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Endシリーズ

End Days 〜再会〜 中

作者: 木村 瑠璃人

ごめんなさい、私、嘘付きました。

加筆・修正をどんどん行っているうちに構想がどんどん膨らみ、それを踏まえて加筆・修正という名の改造を行っていると、とうとうラノベ文庫換算で200ページを超えてなお、続いています。

だから中篇が出来てしまいました。

前作同様駄作ですが、お楽しみくだされば幸いです。

    ×    ×    ×    ×


「おい、拍手!」

「どこ行く気―!」

「いやいや、元気がいいのはいいことですが、良すぎるとなると少し考えものですね」


 昼の森の中。

 俺たちは、三人並んで走ってる。


「みい! のんきなこと言ってないで走って! どこ言っちゃうかわかんないんだから」

 足元は非常に悪い。ある程度は平らなのだが、いたるところに凹凸、根っこ、穴、絡まった草などの障害物が存在しているため、足元に注意せず普通に走った場合あっという間に足をとられてしまうのだ。

「さすが猫、だね。追いつけそうにない」

 しかしそれはなれていない人間に限った場合のこと。この悪路を駆け回るのになれた人物であったり、そもそも人間ですらなかった場合、この道は舗装された道とさほど変わらない走り心地となる。


 ちなみに俺たちは前者で、

「……けど、どこ行くつもりなんだろうね、拍手」

「どこでもいいよ。とにかく、止めないと。拍手! 待ちなさい!」

 俺たちが追っかけているもの、拍手は後者だ。


 一応の経緯を説明すると、こうだ。

 いつもどおりに俺、×××、時瀬の三人で拍手を加えた面子でいつものごとく崖の上の広場へ移動、しばらくの間みんなで戯れる、拍手、何を思ったか俺たちから脱走、俺たち、それを追っかけて森の中へ。


 とまあ、こういう経緯である。

 小さいからすぐにつかまるかと思ったのだが、どうも拍手の奴、順調に成長しつつしっかりと体力や筋力まで鍛えていたらしい。追いかけ始めて十分以上になるが、まるでへたばる気配がなかった。

 しかし、考えても見ればそれも当然だろう。


 あれから、もう半年だ。


 夏だった季節も、今は冬。足元にはほどほどに雑草が生い茂っているが、それもどこか控えめな感じで、木々に至ってはもう完全に枝だけになっている。当然あたりの気温は奈津よりも春華に低いし、俺たちの服装も、当然かなり厚くなる。

 しかしそれでも、どういうわけか拍手をつれてここへ来る習慣だけはそのままで、今日もその流れでやってきたのだが、拍手が脱走。

 おかげで一気に体が火照ってしまい、脱げるものなら上着を脱ぎたかった。


 もしかすると拍手も、この寒さに一揆を起こして体を温めたかっただけなのかも、と思わないでもないが、ここ半年でわかった性格から考えると、単純に嫌がらせでもしたいだけなのかもしれない。

「リョウ君、まずいことになってきましたよ」

「どんなこと?」

 並走しながら時瀬。随分と長い間走っているにもかかわらず、まったく息を乱していなかった。

「――――あと少しで、僕たちも知らないあたりに入ります。もしかすると、迷ってしまうかもしれませんね」

「じゃ、早く見つけなきゃ。―――こら、拍手! 止まりなさい!」

「×××、叫んだら余計逃げない?」

「でも言わないよりましでしょ?」

 確かに。


 そんなやり取りを知ってかしらずか、こちらの手の届きそうで届かない位置を走り続ける拍手。ひょこひょこを尻尾を揺らしながら随分と軽快な足取りで走っていく。

 本当に、犬みたいな猫だ。 

 猫はひだまりでごろごろが似合う。森の中を駆け回るのは犬の領分だ猫が手を出すべき領分じゃない。

 思いながらも、走る。こっちだって数年間この森で駆け回って遊んでたんだ。相手が猫とは言えど負けはしない。


 あ、よろけた。

 さすがに走り疲れたのか、拍手が一瞬足を止める。

「チャンスです」

「言われなくても!」

「わかってる!」

 時瀬、俺、×××の順で発言し、全員でスパートをかける。距離は、全力疾走すれば数秒ない。

 全員で一気に距離を詰め、捕獲する――――

 って、


「演技かよ!」

「わわわわわ」

「なかなか聡明な猫ですね、柏手さんは」

「冷静に言ってないでつかまえて」

「え? ぼくがですか?」

 いや、この流れからいえば間違いなく適任は時瀬になるだろう。突撃をかけた俺や×××と違い、時瀬は立って状況をみている。だったらすぐに追跡を続行できるはずだ。

 時瀬はゆるゆるとしたしぐさで首を振り、

「………僕から見ると、どうも柏手さんは逃走を敢行したいようには見えないのですが」

「へ?」

「僕には何か………柏手さんが僕たちをどこかに連れて行きたいと思っているように見えるんですが」

「………………」


 言われてみれば、そう見える。足を止めるのはこっちが向こうを見失いかけたときだし、こちらが捕獲しようとした時は全力で逃げている。逃げるつもりならさっさと全力疾走でこっちのことを振り切ってしまえばそれでいいはずだし、過去の記憶を探ってみれば柏手がこの辺りまで来たときに、何度か否悔いなっていたこともあったはずだ。


「りい、もしかして――――」

「うん、俺もそう思った」

 柏手の行く先。

 もしかすると、そこには俺たちの知らなかった何かがあるのかもしれない。

 無性にたどり着きたくなった。

「どうしますか? リョウ君」

「どうする、りい」

「………とりあえず、歩いて追いかけようか」

 こちらが何か感づいたことに気がついたのか、柏手もいきなり歩みを止めたこちらを心配そうに振り返っている。

 これで確定だ。柏手は、俺達をどこかへ連れて行きたがっている。それがどこなのかはまだわからないが、こいつの正確から考えて、まあ、害のあるようなところではあるまい。

 ゆっくりと三人並んで、拍手の後を追う。


 このあたりは、もう森の中でも見覚えのないあたりだ。大体の位置はつかめるものの、細かな位置がわからないので普段とは違った不安がある。×××も拍手を信用しつつも不安なのか、先ほどより俺のほうへ距離をつめているようだった。

