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第2話 名字と名前(後編)

 放課後の昇降口。

 夕日に照らされ、足元から影が長く伸びている。

 そこに一つ、影が増える。


「大姫さぁん」


 本日二度目。誰かから名字で呼び止められた。

 こちらでの名前に未だに慣れておらず、やや反応が遅れてしまうも、なんとか返答をする。


「…あ……はい!」


 期待せず声のした方を振り向くとそこには――八重垣くんが立っていた。

 …しまった。まだ彼の声を覚えていないので気付かなかった。


「え、や、八重垣くん!?」


 緊張で全身が硬直する。

 泳ぐ目で周囲を確認するも、草薙くんの姿は見当たらない。

 確かに、町の案内には八重垣くんも連れてくるようにお願いした。だけど、何故彼だけがここに?


「ミツルな、少し遅れて来るって」


 その答えは、すぐに八重垣くん本人の口から語られた。


 …こんな展開、はじめて見た。

 本編では草薙くんは遅れて来ることはない。そもそも彼単体が登場するイベントなんて存在しない。

 突如として発生した過剰な推しの供給に狼狽えてしまう。


「…大丈夫? 大姫さん」


 何かを喋ろうにも、混乱して何も思いつかず、ただ大口を開けてあわあわとしてしまう。

 そんな私の醜態を見て、八重垣くんは心配そうに顔を覗き込んでくる。


 …こんな姿、八重垣くんに見られたくなかった……急に遭遇する可能性は大いにあるのだから、ある程度シミュレーションしておくべきだった。

 何か返答をせねばと何とか口を開くが、「うん、だいじょぶ!」と彼の言葉を復唱することしかできない。

 ああ、ダメすぎる、私…。


 ひとしきり私の醜態を眺めてから、八重垣くんはいたずらっぽく微笑んだ。


「あー。分かった」


 これから核心を突く宣言のようなセリフに、また私の心臓が大きく跳ねる。

 何が分かったというのだろう。

 まさか。まさか、私が八重垣くんのことを好きだってことがバレたんじゃ――


「…ミツルとは久々だから、緊張してんだろ?」

「は、はい………はい?」


 合点がいったように「朝の時点で緊張してたもんなぁ」と八重垣くんは頷く。

 緊張している相手は当の本人なのだが……的外れな答えに頷く彼があまりにかわいいので、そんなことはどうでもよくなってしまった。


 八重垣くん、カッコいいけど、同時にカワイ過ぎる。


 あぁ。私。八重垣くんと、二人きりで喋っている。

 幸せだなぁ。こんな幸せ、はじめてだ。



「ミツルに会うの、楽しみ?」

「え?」

「いや、さっきからずっとはにかんでるからさ」


 彼に指摘され、はっとして口に手を当てて実感した。口角が上がっている。

 完全に無意識だった。転生のおかげでそれなりの容姿の女の子になっているのが救いだ。元の体でニヤつく姿なんて、八重垣くんにはとても見せられない。


「いや、そうじゃないんだけど……」


 この真実はまだ話せない。この段階でそんな告白をしても、ただ引かれるだけだろう。


 …そもそも、私は彼とどうなりたいんだろうか?

 恋愛ゲームだし、最終的には告白するのかなぁとぼんやり考えていたけど。


 正直、推しと付き合うだなんておこがましいような気がする。

 それは恋愛ゲームそのもののコンセプトに対する否定ではなくて、単純に自分レベルの人間と彼が釣り合うのか、ということ。


 それに今は、彼が目の前に居るという事実だけで、この上なく幸せだ。

 このことを考えるのは、後にしよう。



 ニヤつく余裕も出てきたし、ようやく鼓動も落ち着いてきたようだ。まだ緊張は解けないけれど。

 今は緊張よりも、推しと同じ空間に居て、その上会話を交わしているという事実へのありがたみの方が勝っている。

 今なら、ある程度の会話であればマトモにできそうだ。


「そういえば……八重垣くんの下の名前って、なに?」

「え…俺の?」


 意外そうに目を丸める八重垣くん。

 その後また「まぁ、ミツルの名前は知ってるか…」と一人で納得したように顎をさすっていた。

 私との接点が他に無いためか、なんでもかんでも草薙くんに結び付けたがる傾向があるようだ、彼は。


 まさか彼はこの世界でも名前が無い…なんてことはないだろう。

 ファンブックにも載っていなかった真実が今、遂に明かされる……!


「俺ね、下の名前、 (ツムグ)って言うの。」


 八重垣、紡。

 そんな名前だったのか。

 なんて素敵な名前なんだろう…。


「ありがと、八重垣くん」

「あー」


 平常心を取り戻した私に代わるように、次は八重垣くんの方が言葉を詰まらせた。

 どうしたのだろう? 私が頭上にはてなマークを浮かべていると、八重垣くんははにかみながらこう答えた。


「いや。名前で呼んでくれるわけじゃないんだなー、って…」


 また私の心臓が、どきりと跳ねた。

 …彼も、こんなセリフを言っちゃったりするのか。

 モブとはいっても、一応、八重垣くんも乙女ゲームの登場人物なんだなぁ。何度私の寿命を早めれば気が済むのだろうか、彼は…。


 と思っていたら、間髪入れずに八重垣くんが「なんちゃって~」とごにょごにょと呟く。

 …まさか照れ隠しなんだろうか、これって。夕日のせいかもしれないけど、彼の顔も少しだけ赤い、気がする。

 そんな反応をされては、もっと照れさせたくなってしまう。


「じゃ、じゃあ…呼んでもいい?」


 八重垣くんが、また驚いたように顔を上げた。

 そんなカワイイこと言われたら、呼ばざるを得ないじゃないか。

 …呼ぶぞ。呼んじゃうもんね。


 意を決して、私は彼に向き直った。

 そして。


「ツムグ……く………」

「いやー遅れてすまん!」


 私の言葉を遮って、草薙くんが颯爽と現れる。


 足音が全く聞こえなかった。完全に二人の世界――いや、厳密には自分一人の世界に入っていたのだろう。

 …危なかった。何をしているんだ、私は…。


「……俺、なんかした?」

「いや…」


 慌ててお互いから視線を外す私と八重垣くん。

 そんな状況をまた訝しげに草薙くんは見つめられる。


 適当にはぐらかして、私たちは二人きりの会話を終えた。


 昇降口を背にして、私と草薙くん、そして八重垣くんは歩き始める。



 まだ、転生も転入も初日。

 明日から始まるであろう推しとの日常に、私は心踊らせた。

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