来たる約束の最後の日 その4
食パンとの格闘を終えて店から出た僕たちは、またお腹を落ち着けるためにうろつき活動をしていたら空いているベンチを見つけたので腰を下ろした。
想定外に一杯となったお腹が落ち着くまで、響香と会話をしていたのだが、そうしているうちにも時間は過ぎていく。
時計の短針がほぼ真横を指す頃合いになると、響香は顔をあげて広場にある時計を見た。
「そろそろ時間かも」
「もう帰る時間なの?」
まだまだお昼の範疇ではあるが、帰りの電車の時間も考えるとそう早い時間でもないのかもしれない。
「そうだねー、今日はお母さんに遅くなるとかそういうことは一切言ってないから、夕方までには帰らないとだからね」
「そうなんだ、それじゃあ一緒にいられるのはあと少しだね」
自分で言っていて、少し寂しい気持ちになった。
「そうだね……でも今日はお兄ちゃんとの思い出が十分なくらい出来たような気がするよ」
「そう言ってくれると僕も嬉しいよ」
短い間……期間にしても短く、時間にするとかなり短い時間だったけど、不思議と居心地の良い関係性だった。僕にも妹がいたのだろう思ってしまうようなそんな時間だった。
ちょっとした感傷に浸っていると響香が立ち上がる。
「えっとね、ちょっとトイレ行ってくる」
そう言い残して少し駆け足でその場を離れて行った。我慢していたのだろうか。
時計を眺めながら待っていると響香が戻ってきた。
「ごめん待たせた?」
「ううん、全然」
「じゃあ、帰ろっか」
モールの出口まで向かって二人でのそのそと歩く。その足並みは時間と共に遅くなっていく。
今日の晩ご飯はどうするとか、友達がどうとか、他愛ない話をしながら二人並んで歩く。随分と歩みは遅くなっていたはずだが、気付けば正面入り口から外に出ていた。建物の外に出ると自然と会話は止まった。
のそのそと歩いていると、渡り始めるより先に入り口前の横断歩道の信号が青から赤に変わってしまう。
足を止めてふと隣を見ると、響香がいなかった。さっきまで話していたのに、と慌てて振り返ってみると、彼女はまだ入り口付近で足を止めていた。
置き去るわけにもいかないので入口あたりまで戻る。すると響香は僕の右手を引いて歩き始めた。
「えっと……もうちょっと話していかない?」
「いいけど、時間は大丈夫なの?」
「うん、まだ大丈夫。それよりも話したいことがあるんだけど、お兄ちゃんの方は時間大丈夫?」
「僕はそんなに急いでないから大丈夫だよ」
「そっか、じゃあ伝えないといけないことがあるんだ」
響香が足を止める。そこにはベンチがあった。二人でそこに腰を下ろすと、響香はバッグの中からお茶を取り出して一口だけ飲んだ。
そのあと、少しだけ間が空いた。響香がどう話そうかと悩んでいる事が分かったので、黙ってまっていたのだ。
もう一口お茶を口にして、響香が話し始める。
「あのね、お兄ちゃんはね、事故で死んだんだ」
「そうらしいね」
この世界の僕が死んでいること。それも事故で死んだことは既に聞いている。詳しい事は聞いていないが、この程度のことなら雑談をしているときに話していた。だからこれから離される内容は、その先のことだろう。
「それでね、そのことなんだけど」
「うん、なにかあるの?」
「今日ここに呼んだことには意味があってね、あのね、お兄ちゃん、あそこで死んだんだ」
響香が横断歩道の先に視線を向ける。
「そっか……」
またしても無言の時間が生まれる。僕は何も言えず、響香は言葉に詰まる。そんな無言の時間だ。
「本当はね……その日一緒に買い物するつもりだったんだ」
横断歩道の先の先、はるか遠くを見ているような、そんな目をしていた。
「でもね、運が悪くてね、事故が起きちゃってね。本当に運が悪かったんだよ……私は少し離れていたからその大丈夫だったんだけど……それは何人か巻き込む事故でね、それにお兄ちゃんも巻き込まれちゃって……その、それでね……」
響香がまた口を紡ぐ。響香の声と入れ替わるように街を歩く人々の声がやけに大きく聞こえ始めた。
信号機の色が切り替わるのは5回目だった。青信号になると共に信号を待っていた人たちが動き出す。それを見ていると響香の声が聞こえた、そして街の人々の声がフェードアウトしていく。
「今日お兄ちゃんをここに誘ったのは最後の思い出作りっていう名目だったけど、それはね、あの日の続き、本当はあの日するはずだったこと、それができたら少しは未練というか、そういったものがなくなるかなって思ったからなんだ」
響香がこちらを向く。
視線が合う。
「それで……どうだった?」
「そうだね……うーん……8割方成功って感じかな」
ちょっとだけ頬を緩ませてそう言うと、響香はいつの間にか残り一口になっていたお茶を飲み干して、空になったペットボトルをバックの中に仕舞った。
「心残りは解消されたけど、なんというか……これからもお兄ちゃんと一緒にいられたら楽しかったのかなって、そう思っちゃったから2割は失敗かも」
信号が赤信号に変わり、人達の足が止まり僕たちの会話も止まった。
響香の言う2割の失敗は、たぶん悪いものじゃない。響香の話しかたや表情からそんな風に感じ取れた。そして、そう言ってくれて少し、いや結構嬉しかった。正直なにも分からないし、どうしたらいいかも分からない最中、なんとなく動いていたようなだけ気がしたけど、そんな僕でも響香は必要としてくれたんだと分かったから。
信号が青に切り替わる。人たちがまた動き出す。そして、響香が勢いよく立ち合がった。
「さてと、私は帰るよ、自分の場所に。だからお兄ちゃんも自分の世界に帰っても大丈夫。私はもう一人でも大丈夫。だからここでバイバイかな」
そう言うと響香はバックの中から小さな白い紙袋を取出した。
「はい、これ受け取って」
「これは?」
大きさの割には重いような気がする。何が入っているんだろう。
「それはここまで付き合ってくれたお礼。それとお兄ちゃん側への思い出のプレゼントかな」
受け取ったものがなにか確認しようとしていると、響香は信号の点滅し始めた横断歩道を駆け足で渡っていってしまった。
「バイバイ」
そして、向こう側で一度そう言うと、それからは振り返ることもなく駅の方へ向かって行った。その背中が人の影に隠れて見えなくなるまで見送ったあと、手元に残された紙袋の中を覗いてみた。
「これは……宝石とかそういったものかな」
中には不思議な形の石が入っていた。
綺麗に真っ二つにカットされたかのようなその石の中にはちょっとした空洞があって、そこには棘のような結晶がたくさん生えていてきらきらとしている。
「これが、僕へのお土産って事かな」
石を袋の中に戻して、ポケットにしまった。
響香の会話を思い出しながら、ひと目のつかない場所を探して歩く。
「この世界に来ることももうないのかな」
ビルとビルの隙間に入り、そう呟いてからリモコンの大ダイヤルを0に合わせた。