 どうでもいいけど、歩きにくい。


「……………どこまで行くんでしょうね」

「うん――――」

 歩き出してから、もうじき十分だ。

 早く帰らなければ、最悪森から出られなくなるだろう。

 そう思って引き返すことを提案しかけたときだ。

 急に視界が開けた。

「え―――――」

「……ほう」

「………これは――……」

 三者三様の反応。拍手も足を止めて、自分の案内の成果を見せ付けるかのように座り込んで俺たちの反応を楽しんでいる。


 それだけの価値は、あるだろう。

 この、風景には。

 森の中、ぽっかりと姿を見せたそこは泉。天然の水が今でも湧き出ているのか、中央の辺りがもこもこ動いている。水は澄み切っており、周辺には背の高くない植物、夕闇が照らし出すその光景は、まさに幻想といっても良かった。

「驚き、ですね」

「うん」

「確かに………」

 泉の脇にひざをつき、水質をつぃかめるように時瀬が手を浸す。そしてしばらく水の中で指を遊ばせた後、手ですくって口に含む。

「………………十分、飲めますよ。少々冷たすぎるような気もしますが、天然水ならこんなものでしょう」

 言いながら立ち上がって手を振る。

「拍手さんも、時折ここへ訪れていたのではないでしょうか。僕たちが、かくれんぼに興じている間にでも」

「う〜ん、そうかも」

 言われて見ればそうなのかもしれない。俺たち三人でよくかくれんぼしたりするのだが、その間拍手の姿を見た覚えがない。遊びが終わって名前を呼べばちゃんと戻ってくるので気に留めたことがなかったが、もしかすると、

「………拍手、ここへきてたの?」

 うなずくように、一鳴き。

 どうやらそうらしい。素直に返事するとは、かわいい奴だ。

 頭をなでてやる。


 拍手は何を思ったのか、満足そうに目を細め、のどを鳴らした。


         ♋ ♋ ♋


 登校する途中、幾夜にあった。


 ぼんやりと下を向き、昨日分かれたときそのままの顔で歩いてる。今日は体調が悪いのか、足元がどこかおぼつかない様子だった。

「よう、幾夜」

 いろいろと心配なこともあったが、とりあえず挨拶から入る。

「うん………………おはよう………」

 明らかに暗く沈んでいる声だった。

 昨日のことを、まだ引きずっているのかもしれない。

「昨日は……ごめん。後で行くって言ったのに、いけなくて………」

 まさにそのとおりだった。

「気にすんなよ。どうせ貧血か何かだろ?」

「…………………ごめん」

 はて…………


 そんなに気にするようなことだったのだろうか、昨日の、あの問いは。

 だとすれば俺の返答にどこかしら間違い、もしくは傷つけるようなニュアンスでも含まれていたのか。どちらにしても問題なのは高確率で俺ということになる。

 その場合、早い目に訂正が必要だろう。

「……………どうかしたのか?」

「え? ううん…………なんでもない………」

 黙りこくる。


 やはり昨日の俺の行動は、間違っていたのだろうか。

 いくら激しい情動に立ち向かう勇気がなかったとはいえ、逃げることはなかったはずだ。正面切って向かうなんてことはできなくとも、せめてあの場にいて話を聞いてやるぐらいはするべきだったのではないだろうか。

「………………………」

 幾夜が傾く。

 右にふらり。

 左にゆらり。


 いや、待て。俺にいてほしくないとでも言うようなことを言外のニュアンスとしてこめて、幾夜は『先に行ってくれ』といってきた。

 つまりそれは、俺に頼ることを一切しないという意思ではないのか? 早い話が頼る気はまったくないということ。それなのに首を突っ込むのは、お節介もいいとこだ。それでは相談どころか逆効果になってしまう。

「……………………………」

 さらにふらふら。右に、左に。


 いやいや、待て待て。たとえ心境がそうでも、現在の状況になった原因がもし俺にあったら?俺が原因となっている問題に俺が口出しするのはおせっかいだろうか?

 断じて否である。つまりこれは俺が口を出してもいい問題、早い話が関係している問題である。それなのに話しかけないというのはむしろ幾夜を傷つける行為になっているのではないか。

「………………………………………………」

 左にひらり。

 右にゆらり。


 いやいやいや、待て待て待て。考えても見ろ。そうなんだとしても原因が俺にあるということ自体不確定な要素だ。

 ならば下手に口は出せない。その上、原因が俺にあったんだとしてもその上で『何かあったんなら相談に乗る』などといわれても迷惑なだけ、単なる嫌がらせにも近い。つまりは口を出さないほうがいい問題。ここはこのまま放置だ。

「…………………………………………………………………………」

 幾夜、ぐらぐらぐらぐら。


 いやいやいやいや、待て待て待て待て。そもそもあの状況で俺に原因があると思うこと自体自意識過剰ではないのか?

 あの状況では誰に原因がある、ということは断定できない。むしろあれはこちらが迷惑を被ったと見るべき場面ではないだろうか。ならばこれは口を出すべき問題である。そうに決まっているだろう。

 よし。


 何でもいい、何でもいいからとりあえず声をかけてみよ

「リョウ君」

 先手を打たれた。

「なんだ? 幾夜」

 いつもと変わらぬ様子になるよう心がけて、俺は幾夜に答える。話しかけてきたほうの幾夜はといえば、肩から下げた自分の学生鞄をごそごそやって、何かを引っ張り出そうとしている。

 しかしこれがなかなか出てこないようだ。

「てい!」

 気合のようなものをかけて一気に引きずり出す。

 それは、どれだけ小さな文具店でも雑貨屋でも、ほぼ百パーセントの制度を持って置いているであろう品、


 一冊の、大学ノートだった。


 タイトルは、特に書かれていない。

「これ、読んでくれる?」

 言って差し出されるのはそのノート。

「なんなんだ? これ」

 受け取り、広げようとすると、

「あ、ここでは、読まないで」

 静止された。

 どういうことだろう。

「私のいないどこかで、一人でいるときに、読んでほしい。わかった?」

「へ? どういうこ――――」

「わかった?」

「……………わかった」

 そこまで強く言われてしまえば、もううなずくしかない。


 これはつまり、あれか。照れくさいから読まないでくれと、そういうことか。まあ、そういわれるのは慣れている。

「じゃあ、絶対読んで」

 さっきと変わらぬ表情のまま。

「わかってる。けど、何なんだ、これ?」

 開けたままになっていた鞄を閉じ、再びうつむく幾夜。

「……………………」

 言いにくいことなのか、言葉がつながれない。

 それほどにまで、恥ずかしいことなのだろうか。

 あるいは、表現しづらいことなのだろうか。

「それは、ね、リョウ君」

「………ああ」

「それは私の、『世界』だよ」

 …………。


 どういう、意味なのだろう。

「それはどういう――――」

 そこで気がついた。

 これと同じ言葉を、俺はどこかで聞いていないか?

