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困ったことに、呪われた美少年が私に愛を囁くんですが

作者: 夕山晴
掲載日:2022/05/13

 アルバは胸を高鳴らせた。

 にやけそうになる顔を必死に抑えて、けれどその対象からは目を逸らさない。


「アルバ、こんなにお願いしてるのに?」

「ええ。だめよ」


 つん、と顎を上げて、アルバはそのお願いを払いのける。

 それを叶えるには、アルバのプライドが許さなかった。

 アルバの向かい、しゅんと頭を垂れるリオは、アルバの白いエプロンを掴んだまま離さない。その姿はとてもかわいい。


「じゃあ、いつになったら僕と恋人になってくれる?」


 美少年の上目遣いに心を鷲掴みにされたアルバだったが、毅然とした態度を貫き通した。


「リオ、何回も言うけどね。私はあなたと恋人にはなれないの」

「どうして? こんなに好きなのに?」


 目が潰れるかと思った。

 風に靡く銀の髪、覗く耳からは垂れるしずく型のピアス。その鮮やかな青の宝石は、両眼と同じ色。

 美しい色を持ち、綺麗な顔立ちのリオは、アルバの心のオアシスである。


 が、こてん、と首を傾げるさまは、いっそ毒。


「……何回言われても駄目なものは駄目。私は二十一歳で、貴方は九歳……まだ子供なの。恋人にはなれないわ」


 いい歳をした大人が、綺麗な少年にご執心、なんて噂を立てられようものなら、もうこの街では生きていけないわ。


 もう何度思ったかもわからない。リオを拒絶する理由を今日もまた頭に思い浮かべた。


 アルバはこの街で治療師をしている。

 子供のリオを邪な眼差しで見ていたなどと言われれば、治療師としての信頼は地に落ちる。

 かわいいものはかわいいし、綺麗なものは綺麗だが、それで特別扱いはしない。一線を引いておくことが大事なのだ。


「アルバっていつもそう言うよね。おもしろくないなあ」

「面白くなくて結構よ。ほんとに、大人をからかうのもいい加減にしなさいね。もっと違うことで遊びなさい」


 諭すアルバにリオは不貞腐れたように頬を膨らませた。

 その姿もとても可愛らしいものだ。もし自分が同じ年頃であれば、リオからの求愛は頬を染めて喜んでいたに違いない。

 しばらく膨らんだ頬を眺めていたが、何かに気づいたリオが自身の頭を指差し始めた。あっという間に、作られた頬はしぼんでしまう。


「ああ、アルバ。少ししゃがんでくれる? ここ、花びらがついてる」


 後ろで編んだ髪を指しているのだろう、アルバは膝を折った。リオの身長では、立ったアルバの髪に手が届かない。


 取ってくれようとしてくれているのね。何だかんだ言うけど、優しい子よね。


 大人しく従ったアルバの低くなった頭を、無造作に正面から抱えるように、リオは花びらへと手を伸ばす。

 アルバの目の前にはリオのシャツのボタン。


 う、わ。美少年からのハグだわ。これ。

 アルバは瞬時に思考を停止させ、世間体を守ることにした。


「取れたよ」


 そう言ってアルバから離れる瞬間、リオの目と合う。

 停止させた思考が徐々に動き出したところで、リオの口の端が上がった。

 戸惑いのなかスローモーションに映るリオの手に顎を取られたかと思えば、耳元でちゅ、と音が鳴る。

 頬を掠めていったのがリオの唇だと判断できたのは、リオが完全にアルバから離れて舌を出しているのを見た時だ。


「リオ!」

「アルバ、僕のこと好きになった?」

「~~~~ならないわ」

「残念だなあ」


 リオは悪戯小僧のように走って逃げていった。

 足を動かすたびに元気に揺れる銀の髪はきらきらと輝いていて、アルバは片頬を押さえつつ、見送るのだ。




 ◇◇◇




 リアとの出会いはほんの三ヶ月前。

 それは、土砂降りの夜のことだった。

 治療師の仕事もひと段落し、これから夕食を、という時間帯だった。

 けたたましいドアを叩く音に驚きながら、慌てて急患を受け入れた。


 泥と血と雨にまみれた大人の男一人に、少年が一人。

 運ばれてきた二人に意識はなかった。


「何があったの!?」


 アルバの問いに応えてくれたのは、二人を運び込んでくれた男の一人──アルバをここに住ませてくれるように世話を焼いてくれたナトリである。


「この雨で土砂崩れが起きた。ちょうど通りかかった馬車が下敷きになってな!」


 その馬車に乗っていた人間ということね。

 簡単に状況を把握して、綺麗なシーツの上に二人を下ろしてもらう。


「治せるか?」

「……たぶん。やるだけやってみるわ」


 アルバの治療師としての力はなんとも微妙で、どんな怪我でも病気でも三分の二までは回復させられるのだが、全快にはできないのである。

 それでも回復魔法を使える人間は限られるため、この街では重宝されている。


 アルバは自身の魔力を練り上げ、瀕死の彼らに分け与える。緑色に淡く光る魔力は、アルバと患者二人を包んだ。


 アルバはゆっくりと魔力を流し込みながら、患者の身体に負担にならない程度の速度で回復させていく。酷い怪我だったのだろう、思ったより魔力消費が激しい。


 あとは患者の体力次第である。

 回復魔法を使った後は、傷口を洗うことと汗を拭うこと、そして祈ることしかできない。




 熱にうなされた二人が目を覚ましたのは、運び込まれてから二日経った日。


「ここ、は……」

「! 目が覚めたのね! ここは診療所よ」


 ぼやける視界だろうに、見慣れない場所にいち早く反応したのは傷が深かった大人の男の方だった。


「っ、リオ様は!?」


 慌てて見回した先に寝込む少年を見つけ、彼は安堵したように大きく息を吐く。


 わーお、『様』付けよ。貴族かしら。


 心配で夜も眠れなかったというわけではないが、目を覚ましたことで荷が軽くなったアルバはようやく二人を観察し始めた。


 泥で薄汚れ、破れてもいたが、どちらも上等な生地で作られた衣服に身を包んでいた。まして馬車が巻き込まれたと聞いて、連れてこられたのがこの二人だけ。たった2人が乗るために費用のかかる馬車を利用するのは金持ちがすることだ。


「大丈夫よ。その子は先程少し目を覚ましたの。またすぐに眠ってしまったけれど」

「あなたが?」


 助けてくれたのか、という視線にアルバは眉尻を下げて笑った。


「まあ。私は治療師ですから。運び込まれた貴方がたを治癒しただけで。私はそれが仕事ですので。運び込んでくれた方にお礼をお願いします。けっこう危なかったですよ」


 男は納得したように大きく頷いた。


「それでも助けていただいて、本当に感謝しております。私はともかく、リオ様は……」

「ああ、いいの。詳しい話は聞きたくないわ。誰でも言いたくないことあるでしょう? 私は詳細は聞かない主義なのよ。ただ怪我が治って元気に帰っていってほしいだけ。もちろん治療費はいただきますけど」


