来たる約束の最後の日 その3
店員と雑談をしてたのか、ちょっとしてから店から響香が出てくる。
「お兄ちゃん、お待たせ」
響香は近くまで来ると小声でそう言う。そして、僕に視線を向けることなく歩き始める。
店の方を見ると店員が響香の方へ視線を向けていた。これでは確かに僕に話しかけるわけにもいかないよね。
響香の後を付いて行くと先ほど使った階段で足を止めた。僕は周りを確認しつつ、小ダイヤルを回して干渉状態に切り替える。
「どう? 切り変わった?」
僕がリモコンを取り出したのを見た響香は、念のためか小声でそう話しかけてくれる。
「うん、切り替えたよ、これで普通に話しても大丈夫」
リモコンをバッグにしまっていると、「良かったー、ずっと小声で話すのけっこうきつかうんだよねー」と普通の声量ではなす。
「これからどうしよっか。早くに出発したから一店舗回った後だけど、やっと本来の到着予定時間になったって感じだよ」
響香にそう言われて時間を確認したけど、お昼ご飯にはまだ早いな。
「普段、こっちの僕と出掛けたときはどうしてたの?」
「普段はーて言うほど一緒にこういうところは来なかったかな。たまに一緒に来ることはあったけど、そんなにしょっちゅう一緒に出かけていたわけじゃないし……買い出しとかは一緒に出ることは多かったけど、そういうことでもないだろうし……うーん、じゃあ一緒もうちょっと服選びに付き合ってよ」
「うん、分かったけど、僕はどうしたらいい?」
また半干渉にした方がいいだろうか。そう思って周りに人がいないことを確認する。
「そのままで大丈夫だよ、行ったことない店とか行くつもりだからね」
そう言われたので干渉状態のまま、響香についていくことにした。
この世界の僕のことや、響香の好みの話をしながら何店舗か回って、これからの季節の冬服を見たり、在庫処分で安くなり始めた服を何着か買ったりした。途中ちょっとマニアックな服の店を見つけて覗いてみたりもした。そんなことをしている途中、響香は急に足を止めると「あ、そうだ、お兄ちゃんも服どう?」と言った。
「え、僕?」
てっきり響香の服選びに付き合うだけかと思っていたから、その発想はなかった。
「うん、お兄ちゃんもせっかくだし一着くらい買っていったら?」
特に服には困ってはいないけど、僕も一着くらいお気に入りの服とかあった方がいいのかな。
「まぁ、響香がそういうなら……でも僕はあんまり店に心当たりとかないよ」
「大丈夫、お兄ちゃんに会いそうな服売ってるところ知ってるから」
自信満々にそう言う響香に連れられて、それっぽい感じの服の店に入った。
普段は全国展開されているようなところで適当に買っているので、こういったところに入ることはあんまりない。
なんとなく入りづらく感じたりはしているんだけど、入ってみると特に威圧感や緊張感などはなく、いがいと普段使足っているお店と大した違いはない。当然っちゃ当然なんだけども。
「あ、お兄ちゃん、これとかかっこいいんじゃない?」
お店に入ると響香はすぐとジーンズが並べられている棚の近くまで向かっていって、そんなことを言った。
「どれ? この薄目の色のもの?」
「うん、それそれ」
「こういうの似合うかな?」
一応ジーンズは一着だけだけど持っている。ただ、あんまり穿かないし、そこまで自分に似合っているという印象もない。
「似合うとは思うけど、気になるなら試着してみたら? たぶんパリッとした白のYシャツとかと組み合わせるとかっこいいと思うんだけど」
頭の中で言われたとおりの組み合わせで身に着けた自分を想像してみる……なんか背伸びしているような感じのイメージしか湧いてこない。
「自分で言うのもなんだけど、僕って素があんまり格好いいタイプじゃないから、そういうシンプルなのって似合わないと思うんだけど……」
身長だってあんまり高いわけじゃないし、顔がかっこいいわけでもない。それ故にシンプルなかっこよさの服装は、なんか背伸びしている感が出ちゃう気がする。
「そうかな、私は結構いい顔してると思うけど」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、そうかな?」
乃あたりからは童顔って結構からかわれたりするし、あれ、たぶんほめ言葉じゃないし。
「そうだよ。というか、そうじゃないと同じ遺伝子の私だってブサイクってことになっちゃうじゃん。だからお兄ちゃんはかっこいいってことで」
「そうとは限らないと思うけど、響香が言うならそういうことにしておくよ」