 言っていたのは俺、ではない。親、でもないだろう。『あいつ』である可能性が最も高いが、もし言っていたなら覚えているはずだ。

 じゃあ、一体誰が言ったんだ?

「――――意味なんだ?」


 問われた幾夜の表情は変わらない。もしかすると、言われることを予想していたのだろうか。

「……………たぶん、読んでくれたらわかるよ」

「あいまいだな」

「そういうもんだからね、こういうのは」

 再び幾夜の姿勢が傾く。

 ふらり、と右に、

 ひらり、と左に、

 左…に、

 左……………………に、

 あ、傾かなかった。

 そのまま、ばったり。

 手を付くこともなく、そのまま倒れた。


「おいおい……………」

 懸命に起き上がろうと試みるも、失敗に終わっている。全身に力が入らないらしく、まともに顔を上げることすら出来ていない。

 まずいな、これ。

 脇にしゃがみこむ。

 完全な貧血だよ。顔色も悪いし。

「大丈夫か?」

 地面に倒れたままうなずいて見せる幾夜。しかし明らかに強がりだ。倒れたまま身を起こすことも出来ていない、肯定のための声を出すことも出来ていない。

 どうする?

 このまま放置するわけにはいくまい。当たり前だが。


 じゃあ、どこへつれていけばいい?

 設備的には、学校の保健室が一番いいだろう。普段から良く担ぎ込まれているのなら安心できるし、それにママは信用が置ける。

 しかし、そうするとなると問題となるのは距離だ。

 ここから学校まで、およそ十五分、幾夜は動けないから俺が背負っていくしかないため、その分も入れると大体二十分といったところだろう。そこまで持つだろうか。

 あるいは、俺の家へ連れて行くという手もある。距離的にはここから一人で三分、人一人背負っていくことを考えると五分程度だ。普段からマメに掃除もしているからそれほど問題もないし、部屋もいくつか余っている。寝具も問題ない。


 しかし、心理的には少しきついだろう。年頃のおなご一人を人事不審状態のときに自分の家に連れ込む。シチュエーションだけなら、立派に犯罪に聞こえてしまう。

 しかし、状況が状況。単なる貧血だからそれほど大きな処置は必要ないのだろうが、ある程度のレベルは確保しておく必要がある。

 腹は決まった。

 家へ、連れて行こう。

 倒れた際に落ちた幾夜の鞄を拾い上げ、幾夜に背を向ける。

「俺の家、行くぞ。そっちのほうが近い」

 考え込むような間が空く。

 一秒、二秒、三秒。

 そして、


「よし、」

 ゆっくりと俺の背に体重がかかる。

 背中全体に体温がかかり、しっかりと幾夜がしがみつくのを待ってから、俺は立ちあがった。

 やはりあいつに似てはいても、それはあいつの成長した姿。体の大きさや、成長の段階も段違いだ。具体的に言うと俺の肩甲骨に押し付けられてる辺り。俺は平気だが、俺と同年代ならどういうリアクションするんだろうか。まあ、時瀬辺りなら表情ひとつ変えないだろうけど。


「ちょっと急ぐ。ゆれるぞ」

 首筋で髪の動く感触。それを確認すると、俺はゆっくりと走り出した。


 その間、左手首に断続的な痛みがかかって…………

「………………っ」

 その痛みが、いつものリストカット以上に、痛かった。



    ×    ×    ×    ×


「…………そういうことで、午前の授業は――――はい、わかってます。へんな行為には及びません――――はい? ああ、大丈夫です――はい、では」

 電話を受話器に戻した。

「まったく、変に勘ぐるなよ担任…………」

 ため息をつきながら玄関前の廊下を歩き、和室への襖を開ける。


 生活感のない、八畳間。家具の類はまったく置かれておらず、現在部屋の中に存在する生活観を漂わせるものといえば中央にしかれた布団程度、その布団の生活観も、中に人が入っているからだ。

 幾夜。

 やはり少し重い貧血だったのか、学校に連絡を入れてくるほんの数分の間に、もう眠りの中に落ちている。寝顔なら全開も保健室で見たが、今回のものはそれとは違い、少し歪んでいた。

 やはり、体調が優れないせいだろう。

 あまり長居は、しないほうがいい。


 そう思うと俺は入りかけていた体を玄関前廊下に戻し、襖を閉めて進路変更、廊下の突き当たり、そこにあるリビングルームへと向う。

 横に広いテーブル、その正面にソファー、中型程度のテレビ、申し訳程度の収納。和室ほどではないが、ここにも生活観はそれほど見ることが出来ないだろう。当たり前だ。自分の部屋以外、この家の中できっちり機能を果たしているところは少ない。


 学生という身分で一人暮らしを行うにはあまりにも不釣合いな、分譲マンション六階の一室。

 そこが、俺の家である。


 正鵠を期すならここは俺の部屋ではなく、本来は道楽者で金持ちの伯母の部屋で、使うつもりで購入したもののまったく使わずそのまま放置、それを知った俺の母親がなら、と借りているのだ。ちなみにレンタル費用は月々三万プラス公共料金。かなりお得である。


 しかし、それを生かせてるかどうかとなると、

 話は別だ。

 見てのとおり、生活観はまるでない。と、言うのも俺はかなりスペース活用が下手な部類に入るので、有効に場所を使えないのだ。掃除は休日の暇つぶしとしてマメにやるが、活用するかどうかとなると難しいところである。


