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秋長豊 童話シリーズ

カエル商人

作者: 秋長

ページを開いていただきありがとうございます。

童話を公開するのは初めてなので、最初に読んでくれたあなたが私の読者様です。

この童話は短編なので数十分あれば読めると思います。

主人公の兄と妹がカエル商人と出会い、ドキドキ!?な冒険劇を繰り広げるお話です。

少しでもワクワクしてもらえたらうれしい限りです。

 7日と降りやまぬひどい雨が過ぎ去った後、人口300人ほどの小さな町である珍事が起こった。ピタリと雨がやんでからというもの、多くの住人が口をそろえて「カエル人間を見た」と言うのである。

 その見た目というのがなんとも奇妙だ。まず、二本足ですっくと立っている。人間の子どもほどの背丈で、ぬめぬめした皮膚、がま口財布そっくりの口、吸盤のついた指。木製の服や靴に円形の帽子をかぶり、腰に小さな茶色のバッグを携えている。

 うわさは1日で町中に広がり、おとなも子どももみんなカエル人間のことを知っていた。  

 ある日、小さな新聞社で働く記者の元に、一枚の写真が送られてきた。うわさ通りの見た目をしたカエル人間が、傘を差して横断歩道を渡っていたのである。

「なんてこった! まるで商人の格好をしたカエルじゃないか」

 そういうわけで、うわさは事実として町中に号外の張り紙が出された。


     カエル商人? 町で目撃相次ぐ

     見つけたら警察へ

     捕まえたら豪邸プレゼント


 大通りにある三階建てマンションの302号室で暮らす一家にも、例の号外がポストにねじこまれていた。

 父は満足げに号外を冷蔵庫に張りつけると、年子の兄妹が夢中になって描いているカエルの絵を見て言った。「画伯だな」

「横断歩道を渡るカエルよ」妹は夢中で言った。

「お父さん、カエル商人って本当にいるの?」

「もちろんさ。お父さんが作った新聞を見ただろ? 律儀に横断歩道まで渡ってたんだ」

「どんなふうにしゃべるのかしら? コケコケ、コンニチハ」

「違うよ、それじゃあニワトリだ。ゲコッゲコッ、こうしゃべるのさ」

「2人とも、今日はお留守番だ。おとなしくしているんだよ」

 父は2人の頭をなでると、鼻歌を歌いながら新聞社に向かっていった。兄は小走りで窓に張り付くと、父の後ろ姿がマンションの角に消えたのを確認してニンマリ笑った。

「友達はみんなカエル商人を探すのに血まなこさ。僕らも見つけよう!」

「お父さんに怒られるわよ。それより、お店屋さんごっこしましょうよ。今日のお客さまにはスペシャルゲストもいらっしゃるのよ」妹はおもちゃ箱から人形を出してあいさつした。「ケコケコ、私はカエル商人ですだ」

「その人形、ちっとも似てないじゃないか」

「ひどいこと言わないで」

「お兄ちゃんが新しい人形買ってあげるよ。カエル商人にそっくりの人形、ほしくない? まぁ、お前は演劇の”プロ”だからそんな道具に頼らなくたっていいと思うけど?」

 兄がうまーくおだてると、案の定妹はコロリと味方になった。「行く!」

「よしきた」兄は自分の貯金箱からお札を2枚ポケットに突っ込んだ。「いいか? 人形遊びしてるとか人前で言うなよ」

 2人は手をつないで外に出た。相変わらず道路は水浸しでひどいありさまだった。空は雲一つない晴天なのに、この間の大雨は町に暗い影を落としている。数分歩いて号外に載っていた写真の現場「横断歩道」に来ると、おとなたちが車の進路をじゃまして立ち話に夢中だった。中には記念撮影したり、路上を占拠したりする若者もちらほら。昨日までなかった小さな屋台には、木彫りのカエル商人がずらりと並んでお土産売り場になっていた。

「一つちょうだい」

 兄はポケットからしわくちゃのお札を1枚出すと、屋台の番をしているお兄さんに渡した。

「毎度あり、好きなの選びな」

 兄は妹が品定めしている間にこんな質問をした。

「本当にいると思う?」

「いるさ! 俺は信じてる。うそでもありがたい話さ。このさえない町が世界中で注目されるきっかけになった。カエルグッズはばか売れ、俺の商売も上々、町もうるおう、カエル商人さまさまってわけ。ぼうやはいると思うかい?」

