6.シティ
社会科見学がシティに決まってからはクラスは2週間浮ついていた。それもその筈で、社会科見学か、マチの行政員にでもならない限り、一生シティに入ることなどできないからだ。
普段は、シティなんて関係ないというフリをしているが、子供達はシティに興味津々だった。見学先はクラスの担任によるくじ引きできまるが、誰も”能面”に期待している者はいなかった。実際は”能面”が引き当てのたが、もっぱら武井しのの父親が裏で手を回したのだろうという事になっていた。隣のクラスはハズレの製鉄所だった。熱くて息苦しく、下手をすれば親に会ってしまいバツの悪い思いをする可能性もあり、天と地の差があった。
見学の当日も朝から子供達のおしゃべりは止まらず、”能面”の「静かにして下さい」というお願いを聞く子供はなかった。シティまで歩いて行くのだが、シティのゲートが近づいてくると興奮は高まっていった。ゲートは、普段なら用事も無いのに近づくと拘束されてしまう。
ゲートでの身体検査も子供達にはワクワクするものでしかなかった。なんというか”正式に”取り調べられていると思うと、興奮してくるのだった。全員、マチの人間が入れるのは正式にはシティではなく、シティのマチ側の入り口であるエントランスエリアだと知っていた。そこにはマチの人間だけでなく、例の継ぎ目のない服を着たシティの人達が歩いていた。
エントランスエリアからはシティのドームへの入り口が見えた。入り口からはドームへ分厚いコンクリートのトンネルが続いている。昔、シティとの闘争が激しかった頃、マチ側の人間がこのトンネルを通って、シティに入り込もうとして、大勢が殺されている。そんな歴史があったとは思えないほど、今はきれいになっていた。
小鉄達は入口の横にあるカランティビルに入った。カランティビルはシティに入る前に検疫の為に40日間止めておかれる場所だという事はみな知っていた。
「はい、今日はシティにようこそ。私はみなさんを案内させていただく吉田と申します。一日と短い期間ですが、よろしくお願いしますね」と案内の女の人が言った。小鉄は、その貼り付いた笑顔のうさんくささと、濃い化粧と、においに違和感を覚えた。
子供達が案内された部屋にはゴーグルと時計のようなものが乗った机が並んでいた。それを見ると珍しく”能面”があわてていた。
「適用剤を服用してからサーチャーを渡す手順にして下さいと、事前にお願いしていたじゃないですか」
「これが見学の正規のフローです。あなたは前にシティに居た方もしれませんが、勝手にフローを変える訳にはいきません」
「違うんです。この子達は違うんです」
「安心してください。私は毎回やってるから大丈夫です。慣れたものですよ」
「私は責任もてませんよ」
「まぁ見てて下さい」
吉田さんはパンと手を叩いて言った。
「みなさん集中して下さい」
ゴーグルをかぶった顔がいっせいに上がった。
吉田さんは少したじろいだが、一呼吸おいて言った。
「みなさん、落ち着いて下さい。よーく聞いて下さい。皆さんが、今勝手に身につけたのが初期型のサーチャーです。サーチャーを動かすには適用薬を先に飲まないと行けないんです。ですから、薬を飲む前に絶対にスイッチを入れないで下さい。絶対にですよ」
それを聞いた瞬間にほとんどの子供が一斉にスイッチを入れた。
小鉄もスイッチを入れると、サーチャーが動き出して目の前に大量の情報を流し始めた。後ろの勇を見ると、体温、呼吸数、脈拍、といった数字がくるくる変わり、頭の上に”8番:興奮状態”と表示されていた。次に吉田さんを見ると、なにやらわめいているが数値安定していて、”吉田理子:平静状態”となっていた。
周りを見てみると、同じ様に数字が変わり”番号:興奮状態”と表示されているのが見えた。ガヤガヤとお互いに話していて、誰も吉田さんの話を聞いてなかった。混沌が絶望的になってもう誰も収集できないと思われた頃、委員長の大崎が立ち上がって、よく通る声で叫んだ。
「みんな、わざわざマチの恥をさらしに来たの?この人の話をちゃんと聞いて!」
クラスはシーンとなった。ゴーグル越しに見ると委員長の上には”27番:不特定多数への怒り”と表示されていた。このまま行けば問題なく進行したかもしれない、健太郎が茶々をいれなければ。
「さすが、委員長、シティでもまじめだね」
みんなは一斉に健太郎を見ると”10番:27番に好意を持っています”と表示されていた。
「大井君、余計な事は言わず静かにして下さい」と委員長が返したので、そちらを見ると、”27番:10番に恋愛感情を示しています”と表示されていた。
ちなみに、これは唯一ゴーグルをしていない委員長以外は全員が見ることになった。みんな、しばらく飲み込めないでいたが、一番速く何かを閃いたのは勇だった。しかも間違っていた。
勇は武井しのに向かって言った。
「おめ、今日もかわいいな」
