二話・パラレル世界とアナザー妹 その1
「えっと、お邪魔してます……」
苦し紛れにそんなことを言ってしまったがリモコンは既に手の中にある。もしものことがあったらボタン一つで帰還することができるだろう。とはいっても、そんなことしたら不信感を与えることになるだろうから、最終手段ではあるし、間違いなく妹神への相談案件となると思われるけど。
さて、これからどうしよう。そんな風に考えていると彼女が早足でこちらへ向かって来た。
「お兄ちゃんっ!」
これはまずいかなと思うと同時に僕の体に衝撃が走る……物理的に。
彼女が勢いをそのままに抱き着いて来たのだ。
「あ、あの……」
なにかあったらすぐに指を動かしてボタンを押しこもうと思っていたはずなのに、いざ緊急事態になっても意外と体は動かないものだった。いざ体験すると、避難訓練とかも大事だったんだなと全く関係ないことに意識が向きかける。
「お兄ちゃん……」
僕を抱きしめる腕の力が強まり、意識が彼女へ引き戻される。
本当にどうしよう。そこまで力が強くないなか別に苦しくないけど、力づくで振りほどくわけにもいかないし。
こういう状況になったにも関わらず僕は意外と驚かなかった。あまりにも驚かなかったばかりにそっちに驚いたくらいだ。それと同時に彼女が自分の妹だということがなんとなく理解できた気がした。
情報の上ではそうなんだろうとは分かっていた。妹神の言葉やこの世界のあれこれがそれを証明していたから。ただ、こう、実際に触れあってみて、なんというか……納得した……と表現するのが正しいのか、本当に僕に妹がいたんだろうなという感覚を覚えたのだ。
「と、とりあえず、落ち着いて……え、えっと、きょ、響香」
リモコンを持っていない方の手で彼女の頭を撫でてやる。
身体が自然に動いていた。もしかしたら、僕はこの行動を何度かやったことがあるのかもしれない。
「うええええん、お兄ちゃん、お゛に゛いちゃん」
自然にやった行動ではあるが、これは逆効果だったのか余計に泣きだしてしまった。
玄関先で泣かれ続けるのは困るので、抱き着かれたまま、とりあえず靴を脱いでリビングまで移動した。
「ほら、落ち着いて」
「うえええええん」
言葉をかけてやったり、背中をさすってあげたり、頭を撫でてあげたりしたのだが、その後も全く泣き止む様子は見られなかった。途中で腕は解いてくれたので、買っていた缶コーヒーをあげようとしたのだが、「苦いの嫌い」とだけ言われて断られてしまった。
結局彼女が泣き止むまで三十分ほどの時間を要した。
「お兄ちゃんは、お兄ちゃんなんだよね」
「あー……いや、まぁ、僕は確かに米軽交藍だけど、別に君のお兄ちゃんってわけじゃないんだけどね」
「でもお兄ちゃんはお兄ちゃんだから」
「あはは……はぁ……」
時間をかけて彼女が泣き止んだのはいいけど、今度はずっとこの調子だった。
「なんだか沢山泣いたからか、のどかわいたし飲み物とってくる」
そう言って彼女は冷蔵庫から牛乳を取り出した。
なるほど、毎回牛乳を買っていたのは彼女がいた名残だったんだな。とそう思った。
響香がマグカップに注がれた牛乳をレンジに入れて温めはじめた。
「喉乾いているのに、ホットミルク飲むの?」
あんまりのどが潤いそうにない印象がある飲み物だ。
「いいの。好きだから」
ミルクが温まると砂糖を入れ始めた。
「しかも砂糖もいれるの?」
そこまで来ると、逆に喉乾くまでありそう。
「ホットミルクは甘いほうがおいしいから入れるに決まってるじゃん」
彼女はスプーンで三杯ほど砂糖入れて、あまあまホットミルクを完成させる。
「お兄ちゃんも一口飲む?」
「いや、僕はいいよ」
甘いのそんなに好きじゃないし。
「まぁ、そうだよね、お兄ちゃん甘いのそんなに好きじゃないし」
まるで返答が分かっていたかのように彼女はそう言った。
もしかしたら、この世界の僕も味の好みは同じなのかもしれない。
「響香」
「なに? お兄ちゃん」
見つかってしまった以上、僕自身の話とかリモコンの事とかいろいろと話さなければいけないと思ってはいるが、いきなり切り出すのもあれだ。適当な話題の話でタイミングを見計らおう。
「ホットミルク好きなの?」
「うん、好きだよ、でも今更どうして?」