 言いにくそうに顔をしかめてまでする話になんて一切興味がない。

 あっけらかんと言い放つアルバに男は「そうですか。治療費はもちろん、いくらでも」と言う。

 やはり金持ちらしい。無事に目が覚めて本当によかった。


 だってお金持ちを死なせたなんて、どんな罰があるかわからないじゃない。


 アルバは想像して、内心震える。

 アルバの人生の目標は、お金に困らず、平和に生きて、できれば長生きすることだ。

 そんな人生を謳歌するには、適度に稼いで、叩かれない程度に目立たず、ほどほどに楽しむ。

 そこには罰なんて受ける余裕はないのである。


「目覚めたばかりですから、もう少し安静にして、あと二、三日すれば退院しても大丈夫でしょう」

「ありがとうございます。あの、すみませんが、トリをお借りしても?」

「あら、もちろん。今連れてくるわ」


 アルバのトリは綺麗な青色。

 鳥型の、伝書鳩のような役割を果たす道具だ。本物の鳩とは違い、届けたい先を思い浮かべれば道に迷うこともなく手紙を届けられる。


 男は書きつけたメモをトリに括り、窓の外へ放つ。青色のトリは羽を広げて青い空へ飛んでいった。


「お家へ連絡ですか?」

「……ええ。さすがに三日も連絡がなければ心配されているでしょうし、もしかしたら捜索隊が出ているかもしれません。無事だということがわかれば、おおごとにはならないでしょうから」


 すでに遅いかもしれませんけれどね、と男は乾いた笑みを浮かべた。


「私はカールと申します。治療師さんのお名前をお聞きしても?」

「ええ。アルバよ」

「……アルバさん。リオ様を助けていただき、本当にありがとうございます。なんとお礼を申し上げればよいのか。後日必ず改めてお礼させてください」


 かしこまって何を言い出すかと思えば、カールは頭を下げはじめた。


「だから、さっきも言ったでしょ、仕事ですから。それよりまだ健康体ではないんですから、早く横になってくださいね」


 カールは大人しくベッドに寝転ぶ。

 少し目を閉じれば、あっという間に寝息が聞こえはじめた。

 アルバは次に目を覚ました時に口にできそうな食事の準備に取りかかった。







「あら、調子はどう? リオ様?」


 アルバが様子を見にくると、少年とカールが身体お起こしていた。会話していたようだった。

 少年はアルバを指差す。


「アルバ?」

「っ、ああ、アルバさん、申し訳ありません」


 初対面の人間に向かって指を差し、年長者にタメ口とは。

 カールさんも手を焼いているんだろうなあ、と内心思いつつ、アルバは笑いながら「そうよ、リオ様」と言う。


「アルバが助けてくれたんだって?」

「うーん、私はただ介抱しただけよ、助けてくれたのはここへ運んでくれた人たち」

「でも治してくれたんだよね」

「まあ、ね」


 譲らないリオにアルバも早々に折れ、曖昧に頷いた。


「それより、何か口に入れられる? スープを作ってきたんだけどどうかしら」


 トレイに乗せた湯気が立つナベを視線で示し、首を傾げてみせる。

 いい匂いが部屋に充満し、途端に鳴るリオのお腹の音。


「お腹すいた」

「ふふ、食べましょう。食べないと体力も戻らないわ。もちろん無理はしないで、ゆっくりでいいから」

「アルバさん、ありがとうございます」


 器にスープを入れ、二人へと渡す。

 ベッドの横にある小さいテーブルを出して、彼らは少しずつ食べ始めた。


 空腹が満たされた頃、リオはアルバを呼び、青色の目がアルバを捉える。

 その瞳は澄んでいて、アルバの心を見透かすようだった。


「アルバはさ、どうして僕を助けてくれたの」

「……リオ様!」


 カールの制止も聞かず、リオは問う。心から疑問に思うような、失礼な物言いにアルバは嫌な顔ひとつしない。


「それがお仕事だからね」

「ふうん、僕がかわいいからじゃなくて?」


 それ自分で言っちゃうんだ。


 そう思ったが、ふふ、と笑って答えた。


「そうね、かわいくてもかわいくなくても助けるわ」

「……お金持ちだから?」

「うーんお金は持っている人の方がもちろんいいけど、別に持っていなくたってここではみんなが患者さんだから。それにお金持ちかどうかなんて見た瞬間にわかるものでもないし。まず治療しなきゃ助かるものも助からない場合だってある」


 タダ働きはしないが、お金を持っていない人から大きなお金を取るわけではない。


「うちは良心的なの。患者さんの月の収入の三分の二。それだけもらうことにしているの」

「……良心的……?」

「そうでしょ、ただの擦り傷でこられても私だって困るし、薬屋さんだって困るもの。大きな怪我や病気、そういうときに治療師は必要とされるものよ。ひと月の収入の三分の二なんて安いものでしょ。まあ、お金持ちの人は収入も大きいでしょうから、その分治療費は割高になるかしらね」


 いいでしょ、お金は持っている人からもらわないと。


 ふふふと笑うアルバはなかなかに気持ち悪い顔だったが、リオが嫌悪感を示すことはなかった。


「へえ。そっか。助けてくれてありがとう、アルバ」


 そういって見せる満面の笑みの眩しいこと。


 寝ているときも綺麗な顔だとは思っていたけど、心に余裕ができた今、ますます綺麗に思えるわ。笑った顔なんて天使のよう。


 リオの整った顔に驚きながらもアルバは平常心で「どういたしまして」と返事した。




 それから三日後、迎えにきた馬車に二人は乗り込み、帰って行く。


「アルバさん、この度は、本当にありがとうございました」

「アルバ、ありがと。またくるね」


 リオはお金持ちの子にしては治療師の生活に興味を示しまくり、安静にしてという診断を無視して、アルバについて回った。

 といっても安静にしなければならない二人を置いてアルバも出かけるようなことはしなかったし、とくに急患もなかったので、単純に普段の生活をなぞるだけのものであったのだが、リオにとってはどれも珍しいものであったのだろう。