男性と女性じゃ方向性って結構違うと思うけど、褒めてくれるなら素直に受け取っておこう。
「それで、どうかな? 私的にはすごく似合うと思うんだけど」
響香に勧められたジーンズを手に取って広げてみる。僕の持っているものと比べると、色が薄目で裾がシュッとしている。確かにかっこいい服だと思う。
「せっかく響香がすすめてくれたんだし、せっかくだから僕も一着くらい買おうかな」
「試着とかしなくてもいいの?」
服を折りたたんでレジに持っていこうとすると、そう言われて響香に止められた。
「僕はいいよ、響香が似合うって言ってくれたしそれで十分かな」
「でも、本当に似合うかどうかは分からないよ、せめてほら前に持って来て、なんとなくで見せてみてよ」
響香に連れられて姿見の前まで移動するとジーンズを広げる。思っていたよりあっているかも。脳内イメージではあんまり似合っていない印象だったから少し意外だ。
「んー、似合うって言いはしたんだけど、あれだねー、もうちょっと濃い色の方がいいのかな、あと裾ももうちょっと広いやつの方がいいのかも」
これなら買ってもいいんじゃないかと思ったけど、響香的にはちょっと違うらしい。僕の手からジーンズとスッと取ると元の位置に戻して、すぐ近くの別のジーンズを取って手渡してくる。
「こっちも試してみて」
同じように合わせてみると、こっちの方が僕にあっている気がした。意外とジーンズも似合うのかもしれない。服装を褒められ慣れてないから、もしかしたらそう思わされているだけかもしれないけど。
「うん、そっちの方が似合うと思う。そっちにしよう」
響香のお墨付きも出たので、ジーンズ一着買って(思っていたよりは安かった)店の外に出ると、次は上も買いに行こうということで2階にあるYシャツの店へ連れていかれた。
「Yシャツなら僕も持っているけど」
「持っているって、たぶんだけど制服で着ているものでしょ?」
「そうだけど、良く分かったね」
「だってお兄ちゃんそこまでファッションに興味持ってないもんね」
昔は気にしていた時期もあってけど、身長も全然伸びないし周りに乃という、本人に言うには癪だがイケメンだと言える友人がいるため、自分が着飾っても仕方ないだろうと思い始めて、中学3年辺りにはもう既に「適当でいいや」という思いが生まれていた。
「いいんだよ、僕はそこまで格好つける必要もないし、変にださくない程度の服さえあれば」
「大又さん格好いいもんね」
「うっ……乃はいいんだよ、格好いいのは見た目だけだし」
ある程度話せば、彼の格好よさはそこまででもないことはすぐ分かる。実際にあんまりモテてる様子はないし。それに、今は光もいるから乃の見た目のかっこよさの価値もだいぶ下がっている。
「でも大又さんの事は置いておいてもお兄ちゃんも格好いい方だとは思うし、格好はちゃんとした方がいいと思うよ」
「そ、そう?」
身内からの言葉とはいえ、言われてみれば悪い気はしない。
「そうそう、だからYシャツもしっかりしたの買っちゃおう」
なんだか上手く言いくるめられたような気もするが、響香のすすめで衿が小さくて胸ポケットが無い真っ白なシャツを二枚購入した。
「あとは、何があるかな……」
響香が僕を見て、次に買う物を考え始めたので慌てて止めた。
「いや、もういいって……あー、ほら、そろそろいい時間だしご飯でも食べようよ」
丁度いい口実を探して辺りを見渡したところ、近くにあった時計が目に入ったので、いい感じに話題を逸らすことにした。
「んー、それもそうだね、お兄ちゃんはなにか食べたいものある?」
「いや特にないけど、そういう響香の方はなにかあるの?」
少し考えるようなそぶりを見せた後、響香は近くにあったマップの方をみた。
「そうだねー、これだーっていうのはないけど、それだと決まらないだろうし、カレーでも食べに行く?」
「カレーかー、家だと食べるけど言われてみるとお店食べる事ってあんまりないかもしれない」
「じゃあ決まりだね、ここに行こうか」
そう言って地図を指差す。下の階にカレーの店があるらしい。
食事時なので混んでいそうなものだが、タイミングが良かったのか運がよかったのかあまり待たずに席につくことができた。
水を飲みながらメニューを見たけど、初めて入った店だしどれがいいとかも詳しくは分からなかったので、基本メニューっぽい特製カレーを二皿頼んだ。
注文するとあまり待つことなくカレーが運ばれてきた。
カレーを入れる以外に使い道が思い浮かばない銀色の器に入ったカレーに浮かぶ具材はとても大きく食べごたえのありそうなものだ。
「カレー入れるやつだー」