「それは、まぁ、あとで言うけど……その響香は身長を伸ばしたかったりするの?」
「別にそういうわけじゃないけど」
「多分、普段から牛乳飲んでいるんだろうし、そうなのかなと思って」
いなくなった後も影響が残るくらいの頻度で買っていたくらいだし、この世界の響香が僕の世界の響香と同じなら結構良く飲んでいることになる。
「確かに毎日飲んでるけど、味が好きだから飲んでいるだけで別に意図があって飲んでいるわけじゃないよ」
彼女はホットミルクに口を着けるが、「あちっ」と一言だけ言ってマグカップをテーブルの上に置いた。
「やっぱり電子レンジだと温度の調整が難しいねー」
苦笑いしながら妙にもこもこしてる(暑そう)フードつきの服のポケットをいじって、何かを取り出す。
「たべる?」
そうしてオレンジ色のキューブをこちらへ向けてくる。
「それは?」
「マンゴー」
ちょっと考えて、それが乾燥されたものだと気づく。
「ああ、ドライフルーツか」
「そうそう、これならお兄ちゃんも食べられるでしょ」
「まぁ、砂糖たっぷりのやつよりは」
オレンジ色の立方体を数個手の平に乗っけられる。
「まぁ、砂糖自体は使われているけどね」
彼女は数粒自分の手の平に取出し口に含む。
「この小さい角切りのやつを口の中に入れておくの好きなんだよねー」
そう言って笑う彼女を真似して口に含んでみるが、思ったより結構甘い。ドライフルーツにも砂糖使われていたりするのかもしれない。
「そういえば、お兄ちゃんはどうして家に帰って来たの?」
「どうしてって、いや、それは」
ドライフルーツを味わっているときに、確信を突いた質問が急に飛んできた。
あまりにも急なその言葉に僕は言いよどんでしまい、そうしている間に彼女の方から話を切り出してきた。
「もしかして、お兄ちゃんがずっと言っていた別の世界が云々と何か関係あるの?」
「え、あ、ちゃんと聞いてはいてくれたんだ」
「真実味が無いから嘘だとは思っていたけど、一応は」
「あー、うん……そりゃそうだよね、僕自身もそう思う」
僕だって同じ立場にいて、同じ説明をされたら胡散臭いなって思っちゃうし。新手の詐欺かなにかみたいだし……狙いが随分専門的だけど。
「でも良く考えたら、お兄ちゃんがここにいること自体がなかなか普通じゃないし、もしかしたらそういうこともあるのかなって思っちゃって」
「ああ、うん、そうだね」
僕も妹神の存在やリモコンの機能が本当だったことで諸々信じたわけだし、人間割とそんな感じなのかもしれない。
「まぁ、お兄ちゃんが本当にお兄ちゃんなら、帰ってくるには早すぎるよね。お盆はまだまだ先だよ……って、まぁ、お盆終わった直後の事だったし、しかたないことなのかもだけど」
そういったあと、彼女はちょっとだけ寂しそうな表情を見せた。
「それで、反応と格好を見る限りは、どう見てもお兄ちゃんは私のお兄ちゃんだけど、この世界の人じゃないんだよね」
「う、うん、これでこっちの世界に来ていたりするんだ」
タイミングを見計らうつもりだったから、これはチャンスだと思ってポケットからリモコンを取り出した。
「へー、なんだかテレビのダイヤルみたいだね。リモコンっぽくはないけど」
リモコンを見て彼女がそんなことを言う。
「真っ先にどんぴしゃなところ当ててくるのはすごいと思うけど、現代っ子っぽくない発言だね」
ダイヤル式のテレビっていつの時代のものだろう。
「むしろ現代っ子ぽいでしょ、インターネットにはいろいろな情報が集まって来るからこそだよ」
と、そんなことを言いながら、フーフーしながらあまあまホットミルクを飲み始めた。
「まだ結構暑いと思うのによく飲むね」
「まぁ、ホットミルクだし温かいうちが華でしょ」
「いや、ミルクの温度の話じゃな……い訳でもないけど、僕が言ったのは気温の話だよ。季節的には秋なはずなんだけどさ」
どうもここ数年は秋と春が短い傾向にある。実際の秋くらいならホットミルクも美味しくなり始める季節なのだろうが、暦と違って今は夏のような暑さだ。
「エアコンでガンガン冷やした部屋には温かい飲み物がちょうどいいの」
「まぁ、分からなくはないけど、この部屋エアコンつけてないよ」
こたつでアイスと同じ理論なのだろうけど、残念ながら部屋はいまだに蒸し暑い。
「……美味しいからいいの」