 キラキラと目を輝かせながらいろいろ聞きたがった。


 カールが驚いていたから、そんなふうに興味を示すリオはよほど貴重なのかもしれない。そう思うとアルバも嬉しくなり、リオを構ってやった。


「うん。もう怪我なんてしないほうがいいんだからね。気が向いたらまた遊びにきてもいいから。じゃあ、カールさん、道中、お気をつけて」


 最後にカールへと挨拶をし、馬車は出発したのだった。




 ◇◇◇




 アルバは午前の往診を終え、診療所に戻ってきた。

 帰宅途中に食堂で買ってきた野菜中心のランチ弁当を広げて、ほっと一息。


 ──トントン


 ドアを叩く音に、フォークを置いて、昼食時間に後ろ髪を引かれつつ、対応する。

 予想外の人物に驚いた。


「あら! リオ様」


 ドアの前にいたのは大きな花束を抱えたリオだった。その後ろにはカールもいる。


「どうされました? あ、お支払いですか」


 いそいそとお金を受け取る準備とばかり、中へ案内しようとする。


「それもありますが、きちんとお礼をしたいと思いまして」

「別に気にされなくていいんですよ」

「そういうわけには……。リオ様」


 カールがリオを促し、リオは大きく頷く。

 手に持った自分の身体ほどある花束をずずずいっとアルバの方へ押し付けた。


「わわ、何、くれるの?」


 お礼の花束にアルバは嬉しくなった。花の色は自分のトリと同じ──好きな青色がメインだったから。

 ありがとう、と受け取ろうとして。


「アルバ、僕と結婚してほしい」

「!?」


 リオの言葉に受け取れなくなってしまった。

 押し付けられる花束を拒めもせず、かといって受け取りもできず、戸惑うアルバはカールに助けを求める視線を投げる。

 カールはというと、アルバ以上に慌てふためいていた。


「は、ちょ、リオ様。はあ? 何を、ええ?」


 人は自分以上に取り乱すものを見ると、どうやら落ち着けるらしい。

 カールの挙動不審さに、大変ねえ、と少しだけ同情心が沸いた。けれど、こっちだって大変なのだ。


「……リオ様? 結婚、って言われましても……。私とリオ様では、こう、立場が違うので。結婚なんて簡単にできるものじゃないんだけど。どうしてそんなことを思ったの」


 アルバがリオにしたことと言えば、怪我の治療をしたくらいだ。

 まだ幼さが残るリオは、アルバの仕事を理解していないのかもしれない。リオを治したのも、それで助かったのも、すべては仕事なのだから。


 戸惑うアルバもリオは意に介さず、にぱっと笑う。


「ねえ、アルバ、リオって呼んでよ」


 ああ、かわいい。綺麗。天使。いや神か。


 アルバは真顔で咳払いを一つ、それからリオの目線まで身体を落とす。


「じゃあ、リオ。あのね、せっかくの素敵なプロポーズだけど、あいにく私は結婚する気がないのよ。仕事のほうが楽しいから。だからあなたとは結婚できない。ごめんなさいね」


 アルバの本音だった。

 別に結婚しなくたって人生楽しいし、誰かに気を遣うことなく好きなだけ綺麗でかわいいものも拝めるし、治療師の仕事のおかげでこれからも貧窮することはなさそうだし。

 そもそも子供相手に結婚だなんて、考えられるわけないでしょ。


 あっさりとお断りをしたアルバに、リオの背後であからさまにほっとした様子のカールである。


 いやいやそんなに心配しなくても子供の『将来ナントカ君のお嫁さんになる!』とかそういうやつでしょうに。

 そんなのいちいち真に受けないわよ。失礼しちゃうわ。もちろんそこまで慕われていると思えば嬉しいけどね。


「でも、僕と結婚すると楽しいよ?」

「うーんそうねえ。きっと楽しいと思うわ」

「だったら」

「ええ。いつかお嫁さんができたら、うんと楽しませてあげるといいわね」


 にこりとアルバはリオとの間に壁を作る。

 それをリオが理解できるかはわからないが、貴族だと思われるリオが庶民のアルバに求婚するなんてあり得ないのだ。

 だからこそカールはリオの言葉にあれほど慌てたし、断ったアルバにほっとしたのだろう。


 言い方が厳しかったかもしれないが、そろそろ理解しなければいけない年頃のはず。

 これ以上変に懐かれてからでは情も沸く。今が一番お互いにダメージが少ないのだ。

 傷つけてしまったかとリオを見ると、大きく頷いていた。


「わかった、アルバのこと楽しませるから楽しみにしてて」


 一つも響いていなかったのだとわかる発言にアルバの目は点になり。

 それからというもの、リオは三日に一度、診療所を訪れ、アルバに求婚するようになったのだ。




 ◇◇◇




「よーう、アルバ、懐かれてるらしいじゃんか」

「ナトリ……そうなのよ」


 木箱を抱えてやってきたナトリは診療所の隣で薬屋を営んでいた。

 アルバはナトリから診療所で使う備品を仕入れており、こうして持ってきてくれるのだ。

 備品室まで運んでもらった箱をアルバはその場ですぐに開いて確かめる。


「これ、消毒液な。少なくなったって言ってたろ」

「助かるわ。私の力じゃ、傷口が塞がらないこともあるから」


 消毒液のラベルを確認しながら箱から出していく。

 完全に治せないアルバは、治療の前後に消毒液を使用するのだ。


「リオ様? だっけか、あのときの子供だろ」

「ええ。あなたが連れてきてくれた、あの子よ」

「なんか、悪かったな。面倒を増やしちまったみたいで」


 いかにも申し訳なさそうにぽりぽりと鼻を掻くナトリだが、連れてきてもらったこと自体アルバは何も思っていない。


「何言ってんのよ。連れてきてもらってよかったわ。それに、連れてきてもらわなければ、あの子、どうなっていたかわからないわよ」


 それほどに大きな傷だった。

 ナトリたちが急いで連れてきてくれたから、リオは元気に過ごしている。


「それに、お金持ちのお坊ちゃんだもの。たくさんお礼ももらえたし、いいことずくめ。あなたには感謝しかないわ」

「そう言ってもらえると気が楽だけどよ。けど妙に懐かれてるじゃねえか」

「まあ、そうなのよねえ、なぜか。きっと私が傷を治してあげたことが嬉しかったのね。それと庶民の生活が物珍しいのよ。子供だし、好奇心も旺盛でしょう。でも飽きるのも早いと思うのよ、たぶんね」


 カチャカチャと消毒液を仕舞いながら、アルバは軽く頷き続ける。

 長く続くものではないだろうとアルバは心配していなかったが、ナトリは違ったようだった。


「いや確かに子供だけどよ、もう九歳のガキだろ。じゅうぶん物事が理解できる年齢だ。まして貴族かもしれねえんだろ。だったらご立派な教育だって受けてるはずだ。自分の立場だって、求婚が何なのかだってわかってるはずだろ」


