第9話
第9話
俺と修平は今、電車の長椅子に並んで座り、隣の県に向けて移動していた。
そこに居る、次の同級生と会うために。
「神谷の奴、大丈夫だろうか」
誰にともなくつぶやいたそれを、こいつは聞き逃さなかった。
「おや、心配ですか。あなたにも人を思いやる心があるとは驚きです」
「いちいちお前は……」
「でも、そうですね。昨晩も具合が悪そうでしたし、気になりますね」
「ああ、そうだな」
木村との実験を終えたあの後、修平の家に戻った俺は神谷に報告しようとした。
ドアをノックしても返事が無かったので、もう寝ている様子だった。
それも仕方がない、帰る手段を探したりなんだで、結局もう朝に近い時間になっていた。
俺も寝ようかと横になったが、寝付けることは無かった。
興奮していた。
ついに、この忌々しい現象への反撃に、その実験に成功したのだ。
写真を取り出して、形を変えた影を見る。
中央にあったモヤのような影は、左半分だけ輪郭がはっきりし始めており、それは頭と体を持っている様だった。
これは恐らく人だ。
だがそれが誰かまでは、まだ判別できる程の形になっていない。
それでもいい、確実な一歩だ、俺は緩んだ頬が戻せずにいた。
ようやく起きてきた神谷と、特に理由は聞かないが朝帰りの修平との3人で、これからどうするのかを話し合った。
だがそれは細かい内容の事で、大枠は最初から決まっていた。
この実験を続ける。
その先に必ず、俺達が助かる道が続いていると信じて。
そしていざ行動に出ようと勇んでいた時、神谷は修平の家に残ると言ってきた。
どうやらまだ具合が悪いらしい。
それに、少し調べ物もしたいらしく、今日もまた別行動となった。
何を調べるのかと聞いてもはっきりしなかったが、本人も良く分かっていないのか、風船がどうのとか言わない。
無理をさせる訳にもいかず、俺と修平は神谷の申し出を受け入れた。
そして枕元に水分や簡単な食料を置き、横になる神谷に背を向けて行こうした時、あいつはこんな事を口走った。
「ねえ、ヨッシー」
「どうした、まだ何か必要か」
「うん。ねえ、頭なでて」
「はぁ!?」
「具合が悪い時は、お母さんにそうしてもらってたから、それがないと善くならないの」
「お前に散々言われたけど、お前こそ、子供かよ」
「子供だよー、いいじゃん減るもんでもないしー」
「なんなんだよ、お前は、ったく……」
俺はしぶしぶ、神谷の頭を2回ほど軽く叩いた。
「これで満足か」
「へへー、苦しゅうない」
「もう行くぞ」
「うん、いってらっしゃい」
……あれは何だっただろうか。
弱っている人間は誰かに甘えたくなるものかもしれないし、そこに居たのがたまたま俺だったというだけで、深い意味はない、そう思う事にした。
電車の窓から見える景色も、だいぶ様変わりしてきた。
建物はまばらになり、代わりに田んぼや畑が広がっている。
隣の修平に目をやると、熱心に写真の影を観察していた。
「それ、誰だろーな」
「現時点で特定は出来ませんね、いずれにせよ何か重要な手がかりになるといいのですが」
「まーな。てか、お前、いやお前らか、朝まで何やってたんだよ」
俺はニヤつきながら聞いた。
大方予想はついている。
晴れて結ばれた修平と木村、長いこと互いに自分を抑えていた分、さぞかし激しい夜を迎えたに違いない。
「……あなたが考えている様な事はありませんよ。始発の時間が来るまで、あのままカラオケに居て話をしていました」
「でもキスくらいはしたんだろ?」
「しましたよ」
「したのかよ!」
それはそれでなんだか腹が立つ。
一足先に春を迎えやがって。
「でも朱音さんと話をしていたお陰で、僕達はこうして次の実験ができるのです。妙なひがみではなく、感謝の言葉が欲しいくらいですね」