「もちろん」

 男は望遠鏡でものぞくみたいに目を細めた。

「君は信じてない」

「どうして?」

「心の奥では疑ってる。そんな目をしてる。君の本心はもっと別のところにあるのさ」

「お兄ちゃん!」妹が口紅を塗ったカエルの人形を差し出した。

「それはないだろ」

「これがいいもん」

 新しい仲間が増えて上機嫌の妹は、歩きながら何度もおままごとの予定を話した。相槌を打ちながら横断歩道を渡り切ると、見知った眼鏡の男の子が近づいてきた。

「まさか君も探してるわけ?」

「まぁね」

「その人形は?」

「お兄ちゃんがね、買ってくれたの。私がお母さん役で、お兄ちゃ――」

「ゴホン!」

 兄はせきばらいした。

「豪邸は渡さないからな。俺が最初に見つけるんだ」

「手掛かりはあるの?」

「面白いことが分かった。でも、タダじゃ教えてやらない」

「分かった、これでどうだよ」

 兄はポケットから残りのお札を渡した。

「さぁ、教えてやろう。数日前、警察署にある落とし物が届けられた。なんでも奇妙なペンらしくて、人間が作ったものには思えない不思議なやつだ。俺が思うに、やつの落とし物に違いない」

「ペンなんてよくある落とし物さ」

「俺の父さんは警察署長だ。言ってる意味、分かるな? じゃあ、せいぜい頑張れよ!」

 兄は妹の手を引いて歩いた。

「言うなっていったろ」

「どうして?」

「友達にめめしいやつだって、思われるからさ」

「いいじゃない」

「友達にばかにされるだろ?」

 兄はイライラして言った。

「友達って?」

「さっきのやつさ」

「ふぅん、そう」

「なんだよ」

「お金をあげる人がお兄ちゃんのお友達なのね」

 兄は言い返せなくなって、からになったポケットをギュッとにぎりしめた。2人は父が帰ってくる前にはマンションに戻ったが、鍵を回すとなぜかドアが開かなかった。

「鍵をかけたはずなのに」

「お父さんが帰ってきたのよ」

 兄はそばにある傘を握り、慎重にドアを開けて中をうかがった。静まり返って人の気配はまるでなし。玄関口を見ると、父の靴ではなく小さな木製の靴がちょこんと置かれていた。兄はドアを閉めて一言「本当にいたんだ」と顔を青くした。

「なにが?」

「カエル商人だよ。玄関に靴が見えた」

「人の家に勝手に入るなんて泥棒と一緒じゃない」

 玄関の前で言い合いになると、ガチャッと鍵のかかる音がした。ドアの向こう側に何かがいる。2人は思わず抱き合って肝を冷やした。少し間をおいてから、兄はドアに耳を近づけた。

「誰かいるの?」

「怖いわ」

 それでも兄はドアの向こう側に呼び掛けた。

「聞こえてるんでしょう?」

 しばらくすると、ドアの下側にある隙間から紙の切れ端がスッと出た。

「うそ!」妹は兄に抱きついて不気味がった。

 切れ端は、父が冷蔵庫に張りつけていた号外だった。

「分かった、信じるよ。でも、その前に顔を見せて。僕らはその、驚くかもしれないけど、君を困らせるようなことはしない。約束するよ」

 返事はなかった。2人は共用部の階段に座って気長に待つことにした。すると、ドアのポスト口から今度は折り畳まれた紙が半分出てきた。「お兄ちゃん!」

 兄は紙を引き抜こうとしたが、今度はうまくいかない。引っ掛かっているのかと思い差し入れ口をのぞいてみると、ギョロッと大きな目が二つ。兄は度肝を抜かされて尻を打ち付けた。

 妹がキョトンとしていると、ついにドアが数センチ開いてカエル商人が姿を現した。2人とも息をするのも忘れた。カエルはすっくと立っている。背丈は2人と同じくらい。ぬめぬめした皮膚、吸盤のついた指。木の皮でできた服――全て目撃されていた情報と同じだった。ところが、クリクリした目を見ているとにくめそうになかった。