 ソファーに腰を下ろし、テーブルにノートを置く。

 幾夜に手渡された、件の大学ノート。

 幾夜本人から言われた制約は『幾夜のいないどこか』で『一人でいるとき』に読むこと。

 幾夜は今和室で眠っており、リビングには俺一人しかいない。そして俺は今猛烈に暇をもてあましていて、幾夜は看病の必要がない。

 なら暇つぶしに、読ませてもらおうとしよう。


「さて、これは何なんでしょうね」

 どことなく期待しつつ、一ページ目を、開く。



『私は昔 自由なとりで

 彼も隣で 飛んでいて

 物知り鳥も 飛んでいた』


 そんな一文から始まっており、少々驚く。

 それは、詩だった。

 高浜幾夜の、詩。


      ♋ ♋ ♋


 私は昔 自由なとりで

 彼も隣で 飛んでいて

 物知り鳥も 飛んでいた


 三匹は飛ぶ

 いびつだけれど 変だけど

 三匹そろって ちゃんと飛ぶ

 誰が欠けても それはおかしい

 私は 『元気』で

 彼は 『心』で

 物知りは 『あたま』


 三つそろって、ようやくひとつ

 ひとつであるのは 幸せだ


     ♋ ♋ ♋


 物語? というのが俺の正直な感想。詩にしては拍子が少し変だし、正直なところリズムに違和感がある。

 まあ、いい。そんなものは製作者の意向次第だ。製作者がそれでいいといえば、それが完成系になる。

 俺は続きを読み始めた。


     ♋ ♋ ♋


 ひとつになって 飛んでいく

 お気に入りは もりのはた

 建物なくて きれいなところ

そこをひとつは 飛んでいく


 私は 子供

 彼も 子供

 物知りも 子供


 みんな子供で、仲良しだ


     ♋ ♋ ♋

 こ絵本の筋書き………なのか?

 確か、この前昼にはなしたとき、ぽつりと絵本が好きだともらしていた。たまに読むほうから書くほうに転じる人物もいるぐらいだし、幾夜がそうであってもおかしくない。

 もしかしたら、絵のほうがまだ不完全で、そのシナリオの部分だけを渡されたのかもしれない。

 続きに戻る……………


     ♋ ♋ ♋


 ある日のこと

 物知り鳥が 落ちかけた


 今日も三匹 飛んでいく

 そのとき 物知り翼が曲がって

 下へ下へと 落ちそうに


 彼はその手でつかんだけれど

 結局彼は 石にぶつかり

 頭を打って 怪我をした



     ♋ ♋ ♋


 ………………俺の話した、例の話だろうか?

 とすると、俺、時瀬、あいつの三人を話しにしてみた、といったところだろう。幾夜はどういうわけかあいつのことも知っていたし、それなら過去の大まかなやり取りも…………

『リョウ君の言うところの、あいつに聞いたから』

「……………………っ」



     ♋ ♋ ♋


 痛いことも 楽しいことも

 悲しいことも うれしいことも

 いろいろあって 飛んでいる

 けれどけれども あるときに


 とうとうおわりが やってきた


 ちょっとむかしの あるひから

 私は彼に 惹かれていった

 物知り鳥は そのことを

 しっていたけど いわなかった


 なんにもなんにも してくれなかった

 しないでくれと 私がたのんだ

 なにもしないでいわないで

 私が自分で

 なんとかするから


 だからそれまで 何もしないで

 そういった のだけれど


 物知り鳥は 何かをせずに

 いることなんて できなかった


     ♋ ♋ ♋


 おいおい。

 背筋に、いやな汗が浮かんだ。

 誰か、俺の勘違いなら言ってくれ。

 勘違いだと、言ってくれ。

 これは、俺に、

 実際に降りかかったことなんじゃないか?

 俺たちをモデルにしたのではなく、

 俺たちのことを、そのまま書いたんじゃないか?


     ♋ ♋ ♋


 とうとうある日 物知りは

 彼にそのこと いっちゃった

 私のことも わかってあげて

 彼にそんなの いっちゃった


 私は自分で言うつもり

 ある日に自分で いうつもり

 今日をその日に してみたかった

 決めていたのに いわれてしまった


 だから私は まだ間に合うと

 いつものところへ


     ♋ ♋ ♋


「とんでった……………」

 これは、どういうことだ?

 俺は確かに昔、『あの日』に言われた。

 あれは今から四年前、丁度今頃の季節だった。

 いつものごとく、森の中にいたとき、時瀬から、一言。

『×××のことも、わかってあげてください。×××はあなたのことが………………』

 言われた。

 昔でも、それが何を示唆しているのかぐらいは理解できる。とにかく俺はそれを聞くと、自分で言いにこない『あいつ』にひどい憤りを感じたのだ。

 そして俺は、時瀬からその言葉を聴いた直後、俺はいつもの場所、あの崖の上へと向かった。

 これではまるっきり、

『あの日』ではないか?

「………………飛んでった先に 彼がいた…………」


     ♋ ♋ ♋


 飛んでいた先に 彼がいた

 怒った様子で とまってた


 彼は言う

 どうしてなんだ

 どうしてじぶんで いわなかった


 私は気がつく

 物知り鳥が やったこと

 言われちゃったら しょうがない

 驚かすのは あきらめて

 ここで彼に いっちゃおう

 口を開いて 彼に言う


 私は あなたが


 うざったい


 先に言われた その言葉


 いまさら 遅いと

 彼は言う

 ひどい言い方 されちゃって

 そしてわたしは そのときに


 わたしが 『トクベツ』じゃ なかったと

 言われてようやく 理解した


     ♋ ♋ ♋


 まちがいない。

 俺はあの日、『あいつ』にそういったのだ。

 何かを言おうとするあいつの言葉を、さえぎるようにして一言。

「うざったい」と。

「いまさら、遅い」と。

 拒絶の言葉を、口にしたのだ。

 そして次にとった『あいつ』の行動、それは、


     ♋ ♋ ♋


 つめたかった

 あつかった


 はんたいのことが 同じとき

 私を中を 満たしてた

 とてもあつくて つめたいものが

 体の中を ながれてる

 流れてく


 私の 目から


 痛いわけでも ないのに

 悲しいわけでも ないのに

 なみだがあふれて とまらなかった


 わたしのそばから 行ってしまう

 思うと とても

 いやだった


 私は彼が 近くにいないの

 とてもとても いやだった


 だから わたしは彼のこと

 止めるために 動いてた


 お願いまって と

 わたしは いった


     ♋ ♋ ♋


 これはもう、否定できない。

 これは間違いなく、『あの日』だ。


『いったけれど その彼は』


 もう読むことをやめてしまいたい。が、それと浜逆、先に進まねば、という意思がその動きを完全に阻害し、このノートを手放すことをよしとしない。目は自然と次の行に向かい、描かれていることを記憶することを強要する。


