分とかなさった部分があった
じゃからこそ、作ってこいと背中を押したのじゃ
作った料理は、食べれんと思うけど――
その分、みんなに食べて貰いたいと思っとる
頑張りなさい
▫▫▫
あの出来事から、半世紀。
のえみもすっかり、歳を重ねた。
チイナメ食屋も、次世代に継ぐのが決まっている。
『カレーライスの歴史』も、一緒に。