 カエルは言った。「ママ」

「口を利いたよ!」

 兄が興奮して言うと、妹はポカンと口を開けて立ち尽くした。

「お兄ちゃん、ママって誰のこと?」

 カエルはまた言った。

「ママ、ママ」

「君はママを探してるの?」

 兄が聞くと、カエルは兄の顔を指さした。「ママ」

「僕はママじゃないよ。それに、僕のママはもういないんだ。意味わかる? 僕のママ、死んじゃったんだよ。すごーいお医者さんだったんだ」

「ママ、ママ」

「困ったなぁ」

 2人はカエル商人と家の中に入り、とりあえずコップ一杯の水をあげた。カエルはちゃんと両手で持ってゴクゴク飲んだ。妹は不思議な体験に興奮しているのか瞬きも忘れている。一方で、兄はこの状況が長く続かないことを理解していた。

「みんな君を探し回ってる。家はどこ?」

「ペン、ペン。ナクシタ、帰レナイ」

「お兄ちゃん、まさかペンって」

 2人が顔を見合わせた瞬間、鍵が回る音がした。

「まずい! お父さんには絶対に言うな!」

 2人は大急ぎでカエルをお風呂場に連れていって浴槽の中に入れた。父は息を切らして出迎えた2人を見て首をかしげた。「どうした、具合でも悪いのか」

「ううん、それより今日ね――」

 こういうときに兄はまぁよくしゃべる。関係のないお絵かきの話から友達の話まで、父が作った紙面をほめちぎったりもした。作戦は功を奏し、父は上機嫌で夕飯を作り始めた。そのままうまくやりすごすことができ、2人は父が寝たのを見計らってお風呂場に直行した。カエルはふたの隙間からこちらをのぞいている。

 兄は胸をなでおろした。

「おとなしいのね。名前はなんて言うの?」

「とにかく、このことは秘密だ。元いた場所に帰してあげたい。爬虫類学者にでも捕まった後のことなんて、想像したくもないだろう? 標本にされちゃうかも」

「えぇ! そんなの嫌だ!」

「しっ! 静かにしろよ」

 兄はカエルに向き直った。

「君の落とし物、僕たちは知ってる。見つけてあげる。でも、分かる? 僕のお父さんは君のことを、きっと新聞に書く。だから、見つかってはいけないよ。落とし物が見つかるまで、家にいていいから」 

 翌朝、父がシャワーを浴びる前にカエルをこっそりベランダの隅に隠した。

「おーい」父の声。

 何食わぬ顔でお風呂場を見に行くと、あわだらけの父が鼻をつまんでいた。

「こりゃあ臭くてたまらん。排水溝でもくさったかな?」

 兄は部屋に戻った。

「どうだった?」

「大丈夫。まだ気付いてないみたい」

「ペンを探しに行こう。警察署にあるはずだ」

 父が仕事に行ったあとで朝刊を見て愕然とした。ペンを持った町長の写真にこんな言葉が書かれていた。


     町に奇妙な落とし物

     カエル事件に関係あり? 

     町長がきょう演説

 

「なになに?」兄は新聞を読んで顔をしかめた。「ペンを見つけたのは署長の息子? あいつめ、最初からペンの情報を売るつもりだったんだ。つまり、僕のお父さんにって意味」

 兄が頭を抱えると、横から新聞を見ていたカエルが写真のペンを指さした。「ペン、私ノ。コレアレバ、帰ル」

 ふとカエルをみてみると、昨日より元気がなく見える。顔色は悪く、肌は乾燥して今にも傷つきそうだ。兄は急いで水を浴びせると、少しはよくなったがやはり具合は悪そうだった。

「ペンを取り戻しに行ってくる」

「私も行く」

「駄目だ、ここにいて。必ず戻ってくるから」

 兄は1人町に飛び出した。赤信号を待っていると、この前人形を売ってくれたお兄さんに話し掛けられた。「急いでどこ行くんだい」

「町長が演説する場所」

「カエル商人の落とし物紹介のことかい」

「そう、そいつを取り戻しにね」

「本気で言ってるのか」

「あれはカエルの落とし物だよ! 彼は困ってるんだ!」

「彼って誰だい」

「カエル商人! うちに来てるんだ。ペンがないと帰れない」

 信号が青になったので走り出すと、しばらくして道路を走る一台のバイクが並走してきた。横を向くと、さっきのお兄さんだった。

「乗れよ」

 兄はバイクの後ろにまたがり、男はウゥン! とエンジン音を響かせながら飛ばした。

「僕を疑ってたじゃないか」

「ぼうや、あんたの目は本物になった。キラキラ輝いてやがる。それに、おとなを疑ってかかっちゃ悲しいね。おとなってのは、時に子ども以上に純粋になれるものなんだよ」

 バイクは15分で演説会場に到着した。会場は世界中から集まった人々で大混雑していた。屋台にお土産売り場、カエルのかぶりものをしてプラカードを掲げるおとなたちがごみをまき散らしていた。