『耳を使わず

 首を使わず

 何も使わず いってしまう』


 もはや眼球の動きを、俺は制御していなかった。

 世界を捉える道具である眼球は俺以外のものの意思としか思えないような感覚を持って俺の世界を無理やりに広げていく。


『いかないで

 心のそこから そういった 

 そういったけど その彼は

 彼は 帰ってきてくれなかった


 だから私は すがりついた

 一人には なるのはいやだった』


 罪と向き合えと、

 彼女が何であるのかを知れと、

 俺以外の何かが、強要している。

 だが、この先は、

 この先は


『私のことを どう思ったのか


 彼は』


 目が、次の文字へと移る。


『私の空飛ぶ翼のことを』


 虚る


『引きちぎって 行ってしまった

 私の体は 地面に向かって

 落ちていく

 堕ちていく


 怖くはなくて あきらめた


 このまま わたしは


 しぬんだなって


 落ちていく

 ひゅーーーーー


 ぐしゃり』



 ちょうどそこで、多数の空白を残し、詩のような物語は終わっていた。

 そう。

 これが、俺の罪。

 日本語で『罪』と表そうが英語で『Sin』と表そうが、本質は一歳変わらない。それはどう呼ばれていようと、償うべき存在のことを指し示す。

 そしてこれが、俺の罪。



 俺は『あいつ』を、殺したのだ。



 すがり付いてきた『あいつ』の体をいとも簡単に振り払い、『あいつ』の体はがけの上から崖の下へと、落ちていった。


 『あいつ』は、落ちて

 俺は、堕ちた。


 俺はこの手で『あいつ』を崖から突き落とし、そしてその後、


 何もすることなく、逃げ去ったのだ。


 死体を見下ろす勇気も、その場にとどまる勇気もなかった俺は、その場から逃げ出し、逃げ帰ったのだ。

 そして次の日になってからようやく『あいつ』の死体が崖の下から動かされた。


 葬式までの記憶は一切残っていない。

 たとえ残っていたとしても、それは中身のない、空っぽな記憶だけだろう。葬式の日の記憶が残っているのでさえ、俺が事情を説明した後、『あいつ』の両親に思い切り殴られたからだ。そのとき回りのものはとめなかったし、それどころか俺を無言のうちに罵っていたように思う。

 けれど、ただ一人。


 時瀬だけは、友人だからとか自分が余計なことをしたせいだとか言い出したりすることもなく、ただ俺に向かって言った。

 冷めた目で

 覚めた目で


『この一件は僕のせいでもあります。だから僕は、あなたを責めません。しかし、ちゃんとわかってあげてといったでしょう? なのにあなたは、守らなかった。ならばあなたは、これから先、彼女のためにだけ生きるべきです。

 罪は、償われなければならないのですから。

 ぼくは自分の罪を償いつつ、生きていくでしょう。だからあなたも、そういう風に生きていきなさい』


 そんなことを、言っていた。

 そう言ってくれてよかったと、今になって思う。

 でなければ、俺は、とっくに自殺していたはずだから。

 代償行為のように自傷に陥ったのはそのときからで、そのおかげで俺はまともなままでいられた。少なくとも、ある程度までは。

 まあとにかく、俺は『あいつ』を殺したその日から、あいつのためにのみ生きているといってもいい。


 しかし、なぜこんな内容が幾夜に書ける?

 この一件を知っていたとして、俺が何を言ったとか、『あいつ』が何を思っていたとか、ここまで明確に書けるものだろうか?

 幾夜は言っていた。

『リョウ君の言うところの「あいつ」にきいたから』

 つまり、あれは真実だったのか?


 ありえない。ありえない、それ以外にありえる自体が存在しないのもまた、事実なのだ。しかし、それが仮に事実だとして、『あいつ』は一体、何を伝えたいのだろうか。幾夜という他者の口まで借りて、いったい何を言いたかったのだろう。

「どういうことなんだよ………………」

 見計らったかのようなタイミングで、開け放しておいた窓から風が一陣吹き抜けた。

 ページがぱらぱらとめくれ、



 そして半ばを過ぎた位置に今までの絵本の筋書きのようだったものとはまったく違った、小説のような文章を見つけた。



「……………え………?」

 続き、なのだろうか。

 偶然にもちょうど始まりの位置が開かれたノートに、俺は目を落とした。


     ♋ ♋ ♋


 どれだけ長い間、私はそこに置き去りにされていたんだろう。

 私の体はすでに業火で焼かれ、冷たい磁器の中に収められている。けれど、私はまだあの日のまま、そこにとどまっていた。

 とても、心が痛かった。

 自分の羽、先へ進む意思を引きちぎられ、私はとどまっていたのだ。失意と絶望の中、いつも彼のことを考えている。


 彼は今、どうしているんだろうか。

 何を考えているんだろうか。

 どんな風に生きているんだろうか。

 私のことを、覚えているんだろうか。

 隣には、誰が立っているんだろうか。

 私のことを、どんな風に覚えているんだろうか。


 そんな益体のないことばかりを考えていた。

 ぼんやりと。

 時々、私のいるところから物知りの姿が見えた。

 来るたびに、どこか辛そうな感じで、じっと空を眺めている。


 けれど、彼は来なかった。

 私は、彼に会いたかった。

 向こうから見えなくてもいい、ただこちらから見えるだけでいい、だから、彼に会いたかった。

 けれどいつまでたっても、彼は会いに来てはくれなかった。


 もう私のことを、彼は忘れてしまったのかもしれない。

 その一点に思い至ったのは、ここに落ちてからかなりの時間がたってからのことだった。

 そのころにはもう小さかった私の体はずいぶん大きくなり、今ではもう、昔自分が『お姉さん』と呼んでいた人たちの大きさになっていた。頭の中もいろいろと意味のわからない難しいことで埋まり、時々入ってくる誰かの記憶のようなものも、私の中に積もっていった。


