法医学者の徒然
浦嶋刑事が帰ったあと、貰った原田優香ちゃんのデータを眺めていたら、ノックの音が聞こえた。
「で、どうだった、保登くん」
「所長」
「彼女の名前、わかったんだってね。――最初からなんとなく気づいてたんじゃないかい? 彼女が冷凍されていたことに」
所長から再びデータへと視線を落とし、コクリと頷いた。
「まあ、指紋と歯型のデータベースが両方無い時点で、なんとなく……勘ですけど。そうじゃなければいいなと思っていたのもあります。未来に希望を託して眠ったのに、その未来はこのザマだなんて」
謝りたくもなりますよ、と付け加えようとして、やめた。自分でも、何に対して謝っているのか、ハッキリしていないから。
「所長も人が悪いですね。原田優香さん、ご存知だったんでは?」
責めるような眼差しを向けても、所長は白い髭を撫でながら相変わらず考えの読めない様子で飄々と私の言葉を受け止めていた。
「カメハラ診療所の患者さんだったんでしょう。浦嶋刑事から聞きましたよ。亀原所長」
「あの診療所はもう、何十年も前に息子の手に渡っておる。【絶対に取り壊しさせるな】【医学が発達したら、地下へ行け】と先祖代々伝えられてきた言葉とともにな。まさか、孫の遊び場となるほど管理をずさんにしていたとは思わなかったよ。彼女には、悪いことをした」
そんなざっくりした伝えられ方では、そうなるのも無理はないだろう、むしろ今までよく存続していたな、と思う。
あななたたち一族がもっとしっかりしていたら、などと言うつもりはない。誰を責めたところで、優香ちゃんは再び目を覚まさないという現実が、変わることはないのだから。
「浦嶋刑事とは今後も続いていきそうかね?」
「突然話を変えますねえ」
もしや、とも思うがここはあえて気づかないフリをしておこう。
「事件性のあるご遺体が出てきたら、また呼びつけるかもしれませんね」
あ、間違った、と思った。
もうちょっとこう、男女の仲的な言い回しにしないと……
「単なるビジネスパートナーか。ではどうかね、そろそろわしの後妻に興味は?」
「湧いてきませんねぇ」
やっぱり口説き文句きたーと、苦笑いは心の中だけに留める。今度また別の用でやってきた警察の人に噂を流してもらおうか、二人がデキてる、みたいな。浦嶋刑事には悪いけど。外堀から埋めていく作戦を練ろう。
そう誓ったところで、所長がまだ食い下がろうとするのでニッコリと笑いながら言った。
「私、年下は興味ないんですってば~」
そう言って所長を軽くあしらい、再び原田優香ちゃんの生年月日欄に書かれた、平成の文字を眺めながら、呟いた。
「懐かしいなぁ」と。