「これってなんなんだろうね、カレー入れるやつというイメージが強いけど」
「そうだね、私もカレー入れるものの印象はあるけど、他にも何か使うのかな?」
そう言うと響香はスマホを取り出して調べ始めた。そしてすぐに教えてくれたのだが、本来はソースを入れておくものらしい。
響香の話を聞きながら、ご飯の上でカレーの入れ物(ソースボードだとか、グレービーボードって言うらしい)を傾ける。ご飯に色を付けると共にスパイスの香りが辺りに広がった。
「あ、お兄ちゃん、私が調べている隙に先に食べようとしている」
「響香が勝手に調べ始めたんじゃん」
それに響香は猫舌だし急がなくてもいいんじゃないかと思うけど、響香は「せっかくだから、一緒に食べたい」と言って、スマホを仕舞ってカレーをご飯にかけた。
「いただきまーす」
そう言って食べ始めた響香に続いで僕もカレーライスを口に運ぶ。カレーの香りと共にじんわりと刺激が口の中に広がっていく。
ここのカレーは汁気が多くスパイスが強めで、うちのカレーとは真逆って感じだ。
「結構辛いねー」
響香が水をちろちろと飲んでいた。
「たしかにここのカレーは結構辛めだね。僕は結構好きだけど響香は?」
「美味しいとは思うけど……ちょっと辛いかも」
「辛いのはあんまり得意じゃない?」
「うん、苦いのよりはマシだけど、辛いのもあんまり」
響香がカレーを食べ終えるのには僕より少し時間をかかった。響香が食後に水を二杯飲み干す見届けてからレジに向かい、二人分の会計を済ませて店の外へ出る。
「うへぇ……舌とかおなかとかひりひりする」
「大丈夫?」
「大丈夫、美味しいには美味しかったし、もし次来ることがあるなら辛さ控えめにしてもらうことにするよ」
おなかを落ち着かせるために、しばらくは特に目的もなく二人で歩くことにした。
「次はどうする?」
「うーん、どうしようかなー」
目的もなくエスカレーターを利用して移動したりしつつ、なにかいい店はないかなと次の目的地を探す響香と二人並んで歩く。
午前中に比べ人が増えてきて、ほんの少し歩きにくくなってきた。別にはぐれるほどではないけど、響香とあんまり離れないようにはしよう。
「あ、お兄ちゃん、あそこ」
響香はなにかを見つけたようで手をひく。気持ち駆け足と言った速度で人の隙間を進んでいくと、ちょっとしたゲームコーナーのような場所に辿り着いた。
ゲームコーナーといっても、ゲームセンターのように格闘ゲームや体感ゲームといったものがあるわけではなく、プリクラやエアホッケーなどの一部ゲームがあるだけだった。目ぼしいゲームがあるわけでもないせいか、店内の人の量の割にここにはあまり人はいなかった。
「よーし、プリクラ使おう、思い出を形に残すのは大事なことだよ、いつでもできると思っていることでも、いざできなくなってから見返してみるとあんまり残っていなかったりするものだからね」
響香が言うと少し重く感じられる言葉だ。でも良く考えると言われた側である僕の場合、存在が抹消されているせいで、物質的な物はおろか、記憶すら残っていない。
もしかしたら、それはすごく重たい意味の言葉なのかもしれない。
そんな言葉を聞けば断るという選択肢があるわけもなく、響香に手を引かれたまま空いているプリクラボックスの中に入った。こういったものは使った事がないので、中の光景はちょっとだけ新鮮だった。
「それでこれはどうすればいいんだろう。とりあえずお金は入れるとして」
500円玉を一枚入れると機械が反応する。
「えっと、実は私も使った事がなかったり……」
「え?」
「うん」
二人であわあわしながら数枚写真を撮ったが、どれもなんというかちょっと硬い写真になってしまった。二枚目に撮ったものなんて、二人並んだ証明写真のようにも見えるほどだ。
最後の思い出的なものなのに写真そのものの加工をするのもどうかとなったので、適当にペンで自分の名前を書いたり、響香がちょっとしたイラストを描いたりしただけにとどめて、最後の肯定を終了した。
「うん、これはいい感じだね、はい、お兄ちゃん」
プリントアウトされたシールを手に取った響香はニコリと笑うと、どうやら持ち歩いているらしいはさみをバッグから取り出してシールを二つに分け、半分をこちらに差し出してきた。
「ありがとう」
「うん、二人の思い出ならちゃんと二人で持っていないとだしね」
半分を僕が受け取ると、響香は残り半分を大切そうに財布にしまった。響香にならってぼくも財布にしまっておこう。
「さて、次はどうしよう、せっかくだしなんか遊んで行く?」
財布を広げてどこに仕舞っておこうか考えていると、響香がそんな提案をしてくる。