 箱が空になったのを確認して、アルバは木箱を部屋の片隅へと置く。この木箱には空になった瓶を入れるのだ。

 すでに空瓶でいっぱいになっている前回仕入れたときの木箱はナトリにまた運んでもらう。

 中身のない瓶を外へと運びながら、ナトリは言う。


「なんなら、俺と結婚してることにでもするか?」


 アルバが考えるより、ナトリはよほど責任を感じているようである。

 思いもよらない提案にアルバは大げさに驚いた。


「ええ? そこまでしなくたって! ナトリと結婚なんて考えられないし」

「失礼なやつだな。でもそれもアリだろ。考えとけ」

「結婚、ねえ。ま、頭の片隅に残しとくわ。消毒液、ありがとう」


 いつものようにあっさりと別れたが、アルバの心にはずっとナトリの提案が残っている。

 外の診療所の看板の前で考え込んだ。


 結婚、結婚ねえ。そんなに心配になるかしら。子供の言うことなのに。

 でも綺麗なものが好きなこと、ナトリは知ってるからなあ。

 綺麗な子供からの求婚にうっかりと頷いてしまうのではないかと心配になるのかもしれない。


 でも断言できる。私はリオにほだされない。

 まあ仮に数年後リオが大人になったとして、私との年齢差が十歳。

 そもそも許可なんて下りないだろうけどもそこはいったん置いておいて。


 結婚したとしても、お金持ちのリオと庶民のアルバが釣り合うはずもなく、年下を誑かしたと非難されるのは目に見えている。

 そうなればアルバの人生計画は破綻する。

 アルバの人生の目標は、お金に困らず、平和に生きて、できれば長生きすること。

 決して悪目立ちしてはいけないのだ。


 一人納得したところで、「アルバ!」と声を掛けられた。


「あら、リオ。いらっしゃい」

「ナトリきてたの?」

「ああ、会った? そう、頼んでいた薬を届けてもらったのよ」


 ふうん、とナトリが帰った方向にちらりと目をやって、リオはアルバの手を引っ張った。


「アルバ、今日、休診日だよね。町巡りしたいから案内してよ」

「ええ?」

「ナトリばっかりずるい。僕だってデートしたいんだよ」

「え、いや、ナトリはただ薬を届けてくれただけだってば」


 そう言いながらもリオの目を見れば、強く拒絶できない。


 うう。リオのおねだりは最強なのでは。

 銀の髪から覗く大きな目は、アルバの好きな青色だ。この目で覗き込まれるとアルバは途端に甘くなってしまう。


「ふう、わかったわ。少し待ってて。出かける準備をするから」


 お出かけ着に着替え、髪もまとめて、買い物のメモを掴む。

 リオのお誘いを断れなかった自分を責めつつ、せっかくなので生活必需品の買い物を済ませることにした。

 デートだとリオは言ったけれど、要は、荷物持ちが増えたのだ。

 リオを案内しながら、アルバはここぞとばかり買い物を満喫したのだった。




 ◇◇◇




 今日は往診の日だった。アルバは町を歩いて巡る。

 人の往来が多い道を通るのが好きだ。

 活気のある人間を見るのは、自分も元気になれるから。


「おや、先生。聞きましたよ、おめでとうございます」


 道すがら声を掛けられ、首を捻った。

 めでたいことに心当たりはない。

 しかし、それを聞いた周りの人も「おめでとうございます。よかったですねえ」と言い出す始末。


「え、何がですか?」


 あっという間にできてしまった人垣に揉まれながらアルバの混乱は大きくなるばかりだ。


「いやいや、山の上のお屋敷で働くことが決まったんでしょう。良い勤め先ではないですか」

「は、」

「あたしゃ寂しいけどねえ、でもこんな機会なかなかあるもんじゃあないからさ、しっかりやるんだよ」

「ばーさん、ちょいちょいこっちにも見に来てくれるって話だったじゃないか。なんにも寂しがることねえや」


 そこへ伸びてきた手がアルバの腕を引っ張った。

 あまりに力強く、転ぶかと思った。

 が、しっかりと受け止められ、よろけない。見上げればそこにはナトリの顔だ。


「アルバ! ちょっとこい! みんなわりいな、ちょっと急患で」


 そのまま腕を引っ張られ、人の輪から脱出した。

 走りながら、アルバは声を荒げた。


「急患!? 症状は!」

「わりぃ、嘘」


 人通りが少ない路地まで走り、ぱっとナトリは手を離す。

 それで理解する。ナトリはあの人垣から連れ出してくれたのだ。

 息を整えながら、走って乱れた髪を耳にかける。


「ねえ、さっきのあれ、なんなのか知ってる? みんなおめでとうって言ってくれたんだけど、何のことかさっぱりで」


 ナトリはレンガ造りの建物に寄りかかり、深い溜息を吐いた。


「やっぱ知らねえんだな。噂になってるぞ。アルバが山の上の領主様の屋敷で、治療師として住み込みで働くって」

「はあ!?」


 アルバは目を剥いた。

 何それ、知らない。どういうこと。何の接点もない私がいきなり住み込みで?


 領主には気難しいとの噂があり、招待状を送っても町の行事にはとんと参加しない。

 そのため姿を見る機会はなく、老人だとか、実は女性なのではとか、屋敷にはいないのではないかとか、いろいろな憶測が飛び交っている。

 しかし土地を治める人間としては優れているようで、税はあるものの正当なものであるし奇抜な法もなく、領民からのひんしゅくもない。

 結果、何も関わりのないアルバにとって無縁の存在だった。アルバが驚くのも当然である。


 戸惑うアルバの前に、見知った銀髪の少年が現れる。

 それはいつも診療所の前で見る、可愛らしい笑顔だ。

 走ってきたのか、少し息の上がる姿も大層見栄えする。


「あ、いたいた。アルバ。ごめんね、ちゃんと説明しようと思ってきたんだけど」


 少し遅かったみたい、とナトリを向いて笑うリオ。

 ナトリが珍しく、警戒したように目を細めたのがやけに気になった。


「え、リオ? どうしてここに」

「うん。アルバのことはどこにいてもわかるから」


 意味深に笑う姿もかわいいなんて、天使じゃなくて悪魔かな。

 どこにいても自分の居場所がわかるなんて、人間業じゃないし。

 人が少ない路地でアルバを見つけられたことを不可思議に思いながらも、綺麗な顔に悶え、葛藤する。


 そんなアルバを置き去りに、ナトリはとうとうリオを睨んだ。


「──お前だろ。噂の元凶」

「やだなあ、そんな怖い顔しなくたって。別に悪いことしたわけじゃないんだしさ」

「アルバに一言もないのに、か?」

「だから、今から説明するんだって」


 そう言うとリオはアルバの服の裾を掴む。

 いつものように可愛らしくアルバの瞳を覗き込んだ。青色の目が今日も眩しい。


「黙ってたけど、僕、山の上の屋敷に住んでるんだ。でね、アルバと一緒に住んだら楽しいだろうなって説得したら、屋敷の治療師として働いてもらうことになってね」

「え?」


 何それ決定事項なの。私の意志は聞かれもしない。

 あんぐりと何も言えないアルバにリオは言葉を重ねていく。


「それでね、嬉しくなって、町のみんなに話しちゃった。あ、前アルバに町を案内してもらったあと、僕もよく町にきてたんだ。けっこう仲良くなったんだよ。みんな優しいよね、好きだなあ」