「まぁ、君がいいならいいんだけど」
「む……そんな他人行儀な呼び方はしないでよ。私が泣いていた時はちゃんと名前を呼んでくれたのに」
彼女の事を『君』と呼んだところ、眉をひそめてそう言われた。
でも、ほぼ初対面の女の子を下の名前で呼ぶのはあれだし、苗字一緒だからそれもあれだし。
「えーと、それは、ほら、なんか自然とそう呼んじゃっていただけで……」
「じゃあそのまま自然に接してよ」
僕が言葉に詰まらせていると、口をとがらせて不満を述べる。
「そうはいってもね……一応僕は君の兄じゃないし」
「んー、そうはいってもお兄ちゃんはお兄ちゃんだよ」
フーフーとしながら、ミルクをちびちび飲んでる。
「それで、色々話してくれていたけど、あのリモコンって他に何ができるの?」
「他にって?」
「それを使ってこの世界に来たのは分かるけど、なんかダイヤル付いているんだし他にも機能あるんじゃないの?」
これは言ってしまっていいのだろうか。小さいダイヤルの方は伝えていいのか分からない。伝えない方ができることも多いだろうし。
「あー、まぁ、うん」
嘘を吐くのもあれなので、ぼんやりとした返答をして誤魔化そうとしたんだけど。
「なになに? 教えて」
と、彼女はやけにぐいぐいくる。しかもホットミルクを手にしたままなので、こっちとしてはこぼさないか不安だ。それ、中身熱いんじゃなかったっけ?
「えーと、それは……」
「いいじゃん、教えてくれたって」
「お、落ち着いてって」
「教えてよー」
リモコンに奪おうとするほどの勢いにおされ始める。
「うん、分かった、教える、教えるから落ち着こう、響香」
彼女を落ち着けるには教えるというしかない気がして、ついそんなことを言ってしまった。
本当に伝えてしまっていいのかとは思ったが、こぼれてしまった時の事を考えると仕方ないか。
「やったー」
そう言いながら響香が大きく体を動かした時、カップ内の水面が大きく揺れてちょっと怖かった。ありがとう表面張力。せっかく教えることにしたのに、こぼれたら教え損もいいところだった。
「みせてみせてー」
「いいけど、どこも触らないでね、あとミルクは置こう、危ないし」
「うん分かった」
言われたとおりにマグカップを近くのテーブルに置いて、手のひらをこっちに向けて来たので、リモコンをそっと乗せておいた。
「おー、重そうな見た目の割にすごい軽い。中身がすっかすかの玩具みたいなんだけど」
「言われてみればそうだね、でも落としても壊れなかったし、結構丈夫だとは思うけど」
神様から渡された道具だし、見た目と重さと頑丈さで関係性はないかもしれない。
「へー、それでこの横のボタンが多分行き来するってヤツだよね」
「うんそうだよ。それで、大きいダイヤルが行き先で、小さいダイヤルはなんていうかモード切替って言うのがいいのかな」
「モード?」
首を傾げる響香の手からリモコンを取り返してから、妹神から聞いた話をそのまま話してあげた。
「うーん、それじゃあ、私の生活をお兄ちゃんに覗き見される可能性があるってことー?」
「僕にそんな気はないけど、まぁ、確かにやろうと思えばできはしちゃうね」
流石にするつもりはないけど。
「お兄ちゃんとはいえそれはちょっとやだなー」
「それについてはごめん。僕もこんな感じになるとは思わなかったから」
「まぁ、お兄ちゃんが悪いわけじゃないんだろうし」
空のマグカップを持って響香が立ち上がる。
「でも、半干渉はいいかも。お兄ちゃんがいるのは流石に不自然だろうしね」
彼女はそういうとキッチンの方へ向かった。
「お兄ちゃんがここに来た理由とかそういうのも聞こうかなって思ったけど、さっき時計確認したら結構いい時間だったし、お父さんとかお母さんが帰ってくる前に今日はバイバイだねー」
マグカップを洗いながら、彼女はこちらに手を振ってくる。
「分かった。確かにそれは僕も困るしそうさせてもらうよ、じゃあね」
このまま無言で帰るのもあれなので、返事だけしてボタンを押したところ、その指がボタンから離れるまでの時間、彼女は困った一言を発した。
「うん、じゃあ、ばいばーい、また明後日、次は放課後にねー」
「え、ちょ……」
もう手の動きが止められるタイミングでは無く、僕は異次元を介して元の世界まで戻ってくるのだった。