カードを入れる場所の奥にシールを仕舞いこんでから、周りを見渡してみるけどやっぱり大したゲームはないような気がする。遊ぶっていってもなにもないような……。
「なんかって……こう言うのもあれなんだけど、この場所はあんまり興味がわくようなゲームとかはないと思うんだけど」
「うーん、それは確かにそうかも」
なにか二人で出来そうなものを探したけど。それらしいのは見つからなかったし、適当に占いをするだけのゲームを互いに一回ずつやって、その場を離れることにした。
一応、エアホッケーはあったんだけど、なんか目立つしあんまりやる気がしなかったので見なかったことにした。
またしばらくぶらつくのかなと思っているけど、ゲームコーナーを出て響香はすぐに足を止めた。
「あ、そうだ、辛いモノ食べたし、今度は甘い物でも食べない?」
「それ、僕が甘いモノあんまり好きじゃないの分かってて言っているよね」
「私が食べたいだけだからね」
響香はえへへと誤魔化すように笑う。
「さっき食べたばかりだし、お腹もそんなに減ってないんだけど」
「まぁ、お兄ちゃんはコーヒーとか飲んでいればいいから」
また手を引かれる。
向かっている先はすぐに分かった。視界にカフェがあったからだ。それに大きなハニートーストの写真が写っている旗が立っていた。アレを見て甘い物が食べたくなったんだろう。
アイスクリームとか、パンケーキとかそう言ったものを注文するのかな? まさかアレを食べるつもりではないよね。ない……よね……。ないと信じたいけど……。
店員に案内されて席に着くと、響香はメニューを開いてサッと目を通すと、迷いなく注文をした。
「ハニートースト一つとミルクティー砂糖入りを一つ」
普通に頼みましたとさ。
きっとあの旗を見た時点で、ハニートーストを頼もうと思ってこの店に入ったのだろう。
「えっと、コーヒーを一つ」
注文を受けた店員の背中を見送ってから響香の方に視線を移す。
「えっと、食べ切れるの?」
「うーん、甘い物は別腹てきな感じで行けるとは思うけど」
「そ、そう? 響香がそう言うならいいんだけど、僕は結構お腹一杯だからね」
「お兄ちゃん男子にしては小食だもんね。もうちょっと食べれば大きくなると思うんだけど」
いっぱい食べたからって背が伸びるとは思えないし、そうだとしてもそんなに食べられないから挑戦する気はない。
「そんなこと言って、響香は食べ過ぎると太るんじゃないの?」
「ざんねーん、私は太りにくい体質なのでしたー」
胸を張って自慢するかのように響香が話す。
「女の子にとっては便利な体質だよね」
「そうでしょ、と言ってもそんなにいっぱい食べること自体あまりないから役に立てることも普段はなかったりするんだけどね」
先に運ばれてきた飲み物をちょっとずつ飲みながら会話していると、少し遅れてハニートーストが運ばれてくる。
画像ではちらほら見たことあるけど、実際に見る半斤サイズのハニートーストは結構な量があって、思ったよりインパクトが強い。これ、昼ごはんよりも量がありそうなんだけど、本当に大丈夫なのかな。
「響香、これ本当に食べきれるの?」
「うーん、実物見てみると私も不安になって来たけど、頑張ってみるよ」
そう言って意気揚々と食べ始めた響香だったが、半分ほど食べたあたりから急激にペースが落ちてきた。
飲み物が無くなったのか、おかわりを店員に頼むとパンの山の解体作業を再開させたが、どうにもペースは落ちる一方で手の動き鈍くなっていく。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないかも……なんというか、最初は良かったんだけど、半分くらいから味が全然甘くないし、口の中の水分は持っていかれるしで結構きついかも」
「そうなんだ……」
「た、食べる?」
食べる気はなかったけど、このまま全部響香に食べさせるもの酷な気がしてきた。
「そんなにお腹に入れられるわけじゃないんだけど、まぁ、少しだけなら僕も手伝うよ」
いくつかの解体済の食パンが移された取り分け皿が僕に差し出される。
「はい、お兄ちゃん」
「う、うん」
カトラリーボックスからフォークを取り出して、渡されたそれを口へ運ぶ……うん、食パンだ。焼かれた食パンでしかない。
甘くはないのでたぶん元のものよりは食べやすくなっているとは思うんだけど、でもなにもない食パンを食べること自体に虚無感がある。そして、口の水分はなくなっていく。
響香の頼んだミルクティーのおかわりが運ばれてきたタイミングで、僕はコーヒーのおかわりを注文した。