 長くかかった、と自分でも思う。

 もっと早く気がつけたはずなのに、気がつかなかった。

 そしてそのときから、彼が向こうから来てくれるという希望を捨てた。


 次に持ち上がったものは、希望ではなく願望だった。


 向こうから来てくれるのではなく、自分から会いに行きたい。


 そう思い始めた。

 何とかしてこの崖の下から抜けだして、彼に会いたい。

 そう、願い始めた。

 しかし、無理だった。

 私には、体がないのだ。自分の意志で自由に動かせる、肉体というものがないのだ。

 つまり、自分はここから動けない。動けたなら、もうとっくにここから去っているはずだった。

 けど、あきらめられなかった。

 会いたかった。

 彼に、一目でいいから会いたかった。

 けれど、自分には体がない。

 向こうから会いにきてくれるのを待っても、彼は、会いに来てはくれない。


 絶望的だった。

 自分では何も出来なくて、

 ほかの人は、何もしてくれない。

 それを自覚したとき、本気で絶望した。


 鳥は羽の片方でもかけた瞬間、飛ぶことができなくなる。

 私の背には、かつて二枚の翼がついていた。しかし、その一方は彼によって引きちぎられ、もう一方はここに落ちたときに失った。


 翼が、ほしかった。


 不自由でもいい、自分が消えてもかまわない。それでもいいから、彼に会うためだけの翼がほしかった。


 そしてそのとき、


 私は彼女に出会った。



     ♋ ♋ ♋


「かの………じょ?」

 誰の、ことなんだ?

 困惑しつつ、何かにおびえつつ、俺はページを進めた。


     ♋ ♋ ♋


「ほしい? 不自由だけど、消えてしまうけど、『誰か』に会える翼」

 それは、女の子だった。

 夕方のこと。

 私の落ちた崖は、夕方になると金色に染まってしまうぐらい夕日を浴びる。その風景はここにとどまり始めて何度も見たけれど、今でも綺麗だと思うぐらい、幻想的だ。

 それだけ強い夕日を背景にしていたため、顔は見えない。


 けれど、なんとなくわかる。

 この子は、普通じゃない。


 雲の上の人、と呼ばれる人物に会ったときの感覚にとてもよく似ている。自分とはまるで違うという違和感が付きまとっているのに、そのくせ同じ人間である、しかし絶対に同じ位置にはいけない違和感だ。

 変な感覚だった。

 自分より小さな子なのに、こんな感覚を覚えるなんて。


 しかし、こんな少女にこそ、

「…………………くれるの?」

 自分は縋らなければならないのだ。


「あげるわ。あなたが望むなら」

 またも変な感じだ。声は年相応に舌足らずなのに、口調がやけに大人びている。

「けれど、それで手に入る翼は不完全。それを得た後、あなたは選ばなければならなくなる。

 自分か、大切な人か。

 その選択をする覚悟が、あなたにはあるの?」

「それ、どういうこと?」

「……………………『代償』」

 代償?

 選ぶことが、代償なんだろうか?

「『代償』は、あなたの存在」

 少女は私の心中を読まずに続けた。


「私があなたに翼を渡したとき、あなたは自分の存在を渡さなきゃならなくなる。つまり、」

 言わなくてもわかる。

 つまり、

「時間が来れば、あなたは消える。今まで残っていた誰かの記憶の中からも消えて、あなたが触れて変えたものはすべてあなたが触れる前の状況に戻る」

 つまり、

「あなたが最初から、いなかったことになる」


「……………………………」

 想像通り。私は言葉を失う。

「だけど、それはあなたがもう『終わって』いるから。

 時間が来ても、消えない方法はある」

 ………………どうやるの?

 無言で、私は尋ねた。

「それこそ、選択。

 私が渡す『翼』は、二度目の人生の獲得に挑戦する権利。


 そしてそれを手にするためには、大事な人を殺さなければならない。


 大事な人をあなた自身の手で殺すことで、あなたは二度目の人生を得ることが出来る」

 先ほどまでの、一時的な言葉の喪失とは違い、今度こそ私は絶句した。

 ひどい。

 仮にその方法でまた飛べるようになったとしても、待っているのはただ孤独な空。

 そんなものに、何かの価値があるのだろうか。

「どうする? それでも、飛べるようになりたい?」

 どうするのか、かなり長い間迷っていたように思う。

 わからなかったのだ。会える手段が会ったとして、その結果彼は私のことを忘れてしまう。

 ならば、会っても会わなくても同じではないか。


 だけど、

「わたしは、」



 私は、決断した。

 翼を、もらおう。

 そして彼に聞くのだ。

 私のことを、忘れていたの?

 そのために、まずは『お話』を書こう。

 もしそれを見て気がつかなかったら、そのときは彼を―してしまおう。そして、新しい翼で空を舞おう。

 そう、決めた。


 不完全な翼の持つ期限は、一週間。

 その間に、すべてを終わらせる。



     ♋ ♋ ♋


 文章は、そこで終わっていた。

 …………もう十分すぎる。

 すべてを、理解した。


 幾夜の言っていたあの言葉は、嘘ではない。


 幾夜は、『あいつ』からすべてを聞いたのだ。


 かつて『あいつ』であった、自分自身から。


 すべてを教わり、帰ってきたのだ。


 このノートは、まさしくあいつの世界といえるだろう。

 なにを考え、何を思い、何を決めたのか。

 それらのすべてが、記されている。


 そして俺は、図らずもあいつを支えていた土台そのものを揺さぶってしまったらしい。

 俺が『あいつ』のことを忘れていてくれれば、それでよかったのだろう。

 ―されたくないと俺が言えば、それでよかったのだろう。

 自分だけが再び生きなおすために、俺を―すことができたのだろう。


 しかし、俺はそうしなかった。

『あいつ』のことを忘れていなかった。

『あいつ』のためになら死んでもいいといった。

 どれほど迷ったろう。どれほど困惑しただろう。

 今ならわかる。俺が死んでもいいといったとき、『あいつ』は、どこまで深い葛藤の中にいたのか。


 過去へ戻れるのなら過去の俺に言ってやりたい。

『ノーと答えろ!』と。

 そうすれば、すべてが丸く収まったはずなのだ。

『あいつ』は自分のために俺を―し、今頃新しい生涯を送り始めていただろう。その横に俺の姿はなく、俺の屍を置き去りにするだけだ。


 かつて、俺がそうしたように。


 けれど、そんなことはできない。

 もう、あの言葉は撤回できない。

 ならば、

 俺は一体、どうすればいいのだろう。

 どうすれば、俺は、

 この困惑の中から、抜け出せるのだろう。


「――――どうもこうも、すべては、あなた次第」


 …………………え?