「ちょ、そんな、勝手に」

「え、でもみんな喜んでくれてたよ。あの領主様の屋敷で働けるなんてって」


 無邪気な顔はかわいいが、言っていることはかわいくない。これが貴族のご立派な教育の成果なんだろうか。


 町中に広がった、アルバの出世話。気難しいとの噂はあるが、領主の屋敷となれば良い働き先であることは間違いなかった。

 みんなが喜んでくれているなら、今さら間違いでしたとは言いにくく、断りにくい。

 あまり目立つことはしたくないのにすでに目立ってしまっている状況で、間違いでしたと喚こうものならそれこそ注目を浴びる。


 最悪、領主からの良い話を蹴った傲慢な治療師などと噂されようものなら、たまったものじゃない。

 そもそも断れる状況になっていないのは、自分の意志など無視されているからだ。断りの文句を入れたところで聞き入れてもらえるのかもあやしい。


 アルバは、急速に移り変わりつつある現状に、ただ茫然としていた。

 その背後でリオはナトリに笑い、ナトリは顔を険しくした。


「あげないよ。アルバ」

「別にお前からもらうもんでもねぇよ」


 そんな台詞も、アルバの耳には届かなかった。




 ◇◇◇




「別に行かなくたっていいと思うけどな」


 ナトリのそれは何回も聞いた。

 しかし、結局アルバは領主への住み込み治療師の話を受けることにした。


「だって、今さら断りにくいじゃない。みんなだって応援してくれてるし」

「だからなあ、それが思うつぼなんじゃねぇか」


 ナトリの言う意味もわかっている。

 外堀を埋められ、逃げ道を先回りで潰されたようなものなのだ。


「だけどねえ、給金もいいし、経験にもなるし。三年ほど働くことができれば領主様のところで治療師してましたって肩書ももらえそうじゃない?」


 そうなればその後の信頼度はアップするに違いない。

 治療師としての評判も上がるだろう。


「さすがに働いてすぐに戻ってくるってなれば、信頼度は下がりそうだけど。しばらくは頑張ってみようかなって。この場所も残しておいてくれるんでしょ?」

「まあ、そりゃあ。アルバが残しといてくれっていうならそのままにしとくけどよ」

「うん、お願い。戻る場所があると、安心できるからね」


 アルバはまとめた荷物を持ち上げた。

 最後の最後まで引き留めようとしてくれたナトリには悪いが、これも今後の人生のためである。


「がんばってくるね」

「……ああ。いつでも戻ってきていいんだぞ。みんなが何か言ってくるようなら俺からも説明するから」

「まったく、心配性ね。そうならないようにするつもり」


 じゃあ、いってきます、とアルバはナトリに手を振った。

 突然降って沸いた話だが、転機であることには違いなかった。




 手配された馬車に乗って、アルバは領主の屋敷に到着した。

 山の上ではあるが、道は整備されており、町からも見える屋敷だ。到着までそう時間はかからなかった。

 馬車から降りれば使用人に出迎えられ、屋敷の前まで案内される。


「こちらがこの屋敷の主、アルバさんの雇い主でございます」


 さっそくの対面にアルバは身構えた。そこには綺麗な身なりの青年が立っている。

 銀の髪に、アルバの好きな青色の瞳。

 まるでリオが大きく成長したような姿の青年に目を奪われた。


 ──美人過ぎる。


 それが第一印象だった。

 リオだって綺麗だ。しかし、幼さの残る姿はかわいらしいが勝っていた。

 けれど目の前の領主からはさらに大人の気品と色気が感じられ、まるで一級の芸術品。


 これだけでもきた甲斐があったわ。目の保養、目の保養。


 ぽかんとみっともなく口を開いて眺めそうになるのを一瞬で引き締め、さっとお辞儀した。


 第一印象が何よりも大事。

 ここで働くからには、領主からの印象は必ず良くしておきたい。

 戻るところはあるにせよ、すぐに屋敷を追い出されては、格好がつかない。町での信用問題にも繋がる。


「はじめまして。この度は、お屋敷で働く機会をいただきありがとうございます。大変光栄です。しがない町の治療師ですが、精いっぱいお力になれるよう、精進してまいります。これからどうぞよろしくお願いいたします」


 深々とお辞儀したアルバに、領主は一瞥をくれ、去って行った。

 歩き方さえも品がある。最高の芸術品が見えなくなってから、アルバは脱力して天を見上げた。


「あああ、一言もなし? 第一印象良く、失敗かしら」


 領主の屋敷で挨拶をしなければいけないから、とアルバは格好には気を付けていた。

 普段は身に着けない小ぶりのネックレスと、薄化粧に、髪はまとめて清潔感を出した。ワンピースもこの日の為に町で見立ててもらった。

 嫌われない程度には整えてきたつもりだったが、そう上手くはいかなかったようである。


「まあ、庶民とは話もしたくないのかもね。かわいいリオに懇願されて、仕方なくって感じでしょうし」


 あーあ、すぐに出戻りはちょっときついかな。


 落ち込みかけたときに、見知った顔が近づいてきた。カールである。


「アルバさん。お待たせして申し訳ありません」

「カールさん。その服……」

「ええ、普段はこうして執事として働いております」

「似合いますね!」

「いえいえ、仕事着ですから。今日のアルバさんのお召し物のほうが、とても素敵で、お似合いです」


 社交辞令とわかるが、いつもと違うのだとわかってくれて嬉しい。

 沈みかけた気分も少し復活する。


「リオ……様は?」

「本日は少し、予定が詰まっておりまして、明日、改めて挨拶をすると申しておりました」

「あ、そうなの。わかったわ。……カールさん色々教えてもらっていい?」

「ええ。そのために参りましたので」


 アルバに与えられた私室に、仕事の内容、生活で必要な区域や入ってはいけない部屋など、一通り案内してもらった。

 屋敷は客人が出入りするエリアと、家族が過ごすプライベートのエリアが完全に分かれており、基本的にアルバはプライベートエリアで行動しなければいけないらしい。


「ふうん。まあ私みたいなのとご立派なお客様と鉢合わせしても困りますしね」

「そういった意味合いはございませんが、なにぶん、領主様の指示ですので」


 カールにはお礼を言って別れ、私室で荷解きを始めた。

 長くここに滞在できるとは思っていないし、これまでの家も遠いわけでもない。

 必要になったら取りに戻ればいいかと、持ってきたのは必要最低限の荷物。あっという間に荷解きは完了する。


 ちょうどそのタイミングでドアからノック音がした。


「アルバさん、カールです。お食事の準備が整いました。開けてもよろしいでしょうか」

「ええ。ご飯も用意していただけるんですか?」


 顔を出したカールに驚きの声を上げた。


「もちろんです。毎日三食食事つき、毎月お給金ももらえます。良い勤め先でしょう?」

「ええ……なぜここまでしてもらえるのかさっぱりですが」

「それは私の口からは申し上げることができませんので」


 どうして屋敷で働けることになったのかも教えてもらえていない。

 明確な答えをもらえるとも思っておらず、アルバはただ「残念ね」とだけ言って、カールの案内のもと、食事へ向かった。




 貴族のご飯ってどんなものかしらと内心楽しみにしていた食事は、見事に期待を裏切られた。


 長いテーブルの両端に椅子が一つずつ。

 出された料理はどちらの椅子の前にも並べられ、遠く向かいに座る相手はまさかの領主本人である。

 無表情の領主は何を考えているのかさっぱりとわからず、つい先程無視された身としては非常に気が重い。

 こんなところに連れてきてくれたカールを心の中でとことん呪う。


 料理は素晴らしいわ。こんなに綺麗に盛り付けられている料理なんて見たことないし。

 きっと高いのよ。味も美味しいはず。なのに!