そう、これから向かう同級生とは、木村から情報を得た人物だ。
なんでも客として来た事があるらしい。
あまりあの手の店に縁があるとは思えなかったが、大人になると分からないものだ。
後藤健二。
俺と修平にとって、高校1年の間だけというわずかな時間ではあったものの、確かな友情を築き上げた人物だ。
2年に上がるとほぼ同時期に引っ越してしまい、それから疎遠になってしまったが、とても懐かしく思う。
「僕も覚えはいますが、正直あなた程ではないですね」
「つれねーな、俺達3人で良く遊んだってのに」
「そもそも、僕はあなたと遊んだ記憶すらありませんしね。……つまりそのせいで、僕は後藤君との思い出があまりないのでしょう」
「随分、頭がやわらかくなったな」
「言ったでしょう、僕はあなた達に起きた現象、そしていわば僕にも起きているこの現象を、完全に信じたと」
「ああ、そーだな」
その直後、とても懐かしい言葉が聞こえた。
「良樹君、朱音さんのお店ではすみませんでした。正直な所、僕はあなた達と縁を切ろうと考え始め、あなたにとって不利な条件で実験を行いました。早く終わらせるために」
「それはいいけど、今俺を良樹って呼んだか」
それを指摘すると、修平はメガネを押し上げながら返してきた。
「……僕なりの、あなた達の話を信じると決めたけじめです。僕は友と認めた相手を、苗字ではなく名前で呼びますから。あなたが嫌でなければですが」
「はは、お前はおもしれーな。お前のやりたいようにやればいいだろ」
「ええ、分かりました。……そろそろ乗り換えの駅ですね」
「おお、行くか」
そして俺達は、何度か電車を換え、バスにも乗り、正午を回った辺りでようやく目的地に着いた。
* * * * *
俺達が見つめるその紙には、大きな文字でこう書かれていた。
夕方帰宅、と。
それはアパートの玄関に貼り付けられており、この部屋の住民、後藤の不在を告げていた。
「後藤には、今日俺達が来る事伝えてあるんだよな」
そう聞くと、修平も不思議そうな顔で言う。
「ええ、お昼過ぎには着くと、朱音さんに伝えてもらっています。伝わってはいるからこその、この置き手紙だとは思いますが」
「まーじかよ、夜までここで待てってか」
「そうですね……」
修平はメガネを押し上げて、その口に笑みを浮かべた。
「時に良樹君、あなたゲームはお好きですか?」
「なんだよそれ、好きか嫌いかと聞かれたら……大好物だ」
「それは良かった。ここへ来る途中、ゲームセンターがありましてね」
「修平、それはこの俺に、勝負を挑んでると受け取っていいんだな?」
「勝負になれば、の話ですが」
「いいぜ、受けて立つ!」
こうして俺達は、後藤が戻る時間までゲームセンターに居る事となった。
勝負の行方?
それはもちろん、この俺が勇姿を見せつけて……。
「テメェ、今何しやがった! チートだチート、こいつチート使いやがった!」
「人聞きの悪い。この対戦ゲームにおいて、そのようなものはありませんよ、正攻法です」
「くっそー、もう1回だ!」
「やれやれ、いい加減他のもやりたいのですが。いいでしょう、あなたの生気が枯れるまで、そう時間はかからないでしょうし」
「ほざいてろ、次に地面を舐めるのはテメェだ!」
結局勝つことはできなかった。
「クソゲーだクソゲー」
「あんなにやっておきながら、その言い草はないでしょう。少し飲み物を買ってきます、あなたも要りますか?」
「おお、コーヒー頼む」
「分かりました、ブラックですね」
自販機に向かう修平を目で追った後、どのゲームならあいつを負かせられるかと店内を物色していた。
その時だった。
上着の右ポケットが急に重くなる。
いや違う、これは、引っ張られている?