 舌足らずな、声?

 一体、誰が?

 いつの間にやら下がっていた目線を上げる。

 そしてそこに、

 影を見つけた。


     ×    ×    ×    ×


 小さな、姿だった。

 年齢 一桁  性別 女性。

 公園などで見かければ日常どころか世界の一部としてスルー確実な、当たり前の姿。しかし、その姿は明らかに異様だった。


 顔が、見えていない。

 陰になっているのだ。


 ここは室内で、陽光は横合い、左側にある開かれた窓から入ってきているのにも関わらす。

 もともとそれ自体が陰でできているかのように、顔どころか全身が真っ黒。ちょうど、地面にできた自分の影を等身大にして厚みを持たせてその上で意識を持たせたような、いうなれば『影人形』のような姿。そのせいなのか全体に対して抱く印象があまりにも希薄で、服装はおろか具体的な体格までわからないという有様だった。

 しかしひとつだけわかる。


 その影は少女だ。

 そしてその名前は、

「アコヤ」

 幾夜のノートにあったとおり、舌足らずなのに大人びた口調で。

「それが、私の名前」

 断言するかのように、言った。

「それで、あなたの名前は、なんていうの?」

 いきなり出てきておいて、質問することはそれか。

 まあ、わからないこともない。こんな不可思議なやつだ。

 夢であるとか、自分の幻覚であるとか、そんな可能性は端から考慮していない。考慮し出せばきりがないし、そもそもこれほど現実味のない幻覚も珍しいだろう。結構現実味があるものだ、幻覚にも。


 からからに渇いた口で、名乗る。

「片原、リョウ」

「違う」

 一瞬で、否定された。

「………………知ってるのか?」

「ええ」

 不可思議だ。

 時瀬以外、誰にも言ったことがないのに。

 ならば、隠し通すこともできまい。

高城(たかしろ)、リョウだ」

「たかしろ?」

 ああ、と俺はうなずく。

 引いてばかりは、いられない。

 何とかして、必要な情報を引き出す必要がある。


 俺はほとんど間を空けずに二の句を告いだ。

「それで、お前は何なんだ?」

「え?」

 一瞬、アコヤの表情に動揺が走ったような気がした。

「お前は、一体どういう存在なんだ?」

 これさえわかれば、恐らくかなりのことが前進するだろう。

 アコヤが一瞬、顔を背けたように見えた。

「その答えには答えられない」

 え、と口から音が漏れる。

「……………どうして?」

 顔を背けたまま、

「私もわからないから」

 変わらぬ口調。しかし、声音には明らかな悲壮感が混じっている。

 もしかすると、彼女も悩んでいるのかもしれない。自分が何なのかわからず、ただできることだけを淡々とこなす、そんな自分に、何かしらの感情を抱いているのかも知れない。


 が、今はそんな事、どうでもいい。

 得体の知れない影人形にどんな悩みがあろうと、俺にはまったくの無関係だ。

 俺は問いを続行するべく、ノートを指し示し、

「ここに書かれているのは、お前なのか?」

 アコヤが、俺の正面、そこの床に座り込む。

 どうでもいいが、座れるんだな、こいつも。

「そう。『彼女』にも、会った」

「いつだ」

 会ってからの日数を逆算すれば、今日があいつにとって何日目なのかがはっきりするはず。

 あいつが消えるまで、あと何日残されているんだ?

 一体いつ、あいつは選択を迫られるんだ?


 アコヤが、ポツリと。

 二の句を、告ぐ。

「五日前の、ことだった」

 五日前。

 つまり、今日を含めて二日で、幾夜は、

 あいつは――――



 消える。



 脱力した。

 二日後、俺はあいつに関するすべてを失う。記憶も傷も、ここにあいつがいたという事実も、すべて消え失せて最初から存在しなかったことになる。

 それは完全に、ただ死ぬよりも――――

「………………………」


 だが、残された俺にその苦しみを知るすべはない。

 それを止めたくとも、あいつは俺を―せない。

 何をどうやれば、あいつが消えるのをとめられるというのだろうか。


「―――――質問は、それだけ? だったら、本題に入りたいんだけど」

「………………本題?」


「ええ。と、言っても確認程度だけど。

 もうわかってるだろうけど、高浜幾夜は、あなたの言うところの『あいつ』、×××××。

消失の期限は、残 り二日。

 消失以前に彼女がどんな方法であろうともとにかく死亡した場合、彼女の記憶は残される。因果関係が元の形に修復され、彼女という不純物が消えてなくなるから。

 そしてその消失から逃れる手段は、二つ。

 ひとつはさっきも言った方法。『高浜幾夜』、その存在の死。

 そしてもうひとつ、これは彼女の『世界』の中でも語られていた方法」

 つまりそれは、

「あなたという存在が、彼女の手によって殺されること。

 自らの命を奪った対象から、奪われた命を奪い返すこと。

 この方法をとった場合、あなたは命を失う代わりに彼女は新たな命を得る。

 どちらにしたところで、あなたは大切なものをひとつ失う」


 間に言葉をさしはさむことなく、彼女は言い切った。

「あいつの死に方、俺の殺され方は――――」

「どんなものでもかまわない。前回と同じく転落死しても、自傷行為に使うナイフで刺し殺しても切り殺しても、二人仲良く心中しても、かまわない」

 心中、か。

 そんなことをしたところで、失うものが増えるだけだろう。

「……………なんで俺に、そんなことを教えるんだ?」

 あいつが、幾夜が知っていればそれだけで事は足りるだろう。

 そしてことが足りるなら、こんな風にして俺の前へ出てくる必要はない。

「…………………選ぶのは、あなただけではないから」

 アコヤは俺を哀れむかのような目線を俺に向け、そして立ち上がった。

「では、よき選択を。彼女のためにも、あなたのためにも」

 そんなどこか芝居がかった台詞と同時、


 しゃらん


 風で木の葉がこすれあう音を二重に硬質にしたような音が響いた。

 そしてそいつは、アコヤは俺が瞬きをした瞬間に、消失していた。


「…………………いきなり現れていきなり消える、か」

 俺はため息をつきつつ、全体重をソファーに預けた。

 

 そのまま、天井を仰ぐ。

 何が、どうなってんだ……………

 わけがわからなくなってくる。

 しかし、いくつかは信用できる。

 

 あいつは、幾夜は、『あいつ』なんだ。

 

 ありえないほど明確な小説、ふとした瞬間に見せる不振なしぐさ、あまりにも似ている容姿、わけのわからない問いかけ、それらがすべて、幾夜の存在が『あいつ』なんだと示唆している。

 今となってはたやすく信じることが出来る。幾夜が、『あいつ』なんだと。

 

 けれど、あいつが消える?