 動く芸術品に見られながらでは味もわからない。


 なんでこんなところに連れてきたのよ、カールさんは! 使用人の方たちと一緒で十分なのに!


 カールばかり気楽にご飯を食べられると思うと怒りは増した。

 怒りを心のうちに秘めながら、黙々と料理を口に入れる。会話は無い。一刻もこの場を離れようと必死で皿を空にしたのだった。




 ◇◇◇




 次の日、げっそりと疲れ切ったアルバに、リオは声をかけてきた。


「アルバだいじょうぶ?」

「ええ。大丈夫よ。リオ。リオこそ忙しいんでしょ? 平気なの」


 そう言いながら、溜息を吐く。

 貴族の生活が思っていたより辛かったのだ。

 正確には、なんだかんだ領主と同じ空間に押し込められることが多く、精神的に耐えられなかった。


 ご飯も美味しい。本も面白い。デザートも飲み物も、壁に飾られた絵画ですら楽しいのに、だ。

 そこにはなぜか喋らない領主が付いてくる。


「領主様って、リオのお父様なのかしら?」

「ええ? なんで!?」

「じゃあ、お兄様?」

「違うよ!」


 思いつきの疑問に慌ててリオが返すものだから、面白くなってしまった。


「だってリオが大きくなったみたいでびっくりしたから。……リオは領主様のこと苦手なの?」


 リオはこの屋敷に住む人間である。領主との縁はアルバより深い。

 即座に否定したリオに安心して、つい余計なことを口走った。

 けれど気にならなかったようだ。リオは顎に手をやって答えてくれる。


「苦手というか、慣れない、かな」

「……そう。一緒──」


 言いかけて口を噤んだ。リオが悲しそうに眉を下げたから。

 子供にこんな顔をさせるなんて、馬鹿じゃないの。

 アルバは慌てて手を振った。


「って、大丈夫大丈夫! まだ始まったばかりだから、これから頑張るわ! 一緒に頑張ろうか」

「ありがとう、アルバ、ありがとう、大好き」


 そう言ってぎゅっと抱きしめられた体温に、アルバの疲れた心は癒される。


 むしろ回復しすぎて鼻血がでそう。

 慌てて、リオの身体をがばっと離して、アルバは曖昧に笑って誤魔化した。


「ありがとね。とっても癒された。まだ領主様とご一緒するの、緊張するけど、頑張るわね」

「うん。僕もがんばるね。アルバがこの屋敷にきてくれてうれしい」

「そう言ってもらえると私も嬉しいわ。不慣れなことが多いと思うから、またいろいろ教えてね」




 ◇◇◇




 領主の屋敷で働き始めてから一ヶ月が経つ。

 アルバは溜息を一つ落とした。


「リオ、は元気かしら」


 リオは忙しいようで、一緒に住んでいるはずだというのにめっきりと姿を見ない。

 三日に一度は顔を出してくれるから、その時ばかりは楽しい気分になるのだが。


 アルバは領主の指示に従い、プライベートエリアで生活している。リオの生活エリアも同じはずであるにもかかわらず、会うのは領主だけ。

 もはやわざとだろうと思うほど、領主とは同じ空間に詰め込まれるが、リオに至っては会いに来てくれたとき以外で見かけたことはない。


「ああ、手紙であれば、受け取れるかと思いますよ」


 恨み言のついでにリオのことを尋ねると、カールはあっさりとそう答えてくれた。


「手紙? この屋敷にいるんでしょう?」


 わざわざ手紙を出す必要があるのかと思ったのである。

 呆れるアルバに、カールは「お忙しいですからねえ」と笑いながら答えたのだ。


「別に無理にとは申しませんよ。もし気になって、もしくは会いたくなったら、出してみてもいいかもしれません。リオ様はアルバさんのこと気に入っておられますので、何かしら対応してくださるでしょう」


 そんな提案を聞いてから、アルバはずっと手紙のことばかり思い浮かべてしまう。

 とくに領主といるときだ。





 アルバは大半の時間を領主とともに過ごしていた。変わらず無言の日々を送っている。

 ときどき顔を出してくれるカールに恨み言を吐きつつなんとか過ごしているものの、喋らない領主は本当に息が詰まるのだ。

 それは何も言わず見られていることが多く、目が合えばすっと視線を外されるから。

 話しかけようと口を開けば、さっと背を向けられる。


 私と話したくないなら、私のいないところに行けばいいのに! この屋敷の主なんだから好きなようにできるじゃないの。


 アルバの怒りはもっともだったが、文句を言う相手は領主本人ではなく、カールである。彼は面白がっているようで、いつも笑うだけで何もしてくれない。

 無視すればいいのかもしれないが、雇い主だと思うとそれもできなかった。

 ただただ気を揉む時間であり、ストレスは日に日に溜まる一方だ。

 町で働いていた頃と比べて仕事量が少ないのもいけなかった。急患がくるわけでもなく、町へ往診も頻度は減った。ただ呼び出しを待つだけの日々は気を紛らわせることもできない。