「終わったら裏手に来い。行先は?」

「赤い屋根信号脇のマンション302号室」

 兄はお兄さんと分かれた。ステージ裏へ忍びこむと、脱ぎ捨てられた子ども用の着ぐるみをみつけた。ありえないくらいださいカエルの着ぐるみだったが、着心地はまぁ悪くない。兄はカエルに変身したところで同じように着ぐるみを着たグループの中に交ざって演説が始まるのを待った。やがて町長が登壇し、あのペンを高々と聴衆の前に掲げた。


「えぇ、みなさん。本日はお集りいただきまして誠に――(あまりに長くて眠くなるので省略)とにかく、カエル商人はこの町に思わぬ恩恵をもたらしてくれました。人口は決して多くはなく、大した名産品もない町ですが、本日から新たにカエル事業を推し進めていきたいと思います。この町を、世界中に発信していくのです!」


 会場盛り上がる。


「このペンをご覧ください。落とし物として届けられた不思議なペン。カエル商人がうっかり落としたものに違いないでしょう。みなさん、本物のカエル商人を見たくはありませんか? ペンを持っていれば、きっと本物のカエル商人が姿を現してくれるに違いありません!」

 

 また会場沸く。


 兄は意を決してカエルグループの中から抜け出すと、町長に近づいてペンを奪った。会場から大きな笑いが生まれ、困惑する町長。一部の人は、これも演出のうちだと思い込んでいる。兄は去り際にこう言ってやった。


「みなさん! またお会いしましょう!」


 わぁ! と盛り上がる大衆。ポカーンとする町長。兄はすぐさま裏に消えてバイクを探した。「おい! こっちだ!」とお兄さんがエンジンをうならせる。

 兄がバイクにまたがり走り出した時、太った警備員が笛を吹いて追い掛けてきた。「出して! 出して! 全速力!」

「ペンはちゃんと奪えただろうな?」

「もちろんさ。町長以外は”仕込み”だと思ってるけど」

 2人を乗せたバイクは車の間を縫うように走り抜け、行きよりも早い10分でマンション前まで来た。急いで階段を駆け上がり、兄は妹にドアを開けさせお兄さんと一緒に家の中へなだれ込んだ。

「こりゃあすごいことしでかしたな!」

 お兄さんは興奮して髪をかきあげると、部屋の奥にいる生々しいカエルを見て悲鳴を上げそうになった。想像していたかわいらしいフォルムとは違ったせいもあるのだろうが、でも本物を見た瞬間というのは誰だってこんなリアクションをする。

「これがあれば帰れるんだろう?」

 兄はペンをそっと握らせてやった。カエルはゆっくりと目を開き、力のない手で握り返した。

「一体どういうことなんだ」お兄さんは言った。 

 なにかをしゃべりたそうにカエルが見つめている。

「いいんだ」兄は言った。

 カエルは自分のバッグから細い赤色のミシン糸を切り取ると、兄と妹の小指にかわいくリボンを結んでくれた。なぜか、兄の小指にはもう一つリボンが巻き付いていた。

 玄関のドアをドンドンたたく音が聞こえた。怒った町長や住人たちがここまで追いかけてきたのだ。ついに鍵が開き、ドアロックが引っ掛かる音がした。

「でてきなさい!」町長の声だ。

「みなさん、下がってください。ここは私の家です。息子に用があるのなら、まずは私からちゃんと話しますから」

「お兄ちゃん」妹が顔を真っ青にして言った。

 無理やりこじ開けようとしているのか、耳障りな音が聞こえた。お兄さんは立ち上がり、掃除用のモップを握ると子ども部屋を出てドアを閉めた。「俺はここで時間をかせいでやる」