 その期限は二日間。それも、今日を含めた場合の話だ。

 それを避ける方法は、二つ。

 ひとつは、あいつが死ぬこと。

 もうひとつは、俺があいつに殺されることだ。

 

 できることなら、後者がいい。

 俺が生きてるのは『あいつ』の分まで生きるためであって俺のためではない。

 『あいつ』がそれを望むのなら、殺されてもかまわない。

 俺は一度『あいつ』を殺しているのだ。ならば、今度は俺が死ぬべきだろう。

 二度も、死なせたくない。

 けれど、わかる。

 『あいつ』は、間違いなく俺を殺さない。

 おそらく、『あいつ』の望みは俺とともに生きることなのだ。『あいつ』が昔のままであるのなら、間違いなく残された日々を俺と生きようとするだろう。

 

 精一杯、

 思い出を詰め込んで、

 全てをあきらめるように。

 そういう風にして残った日数全てをすごし、そしてその後にあの崖から再び――――


「………………………」

 俺はどちらの望みをかなえればいい?


『あいつ』を生かしたいと望む俺と、

 俺を生かしたいと望む『あいつ』。


 両者の望みは決して相容れないもの。二つを選ぶことはできない。

 ならば、


 優先すべきは、どちらだ?


     ×    ×    ×    ×


 和室の少女は夢を見る。

 過去の夢だ。

 その中で、自分は軽い陽動運動のさなかにある。一定のリズムを刻むその運動は心地がよく、うっかりすると眠りの中に落ち込みそうになる。激しいわけではなく、かといってゆるいわけではない、ほどよい振動。

 空間的にも余裕はある。正面に何かがいるんだろう、というような漠然とした意識はあるのだが、その人物に対して自分の意識は向いていない。横に対して空間は開いており、のんびりと体を伸ばすにはちょうどよかった。

 意識が、夢の中へと向いていく。

 

 ………………でんしゃの、なか。

 シートは向かい合って置かれたタイプ。あの側面を端から端まで横断するようなものではない、修学旅行御用達のもの。


 ………………ねむって、る

 明確な形を持っていない意識、全身を包むぼんやりとした安心感、右半身にある少し硬く感じられるソファー。予測でしかないが、たぶん電車で長距離移動をしている最中だ。その途中に眠くなり、そのまま眠ってしまった、そういうことだろう。と、なると眠っているという表現は適切ではない。眠っていた、というほうが正しいはずだ。


 ………………まえに、いるのは

 わかる。

 いつも自分と一緒にいたあの二人だ。

 片方はやや不機嫌な顔をしていて、もう片方は苦笑気味に微笑みながらもう片方の少年に何事かを話しかけている。話しかけられているほうも鬱陶しそうに対応するものの、結局は真面目に答えて余計に面倒なことを招いている。そしてその膝の上には猫。いつか拾った、あの猫だ。


 ……………場所は、

 外は見えない。けれど、記憶に何か引っかかるものがある。

 海。

 私がこうなる年の、八月のことだ。

 三人と、その家族で海へ行った。

 親のほうは親のほうで何か積もる話しでもあるらしく、はす向かいの座席で談笑している。子供は子供同士、ということ。その途中、私は眠気に耐え切れず眠ってしまって、起きたらもう海が見えていた。いまになって思い返してみれば、あれはかなりいい経験だったのではないだろうか。


 とにかく私は、いつもの三人と家族と一緒に海水浴のため遠出したのだ。あのときから私は彼に惹かれていたし、私たちの町は海が遠いのでいい思い出になった。

 一番楽しかった思い出だ。

 そして、


 今の私が、壊さなければならないものだ。

 私が動かなければ、この情景もなかったことになる。

 それは、何よりも避けなければならないもののはず。

 けれど、動けなかった。

 何も考えることなく、ただ実行しようと思っていた。

 なのに、自分は行えなかった。

 わからなく、なったのだ。

 彼の命を選ぶべきなのか、

 私の思い出を選ぶべきなのか。

 両方選ぶことなど、不可能だ。

 しかし、どちらかを選ぶことも、また不可能なのだ。


 ………………だけど、今は


 せめて今だけは、この、暖かい思い出の中に…………


    ×    ×    ×    ×


 昼もすでに過ぎ、夕焼けの色に染まったあるマンションの和室。

 その中央にしかれた和室に、一人の少女がいる。


 黒い髪を広げて眠るその姿は、とても安らかだ。

 布団脇には学校指定の手提げ鞄。中に入っているのは教科書類と文庫本だろうか。それだけで真面目であることが伺えそうな中身である。

 そしてその上には、一枚のメモが乗っていた。

 内容はシンプル。


 『あのノート、しばらく借りる。

  今日は読みきる暇がなかった。ちょっと[アレ]、やりすぎてかなり危険なことになったか  ら、病院いってくる。

  しっかり休めよ。

                   高城 リョウ』


 眠ったまま、少女は腕を上げる。

 向かう先には、一匹の猫。そこそこ成長を重ねた、茶色に白の縦縞模様に、やや太り気味の猫。心配そうな表情で、少女の顔を、眺めている。


 伸ばされた手におびえることなく、その猫は自分の背に乗せられる手に身を任せた。

 背をくすぐるようになでられる手に、身をゆだねる。気持ちがいいのか、ゆっくりと自らもその手に顔を摺り寄せた。


「――――――――かしわで………久しぶり―――」

 その声に、

 返事をするかのように、猫は一鳴きした。


下へ続く、といったところでしょうか。

これ以上は間に押し込めないので、今度はちゃんと守ります。

どこまで長くなるかな…………

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― 新着の感想 ―
[一言] 最初はあまり期待せずに 読んでました。ごめんなさい。でも、この瑠璃人さんの 独特の世界に 引っ張られて 一気に読みました。誤変換が目につくのが 残念ですが、続きが読みたいと 思っています。頑…
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