 遠くから眺めるだけならこんなに苦痛にならないのに。


 綺麗な領主は見るだけならむしろ眼福ものである。

 しかし、領主の態度にアルバは疲れすぎていた。


 楽しく話せる可愛いリオを見たい。癒されたい。

 そんな一心で、アルバはカールの助言通り、とうとう手紙をしたためることにした。


 私室に籠り、便箋を広げる。

 持ってきていた数少ない種類の中から一番かわいいものを選んで、ペン先を乗せた。

 リオを思って書く手紙は、想像以上に楽しく、くもる気持ちも晴れるようだった。


 書いた手紙を自身の青色のトリに括り付ける。

 泣き言に近いそれを、十二歳も年下の少年に読ませるのは心苦しかったが、会いたい気持ちが強かった。


 窓を開けて、トリを飛ばす。

 外は晴天。気持ちの良い風がアルバの頬を撫ででゆく。


 青い羽根を広げて、晴れやかな空へ飛び出したトリは、しかし頭上の空を一周し、戻ってきた。


「え?」


 空から舞い戻ってきてしまったトリに、一瞬、故障の二文字が浮かぶ。

 しかしトリは落ちることも止まることもなくアルバの横をすり抜け、真っ直ぐ飛んでいく。


「ええ? 待って!」


 何度も通っていい加減見慣れてしまった廊下を、トリを追いかけてアルバは走る。

 廊下を飛んでいたトリがようやく一つの部屋に入っていった。アルバも後を追う。


 トリが部屋の天井を一度旋回して、降り立ったのは。

 銀髪の、これでもかと色気を放つ、青目の男。


 青色のトリを愛おしそうに撫で、括り付けられた手紙を開く。

 広い肩に留まる青いトリが、領主の青色の目と相まって、絵画のように魅せられる。


「──領主、様──……?」


 アルバの言葉に、領主は、困ったようにふわりと笑った。それは初めて見る表情だった。




 ◇◇◇




 なんで、と口を開けて固まったアルバに、領主は眉を下げたまま近づいた。


「驚かせてごめんね。それから、手紙、ありがとう……アルバに嫌な思いをさせたかったわけじゃないんだけど。ナトリに取られるかと思って」


 初めて聞く心地よい低い声が、リオへ宛てた手紙の返事を寄越す。

 聞いたことのない声で紡ぐのはリオの言葉。


「え、っと、領主様……?」


 混乱を手をばたつかせて示すアルバに、領主は見たこともない顔を見せてくる。

 頬を掻きながら視線を寄越す姿には、ひゅ、と喉が鳴った。

 彼はトリを肩から下ろし、アルバに手渡す。


「カールだよね?」


 手紙を出してみればと唆したのは、と聞こえたが、何も反応できなかった。

 無言と無表情をなくした領主は、一層輝きを増す。


「大人の姿は慣れてなくて、なかなか話せなくてアルバを不安にさせた。ごめんね。大人はどう取りなすのが正解なのか悩んでて」


 え? 領主様がしゃべってる。初めて聞いた。

 え、顔面も動いてる。初めて見たんだけど。

 ていうか大人の姿って何なのかしら。


 急に態度が変わった領主に戸惑い、アルバは動けなかった。

 そんな彼女を助けてくれたのは、そこへやってきた執事である。彼は今日も面白がるように笑っていた。


「まったく、文句を言われる筋合いはありませんよ。大人の姿では、アルバさんに素敵だという一言どころか、会話もできない貴方様には。感謝してもらいたいほどですね」


 こほん、とわざとらしい咳払いののちカールは「私からお話ししましょう」といまだ混乱の解けないアルバを椅子へと促した。

 向かいの椅子には領主が座り、間に立つカールが物々しい態度で話し始める。


「これは秘密のお話なんですが、領主様は、実は、呪われております」

「!?」


 驚いて思わず領主を見る。彼は平然と頷いていた。


「驚くのも仕方ありません。領主様は気難しいと噂されておりますでしょう? あれはできるだけ人との関わりをなくすために私どもが流した噂なんです。人目に付かないよう細心の注意を払っておりますのでこのことを知るのは屋敷の者だけ」

「……は、あ」


 見慣れない領主をできるだけ視界に入れないように気を付けながら話を聞く。

 感情が見える領主は、目にも心臓にも悪かった。


 カールは人差し指を立て、内緒話をするように、顔を近づける。


「──領主様は、九歳になったときから成長が止まっているのです」


 続いた言葉に、アルバはぎょっと領主を見ることになった。

 一度だけ頷いて、カールの説明は続く。


「ありとあらゆる治療師のもとへ行きましたし、聖職者のもとへも足を運びました。しかし、これといって成果はなく、わかったのは呪いの一種であるだろうことだけで。……ただ一人、ある占い師が『この呪いは愛する者──真実の愛によって解かれるだろう』とだけ告げたのです。それからは十五年間ずっと子供のフリをして、いえ見た目は子供そのものなのですが、呪いが解けるのを待ち過ごしておられます……そしてどんどん子供らしさに磨きがかかって」


 こんな具合に、と泣き真似をするカールを領主は鼻で笑う。


「だんだん面白くなってきたんだよね。子供だとみんな油断して甘くなるし。呪いがいつ解けるのかも、そもそも解けるのかどうかさえわからなかったから」


 目の前で繰り広げられるやりとりを聞くアルバは傍目にもぼさっとしていたことだろう。

 ええと、つまりだ。


「えっと、領主様はリオ様、なの、でしょうか?」


 混乱した頭を整理して、訊ねたアルバに。

 くすりと目を細めて笑う、その破壊力。


「リオって呼んで、って言ってるのに」

「〜〜〜〜だって! ……ほんとにリオ?」

「そうだよ、僕がリオ」


 いやいや確かにそっくり激似ではあるけれど。

 少年のリオがやってかわいいなあと思った仕草が、大人のリオがやると色気が増すというか。なんというか。

 別人である。


「じゃ! じゃあ、最初から言えばよかったじゃない」

「言ったら、恋人にしてくれた?」


 こてん、と少年のように首を傾げるさまは、さすが長い間、少年として生きていただけのことはある、計算しつくされたもの。

 見事にアルバの胸を撃ち抜いた。


「ぐう! しませんでしたけど」

「だよね。結婚する気がないって言ってたし。貴族の男なんて嫌かと思ってさ。言わないほうが、仲良くなれるかなって」


 見事にリオの手の中で踊っていた。

 生まれる怒りは、しかしリオの顔で鎮静化されてしまう。アルバは初めて自身の面食いを呪った。


「だけどナトリがアルバに結婚の話をしてたのを聞いたから慌てちゃったんだよ。アルバを取られたくなくてとはいえ、強硬な手段を取ったのもわかってる。けどもう考えられないんだ、アルバ以外の人との結婚なんて」


 ナトリからの結婚話に一度首を傾げたが、結婚していることにしてはどうか、という提案のことだと思い至った。

 聞かれていたことにも驚いたが、その後の行動力にも驚かされる。

 いつの間にやらアルバは、リオと同じ屋敷の、家族が生活するプライベートエリアで生活を共にしているのである。

 強硬手段以外の何物でもない。


「なんでそこまで」

「愛してるから?」


 きょとんとした真面目な顔が、もう作られたものだとわかっている。

 わかっているのに、アルバの心臓は大きく跳ねる。


「もう、それやめてくれませんかね!?」


 今まで通りのリオの口調、リオの仕草。

 なのに成長した彼がそれをすれば、妙に色っぽくアルバの許容範囲をあっさりと超えてくる。


 私は綺麗なものが好き。可愛いものも好き。

 だけど、見ているだけで十分なのよ。

 直接関わろうなんて思ってないの!


 そんな思いを知ってから知らずか、リオがアルバの手を取る。

 おねだり上手な青い瞳は健在で、アルバは意識を逸らすので手一杯だ。

 笑みを浮かべるリオに魂を削られたアルバだったが、はっとした。


「え、だけど、今は大きくなってるじゃ」


 どう見ても九歳ではなく、立派に大人である。


「そうなんだ! それが占い師の言う『真実の愛』かな。驚いたよ。退院して帰ったその日、大人になったんだ。たぶんこれが本来の僕なんだろうね。手は大きくなって、脚も伸び、背も高くなった。もちろん声も違う。目線も変わって、全てが別世界のようだった。運命だと思ったよ、アルバと出会えたこと」