勇の頭には”8番:26番に対して性的に興奮しています”とでていた。それから次に事態が飲み込めたクラスはパニックになった。勇を部屋から押し出す女子達。泣き出す武井しの。ゴーグルを外すもの(外しても自分が見えなくなるだけなのだが)。ぐるぐるかわる画面の数字を見て吐くもの。経緯を聞いて青ざめる委員長。話しかけては相手の頭の上の状態をみようとする者。
パニックは15分ほど続いたが、”能面”が比較的冷静な子供から順番に薬を渡して飲むように指示しだしてから、収まっていった。”番号:平静状態”という子供が増えてきた。小鉄も、”能面”に促されて薬をのむと頭がぼーっとしてきた。小鉄はシティは秩序と平和をイメージしてきたが、実際は混乱と混沌のシロモノだなと思っていると、ようやく主導権を取り戻した吉田さんがサーチャーのキャリブレーションの仕方を説明しだした。
吉田さんの説明に従ってゴーグルの中に表示されている、脈拍、血圧、呼吸数、体温等のグラフが安定したものから、キャリブレーション完了を押していった。画面に12個ほどのグラフが表示されているが、全部キャリブレーション完了を押すと終わりだった。
吉田さんは一連の調整が終わった後、「通常のフローとなにもかもが逆になってしまいましたが」、とイヤミを言った後でシティについての講義を始めた。
ここで聞いたシティの歴史は、前に梅爺に聞いた内容を100倍シティ側に有利になるようにしてオブラートに包んだものだった。ただ、嘘をいっているようには感じられなかったし、ゴーグル越しに見る吉田さんの周囲に出るサーチャーの情報も「発言内容:真実」のままだった。
サーチャー自体の歴史の説明もあった。最初はせまいシティ内で、相手の感情をある程度理解して、お互いに冷静に生活する為に開発されたらしい。そのうち、商談で相手からから有利な情報を引き出すために用いられ始め、一部の女性からの強い需要等もあり、一般化と小型化が進んだ。
ほとんどの人が持つようになってからも、ジャミングや読みとり精度の向上といった改善は止まらなかった。適用剤による自分の感情の抑制と、他人の感情の読み取り能力強化が始まったところで、新しい公共ルールが生まれた。例えば公共の場所でサーチャーを使うのは問題ないが、プライベート空間で使うのはモラル違反という考え方である。
これらは新しい作法ということでニューブライトからニュープラと呼ばれるようになった。最初はオフィシャルとプライベートの切り分けが難しかったが、今のシティではプライベートエリアでは強制的にサーチャーが使用できなくなっているとのことだった。
そうした講義が終わると、吉田さんの案内で、カランティビルのいろいろな行政局の仕事場を見て回った。ほとんど全員が適用剤の助けもあり”平静状態”を保てるようになっていたが、勇だけが”性的に興奮しています”という状態から脱しきれずにいた。
吉田さんの案内も終わり、また最初の部屋に戻ってきた。
「さて、みなさん今日の見学はどうだったでしょうか、何か心に残ったものはあったでしょうか。あったならば図書館で調べたり、先生やおうちの人に聞いたりしてみて下さい。もしまたサーチャーをつけてここで将来働きたいという人がいれば、いっぱい勉強してください」
サーチャーの中の吉田さんの表示は相変わらず”吉田理子:平静状態”だったが、小鉄には、ホッとしているように見えた。
行きとは異なり、飲んだ薬のせいか、興奮しすぎたせいか、機械に勝手に告白されてしまったせいか、帰りは静かだった。学校に戻った後”能面”が注意事項の説明をした。
「みなさん、今日は本当に良い経験ができましたね。おうちの人には適用剤を飲んだと話してください。今の皆さんは、自分の感情は抑え気味で、他人の感情は深めに読み取れるようになっています。今日はほかの薬はなるべく飲まない様にして下さい」
そのとき、シティを出てから初めて子供達がざわざわし始め、小鉄もそれに気が付いた。健太郎が我慢できずに質問した。
「先生、ひょっとして今笑ってますか?」
「声を出して笑うほどではありませんが、皆さんを誇らしく思っていますよ」と答えがあった。そのざわざわは、帰宅まで止まることはなかった。
小鉄は、生まれ育った安全なシティを出て、ひどい生活レベルのマチに移動し、自分達のようなバカなマチの子供達を、日々ほほえみを浮かべて面倒を見ている”能面”の事を思うと胸が熱くなった。
適用剤を飲んでいなかったら涙を流していたかもしれない。小鉄は家に帰ってから「明日、学校に行ったら、”能面”と呼ぶのをやめさせよう。俺一人でも山本先生と呼ぼう」と心に誓った。
翌日学校に行くと”能面”のあだ名は”偽能面”に変わっていた。「子供は残酷だ」と、小鉄は思った。ちなみは勇の呼び名は”変態”から”ド変態”に変わった。こちらは妥当な所だった。
(つづく)