 兄はカエルのことを見つめた。

「ズット、ミテタ」

 カエルはペンで床に大きな円を描き始めた。

「どういう意味なの?」

 カエルは穏やかな顔で円の真ん中に立った。すると、信じられないほどおかしなことが起こった。床に穴が開いて小さな池ができたのだ。

「あなたは一体何者なの?」妹は優しくたずねた。

「世の中には、説明がつかないことだってあるんだよ」兄は言った。「向こうが、君の住む世界なんだろう? 早く行きなよ」

「もう会えないの?」妹は目元をぬぐって言った。

「ヤサシイコ」カエルは2人の頭をそっとなでた。「キット、会エル」

 ドアの向こうがドタドタ騒がしくなった。

「そこをどけ! 君は誰なんだね? ここは私の家だぞ!」

「なぁに、私はしがない商売人ですよ! ここはどきません!」

「通しなさい!」

「どきません!」

「通しなさい!」

 激しい押し問答のうち、ドアが壊れておとなたちがなだれ込んできた。町長はそのはずみできれいなカツラがツルリと落ち、父の頭にすっぽりおさまった。おとなたちは部屋の真ん中にできた池を見て言葉を失った。彼らはみな、初めて本物のカエル商人を目の当たりにしたのだ。

「写真!」

 誰かが叫んだ。妹がバケツの水をおとなたちにぶちまける。その間にカエルは完全に水の中へ飛び込んで消えた。池はたちまち元のフローリングに戻り何事もなかったように人間だけが取り残された。

「い、今の、見たかね?」

 町長は眼鏡を押し上げて言った。

 みんなが帰った後で父は反省する兄と妹の前にしゃがみこんだ。

「なぜ黙っていた」

「きっとお父さんは、新聞にこのことを書くから」

 父は2人を引き寄せた。

「確かに、私はそうしただろう。仕事だからだ。でも、ちゃんと話してくれなければ分からないことだってあるんだよ。約束をやぶって、こんな大ごとを起こして」

 父に失望されるのはうそをつくより耐えられなかった。

「ごめんなさい」兄は謝った。

「だが、同時に気付いたよ」父は穏やかな声で続けた。「お前たちは、決してカエルを利用しようなんて思わなかった。頭が上がらないよ。あんな思い切ったことは、私にはできない。優しい心、それに勇気も必要だった」

 父は兄の頭をなでた。

「昔から変わらないな。お前たちがもっと小さかった時、お母さんにけがをしたカエルをバケツに入れて連れてきたことがあった、思い出したよ」

「覚えてないよ」

「足をけがしたカエルで、お母さんが手術してつなげてくれたろう? あの後、自然に帰したじゃないか」

 父はそう言ってアルバムを引っ張ってくると一枚の写真を見せてくれた。小さな自分たちの間に、足に赤いリボンのついたカエルがいた。2人を見守るように、母親が穏やかな顔で寄り添っている。

 兄は写真の中にいるカエルを指でなぞった。急に涙がこぼれてきて、細い赤色のミシン糸に染み込んだ。

「このことを覚えていて戻ってきたのよ。また助けてもらえると思ったんだわ!」妹は泣きじゃくった。

 その晩のこと。2人は悲しくてよく眠れなかった。兄は二段ベッドの下で、妹は上でなにもしゃべらずに目を閉じていた。

「お兄ちゃん」

 暗闇の中で声がする。パチリと目を開けると、上から妹が髪をたらしてのぞいていた。

「枕元になにかあるの」

 驚いて枕の下をまさぐると指先になにか触れた。急いで部屋の明かりをつけ確認すると、上質な布地でできた小さな金の袋だった。テーブルの上に中身を広げてみると、キラキラ輝く金貨がでてきた。

「なんだろう」

「お兄ちゃん、まだ分からない?」

 妹はにっこりほほ笑んだ。

「カエルさんは旅商人なの。きっとこれはカエル通貨」

 兄は袋をのぞいてさらに驚いた。「まだ底になにかある」

 入っていたのは四つ折りにされた小さな紙だった。

「早く開いてみましょうよ」

 妹がワクワクしながら待ち、兄が開くと――

 紙の真ん中にカエルの手形が押されていた。


 こうして人口300人ほどの小さな町で起こった珍事は幕を閉じた。

 あれから数年がたった今でも、マンションの302号室には兄妹と父親が住んでいる。

 兄と妹はおとなになっても忘れないだろう。そして信じているのだ。

 きっとまた会えると。

あなたの貴重なお時間で私の作品を読んでくださり、ありがとうございました。

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