「はぁ!?」
俺はとっさに体をよじらせた。
そこでようやく、灰色のフードを深く被った、見知らぬ人物の存在に気づく。
そいつはすぐさま駆け出した。
「おいっ!」
俺もそいつを追いかける。
店内の人という人を押しのけ、そいつをめがけて走り続けたが、結局外に出た時点で見失った。
息が上がっている。
しばらく運動をしていないせいか、こんな至近距離でも捕まえられなかった。
「くそっ、なんだあいつ」
「どうしました、何があったのですか」
修平が騒ぎに気づいて駆けつけてくる。
「分かんねー、なんか変な奴が居た。多分スリかなんかだ、俺の上着を……」
そこまで言いかけて思い出す。
そこに重要な物が入っていたと。
「やべっ、写真!」
慌てて突っ込んだポケットの中で、指が何かに触れてほっとする。
でもそれを取り出した時、再び俺は逃げた奴に怒りを覚えた。
「あの野郎……!」
写真が破れている。
「財布でも入ってると思ったのか、そんなもん持ってねーんだぞクソが」
「威張って言う事でも無いでしょう、貸して下さい」
修平が写真を確認する。
「……右側が破り取られてしまっています。幸い、と言っていいのでしょうか、変化のあった左側の影は無事です」
「なんでよりによって俺が狙われるんだ」
「言っても仕方がありません、この事は警察に任せ……いえ、それは出来ませんね、あなたの事が問題になりかねません。困りましたね」
とりあえず、という事で、写真はより安全な場所である内ポケットに仕舞った。
そして上着のファスナーを閉めて、厳重に警備した。
その後再びスリが現れる事は無かったが、遊ぶ気分でも無くなり、後藤の家に戻って帰りを待ち続けた。
* * * * *
「いやあ、ごめんよお」
ようやくその声が聞けたのは、置き手紙の通り陽が沈みかけた頃だった。
約5年ぶりに見るその顔は、やはりどこか当時の面影を残している。
笑う目は細く、持ち上げられた頬は丸々としており、大きかったその体は更に一回りも二回りも伸びている。
縦にも、横にもだ。
「よお後藤、久しぶりだな」
「ですからそれは、言っても通じないとあれほど……。後藤君、覚えていますでしょうか、同じクラスだった丹羽です」
修平の問いかけに、後藤は笑顔のまま答えた。
「ええとお、丹羽君は確か、女装が趣味だったかなあ」
「はいっ?」
修平が女装……想像しただけでも笑えてくる。
「何言ってんだよ、修平の趣味なら女は女でも熟女の方だろ」
「そおかあ。ええとお、君は確か、アニメオタクの人だったかなあ」
さっきからおかしな事ばかり言ってくる。
これは後藤なりの、お久しぶりジョークというやつなのだろうか。
「俺はアニメそこまで好きじゃねーぞ」
「そおかあ、じゃあ、いつも学校に漫画を持ってきてた人だったかなあ」
後藤は終始ニコニコしている。
なぜだろうか、修平や木村とは違った、会話の成立のしなさを感じ始めている。
「信じられないかもしれませんが、後藤君は僕達と良く遊んでいたのですよ」
「そおかあ、あれえ、君達は3人組じゃなかったかなあ。ううん、4人組でバンドを組んでいたよおな、違うかあ、5人組の方だったかなあ」
そこまで口にして、後藤は頭をかきながら付け加えた。
「ごめんよお、オイラ引っ越しが多かったから、すぐには思い出せないんだなあ」
「では、G県立X高等学校、1年2組、これでどうでしょう」
「居たよおな、居なかったよおなあ。ううん、分かったぞお」
「良かった、思い出してもらえましたか」
「校長先生の金色の像がある所だあ」
「いえ、その様な物はありませんでしたが……」
「そおかあ、違うかあ」
いくら引っ越しが多かったとは言え、通っていた高校を思い出せないものだろうか。
俺は後藤の発言にある疑問を抱いていた。
それをそのままぶつけてみる。
「なあ、後藤。さっきから記憶を探ってるんじゃなく、適当な事言ってないか。金色の校長像なんて普通ねーだろ」
指摘された後藤は細い目を少しだけ開いて、頭をかきながら答えた。
「そおだよお、だあって、なんにも覚えていないからあ。君達の事も、その学校も、さっぱり分からないやあ」