救急搬入された男の頭に埋め込まれていたチップを摘出手術した件
一般市民の体内にマイクロチップを埋め込み、お上があれこれ管理する。
何かディストピアの物語みたいだ。
しかし、このような事が令和の日本で本当に起こってしまった。
今日はその話をする。
その男性は40歳前後だろうか。
転倒して後頭部を打ったため病院の救急室に運び込まれてきた。
皮下に大きな血腫、いわゆるタンコブができており、また3センチばかりの切創があった。
当番のレジデントはステイプラーという医療用ホッチキスでパチン、パチンと傷口を合わせ、頭部CT撮影の後に入院させた。
男性の意識が少しばかり悪く、住所を尋ねられるたびに返ってくる答えが違っていたからだ。
ところがそのCTに思わぬものが写っていた。
頭蓋骨と皮膚の間に1辺が7ミリ程度の正方形の物体があったのだ。
正確に言えば、元は正方形だった物体と言うべきだろうか。
というのは4つあるはずの頂点の1つが欠けていたからだ。
その正方形が傷口から2センチほど離れたところに埋まっていた。
オレたち脳神経外科医の間で「なんだ、これは!」という議論になった。
転倒した拍子に砂粒が入ったにしては人工的すぎる形状だ。
昔、日本刀で頭を斬られたヤクザのCTを見たことがあるが、その時の刃こぼれした鉄粉とも似ていない。
いつしか正方形に皆の関心が集まる。
「これはマイクロチップじゃないか?」
「異物には違いないから取り出してみよう。ロカで十分だろう」
ロカというのは業界用語で、ローカル・アネステシア(局所麻酔)の非公式略語だ。
わざわざ全身麻酔をかけるまでもなく、局所麻酔で頭皮を切ったら簡単に取り出すことができるのではないか。
誰かが言い出し、皆が賛成した。
「取り出したらロシア語で何か書いてあるんじゃないかな」
「きっと漢字だろう。繁体字だか簡体字だか知らないけど」
好き放題な言われようだ。
「うっかりMRIなんか撮ったりしたらダメだな」
「確かにそうですね」
主治医の言葉に一同うなづく。
強力な磁力を用いるMR撮影装置の中に入れたらマイクロチップが簡単に壊れてしまう。
手術は翌日の昼に行われた。
2人でできる簡単な処置なのに、手伝うという名目でギャラリーが4人ほど集まっていた。
そのうちの1人がオレだ。
CTをよく見ると正方形の他にも破片らしいものがいくつか写っている。
全部を取り出すのは案外難しそうだ。
レジデントが局所麻酔を打った後に正方形の直上を皮膚切開する。
幸いなことに患者は鎮静剤で眠っている。
普通の異物除去ならモノポーラ、いわゆる電気メスで大雑把に皮下組織を切開して異物に到達する。
しかし、高圧電流でマイクロチップにダメージを与えるわけにはいかない。
だからメッツェンバウムというハサミをつかって慎重に皮下組織を剥離する。
鑷子の先に異物を触れたのはその時だった。
「ん、これは?」
「何かみつかりましたか」
無鉤鑷子でつままれた物は確かに正方形だった。
「これは……ガラス片かな」
「ガラス、ですか?」
マイクロチップと期待していたものは、透明なガラスの破片みたいだ。
「でも、表面に何か書いてありますよ」
「ただの模様じゃねえか!」
レジデントの言葉を術者が即座に否定した。
「なんだ、ただのガラス片か」
「おおかた転倒したときにガラス窓にでも頭を突っ込んだのだろう」
「人間を操るマイクロチップじゃないのか」
「リード線が脳にのびていると思っていたんだけどな」
期待していた分、一同の落胆は大きなものだった。
ガラス片の表面にはロシア語も簡体字も何も書かれていない。
オレもガッカリだ。
ふと気づくとギャラリーがすっかりいなくなっている。
閉創を始めた術者とレジデントを残してオレも手術室を後にした。
考えてみれば、その辺の人にいちいちマイクロチップを埋め込むほどお上も暇じゃないだろう。
ただのガラス片だけど、皆に束の間の中二病をもたらしたってことだな。