海5 ポトフとお守り
ディモル捕獲作戦は滞りなく終わってしまった。一切の無駄もなく私が手を出す隙は皆無。三人も通常業務で余裕綽々だった。
アルバートさんの水中での速さはイッカクであるディモルより早いように見えた。どうやって連携を取っていらのか分からなかったが、船の方をクロノ様が操り、上手く船に追い詰め上から網を落とす。それを回避したディモルをリードさんが船の横の捕獲器に閉じ込めた。前回は網で絡めたから、今回は学習してると読んでのことらしい。
……私、ここでこれをやるの?
感嘆した直後、血の気が引いた。リードさんはコツコツと言ってくださったけど、出来るようになる気が一ミリもしない。
彼らが一流の物凄い教育エキスパートで、私を育て上げるとか?いや、いくらなんでも無理でしょ。
船の周りを片付けたアルバートさんが、水飛沫と共に甲板に上がる姿を見てハッとする。「お疲れ様です」とタオルを渡しに駆け寄ると、にやっと笑って肩を叩かれた。細めた目は鈍った赤色を帯びている。
「どや、かっこよかったやろ」
「すごかった、です。あっという間で……」
「惚れたらあかんで。せやけど、今日の酒は旨いやろな」
上機嫌なアルバートさんと対照的に、少し困ったような表情のクロノ様がアルバートさんに何かを渡した。それは、斑らの錠剤の入った大きな瓶で、私は今まで見たことの無いもの。
「残念ですが、今晩は街には行けません。アル、タブレット忘れてましたね?」
「げ。忘れとった。目ぇ、赤いか?」
「ほんのり」
「あー、……すまん」
「少しイレギュラーがありましたからね。今宵はまだ満月ですから、明日には戻るでしょう。ディモルには災難でしたね」
受け取った瓶から掌一杯分のタブレットと呼ばれる錠剤をアルバートさんは食べた。飲む、ではなく。ボリボリと咀嚼している。しかし、表情は美味しいものを食べているそれでは無いよう。
クロノ様は捕まえたイッカクを撫でようとしてガウガウと威嚇され、仕方なさそうに魚を一匹生簀に放った。
「あー、食材の残り、一食分位しか無かったかも。野菜は……全滅違たかなぁ?ソーセージは結構あったような?晩飯どないしよう……」
アルバートさんが困った様に呟いた。
「ポトフでしたら今晩ご用意できます」
えっ、と驚いた二人に傷みかけの野菜からスープをとった事を伝えた。大したものでは無いが、残りの野菜とソーセージがあればメインにはなる。
「乳製品はございますか?」
「あるで。付いといで」
アルバートさんに乳製品のある所や香辛料、朝には見かけなかったパン類のある所を教えてもらった。明日の朝食分までで食料全てを使いきっても大丈夫との事だったので、簡単な物を付け足す。
野菜に根菜チップスとベーコンを揚げたものをのせ、オイルベースのドレッシングとすりおろしたチーズをかける。パン用にはガーリックバターを用意する。卵があるので、残りで明日はオープンサンドは作れそうだ。買い出しが無くなれば飢えるけど。
アルバートさんは私が料理しているのを観察しているようだった。そこにクロノ様、リードさんが加わって、つまみ食いを牽制し始めた。
そりゃ、お腹も減ってますよね。
ポトフは野菜は少し小さくして、時短に。火を使う順番を組み合わせて最短で作り終えると、リードさんの顔が輝いた。そんなにお腹が減ってるの?おやつはそこそこ召し上がってたはずですが。
夕食には少し早めだったけど、期待に押し切られるようにクロノ様はそのまま夕食にしましょうと言った。
美味しい美味しいと言いながら、良い食べっぷりを見せる3人は……やっぱりちょっと可愛い。
どうやらここの方々は料理は不得手らしい。船での生活が長いのに、家事関係が回ってないってのはかなり不思議に思うけど、私としてはラッキーかも。
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夜、クロノ様に布の使用許可をもらいに部屋に行った帰り、甲板にアルバートさんが座っているのを見つけた。
そういえば、服を破いた時に不快にさせた事、謝るの忘れてた。リードさんが理由聞いてみたらって言ってくださってた事も思い出して、謝罪した方が良いように思える。
外を出ると意外と暖かく柔らかな風が吹いていた。
「アルバートさん?いかがされましたか?」
「ん?月をな、見とんねん。今夜は月が綺麗や」
見上げると確かに赤い月が眩しいほどに輝いている。そのせいか、アルバートさんの瞳も爛々と赤くなっていた。
「……目、気になるか?」
言われて、彼の目をつい見つめていた事に気がついた。
「不躾に、失礼しました」
「いや、ええで。気色悪いやろ?」
「へ?何故ですか?」
「なんやねん、その反応」
「いや、綺麗だなっと思ってつい見惚れていたので……」
「見惚れ?……そうか、知らんにゃな。サヤはやっぱりもっと常識を知らなあかんわ」
よいしょっとアルバートさんは立ち上がると、服を脱いだ。
「今から少し潜るけど、サヤも来るか?お日さん出てへんから脱いでもいけるやろ」
「はい」
性別が無いと言うのはこういう時は便利だ。上も下も脱いで、アルバートさんに続く。泳ぐのは久しぶりだなと感じた。頭まで潜ってから、そういえば今ある記憶の中で海で泳いだ事がない事も思い出した。けれど、心配は無く海面を見ながらゆっくりと回転してアルバートさんに続く。
月明りは十分で夜の海の中も暗くは感じなかった。手招きされて寄ると、海の底に光る物が見える。一旦息継ぎに浮上して、これから戻るとその光はアルバートさんの手の中に収まっていた。
両手で彼の首に掴まるよう指示され従うと、彼はそのまま急浮上した。そのスピードのまま空中に放り出されても怖さは無かった。これが新月の時なら星が降るような夜で最高だろうなと思いながら落下して、私はアルバートさんに抱きとめられた。
「怖かったか?」
「いえ、楽しかった、です」
せやろなぁ、と言いながら甲板に運ばれる。私の記憶には無いけれど、私がすごく昔に海辺にいた事を、この海で生きる人は感じていたのかもしれない。
「体調も良さそうやし、夜目もきく。海であんだけ泳げるんやったら船乗りの能力あるんやろな。能力無かったら、こんだけ揺れる船に乗って船酔いせぇへんはず無いし」
そう言ってポンと投げてよこしたのは、先ほどの光る小石だった。
「俺の種族ん中では、守りやとされとる。満月の日だけ海水につけたら光んねん。やるわ」
「ありがとう、ございます」
彼はそう言ってさっさと部屋に戻って行って、私は結局昼の事を謝れていない事に気がついた。