 これならアルバに釣り合うかな、と目を輝かせて喜ぶ領主の姿に、子供のリオが目に浮かぶ。


「まあ、三日に一日は子供に戻っちゃうんだけど。だから子供の時に、三日に一度だけアルバに会いに行ってた」


 アルバを驚かせたくなかったし、もっと仲良くなりたかったし、会いたかったから。

 しゅん、とリオは目を伏せた。


 子供っぽい姿に、これまでの領主への鬱憤も収まっている。リオだとわかったのが大きかったのかもしれない。


 少し落ち着きを取り戻して、アルバは話を整理した。

 診療所から屋敷へ帰ると、大人の姿になった。ただ、三(・)日(・)に(・)一(・)日(・)は子供の姿に戻る。

 その頻度には心当たりがあった。

 どんな病気でも、怪我でも、アルバの回復魔法は三(・)分(・)の(・)二(・)、治すことができる。それがリオの呪いにも効いたということだ。

 呪いを解いたのは『真実の愛』ではなく、アルバの回復魔法。


 納得した。

 リオは『真実の愛』とやらに囚われているのだ。だから呪いを解いたアルバに執着を見せる。


「それは、私が治療で回復魔法を使ったからよ。『真実の愛』なんかじゃない」


 アルバの診療所にいたときはまだ体力が回復しておらず、呪いを跳ね除ける力が弱かった。

 それが屋敷に戻ったタイミングで体力が戻り、本来の大人の姿になれたのだろう。

 ただ、三分の二しか治せないアルバの回復魔法では、三日に一日は子供の姿になってしまうのだ。


「……ごめんなさい。私の力がもっと強ければ、完全に呪いを解けたかもしれないのに」


 中途半端に呪いを解いてしまったせいで、リオは大人と子供を行き来し、アルバなんかに愛を語る。

『真実の愛』という言葉に惑わされて。


「そんなことない。そのアルバの力で僕は助けられたんだ。土砂崩れに巻き込まれた見ず知らずの僕を助けてくれただけじゃなくて、僕を大人の姿にもしてくれた」


 真っ直ぐに向けられた好意を跳ね除けられないほど、もうすっかりリオには心許してしまっている。


「別に完全に解けなくてもいいんだ。ずっとこのままでも。子供だとアルバとの結婚は難しかったかもしれないけど、こうして大人にもなれるわけだし。問題なんてなんにもない」


 まずいと頭の奥で警鐘を鳴らしていた。

 引き返せなくなるところまできて、困るのはアルバ自身だ。

 平和な人生に影響が出る前に、と問題点をひねり出す。


「いや、家のことだって問題はあるでしょう」


 かたや領地を治める貴族で、かたやその町に住む庶民である。

 さらにいえば雇い主と雇われ治療師。


「え? 呪いを解いてくれたアルバのこと、悪く言う人がいるわけないじゃない。それに僕は姿を見せない領主だからね、アルバがいてくれるなら、このまま屋敷に籠っていたって一向に構わないし」


 リオは一切動じない。

 慌てるのは、アルバの方である。


「いやいやいや、リオ、よく考えて。あなたはただ『真実の愛』の言葉に惑わされてるだけよ。私を愛さなくたって回復魔法で呪いは解けたのよ」


 呪いよりも、リオの思い込みを解かなければいけない。

 ただの町の治療師一人に熱を上げるには、リオの肩書は重いのだ。

 ちらりとカールを見れば、空気のように存在感を消している。口を挟む気はさらさらなさそうだ。


 私がしっかりしなければ、とこぶしに力を入れたアルバをよそに、リオはのんびりとした口調で言う。


「でも僕は、呪いが解けて大人の姿になる前からアルバのこと気に入ってたから。どう言ったら信じてもらえるかな。ああ、ほら、退院する前からついて回ってたでしょ?」


 そう言われれば、安静にしてと何度伝えてもリオは言うことを聞かず、アルバの後をついてきていた。


 そうね、たしかに。退院する前は呪いは解けていなかったはずだし。

 思わず力が抜けたアルバに畳みかけるように、のんびりとした言葉は続く。


「だからね、僕としてはすごく都合が良かったんだ。『真実の愛』が呪いを解いてくれたことも、アルバが『真実の愛』だったことも。好きな女の子が僕の隣に居てくれる理由になるからね」


 うぐ、と言葉に詰まるほどに、リオの目は真面目で、熱を帯び、よく知る子供のリオのように懐っこく。

 リオの青色から目が離せない。

 アルバは、ぱくぱくと無音の声を上げた。


「アルバが僕のこと嫌いだって言うなら考え直すけど…………でも、アルバ、僕のこと好きでしょう?」


 そう言って、アルバが書いた手紙を見せつけてきた。


 思いもよらない話を聞かされ、すっかり忘れていたが、リオの手には青色のトリに乗せて飛ばした手紙がある。

 たしかにそこには「会いたい」「いつも想っている」と書き綴って、見れば見るほどラブレターのよう。


 でもそれは気晴らしをしたいという意味であって、ラブレターとは意味が違うというか。

 だからと言って会えなくなるのは、それも違うというか。


 いつの間にかリオの存在が大きくなっていたことは認めるしかない。アルバは押し黙る。


「アルバ、僕と結婚してほしい」


 そこへ放たれた彼からの真面目な顔の求婚に、アルバは瞬時に顔を背けていた。全力で。

 自分の顔面の影響力を把握したうえでの行動を恨めしくすら思う。


「〜〜〜〜恋人にはなれないって」

「子供じゃなければいいんだよね」

「からかわないでって言った……」

「からかってないよ。僕はいつも本当のことしか言わないんだ」


 子供だからこそ保てていた平常心はもはや機能していない。

 目の前の青年は悪戯っぽく口端を上げる。


「僕と結婚したら楽しいよ。楽しませてあげる。結婚しよう?」

「──いえ、オトモダチからで」


 じゃなければ、心臓が持たない。


「はは、つれないアルバも大好きだ」


 自分の言動に顔を染める珍しいアルバを前に、リオは嬉しそうに笑ったのだった。




 ◇◇◇




 アルバは町での往診を終え、屋敷の私室へ戻ってきた。

 帰宅途中に買ってきたお菓子とお茶を広げて、一息つく。


 ──コンコン


 ドアを叩く音に、アルバは手に持っていたお菓子を置いてドアを開けた。

 そろそろ顔が見たいなと思っていたその人──リオが大きな花束をすっぽりと腕の中に収めて佇んでいる。

 見たことのある光景にアルバは自然と微笑んだ。


「アルバ、僕と結婚してほしい」


 そう言って差し出された花束を、アルバは受け取っていた。

 リオの目と同じ色の、大好きな青色の花束を。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 楽しく読ませていただきました! リオ様が可愛ぃ!!そんなリオ様の求愛を、断れるはずがありませんよねぇ! 短編でしたから、呪いの正体や誰に呪われたのかなどは明らかにはなりませんでしたが、…
[一言] お返事ありがとうございます。 呪いの仕組みはちゃんと伝わってましたよ。 大丈夫です。 呪いをかけた人は何を目的に真実の愛で解ける呪いなんてものをかけたんだろうなってところだけが疑問でしたけ…
[良い点] 散りばめられた設定が 最後にしっかりと回収されてるところ なるほど、と思ってしまった [気になる点] 愛で解ける呪いなんて 何を目的にかけたんでしょう [一言] 貴族の子供だから搦手が上…
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